明日の晩餐を
最後の演習が開始された。
さっそくオデッセイ号も第四艦隊へと組み入れられた。実戦を想定し、グラット船長はオデッセイ号を艦隊に合わせて動かしていく。
もっとも、呪海の王の注目を集めないように、艦隊の船は密集させないらしい。あくまで配置を分散させながら、さりげなく護衛してくれるようだ。
甲板に安置された新しい神鏡は、かつての神鏡よりもずっと巨大だ。滞りなく作戦遂行できることを入念に確認していく。
目的の位置に到達するや、アルヴァが神鏡隊へと指示を出す。
ガノンドを始めとした神鏡隊の勇士達が、所定の地点へと神鏡の光を照射した。
照射が終わるや、グラットは船を第四艦隊の背後へと素早く撤退させる。入れ替わるようにイセリアが指示を下し、攻撃を開始する。
ただし、演習なので多少の魔法や弓矢が飛ぶだけである。本番にはこの何倍もの攻撃が投入されることだろう。
演習を終えて、第四艦隊は軍港へと戻った。
「ふう……。こんなところですか」
船から降り立ったアルヴァが一息ついた。
「さすがの練度の高さだったな。獣王の侵攻を何度も退けてきただけはある」
じっと観察していたシグトラが感心の声を漏らす。
「演習通りにうまくいけばいいんですけどね。そしたら、僕達は出番がなくていい」
神鏡の照射と艦隊の攻撃だけで呪海の王を撃破できれば、話は簡単だった。ソロン達の出番は不要なのだ。
「さてな。だが、相手はザウラストの切り札だ。そう甘くはあるまい。……というより、お前もそう思っていないだろう」
ソロンの楽観的な言葉も、シグトラにはあっさり看破された。
「やっぱり、分かりますか?」
「うむ、帝都ではあれほど真剣に訓練していたのだ。油断がない証拠だろう」
答えたのは、父ではなく娘のメリューだった。
「――それに顔つきが以前よりも精悍になったな。前はもっと気の抜けた顔をしていたぞ」
「……人を間抜け面みたいに言わないでよ」
「ふっ。だが、少しは良い顔になったのではないか? 今のお前を見れば、セドリウス殿も満足されるだろう」
シグトラは亡き父を引き合いに出し、ソロンを褒めた。
「そう言ってもらえるなら、いいんですけどね。けど、何があってもやれるだけのことはやりますよ」
と、ソロンは苦笑する。
そうこうしているうちに、アルヴァは第四艦隊の兵士達の前で訓示を垂れていた。
「皆よくやってくださいました。今日の演習の通りにすれば、きっと明日も捗々しい成果が得られるでしょう。あなた方の活躍に帝国の未来がかかっています。どうか私と皇帝陛下に命を預けてください!」
彼女の役目は第一に神鏡隊の指導だが、さすがに上帝ともなるとそれだけに留まらないらしい。
イセリアを筆頭とした軍人達も、神妙な顔つきでそれを拝聴していた。
「――さて、これ以上の訓練は疲労を溜めるだけです。後は明日に備えて各自、休息を取ってください」
アルヴァの指示で一行は解散となった。
一行は、ここで初めて第四要塞島の内側へと足を踏み入れた。先程は早々と演習に向かったので、島の内部は見れなかったのだ。
要塞島は意外に緑の豊かな島だった。外側からだと壁に遮られて殺風景な島にしか見えないが、内側から見ればまた印象は異なる。
高い砦を囲むように、自然のままの草木が生い茂っていた。その周囲には低い建物が点在しており、港とそれらをつなぐ街道が走っている。
兵舎や倉庫といった軍事施設はもちろんあるが、それだけではない。鮮魚店に飲食店、さらには散髪屋から教会まで一通りそろっている。平時は民間人が勤めているらしく、小さな町といった印象だ。
もっとも、今は全ての民間人が内陸部へと避難してしまっている。そのため、第四要塞は純然たる軍人の町となっていた。
