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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
終章 広がる世界
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雲海の下から

 帝都に戻ったアルヴァは、さっそく皇帝の元へ報告に向かった。ソロン達もそれに帯同することになった。


 閑散(かんさん)とした帝都を馬車で北上し、ネブラシア城へと到達する。

 珍しいことに、皇帝は謁見の間で待ち構えているという。仰々(ぎょうぎょう)しい場所を嫌ってか、普段の彼は親しい者とのやり取りに謁見の間を使用してこなかったのだ。


 衛兵の手によって、大扉が開かれた。

 アルヴァを先頭にして、謁見の間へと足を踏み入れていく。ソロンはここへ入るのは初めてだった。かつては謁見を受ける側だったアルヴァにしても、退位して以来のはずだ。


 赤い絨毯(じゅうたん)が真っ直ぐに部屋を貫いている。部屋の両隣には、大勢の貴族達が構えていた。いつもは渋面の彼らだったが、今日ばかりはその表情も明るい。

 絨毯が行き着く先には玉座があり、そこには豪華に着飾った皇帝エヴァートが座していた。

 イドリスの謁見の間と比較して、空間は何倍も広い。玉座までの距離も驚くほど遠い。王子に生まれながらも小市民気質なソロンとしては、気後れしてしまうような光景だ。


 しかしながら、アルヴァは気後れもせず、肩で風を切って歩いていく。シグトラやメリューもさすがに堂々としたものだ。やむなく、ソロンも彼女らの背中に隠れるように続いた。


「皇帝陛下、ただいま戻りました」


 アルヴァはスカートを持ち上げ、(うやうや)しく礼をした。

 皇帝とほぼ同格の上帝であっても、(おおやけ)の場では臣下としての礼を尽くす。それは帝国に二君は不要――という彼女なりの信念の表れだそうだ。

 皇帝は玉座を立ち、自らアルヴァの手を取った。アルヴァとは対照的に、下にも置かない態度だった。


「アルヴァネッサ上帝陛下を始め、皆よくやってくれた。諸君の活躍で帝国は救われた。皇帝として、市民の代表として感謝を述べたい。友好国の者達も危機に駆けつけ、ご尽力いただけたことを改めて感謝しよう」


 エヴァートは大仰な口振りで感謝の言葉を述べ立てた。

 彼は皇帝として、戦った者達への敬意を表したのだろう。謁見の間を使って大々的にこちらを迎えたのも、その一端だったのだ。


「ありがたきお言葉をいただき、喜びに()えません」


 と、アルヴァも堅苦しく皇帝の言葉を拝受した。

 両隣に列席する貴族達からも、盛大な拍手が鳴り響く。彼らの表情にも、偽りのない安堵と喜びが満ちあふれていた。


「さて」


 皇帝はふっと表情をゆるめ、小声でアルヴァへと話しかける。格式張った儀式はここで終わりらしい。


「――すぐにでも凱旋式を開催したいところだが、あいにく今の帝都には市民がいなくてね。市民が戻り次第、執り行うと約束しよう」

「お兄様、あまりご無理はなさらぬよう。このところの戦争で、経済状況は悪化しているのでしょう?」

「だからこそ、市民に対する希望が必要なんだ。凱旋式の主役として、君達にもぜひ参加してもらうよ」

「私は今回の戦いでは何もしませんでしたよ。ただ神鏡隊と他の艦隊の活躍を、見守っていたに過ぎません」

「同じく、僕も似たようなものです」


 空気がゆるんのだのを見て取って、ソロンも会話に加わる。


「ハハハ、それは謙遜が過ぎるというものだ。新しい神鏡を作り出すなど、我々では到底思いつかなかった。それを提案し、実現したのはソロン――君だ。それから、神鏡隊を主導したのはアルヴァだろう」

