史上最大の作戦
一同そろってオデッセイ号の船尾へと張りつき、後方を確認する。ソロンもすぐに双眼鏡を覗き込んだ。
呪海の王を包んでいた光が晴れていく。
赤黒い瘴気――呪海の王を包む障壁は完全に消え失せていた。今ならば、攻撃も通用するはずだ。
「ここまではうまくいったようですね。父さん、お疲れ様でした」
ナイゼルが役目を終えた父をねぎらう。
ガノンドを始めとした神鏡隊は、疲れた様子で甲板にへたり込んでいた。
「ふうっ、一生分の精神力を使い果たした気分じゃわい」
「ええ、後は他の艦隊に任せてください。神鏡隊の皆は、船室で休憩なさるとよいでしょう」
アルヴァの勧めにガノンドは首を横に振った。
「いいや。ここまで来れば、見届けさせてくだされ。帝国の行く末を左右する戦いですからな」
足取りをふらつかせながらも、ガノンドの口調は決然としていた。その体をナイゼルが支えに向かう。
「上帝陛下、我らもオムダリア卿と同じです! 奴が滅ぶところを、この目に焼きつけたいと存じます」
その他の神鏡隊の面々も、意志は固いようだった。
「分かりました。ならば、心ゆくまでご覧なさってください。一生に一度、見れるかどうかの決戦でしょうから」
「後は、将軍達がうまくやってくれるのを祈るしかないね」
「だな、頼んだぜ親父」
ソロンとグラットは顔を見合わせ、それから呪海の王へと視線を移した。
呪海の王は雲海の下に埋もれていた腕を伸ばし、たまらないとばかりに顔を覆っていた。前回の戦いよりも、受けた衝撃は大きいようだ。
「よし、効いてるね」
そこへ今まさに、二つの艦隊が呪海の王へと接近していた。
北東から南下するのはイセリアの第四艦隊。北西から南下するのはゲノスの第五艦隊だ。
二つの艦隊は呪海の王に向かって、猛烈な攻撃を開始した。
西と東からの挟撃。矢が、炎が、投石が、数を惜しまず投入される。
雲海の上は、炎の渦巻く地獄となった。その中心にいるのは呪海の王だ。
二つの艦隊はそのまま、南へと突き進んでいく。そうして、敵の横を通りすぎていった。
前回の戦いだと、艦隊は呪海の王の周囲を回りながら攻撃を集中させた。だが、今回は同じ手を使わない。これまでの攻撃は単なる牽制に過ぎないのだ。
「さあて、ここからが本番ですね」
アルヴァが身を乗り出さんばかりに、戦場を見据える。
「ええ、うまくいくとよいのですが……」
ナイゼルも不安げに眼鏡の位置を調整する。この先の作戦立案には、アルヴァと共に彼も加わっていたのだ。
やがて、次なる艦隊が北からやって来る。
先頭はソブリン将軍の率いる第三艦隊。
この将軍はソロンと唯一面識がない。彼は前回の内乱で大公に人質を取られ、行動を起こせなかった。その無念を晴らすため、雪辱に燃えていると聞く。
その後続となる第二艦隊の指揮官は、あのラザリックだ。ソロンを目の仇にしている感はあるが、軍人としてはアルヴァも信頼を置いているらしい。
最後に第一艦隊とガゼットの率いる帝都艦隊だ。第一艦隊もガゼットの指揮下に入るため、彼の副将軍が率いている。
全てを合わせれば、五百隻にも及ぶ艦隊。かつて、帝国の関わる戦争でも、これほどの規模は前例がないという。まさに未曾有の大艦隊だった。
大艦隊はまっすぐに呪海の王へ向かって、南下していく。
対する呪海の王は、ようやく神鏡の衝撃から立ち直ったようだった。北へ向かって、再び移動を開始する。
まだ両者の距離は大きく離れている。だがこのままでは、呪海の王と大艦隊は真っ向から激突すると思われた。
その時、大艦隊を構成する中から、十隻の竜玉船が飛び出した。
十隻の船はぐんぐんと加速する。それこそ、竜玉機関によって可能な最高速まで。船は一心不乱に呪海の王の頭へと突き進んでいく。
標的の動きは遅く巨大であるため、外れることはない。
危機を察したのか、呪海の王が体を震わせた。わずかな身動きが空気を震わせ、遠く離れたソロンの耳までも音を届かせる。
雲面下に隠れていた呪海の王の腕が持ち上がった。炎のように形の定かでない二本の巨大な腕が、雲海をかき混ぜ渦を生み出す。
二本の腕は幾重にも分かれ、触手へと変化していく。
触手は怒涛の勢いで、向かってくる竜玉船を貫いた。
「ちっ、意外と器用なことをしやがる」
グラットが吐き捨てるが、
「止まりませんよ、この程度では」
アルヴァは確信を持った表情で応える。
瞬間、貫かれた四隻の船が炎上し、さらには爆発した。
その衝撃は凄まじく、先程の二艦隊による攻撃を上回る激しさだった。
触手が爆発に巻き込まれ、まとめて消し飛ばされていく。炎上は広がり、呪海の王の腕の根本まで焼き尽くす勢いだった。
