魔力を神鏡に!
決戦の朝が来た。
夜更かしへの懸念はあったが、寝坊する仲間は一人もいなかった。
ソロン、アルヴァ、ミスティン、グラット、メリュー、シグトラ、ナイゼル、ガノンド……。この八人に神鏡隊の面々を合わせた数十人で港へ向かっていく。
第四要塞の港には、数十隻の軍船が停泊していた。その中には我らがオデッセイ号ももちろん含まれていた。
兵士達も既に港へ集まっている。みな緊張のせいか言葉少なであったが、混乱はなかった。
イセリア将軍も緊張した面持ちで、アルヴァ率いる一行に敬礼する。
「将軍、手はず通りに支援をお願いします」
「お任せください。この日のために皆、訓練を積んで参りました」
アルヴァに声をかけられ、イセリアは凛と返事をする。イセリアは第四艦隊の指揮官として、神鏡隊を支援する役目を担っていた。
「――それと陛下、皆様もこれの装着をお願いします」
イセリアが差し出したのは、皮のベルトのようなものだった。ただし、ところどころに赤い宝石のような物が埋め込まれている。
「ふむ、竜玉帯ですか。これが必要な状況になるかは不明ですが……」
竜玉帯とは秘めた竜玉によって、雲海に浮かぶためのベルト状のものだ。雲海の船乗りや軍人に常備されていた。
「それでも、どんな危険があるか分かりません。いざという時は雲海に飛び込んででも退避してください」
「承知しました」
イセリアに強く主張され、アルヴァは竜玉帯を受け取った。そうして自ら服の下へと巻いていく。ソロンと仲間達も同じようにしていった。
ソロンはメリューとシグトラへも竜玉帯を配ろうとしたが、
「私と父様には不要だぞ」
受け取りを拒否された。
「そうだったね」
彼女ら一族は生まれながら、体内に竜玉を宿しているのだ。まさしく銀竜の名の通りである。
「さあ、行きましょう」
アルヴァは先頭に立って、船へと乗り込んでいく。一行もその後ろへと続いた。
甲板には、覆いをかけられた大きな物が置かれていた。覆いの下にあるのは、もちろん神鏡だ。この鏡が戦いの勝敗を決定するのだ。
*
イセリア率いる第四艦隊が出撃した。
目指すはネブラシア湾の南側。呪海の王が向かってくる方角である。既に敵が湾内に侵入していることは、偵察が確認していた。
一行の乗るオデッセイ号も、第四艦隊にまぎれて進んでいく。
船長はもちろんグラットである。アルヴァは頼り甲斐ある友人に命を託したのだ。
信号旗を使って、グラットは逐一イセリアの旗艦と連絡を取り合っていた。作戦遂行のためには、情報の連携がカギとなる。
アルヴァは自ら甲板を歩きながら、異常がないかを観察していた。時には双眼鏡を片手に周囲を警戒する。ソロンとミスティンも彼女に付き添う形で、忙しなく歩き回った。
第四艦隊の右斜め前方には、何十隻もの大きな艦隊が進んでいた。
これはゲノス将軍が司令官を務める第五艦隊である。一足先に呪海の王へと接近し、囮を務めてくれる手はずとなっていた。まさに命懸けの仕事だった。
後方からも第一から第三艦隊、それに帝都艦隊が来ているはずだ。
もっとも、あまりに多くの船が雲海に浮かんでいるため、見通すことは難しい。オデッセイ号の護衛が主任務となる第四艦隊と異なり、いずれの艦隊も規模は相当に大きかった。
舳先側では、シグトラとメリューの親子が油断なく前方を観察している。
銀竜族特有の人並み外れた視力は、こういう時こそ頼りになる。見張り台では船員も双眼鏡を構えているが、それでも二人の視力には敵わない。
「異常なしだ。風も穏やかで雲の波も低い。申し分ないな」