「そういうことでしたら」


 アルヴァも頷き、皇帝の提案を受けるのだった。


 *


 ネブラシア城を退き、一行はそれぞれの場所へ戻ることになった。もっとも、しばらくは全員が帝都に留まる方針のようだったが。


「父様、これからどうなさるおつもりですか? まだ、ドーマには帰られませんよね?」


 城門を出たところで、メリューがすがるように父を(うかが)う。


「そうだな。当面はこちらに逗留(とうりゅう)するつもりだ。話に聞く限り、ザウラストの奴が死んだわけではなかろう。何らかの行動を起こすかもしれん」


 シグトラはなおもザウラスト教団を警戒しているようだった。いや、教団というよりザウラスト自身といったほうが正しいだろうか。


「結局、お姉ちゃんの姿も見なかったんだよね」


 思い出したようにミスティンは表情をくもらせる。彼女の姉セレスティン――その所在はいまだ不明のままだった。

 アルヴァが応えて。


「切り札も失い、今や教団は滅んだも同然です。大したことはできないと思いますが……。さすがに、あれ以上の手駒はないでしょう」

「まっ、何も起こらぬならそれに越したことはない。俺も久々の帝国を満喫したいのでな。大君として国造りの参考にもしたいところだ」

「それでしたら、私達の別荘にお招きします。帝都は今、閑散としていますが、じきに市民も帰還するでしょう。その後の凱旋式にも、ぜひご参加ください」

「すまん、世話になる」

「それじゃ、僕達も大使館に戻るよ」


 ソロンは頃合いを見て切り出した。


「――しばらくは休養したいな。今回は大したことやってないけど、ずっと気を張ってたんでさ。今日は久々にぐっすり眠れそうだ」


 アルヴァは優しげな笑みを浮かべて。


「ええ、存分にお眠りください。ですが、明後日(あさって)は忘れず別荘に来てくださいね。皆を集めて祝いますので」

「ああ、戦勝祝いだね。凱旋式とは別に身内でってことか」


 ソロンがそう答えれば、


「はぁ……どうしてそうなるのですか」


 アルヴァに溜息をつかれた。それも、出来の悪い生徒を見る教師のような目で。


「違うよ。ソロンの誕生日」


 代わりに答えたのはミスティンだった。


「……そういえば言ってたね」

「この分なら、皆でそろって祝えそうですから。シグトラ先生にもご参加いただきましょう」

「はは、そうだったか。もちろん俺もゆくぞ」


 シグトラは笑ってソロンの肩を叩く。


「了解、忘れずに行くよ」


 アルヴァは忙しくなるだろうに――とは思ったものの、それも先日に終えたやり取りである。ソロンは素直に頷いておいた。


 * * *


 深夜、第一要塞島の灯台が星々と共に雲海を照らしていた。

 第一要塞島――それは帝都に最も近い雲上要塞にして、帝都を守る最後の砦でもある。

 異変はその第一要塞島で起こった。


 ささやかな風を受けて、雲面は静かに揺れていた。

 その揺れる雲面の下に、赤い何かが浮かび上がった、その赤は闇の中で不気味に光っていた。

 赤い何かは要塞島の岸壁へと張りついた。そのままゆっくりと岸壁を登り始める。それは意外なほどに大きく、雲海の下まで伸びていた。


 長い時間をかけて『それ』は外壁を登りきった。そのまま体を伸ばして、壁の内側へと入り込む。

 要塞島には普段、巡回の兵士がいたが、その姿はなかった。戦勝を祝うため酒を飲み、ほとんどが眠りに落ちていたのだ。

 それでも、中には勤勉な兵士もいる。今日も二人の兵士が外周付近を見守っていた。


「ん、何か音がしないか?」


 島を巡回していた兵士の一人が、違和感を覚えたようだった。


「まあ、鳥や魚だっているしな。物音ぐらいはするさ」


 けれど、彼の相棒の兵士は意に介さない。


「そうだな――ぐっ、なんだ?」


 突如、物陰からアメーバ状の何かが飛び出した。それは網のように二人へ覆いかぶさっていく。


「なっ、やめろ! 誰か――」


 叫び声が周囲へ届く前に、声は消え失せた。

 必死の抵抗もむなしく、二人の体は『それ』に飲み込まれていく。触れられた部分が見る見る溶け出しながら、赤黒い霧へと転じていった。

 咀嚼(そしゃく)するようにアメーバ状の何かは、体を蠕動(ぜんどう)させる。


 やがて後には、兵士の姿はすっかり消え失せていた。代わりに、『それ』の体は幾分か大きくなっていたが。

 音を立てずにゆっくりと、『それ』はまた動き出す。

 赤い『それ』が、次に向かうのは第一要塞の中枢となる砦の方角だった。


 * * *


 第一要塞壊滅――その報告が朝のネブラシア城へともたらされた。

 深夜、赤いアメーバ状の何かが、第一要塞島に上陸。兵士達を捕食し尽くした。結果、わずかな兵士だけが生存し、命からがら船で帝都へと落ち延びてきたという。

 それを聞いたソロン達も急遽(きゅうきょ)、ネブラシア城の一室へ集結したのだった。



「以上が第一要塞で起きたことの顛末(てんまつ)だ」


 説明を終えたエヴァートは疲れた表情を隠せなかった。市民の帰還を指示し、凱旋式の準備をしようかと思いきや、今回の事態だ。いずれも慌てて中止命令を出したらしいが、心労のほどを察せられる。


