混沌の包囲網
第一要塞島での緒戦は、ラザリック率いる帝国軍の勝利に終わった。魔物は全て倒れるか、触手の草原に飲み込まれていった。
帝国兵に多少の負傷はあったようだが、完勝といってもよいだろう。
薄紅色の草原の中には、今も触手にむさぼられる魔物達が残されている。魔物はもがきながら、傷口から赤黒い瘴気を放出していた。
カオス――つまり呪海の力から生み出された魔物にとって、あの瘴気こそが血に代わるものだという。これが人でなくてよかった――と、ソロンはそっと息を吐いた。
「所詮は烏合の衆か。軍隊には敵わんようだな」
帝国軍の勝利を見て、メリューが断じる。
実際、帝国軍が終始優勢だったのは、敵の襲撃が散発的だったためだ。多種多様な魔物達は、統率なく帝国軍へと迫るばかりだった。
「だな、ちっとは俺様の出番も残して欲しかったぜ」
グラットも余裕の態度で同意する。
「ですが、油断は禁物ですよ。今はしのげても、これで終わりではないでしょうから」
懸念を表すアルヴァに、ソロンも続く。
「同感。あいつら逃げる気配がないしね。もっと、大勢に攻められたら危険だったと思う」
「そうだな。逃げる気がないのもザウラストの聖獣と同じだろう。連中は生物としての本能が欠けている。全てを倒すまで戦いは終わらんということだ」
ソロンの指摘に、シグトラも頷いた。
魔物の多くは痛めつけられたり、仲間をやられたりすれば早々と逃げ出す。それが人を含む動物に共通する本能というものだ。カオスの魔物はその点で極めて異質だったのだ。
「ラザリック将軍、よくやってくれた」
緒戦を終えたラザリックを、前に進み出たガゼットがねぎらう。
「いえ、この程度はどうということもありません。先へ進みましょう」
ラザリックは謙虚に振るまい、再び先頭に立って行進を再開した。
彼が率いる軍の少し後ろには、ガゼットの本隊、その後方をイセリアの部隊が固めている。ソロン達もイセリアと同行する形で行進に加わっていた。
触手の間を通りながら、行進は続く。
道幅が狭まるところでは、ラザリックは魔道兵に指示を出して触手を焼き払わせた。先程のような隘路での襲撃を警戒しているのだろう。
「なんだこれは……!?」
ラザリックが唖然と声を上げる。自然と隊の行進が止まっていた。
けれど一同の前に現れたのは、赤黒い池のようなものだった。中には混沌とした何かが、ゆったりと渦を巻いている。
見るだけで嫌悪感を催す何か。ソロンはそれを知っていた。
「これって呪海じゃ……」
「ええ、本来は池があったはずの地点です。まぎれもなく呪海と同一のものでしょう。決して、近づかぬよう気をつけてください」
アルヴァが前方へと警告を呼びかけた。
まさしく、呪海の王は島の環境を改変し、呪海を作り上げたのかもしれない。
「りょ、了解です! 皆、距離を取りながら、通り過ぎるんだ!」
ガゼットが呆然としながらも、警告を伝令する。
もっとも、警告の必要もなかったかもしれない。それは誰が見ても禍々しく、本能的に避けざるを得なかったからだ。
赤黒い池を通り過ぎた末に、ラザリック隊はついに目的地の砦へと接近した。
後方のソロンからも、砦の姿がはっきりと確認できるようになっていた。
砦の壁面には毒々しい色合いのツタが這っていた。そこから生えた大きな花が、口を落ち着きなく開け閉めしている。相変わらず、この島は何から何まで悪趣味だった。
「むっ、あやつらは……!」
メリューは鋭く耳を立てた。
その視線が差すのは二階建ての砦。その屋上に人影が現れたのだ。
「邪教徒どもか!」
ラザリックが警戒の声を上げれば、兵士達も弓を構え出す。
赤い衣をまとった者達――ザウラスト教団の神官達だ。十人ほどの人数がいる。
このような光景を目にしても、彼らはザウラストに協力しているのだろうか……。
そして、彼らを率いるのは――
「お姉ちゃん!」
ミスティンが声を届かせようと力の限りに叫んだ。
彼女の目線の先に立つのは、やはり赤い衣をまとった女だった。赤いフードの下から長い金髪が覗いている。異質な集団の中で、その美貌は異様に際立っていた。
ザウラスト教団の枢機卿セレスティン。元神竜教会の司祭にして、ミスティンの実の姉だ。
セレスティンが左に持った杖をさっと掲げた。
その瞬間――ミスティンはためらいもなく弓を引いていた。
風の魔法で加速を得た矢は、恐るべき速さで宙を駆け抜ける。胸元へと矢が迫った刹那、セレスティンの杖先から闇が広がった。
矢は闇の中へと吸い込まれ、消え失せる。
しかし、その時にはミスティンは次の矢を放っていた。ラザリック隊の兵士達も遅れて、矢を連射する。
けれど、それらもやはり闇の障壁に阻まれてしまう。
セレスティンは衣を翻し、砦の内部へと入っていく。共に神官達もその後ろへ続いていった。
「ごめん、失敗しちゃった」
ミスティンは弓を下ろし、アルヴァへと謝る。
「狙いは正確でした。この距離からではどうあっても避けられたでしょう」
「う~ん、お姉ちゃんはやっぱり手強いなあ。本気だったんだけど……」
本気だったとは、仕留める気で放ったという意味だろう。口調はあっけらかんとしているが、ミスティンは真剣だった。
