決戦前夜
「眠れないの?」
ソロンが尋ねれば、アルヴァは頷く。
「ええ、あなたと同じです」
「そう。僕も眠るのは諦めたよ。……まっ、眠れないのは仕方ないけど、涼しいところで休んでいれば代わりにはなるかな」
「同感です」
アルヴァはソロンのすぐそばに座った。肩が触れそうなほどに近くへ、丁寧に三角座りをして木陰にもたれる。
「雲海からいい風が吹いてるよね」
ソロンは何気なくつぶやいたが、
「いいえ、雲海の風ではありませんよ」
あっけなく否定された。
「――昼に温められた雲海が、陸地と寒暖の差を生み出すのです。風は寒い場所から温かい場所へ流れるため、今は陸地から雲海へ向かって風が流れていることになります」
「そ、そう……」
相変わらずの彼女の調子に、ソロンは苦笑するしかない。
「――まあ、いい風だよね」
「それは否定しません」
少なくとも、機嫌は悪くなさそうだった。
二人して目も合わせずに風を浴びる。
そのまま無言のまま時間が過ぎていく。けれど居心地の悪さはなかった。
「長い戦いだったね。これでやっと終わりか……」
目をつぶったまま、ソロンはつぶやいた。
「邪教との戦いなら、まだ一年半しか経っていませんよ。帝国の歴史では、十年を超える戦争など珍しくもありません」
アルヴァもつぶやくように言葉を返す。
「そりゃ、国家の歴史ではそうだろうけど。それでも十分に長いさ。僕らはまだ二十年と生きてないんだから」
「そういえば、明々後日でしたね」
「なにが?」
意味が分からず、ソロンは問い返した。
言うまでもなく明日は決戦だ。ならば、その後に続く出来事だろうか。
「神竜の月――イドリスの暦で言えば七月の四日。あなたが十九歳となる誕生日です」
「うわっ、ホントだ! 人間、大変な時は自分の誕生日も忘れちゃうんだね」
ソロンはなんとなく新しい発見をした気分になった。
「まったく、私は覚えているのに……。ですが、この状況では祝う暇もありません。その頃には、凱旋式の準備で忙しいでしょうから」
凱旋式は言うまでもなく戦勝を祝う祝典だ。今回の相手は敵軍ではないが、脅威は一国の軍隊を遥かに上回る。勝利すれば、間違いなく凱旋式に相当する偉業となるだろう。
「君は相変わらず強気だな。まあ、僕の誕生日なんてどうだっていいよ。そんな暇あるわけないし」
「よくありません。ささやかでもよいので、何か催しましょう。最低でも、私とミスティンだけでも……。どれだけ忙しくとも、五分すら捻出できない道理はありません」
「……じゃあ、期待しとくよ」
有無を言わさない雰囲気だったので、ソロンは承諾した。決戦を前にして、何とも悠長な会話だった。
「そのためにも、明日で全て終わらせましょう」
「そうだね、ザウラストにはたくさんの借りがある。何より、帝都の事件では君を追い込んだ元凶だ。落とし前はつけてやらないと」
ソロンは意気込んだが、アルヴァはゆるりと頭を横に振った。
「帝都の民を犠牲にしたのは、私の過ちです。それを誰かのせいにしたくはありません。私にできる償いは戦うことだけですから」
得体の知れない古代の杖に手を出し、魔法を暴走させた。故意ではない以上、アルヴァに完全な責任があるとは言い難い。それでも、自分に厳しい彼女は自分を許せないのだろう。
「償いか……。何度でも言うけど君のせいじゃない。仮に他の誰が許さなくても、僕が許すよ」
「強引なのですね」
アルヴァは苦笑しながらソロンへ視線を向ける。
「強引で結構さ。君が頑張ってるのはよく知ってるから。時間を見つけてはいつも勉強してるし、みんなのために働いてくれる。皇帝を罷免され、下界に追放されてもまた立ち直った。とても強くて立派だと思う」
「それは、私が強いせいではありませんよ。下界で出会った方々が、私を支えてくれたのです。何よりあなたやミスティン、グラットが助けてくれたから」
「僕が助けになれたなら光栄だよ」
「その後も、なんだかんだと私に付いてきてくれましたし」
「仕方ない、放っておけなかったんだから。自分からドーマに行くって言った時は、さすがに驚いたけどね。けど、そういう思い切りのよさも魅力だと思うし、ずっと憧れてる」
アルヴァは神妙な顔つきでそれを聞いていたが。
「……ひょっとして、口説かれているのでしょうか?」
「そ、そういうつもりじゃないんだけど……。僕はその、純粋な尊敬の気持ちを伝えたい――みたいな」
ソロンはしどろもどろに一歩引いた答えを返した。
「……意気地なし」
アルヴァはボソリとつぶやいた。
小さな声だが、周囲が静かなのでしっかりと響いた。
「……ごめんなさい」
聞こえないフリはできなかったので、とりあえず謝っておく。
「ふふっ」
それでも、相変わらず機嫌は悪くなさそうだったけれど。
*
語らったり、黙ったりで時間は過ぎていく。
「零時を回りましたね」