「その赤いアメーバのようなものと、呪海の王との関係は?」


 ソロンはエヴァートに質問した。


「関係は不明だ。だが無関係とも思えない。私は直接、目撃したわけではないからな。君達はどう思う?」

「ほぼ間違いなく、呪海の王の成れの果てでしょう。赤色の体が崩れ落ちる様を、私達はこの目で見ました。それに形状が類似しているように感じます」


 答えたのはアルヴァだった。


「だとすると、あれでくたばってなかったのかよ……」


 グラットがくたびれたように声を漏らす。


「私達も雲の下までは確認してないからね。まだ体が残ってたのかも」


 ミスティンが冷静に分析してみせた。


「雲の下を泳いで、第一要塞島まで到達したってわけだね。信じられない生命力だな……」


 ソロンは終わりの知れぬ戦いに溜息をつく。


「それに、呪海の王にはあの再生能力があります。時間が経てば、元の姿へと復元する可能性も考えられます」


 アルヴァの指摘にシグトラが頷く。


「そうなれば一層、危機的だな。あの島から再び閃光を放たれれば、帝都までも容易に届くだろう。それがなくとも、帝都のすぐ先に上陸されている事実は脅威だ」

「くっ、帝国の心臓を握られているようなものだな……」


 エヴァートは拳を握りしめ、苦渋の色を浮かべていた。

 帝都を防衛するため、ネブラシア湾に点在する島を改造したのが要塞島だ。守るためのそれが、帝都を襲う足がかりにされているのは皮肉だった。


「よく分かんねえけど、もっかい船を特攻させたらどうなんだ? いや、どうなんですかね?」

「場所を考えろ。船を特攻させたところで、島の内部に入り込んだ敵には通用せん」


 グラットの提案を、即座に却下したのは将軍ガゼットだった。


「もしかして、それが狙いで島を占拠したのかな?」


 つぶやくミスティンに、アルヴァが目を向ける。


「無視できない発想ですね。敵も人のような知性を持っている可能性は、否定できません」

「あるいはザウラスト自身がそうなるように、誘導したかだな」


 シグトラが続けて付け足した。


「どちらにせよ座視はできないな。ガゼット将軍、第一要塞島へ乗り込む準備はできているか?」

「万端整えております。というより、武装を船から降ろす暇もありませんでしたので。もっとも、兵士達には約束の休暇を与えられず、申し訳なく思いますが……」

「すまないな、それは私の責任だ」エヴァートは苦笑する。「一時間後に出陣する。頼んだぞ」

「はっ」


 ガゼットは敬礼し、早足で退出していく。


「アルヴァ」


 ソロンが声をかければ、彼女も頷いて。


「私達も同行させていただきます。こうなれば、呪海の王が再生を果たすよりも前に、完全に滅ぼすしかありません」

「頼む……。いつもながらですまないが、君達を頼りにするしかなさそうだ」


 エヴァートも言葉少なに了承する。


「当然だね」


 と、ミスティンは真っ先に頷く。


「それしかあるまいな。陸に上がった今なら、彼奴(きゃつ)も雲海の下に隠れることもできぬだろう」


 メリューが言えば、シグトラも続く。


「いいだろう。やはり、俺自らの手で決着をつけたかったところだ」

「はぁ、まだやるのかよ。まあ、しゃあねえか……」


 グラットは溜息をつきながらも、相変わらずの付き合いのよさを見せた。


「坊っちゃんが行くところなら、たとえ火の中水の中です。今回は、父さんの代わりに働かせてもらいますよ」


 ガノンドを含む神鏡隊の一部は、精神力を使い果たして療養中だ。ナイゼルはその代わりを買って出たのだった。

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