既に太陽は西の雲海へと沈もうとしていた。白い雲海が徐々に赤く染まっていく。もうしばらくすれば、そびえる灯台にも光が灯ることだろう。
アルヴァが言った通り、これ以上の訓練は控えたほうがよさそうだ。後は食事を取って休むとしよう。
*
第四要塞内部にある食堂で夕食を取ることになった。
ソロン、アルヴァ、ミスティン、グラット、メリュー、シグトラ、ナイゼル、ガノンド……。地位も国籍も種族もバラバラな八人の仲間で食卓を囲む。
今は民間人が避難してしまったため、料理も配膳も兵士達の仕事だった。軍服ばかりが目立つ食堂において、八人の存在は異質を放っている。
もっとも、上帝を含む集団が恐れ多いのか、兵士達は注意深く遠巻きにしているだけだった。
「これが最後の晩餐にならなきゃいいけどよ」
グラットが明け透けにそんなことを言い出す。
「グラット、縁起悪い」
ミスティンが低い声でグラットをにらみつける。
「そ、そうにらむなよ。あれだ、そうならないようにってことだよ。じゃあ、明日の晩餐を望んで乾杯にしようぜ」
「まあ、いいでしょう」
と、アルヴァも自ら杯を掲げる。
「乾杯!」
仲間達もそれぞれ同じように杯を掲げた。
ただし、出陣前の酒は厳禁であるため、中身は茶か果汁である。ソロンはいつものようにミカンジュースだった。
「酒でもありゃあよかったんだけどよ」
グラットはさり気なく不満を訴えるが。
「あるわけないでしょう。戦いが終わってから飲んでください。それなら、いくらでもおごって差し上げますから」
アルヴァは冷ややかにたしなめたが、
「マジ? 言質取ったぜ」
グラットは逆に喜ぶ始末だった。
*
夕食が終わり、夜が来る。
ソロンは砦内の寝室で眠ることにした。ソロンにあてがわれたのは士官待遇の個室である。他の仲間達も同じように優遇されていた。
もっとも、軍事施設だけあって殺風景な部屋だ。それでも兵士達の大半が、相部屋で暮らしているのを考えれば恵まれたものである。
明日の朝には要塞島を出発し、呪海の王の元へと向かうのだ。
しかし――
「眠れない……」
ソロンはうめいた。
ベッドの中に入ったが、とても眠れるものではない。明日の戦いに全てが懸かっている。そう考えれば、様々なことが脳裏に浮かんできてしまう。
いつの間にか、季節は七月に入っていた。帝国の暦でいえば神竜の月である。
神竜――その名の通り、神竜教会の崇める神に該当する。神竜は上界を創ったといわれているが、真実はどうか。シグトラによれば上界を創ったのは、銀竜族の祖先を始めとした古代人の仕業だという。
そういう意味では、神のような奇跡を成し得た古代人こそが、神竜なのかもしれない。
真実はさておいて、大事なのは季節はすっかり夏だということ。寝苦しくて仕方がなかった。
やむなくベッドを抜け出して、部屋の外に出る。
静かな砦内を足音を立てずに歩いた。
もっとも、無人というわけではない。軍事施設だけあって、さすがに警備は常に置いているようだ。衛兵に無言で会釈しながら、ソロンは外へ出た。
夜の要塞島は意外にも美しかった。
港の灯台には蛍光石の緑光がまたたき、島と周囲の雲海を照らしている。空には星々と月が遮るものもなく、輝いていた。
ソロンが足を止めたのは、砦から離れた丘の上だった。人気が少なく雲海を見渡せる場所を選んだ。外壁に囲まれているため、要塞島の中で雲海がよく見える場所は限られていた。
雲海から心地よい風が訪れ、頬をなでてくる。暑すぎず、寒すぎずの程よい涼しさだ。
「ふう……」
ソロンは木陰に座って、しばし風に当たっていた。
「ソロン」
と、声をかけてくる女性の声。
振り向かずとも分かる、アルヴァだった。