記憶の彼方
単身でソロンは星霊刀による訓練を続けた。
参考とするのはラグナイ王国のレムズ王子が使用していた聖剣――白光の剣だ。あれも現存する数少ない星霊銀の剣だと聞いている。
試したところ、星霊刀の秘めたる力は相当なものだ。レムズのように白光の弾丸を飛ばすのも問題ない。ザウラスト教団の魔物――聖獣や神獣と戦うにも申し分ないだろう。
しかしながら、この刀による魔法は精神の消耗が大きいことも分かった。普段は極力、蒼煌の刀を使ったほうがよさそうだ。
「ふう……。こんなものかな」
一息ついたソロンは、アルヴァと神鏡隊の様子を見ることにした。なんせ、皇帝直々の頼みなのだ。
照射訓練は続いており、幾度となく南の雲海に光が昇った。帝都に住民達が残っていれば、さぞ良い見ものだっただろう。
「なかなか良くなってきましたね。後はもう少し狙いの精度が欲しいところですが……。光を柔軟に曲げられるように調整してみましょうか」
アルヴァは一定の評価をしながらも、いまだ妥協しなかった。
「ひ、姫様は容赦ありませんな……。老体には厳しいですじゃ」
意気揚々としていたガノンドが、ついに音を上げた。杖をついて「ぜえぜえ」と息を切らしている。
もっとも、歳のせいというよりは、単にアルヴァの指導が過酷すぎるだけだろう。若手の魔道士達も大差ない有様だった。
ともあれ、エヴァートはこうなることを予想していたに違いない。
「アルヴァ、この辺で一旦、休憩にしたほうがいいんじゃないかな? 皇帝陛下も無理するなって言ってたし」
ここぞとばかりにソロンが口を挟んだ。
彼女にしても他者へ気遣いできないわけでは決してない。無理をする愚も理解している。……が、なにせ自分自身が超一流の魔道士だ。自然と人に求める水準も高くなってしまうのだ。
「……一理ありますね。二時間ほど休憩にしましょう。港の宿を開放しているので、存分に精神を休めてください」
アルヴァもしぶしぶながら納得してくれた。
魔道士達もほっとした様子で、各自の休憩場所へと散っていく。
ちなみに港も例によって、住民や労働者の多くが避難してしまっている。港の宿は一人一部屋を借り切っても、十分に余裕があった。
「それじゃ、僕達も休憩にしようか」
「そうですね」
と、アルヴァが頷く。
「相変わらずよく働くな」
休憩に入るなり、シグトラがアルヴァへと声をかけた。
「当然です。国難に当たり、必死になれぬようでは為政者として失格です。皇帝の地位はなくしても、その誇りまでは失っていません」
「意気込みは立派だが、無茶しすぎるなよ」
「そう言えば、アルヴァは指揮を執るだけなんだ? アルヴァが一番優秀な魔道士なのに」
ミスティンも同じようにアルヴァのそばへやってくる。シグトラの指導によって、弓の技術に一段と磨きをかけたらしい。
「はい、これだけの人数と人材がいますから。今回は私が精神力を使う必要はないでしょう。光を照射した後も、呪海の王との戦いは続くのです。私もあなた達も、そのために温存しておきましょう」
「了解、何があるか分かんないもんね」
ソロンは頷いて応えた。
*
「久しぶりだな。ソロニウス」
休憩中のソロンの元へ、若い男が声をかけてきた。品のある整った金髪に、白銀の鎧をまとった身なりの良い男だ。
「……あっ、あなたは!」
と、反射的に声を上げたものの、実は誰だか思い出せなかった。どこかで会ったような覚えはあるのだが……。
見た目からして、貴族出身の将校だとは推測がつく。確か、先日の会議の場にもいたはずだ。
「あれからもう一年にもなるのか……。あの時はただの盗人だと思ったのだが、まさか下界の王子だとはな……」
「え、ええ、あの時はお世話になりました」
よく分からないが、たぶんお世話になったに違いあるまい。盗人という言葉が手がかりのように思えるが……。
「しかもまさか、今もアルヴァネッサ陛下に仕えているとはな。縁とは分からぬものだ。私も、そこだけはお前の働きを認めねばなるまい」
