皇城を駆け抜ける
「おい、そこで何をしている! 死にたくなければ、早く城外へ逃げるんだ!」
戦場のそばをうろつく二人を不審に思ったのか、こちらを怒鳴りつけてくる男がいた。
他の兵士よりも身なりがよいため、身分のある将校だと察せられる。
「ラザリック将軍」
「はっ……? 陛下、こんなところで何を……。いや、それよりおケガをされたのですか?」
毅然とした女帝の声に、当の男は急にかしこまった。
「多少の疲労があるだけです。それより、我々は神鏡の元へ向かいます。あなたは持ち場に戻ってください」
「神鏡……? どうして神鏡を?」
「あの魔物に対して有効打になるかもしれません」
「まさか……!? 確かに目くらましにはなるかもしれませんが……」
ラザリックはいかにも信じがたいようだったが、それでも否定はしなかった。さすがに女帝の意見を真っ向から否定できないらしい。
「目くらましじゃなくて、弱点なんですよ」
そこにソロンが口を挟めば、
「ん、貴様、あの時の盗人ではないか!?」
ラザリックは今まさにソロンを認識したかのようだった。こちらに目をやってにらみつけてくる。
そして、ソロンも遅ればせながら気づいた。
この男――ソロンが城で捕まった時にアルヴァと一緒にいた将軍である。
「先程、彼が私を助けてくれたのです。そのまま、協力していただいています」
「そ、そうですか……。では、さっきは貴様が……」
アルヴァの説明に、ラザリックが声の調子をやわらげた。
そこで、すかさずソロンが提案をしかける。
「一つお願いがあるんですが……。神鏡であいつを照らしたら、そこを狙い撃ってくれませんか?」
「うん? どういうことだ?」
「彼の言う通りにお願いします。私達は急ぎますので」
怪訝な顔を向けるラザリックに、アルヴァが釘を差してくれた。
「はぁ……。陛下がおっしゃるならば……」
権力には逆らえず、ラザリックはあっさり折れた。
そうして、二人は話を切り上げようとしたが――
「そ、それより陛下! そのような下賤な盗人に、陛下の御体を預けるわけには……。よろしければ、私がお運びしますが……」
ラザリックの話はそれで終わらず、余計なことを言い出した。
「将軍、あなたの仕事はなんですか。すぐ持ち場へ戻るように」
アルヴァは冷たい声音で言い放った。
「わ、分かりました。お気をつけください」
ラザリックは恐縮して素直に従った。それでソロンの溜飲もいくらか収まったのだった。
ラザリックの声を最後まで聞かず、ソロンは走り出した。
*
神獣を囲む戦場を遠目に見ながら、前庭の隅を通っていく。巻き込まれないように注意しながら、二人は城内へと入った。
がらんとした一階の広場が、ソロンの目に映った。
大理石の床に、様々な技工を凝らした内装。帝国の中枢にふさわしく壮麗な城内ではあったが、観賞する余裕は残念ながらない。
既に皆、ここを放棄して他の場所へ避難したらしく、二人以外の人気はない。残されたままの照明が、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
上に登るための階段は探すまでもなく、広間の中央にあった。
見る限り、階段はそこから最上階まで続いているようだ。
この分なら余り時間もかからないかもしれない。
「あの魔物、何がやりたいんでしょうね?」
静けさにたまりかねて、ソロンは話題を振った。
「さあて、言葉の通じぬ相手の意図など、図りようもありませんが……。私には餌を捕食する獣のようなものとしか思えません」
「餌ですか……」
案外、そんなものかもしれないな――とソロンは同意した。
「――僕の故郷にも、あれと似た魔物がやって来たんです」
姿形が全く同じというわけではない。ただ、あの赤黒い霧には見覚えがあった。
「あなたが神獣と呼ぶものですね。……どういうことでしょう?」
「さあ、僕も分かりません。神獣というのは、敵国の連中が呼んでいた名前です」
「もしや、あなたはそのために故郷を発ったのですか?」
「そう、そういうことになります。だから、あいつを倒せたら、故郷の神獣もきっと倒せるって……」
会話しながらも、ソロンはひたすらに階段を登った。二階まで上がり、方向転換して三階への階段を登る。
各階の天井は高く、一つの階を登るだけでも一苦労だ。
「これって、何階まであるんですか?」
たまりかねて、ソロンは背中の城主へと訪ねた。
「五階建てになっています。ちなみに私の部屋も五階ですが」
「そうなんですか。毎日、登り降りするの大変そうですね」
気をまぎらわそうと、ささやかな世間話のつもりだったが。
「ええ、ほとほとうんざりしています。一度は下の階に移ろうとしたのですが、諸々の反対にあって断念しました。彼らによれば、権威ある者は高い所に鎮座するものなのだとか」
思いのほか、感情のこもった返事が戻ってきた。
「な、なるほど……」
「まあ、景色は嫌いではありませんが。雲海も見えますからね。……それより、辛くありませんか?」
「そ、そうですね。さすがに階段はキツいです」
ソロンは正直に答えた。
アルヴァを背負いながら、長い階段を登るのはさすがに堪えたのだ。
「ごめんなさい。少し体力も回復したと思うのですが……。降りてみましょうか?」