アルヴァは懐中時計を指し示す。目が闇に慣れたせいか、灯台と星明りだけでも十分に時針が判別できた。
「さすがに少し冷えてきたかな。風邪引く訳にはいかないし、戻ろうか」
ソロンは木陰から立ち上がり、手を伸ばした。
「はい」
アルヴァも手をつかみ、静かに立ち上がる。
そうして、二人で手をつないだまま砦への道をたどっていく。
砦の入口の広間まで戻ったところで、ソロンはゆっくりと手を放した。彼女の部屋は、ソロンの部屋とは反対側にある階段を登った先だ。ここで別れるのが無難だろう。
「それじゃ、明日」
「既に今日ですよ」
「そうだったね」
ソロンは苦笑しながらも、アルヴァの背中を見送った。いつも通りの会話で別れ、いつも通りに翌朝を迎えるのだ。
いつの間にか、決戦への緊張も薄れていた。今ならばよく眠れるかもしれない。
そうして、ソロンも自室へ戻ろうとしたが――
「待てい、ソロン! さっきのはいかんぞ」
背後からひょっこりとグラットが現れた。大仰に手をかざして、ソロンを呼び止める。
「……こんな夜中に何やってるの?」
なんだか嫌な予感がしながらも、ソロンは問いかける。
すると、グラットの背中からさらに二人の姿が現れた。
「意気地なし」
ミスティンは冷ややかにつぶやいた。
「ぐっ……」
「そうだ。口説くなら口説き切れ、半端者め」
メリューが叱咤するようにソロンをにらむ。
「……覗き見は趣味が悪いよ。君達も暇だね」
ソロンは溜息をついた。
……というか、それなりに長い時間二人で一緒にいたはずだ。この三人も、かなり粘り強く観察していたのではないだろうか。
「ごまかすんじゃねえ。決戦を前にして決められないようじゃ、お前はいつまでもヘタレだ。ダチとして断言しよう。さっきのは、当たって砕ける時だった」
「あ、あのねえ、別にそういう目的で一緒にいるわけじゃないんだ。さっきだって、単にアルヴァを励ましたかっただけだし」
「マジで? 進展しなくていいのか?」
「マジさ」
「…………」
グラットは眉間にシワを寄せて、メリューはこちらの心を見透かすように、ミスティンはただ子供のように純粋な瞳で……。三人はソロンをじっと見ていた。
「…………ごめんなさい。カッコつけました。ちょっとだけ進展させたいです」
ついにソロンは根負けした。
「うんうん、素直が一番だよ」
ミスティンは嬉しそうに顔をほころばせる。
「つうか、傍目にはどう見ても付き合ってるんだけどな。あれで付き合ってねえとか、ビックリだぜ。こいつ、ホントに男かよ」
「軍のみんなもそう思ってるみたいだよ。将軍から一兵卒まで。イセリアに説明したら驚いてたもん」
「うむ。私なぞ最初に見た時から、つがいだと思っていたぞ。しかし、あれから半年以上経っても、ご覧の有様だからな。誠に驚嘆すべき意気地なしだ」
メリューも無駄に饒舌に語ってくる。生真面目でこういう話には興味ないと思っていたが、気のせいだった。
「つうか、もう好感度稼ぎはいらんと思うけどな。お前が踏ん切りつけるだけだろ」
「いや、それは――」
ソロンは口を挟もうとしたが――
「いっそ、アルヴァに一切合切を任せたらどうだ。あちらのほうがよほど男気があるからな。放っておいても、どうにかしてくれるであろう」
「けどよお、こういうのは男から行くべきだろ。じゃないと、マジでヒモになっちまうぜ」
「ふうむ、一理あるな」
メリューが神妙な顔で頷いていた。
「ねえ、勝手に納得しないでくれる? ていうか、僕の話を――」
「別にヒモでもいいと思うけどなあ。だって、働かなくていいんだよ?」
「いや、よくねえだろ。今時、男が主導権を握るのが正しいとは言わんが、さすがに相手が手強すぎる。ちっとは男らしさを見せねえと未来永劫、尻に敷かれちまうぜ」
「大丈夫だよ。尻に敷かれてるのは今も変わらないから」
「ふはは、確かにそうだな!」
ミスティンの失礼な発言に、メリューが笑う。
深夜にも関わらず、三人の好き放題な議論は白熱していた。不本意ながら、とても楽しそうだった。
「あの……僕は、もう寝るからね」
小声でつぶやいたソロンは、忍び足で寝室へと戻るのだった。
* * *
「む、いつの間にか逃げおったな」
メリューがソロンの逃亡にようやく気づいた。
「でも、いい雰囲気だったよね。早くくっつけばいいのに」
ミスティンがやわらかな表情でソロンの去った方向を見る。
「……てか、お前それでいいのかよ? このままだと、失恋一直線じゃね?」
グラットはミスティンを気遣うように見るが。
「大丈夫、アルヴァには敵わないって分かってるし。そこはとっくに諦めたよ。やっぱり、ソロンにとってもアルヴァが一番だと思うし」
ミスティンは晴れやかな笑顔で言い切った。
「ほう、そなた意外と大人なのだな」
「だな、正直ちょっと見直したぜ」
メリューとグラットは、意外そうにそんなミスティンを見つめていた。
そうして、決戦の日の夜は過ぎていった。