こちらを見るなり、メリューが報告してくれる。
実際、雲海は平時と変わらぬ平和そのものだ。ここがやがて訪れる盛大な戦いの舞台になるとは、想像もつかなかった。
「天下の大君とその令嬢にまで、こんな仕事させちゃって申し訳ないですね」
ソロンは二人を気遣って声をかけた。
「気にするな。俺とて船の上での戦いとなれば、できることは限られている。精々、可能な限りで暴れさせてもらうさ」
「先生にご助力いただけるなら、万の大軍にも勝るというものです」
アルヴァはシグトラを称賛するが。
「褒めても何も出んぞ。銀竜の視力でも雲平線の向こうまでは見通せない。結局は偵察船からの報告が頼りだ。それを忘れるなよ」
「もちろん、承知しております」
*
それからまもなくして、変化が訪れた。
「イセリア将軍から連絡がありました。偵察によれば、呪海の王は依然、ネブラシア湾を北上中。半時間以内に第五艦隊と接敵するとのことです」
甲板にいたアルヴァが、大きな声で周囲に伝える。
「いよいよだな」
「ええ、私達の出番がないことを祈っていますよ」
グラットとナイゼルがいつになく表情を引き締める。神鏡の照射後、艦隊での一斉攻撃が成功すれば、ソロン達の出番は必要ないはずだった。それでも、緊張は隠せない。
アルヴァはそばにいたガノンドへと目を向けて。
「神鏡隊の皆は準備を! 第五艦隊の動きに合わせて、我々も動きます」
「姫様、了解ですじゃ。神鏡隊、位置につけい!」
ガノンドが神鏡隊の仲間へと呼びかけた。
やがて、呪海の王が姿を現した。
ワニか竜か、輪郭も判然としない何か。島のように大きな巨顔が、雲海にぽっかりと浮かんでいる。ほとんど体を上下させずに、こちらへ向かって北上してきていた。
赤黒い瘴気をまとっており、その周囲だけは夕方のように暗くなっている。すっかり傷は癒えたようで、その姿は以前と変わらなかった。
遠く離れていても、その威容が窺える。見るのは二回目だが、その巨大さはやはり恐ろしい。特に前回の戦いに参加していなかった兵士は、強く動揺しているようだった。
とはいえ、ただちに戦いが開始されるわけではない。相手は島のように大きいため、姿が目に入ってからも接近までは相当な猶予があるのだ。
「今まで連中の操る神獣を何度か見たが、規格外のバケモノだな……。あれはこの星に存在してよいものではない」
異様な姿に、シグトラすらも唖然とする。彼とガノンドだけが一同の中で、初めて呪海の王の姿を目にしていた。
「全くじゃわい。あれに近づかにゃならんとは、長生きするものではないの」
「おじいちゃん、大丈夫?」
「なんの、わしは年寄りだからな。若者とは覚悟が違うのじゃよ。我ら神鏡隊の力を見せてやろうぞ」
気遣うミスティンに、ガノンドはニカッと笑ってみせた。大役を担う彼は、今回の決戦に相当な意気込みを持っているようだった。
そうこうしているうちに、右斜め前方を進んでいた第五艦隊が加速を始めた。
恐れを知らぬ彼らを率いるのは、北方の守護者――名将ゲノスである。第五艦隊は第四艦隊の何倍もの規模を誇る大艦隊だった。
「グラット、私達も行きますよ」
「了解だ」
オデッセイ号は加速し、第四艦隊から離れていく。呪海の王の注目を避けるために艦隊と離れるのは、当初からの既定路線だったのだ。
イセリアの旗艦がこちらに向かって、信号旗を掲げた。信号旗に通じていなくとも推測はできる。恐らくは『幸運を祈る』というような意味だろう。
西寄りに南下する第五艦隊に対して、こちらの船は東寄りに南下していく。