「ふう、うまくいきましたね」
「さっすが、アルヴァの作戦だよ!」
ナイゼルが安堵の息を吐き、ミスティンは快哉を叫ぶ。
アルヴァが立案した作戦とは、無人の竜玉船を特攻させるという恐るべきものだった。
そして、各船には大量の魔石が積み込まれている。魔石は衝突の衝撃によって、人がいなくとも起爆するようになっているのだ。
あまりにも費用がかさむため、通常の戦争では使われない手段である。帝国にとっても初めての試みだった。
「お前という女は……本当に物騒な作戦を考える」
「先生、まだ始まったばかりですよ」
呆れるようなシグトラに、アルヴァが不敵に笑ってみせる。
貫かれた竜玉船は四隻。まだ六隻が残っていた。そして、それを妨害する触手はもはや存在していない。
無防備となった呪海の王の頭部へ、次々と無人の竜玉船が特攻していく。
燃え上がる炎、立ち昇る竜巻、轟く稲妻、雲海すら凍てつかせる凍気……。積み込まれた様々な魔石と魔導金属が、衝突を起爆剤にして魔法を発動していく。
膨大な質量と強大な魔力による空前絶後の攻撃。その衝撃は山のような巨体すらも飲み込んでいった。
余波が広がっていく。雲海が竜巻のように巻き上がり、辺り一面が白霧の如き幕に覆われていった。
「うおお、もったいねえ……。竜玉船に、魔石に、魔導金属に……金貨何枚が消し飛んだんだよ……」
グラットが途方もない損失を嘆いていた。
「お兄様によれば、半年分の国家予算は覚悟しているそうですが……」
アルヴァもこればかりは残念そうに顔を曇らせる。彼女もかつては、税金の使途に目を光らせる立場だったのだ。
「まあ仕方ないよ。人を消費するより、物を消費したほうがずっとマシだからね」
「……それもそうですね」
ソロンの慰めに、アルヴァも苦笑するしかないようだった。
巻き上がる雲が消えた後に、再び呪海の王が姿を現した。
呪海の王の頭部は大きく損壊されていた。山のような巨体からは、肉の欠片が液体のように滴り落ちている。かろうじて、形を残しているが、それも今にも崩れんばかりだった。
周囲には跡形もなくなった竜玉船の残骸が散らばっており、衝撃の凄まじさを物語っていた。
「おっ、効果あったんじゃねえか?」
「そうだね。前回よりも間違いなく効いてるよ。だけど――」
ソロンは懸念を胸に言葉を切った。
このままでは、前回と同じように自己修復されてしまうだろう。
「心配無用です。来ますよ、第二弾が」
アルヴァにうながされ、ソロンも双眼鏡を北へと向けた。
北に控える大艦隊から、さらなる軍船が飛び出したのだ。その数は数十隻にもなるだろうか。
軍船がまたも最高速まで加速していく。そこから切り離される小舟の姿も確認できた。途中まで操縦していた乗員達が、船を乗り捨てたのだ。
そして、雲海には水上のような強い摩擦はない。軍船は慣性のまま速度を維持し、呪海の王へと特攻していく。
体を崩した呪海の王は、それを回避することも叶わない。
数十隻の軍船による突撃は、真正面から標的へと直撃した。
雲海を震わす衝撃に、一段と大きな雲の竜巻が舞い上がる。まるで雲の柱を想起させるような光景だ。しかし、これは人の成した人工の光景なのだった。
*
巻き上がった雲が晴れるには、数分もの時間を要した。
その後には、ただ船の残骸が残るだけだった。
呪海の王であったものの残骸は少しも見られない。あまりの衝撃に、塵も残さず蒸発してしまったのだろうか。
「よっしゃ、完全勝利じゃねえか!?」
真っ先に声を上げたのは、いつものようにグラットだった。
万が一、これでも撃破できなければ、全艦隊による総攻撃をする予定だった。しかし、今やその必要もないように思えた。
「やったね、アルヴァ!」
「ええ!」
ミスティンはアルヴァと手を叩き合い、気持ちの良い音を上げていた。続いて、二人はソロンとも同じように手を合わせる。
「ふっ、俺の出番もないとは拍子抜けだな」
「ははっ、ご不満ですか、師匠?」
「いや、悪くはない」
ナイゼルに問われたシグトラは、ゆったりと首を横に振って笑った。
「皆の魔力と精神力が、邪教の魔物に打ち勝ったのじゃ! セドリウス陛下の墓前にも報告せねばならんな」
ソロンの父である前王を思い、ガノンドはすっかり感に打たれたようだった。帝国出身ではあるが、彼もイドリスの長きに渡る邪教との戦いを知る一人であった。
神鏡隊の面々からも、次々と喜びの声が上がっていく。
遠く離れた艦隊も、同じように沸き立っていることだろう。
「さあ、帰還しますよ」
アルヴァの指示に従って、オデッセイ号は帝都へと帰還するのだった。