意外なことにアルヴァは殊勝に申し出た。
「いいえ、ここまで来たらもう一息です。がんばりますよ」
そんな態度がいじらしく思えて、ソロンは空元気を張った。
ところがソロンはふと心配になって。
「あっ……。でも神鏡って、祠の中にしまわれてるんですよね?」
先日の手痛い失敗を思い出したのだ。神鏡がある屋上にたどり着いても、肝心の神鏡が取り出せなければ意味がない。
「恐らく問題ありません。いざという時は物理的にこじ開ければよいだけです。心配なさらず、屋上へ急いでください」
アルヴァも腹をくくっているらしく、力強い答えが返ってきた。
*
五階建ての城を登り切り、屋上に続く扉へと手をかけた。
「待ってください。私も歩きます」
と、アルヴァはソロンの背中から足を下ろした。
「大丈夫ですか? 手を貸しましょうか?」
「心配いりません」
アルヴァの足元はいかにもおぼつかないが、歩くことはできるようだった。
彼女は自ら扉を開けて、屋上へと足を踏み入れた。ソロンもその後ろに続いていく。
以前にも見た屋上の光景が目に入った。神鏡は今も祠の中に格納されているはずだ。
段差を上がり、二人が祠へ近づこうとすれば、
「陛下!」
神鏡を守る二人の兵士が、女帝の登場に驚いて声を上げた。
国を象徴する宝というだけあって、こんな状況であっても警備の兵士が残っているらしい。
恐らく、アルヴァが背中から降りたのは、兵士を警戒させないためだろう。何といっても、ソロンには前科があったのだから。
「神鏡を出してください。あの魔物に向けます」
出し抜けにアルヴァは言い放った。細かく説明をしている時間が惜しいとでもいうように。
「神鏡を……ですか? ですが、神鏡の持ち出しには財務長官の許可が……」
アルヴァの発言の意味を理解できず、兵士はとまどっているようだった。戦いのために、神鏡を用いるという発想が意外だったのだろう。
そうしている間にも、前庭では激しい戦いが続いていた。炸裂する魔法の音と光と振動が、この高さまでも届いてくる。
「責任は私が取ります」
「……はっ!」
皇帝の威光は偉大なり。
兵士はそれ以上の反論をせずに従った。女帝のそばにいるソロンを不審そうに見たが、問いただすこともなかった。
兵士は祠に近寄り、カギを外して戸を開けた。
中には高い台座に収まった神鏡が、布をかぶせられた状態で鎮座していた。布は恐らく、魔道具の暴発を阻止するための仕組みだろう。
兵士達は台座ごと引きずって神鏡を前へと出す。そうして、日中に配置されている位置へと引き出した。
一つ問題があった。
神鏡は大通りを照らす角度に配置されている。つまり、城の前庭で暴れる神獣へ向けるには、位置が後ろすぎるのだ。
ところが、アルヴァは迷わず神鏡へと近づいた。
「どうする気ですか?」
「持ちます」
ソロンの問いに、アルヴァは即答した。
人の手では持つのも大変そうな大鏡――それが高い台座に据えられている。その裏側に回って、アルヴァが神鏡を取り外そうとした。
幸い、台座に接着はされていなかったらしい。
神鏡はあっさりと台座から外れ、アルヴァの両手に収まった。重量も女性の手で持てる程度のようだ。
しかし、見るからに危なっかしい。
アルヴァは大きく両手を広げて、布をかぶった神鏡を抱えていた。慌ててソロンが鏡の端に手を添える。
兵士達も気が気でない様子で近づいてきた。いつでも、鏡へと手を伸ばせる構えである。
割れでもしたら、彼らの首が飛ぶのかもしれない。それも比喩ではなく現実に。
「僕がやりますよ」
と、提案してみれば、アルヴァは首を横に向けて。
「魔法なら、私のほうが得意です」
「それはそうでしょうけど……。でも、陛下は疲れてるじゃないですか」
「ですが……」
一理あると認めたのか、アルヴァは言いよどむ。
ならば――と、ソロンは強引にアルヴァを押しのけて、神鏡を奪い取った。
「僕に任せて」
「……仕方ありませんね」
アルヴァはしぶしぶ引き下がった。状態が万全でないことは、自分でも認識していたのだろう。
神鏡を抱えたソロンは、ゆったりと慎重な足取りで歩を進めていく。大きすぎる鏡のせいで、満足に前も見れないまま、段差を降りねばならなかった。
段差を降りたソロンは、屋上の端へと近づいていく。
端のほうには低い手すりがあるだけだ。手すりが低いのは恐らく、神鏡の光を妨げないためだろう。
「こちらです」
手持ち無沙汰になったアルヴァが、慎重に誘導してくれる。
そうして、ソロンは屋上の端までたどり着いた。
今も下では戦いが繰り広げられている。
老将とラザリック将軍が、大声で兵士達を叱咤しているが、戦況はよろしくないようだ。
赤黒い霧がどんよりと垂れ込め、今も神獣の周囲を包み込んでいた。
いや、霧というよりは瘴気と呼ぶべきかもしれない。得体の知れないアレを表現するには、そのほうがふさわしいだろう。
「布を払ってください」
「はっ」
女帝の指示に従って、兵士が布を払い取る。
ソロンは初めて、神鏡を間近で見ることになった。
枠の金属は長い年月で錆びているが、鏡面は汚れ一つなく美しいままだ。そこに何か神秘的なものを感じないでもない。
「わっ……!」
ソロンが小さく声を上げる。神鏡がたちまち夜空へ向けて、光を放ち始めたのだ。