ただし、進行は第五艦隊よりも遅らせ、突出を避けねばならない。もちろん、敵の注意を引かないようにするためだ。
第五艦隊が見る見るうちに呪海の王へと接近していく。船の配置を分散し、囲むような構えだった。
「こちらは接近しすぎないように。慎重に距離を測ってください」
「分かってるぜ、お姫様」
その間、アルヴァとグラットは緊密に意思疎通を図っていた。呼吸の合ったやり取りは、やはり付き合いの長い二人ならではだった。
呪海の王が大きな口を開いた。
大口に赤黒い瘴気が集結していく。ソロンの元まで空気の震える音が聞こえてくる。
瘴気が赤黒い光へと変わり、次の瞬間にそれが放出された。
破壊の閃光が第五艦隊を飲み込んでいく。船が一瞬のうちに蒸発していく。
光が通り過ぎた後には、残骸すら残らない。ただ赤黒い瘴気が雲海の上を漂っていた。
それでも、艦隊が全壊しなかったのは、船の配置が分散されていたからに他ならなかった。ゲノスの旗艦も後方に下がっており、無事なようだ。
艦隊のいくらかが犠牲になるのは覚悟の上だった。アルヴァやガゼット、ゲノスはそれを承知の上で、苦渋の決断を下したのだ。
「くっ、何度も見たい光景ではないな……」
メリューが冷や汗を額に浮かべ、頭を押さえる。シグトラは娘の手をそっと握り、支えているようだった。
「ひるまないように! 一度放たれたら、二撃目までは猶予があります! 神鏡隊、照射の準備を!」
アルヴァが毅然と皆を叱咤する。
神鏡隊の隊員達が、それを受けて神鏡の覆いを外した。
淡い光の宿る鏡面があらわとなる。宿敵を前にして、鏡が自ら発奮しているかのようだった。
「野郎ども、全力で接近するぜ!」
グラットが船員達に指示を下す。
竜玉機関がその力を強め、船体がグンと加速していく。
オデッセイ号は風を切って、雲海の上を走り続ける。
呪海の王の顔が迫ってきた。こちらの船に気づいたらしく、虚ろな瞳を向けてきた。
まだかなりの距離があるのに、相当な圧力を感じる。気を抜けば、腰が引けてしまいそうだ。
「ひゃあっ……やっぱり怖いな」
ミスティンが小さく悲鳴を上げて、ソロンの腕をつかむ。
「大丈夫、当分二撃目は撃てません。もう少し接近を!」
アルヴァは冷静に言い放つが、みな戦々恐々と落ち着かない。
船はなおも直進を続けた。
「お、おい、まだか! 前だって、こんなに接近しなかっただろ!」
グラットが冷や汗を浮かべながら、アルヴァへと叫ぶ。
アルヴァはそこでようやく頷いた。
「神鏡隊、魔力を神鏡に! あなた達の力で、栄光をつかむのです!」
アルヴァが魔道士達を鼓舞する。
「ゆくぞい! あの憎らしい顔に打ち込んでやるのじゃ!」
「おう!」
ガノンドが叫び、神鏡隊の面々が呼応する。
神鏡はまっすぐに呪海の王の方向を向いていた。魔道士達が握る取っ手から魔力が流れ、鏡面が輝きを増していく。
今まで訓練で見た時よりも、一段と鏡は光り輝いていた。
その間にも、オデッセイ号は呪海の王へと近づいていく。
「照射!」
アルヴァの号令と共に、神鏡から光が放出された。
それは破壊の閃光を上回る壮絶な白光だった。
赤黒い瘴気を蹴散らしながら、光は突き進む。稲妻のような轟音がソロンの耳に響いた。
呪海の王も雲海も空も、全てが白光に飲み込まれてしまう。
光の洪水がしばらく続いた後、徐々に鏡面の光が弱まっていく。
「おっし、退散するぜ!」
グラットが声を張り上げて叫んだ。
結果を見届ける前に、竜玉船は舳先を左へと転じた。早々と離脱を開始するのだった。