「ミスティン、次は星霊銀の矢を使ってみるがいい。あれならば邪教の術も打ち破れるやもしれん」
メリューが助言すれば、ミスティンも頷く。
「分かった。私も考えはしたんだけど、風の魔法がないとあそこまでは届かないからね。もう少し近づけたら試してみる」
ミスティンは風伯の弓の力で、矢に風の魔力を与えて飛ばしている。そこに星霊銀の魔力を乗せるのは難しいらしい。
「どっちにせよ、お前の姉ちゃんがいたってことは、敵の総大将もいるってことだよな?」
グラットが砦の様子を窺いながら口にする。
「教祖ザウラストか……。好都合だな。これで決着もつくというものだ」
シグトラは一層の意気込みを見せた。
「しかし、気になりますね」ナイゼルが考え込む。「彼女らは何のために、我々に姿を見せたのでしょうか? あまり意味のある行動だとは思えませんが……」
「挑発しているのかもしれんな。あるいは何か別の――来るぞ!」
ナイゼルの疑問に応答していたシグトラが突如、大声で叫んだ。
「ラザリック! イセリア!」
察したガゼットが指示を飛ばせば、将軍達が動き出す。
左の傾斜の向こうから、宙を浮かぶ怪魚が大口を開けて迫る。
触手の草原の中から、アメーバ状の魔物が湧き出るように現れる。
あるいは後方――港に続く坂の向こうから、半透明の胴体を持つ大蛇がやってくる。その周囲には、イモムシ型の魔物を大量に伴っていた。
魔物達が出没する地点は、それこそ全方角といってもよいだろう。全てを合わせれば、先程の襲撃より何倍も数が多い。
それでも、さすがはガゼットである。
ラザリックが左、ガゼットが右、イセリアが後方……。正面の砦を除いた全方角へ、部隊を展開させていた。突然の襲撃にもとっさに対応してみせたのだ。
もっとも、ソロン達はその中央――砦の前に取り残された形となった。アルヴァが襲われないよう、ガゼットが気を配ったのかもしれない。
「ちいっ、囲まれてるじゃねえか! どこに隠れてやがったんだよ!」
グラットが忌々しげに吐きながら、背中の槍を抜き放った。
「さては、これが狙いだったか……。砦の上から、カオスの魔物達へ指示を送ったのだろう。魔物達はどこかに潜めていたのだろうな」
「それって、魔物達に命令したってことですか?」
ソロンは訝しげにシグトラを見る。
「今さら驚くことでもなかろう。連中は呪海から生み出した魔物を、長年に渡って使役してきたのだからな」
つまりは軍隊と同じように、指示に従って動くというわけだ。しかも、この魔物達は死をも恐れない。
「なるほど、厄介ですね。アルヴァ、僕達も将軍達に」
「ええ」
ソロンが将軍達への助太刀を提案し、アルヴァも了承しようとしたが。
「いや、そうはいかぬようだ」
メリューが砦のほうへ視線を送る。
途端、正面の砦の扉が崩壊し、魔物達が姿を現した。
その中心となるのは、三体の黒いグリガントだ。その周囲には、多種多様な魔物を従えている。
「こっちもか!」
ソロンは驚きながらも、蒼煌の刀を構える。今はまだ、星霊刀は必要ないと判断した。
「行くぞ!」
シグトラが先んじて、黒のグリガントへと刀を振り下ろす。一直線に伸びる蒼炎が、巨獣の頭部を貫いた。まさに無駄のない最小限の動きだった。
「了解です!」
師匠に遅れじと、ソロンも飛び出した。
刀を横に払えば、蒼炎が踊り出す。巨獣はうめきながら、体を包む蒼炎から逃れようとする。しかし、蒼炎は容赦なく退路をふさいだ。
瞬く間に二体の巨獣が、砦の前に焼け落ちる。その他にも、何体かの魔物が蒼炎に巻き込まれた。
残るグリガントは一体。
続いて、アルヴァが雷の球を杖先から放った。雷球は巨獣をゆったりと、しかし執拗に追跡する。動きの鈍い巨獣には避けようもなく、雷球はその腹部に命中する。
途端、激しい電流に身を震わして、黒いグリガントは爆散した。周囲に散らばった肉片を、薄紅色の触手が競うように捕獲していく。
「ったく、なんという魔法だ……。俺がやった杖、うまく使いこなしているようだな」
シグトラは眼前の惨状に苦笑する。それでも出来の良い生徒の活躍は、喜ばしいらしく顔をほころばせた。
もっとも、この程度で魔物は途切れない。
倒れたグリガントの隙間から、アメーバ状の魔物が這い寄ってくる。形状がはっきりしないため、数を数えるのも難しいが四体ほどだろうか。
「残りは我々にお任せを」
ナイゼルは杖先の魔石を赤色の物へと交換していた。
そうして、炎をアメーバがいる地面へと放射する。火柱に包まれて、軟体生物の体は次々と蒸発していった。
しかし、その火柱を飛び越えて、怪魚がナイゼルへ襲いかかる。大口を開き、牙で噛み砕く構えだ。
瞬間、怪魚の頭上へと何かが落下した。その頭が貫かれ、地面に槍で縫いつけられる。
飛び上がったグラットが、怪魚へと急降下したのだ。
「気持ちわりいから、こいつらには触りたくねえんだけどよ」
グラットは軽やかに着地し、槍を怪魚から引き抜いた。
「肉弾戦しか能のない奴は大変だな」
「だね」
メリューとミスティンが残った魔物を、短刀と矢で始末していく。
幾度も死線をくぐり合った仲間達だ。連携も見事で頼もしいことこの上なかった。