どうやら、アルヴァとも面識があるらしい。……が、地位のある軍人なら当然なので大した手がかりではなかった。
「いや、別に仕えているわけじゃ……。けど、僕もこんなに長い付き合いになるなんて思いませんでしたよ。あっはっはー」
ともあれ、ここはこの応答で間違いないだろう。今のうちに記憶の海をたどり、答えをつかむのだ。
「……おい、待て! なんだその白々しい口調は。しかも、さっきから目が泳いでいるぞ!」
……が、男はようやく、ソロンの不審な様子に気づき出した。応答はともかく、態度に出してしまったらしい。
「き、気のせいですよ」
「わ、忘れたんだな! この私を!」
男は怒りと悲しみの混じった複雑な表情を見せた。その姿はどことなく哀れを催した。
「ラザリック将軍、ソロンをあまり責めないでいただけますか?」
そこへ助け舟を出してくれたのはアルヴァだった。叫ぶ男の声を聞いて、こちらに気づいたらしい。
「こ、これはアルヴァネッサ陛下……。いえ、責めてなどは。ただこの男が私のことを失念しているようですので……」
途端に男――ラザリックは恐縮してみせた。
「少し抜けたところはありますが、この子も悪気があるわけではないのですよ。ほらソロン、思い出しませんか?」
「……うーん、思い出すって?」
……が、ソロンはここに至っても思い出せなかった。
将軍ということは間違いなく高位の軍人だ。この若さで将軍なのだから、家柄の補正を除いても立派なものだろう。ラザリックという名前も聞いた覚えがないでもない。
しかしながら、印象に残っていないのだから仕方がない。
「もう、仕方のない子ですね。ほら、私とあなたが初めて会った時のことですよ」
しびれを切らしたアルヴァが、説明をしてくれる。
「もちろん覚えてるよ。鏡が欲しくてお城に忍び込んだら、まさか雷に撃たれるなんてね」
神鏡を求めてネブラシア城に忍び込んだソロン。だが、その目論見はアルヴァの雷魔法を受けて、もろくも崩れさったのだ。
苦い思い出のはずが、思わず表情がゆるんでしまう。アルヴァと出会った記念の日――そのなつかしさが勝ってしまったためだろう。
「ええ、なつかしいですね。私も妙な盗人がいたものだと思いましたよ。まさか、これほど長い付き合いになるだなんて……」
アルヴァも同じ気持ちだったらしく、自然な笑みがこぼれていた。
「あのうー……」
蚊帳の外に置かれていたラザリックが、申し訳なさそうに口を挟んだ。しかし、相手が相手なので遠慮がちだ。
「あの時、隣にいたでしょう?」
そこでアルヴァはラザリックを指で差した。
「あっ、いたいた! あの時の将軍の人か! 君のことばかり印象に残ってて、すっかり忘れてたよ!」
ソロンはようやく記憶を探り当てた。
捕らえられたソロンは、当時の皇帝だったアルヴァから直々に尋問を受けた。その時、彼女の横にいたのがラザリック将軍だった。
「やっと思い出したのか!?」
「いやあ、あの時はご迷惑をおかけしました。僕もあの時は若かったとはいえ、よくあんなに大胆なことしたなあって……。あっ、あのあと、アルヴァに叱られませんでした?」
ソロンはラザリックへと向き直って、心から謝った。警備体制の不備を指摘されたラザリックが、アルヴァを相手に恐縮する姿を思い出したのだ。
「いや、叱られはしなかったけど! というか、なんなんだお前は! 呼び捨てか! 陛下と親しすぎだろう!」
興奮で顔を真っ赤にして、ラザリックは叫ぶ。
「あー、色々あったからねえ」
照れくさくなって、ソロンはアルヴァの顔を窺う。
「色々ありましたから」
アルヴァも視線を合わせて微笑み返した。心と心が通じ合う瞬間だった。
「ぐぬぬ……。いったい、わずか一年で何が……!」
息の合った二人の姿に、ラザリックが歯噛みする。
「あっ、おじさん。何やってるの?」
そんなやり取りをしている三人のところに、ひょっこりとミスティンが現れた。
「むっ……君はミスティンだったか? 私はレムナンド公爵家長子――ラザリック将軍だ。おじさんではないと言っただろう」
ラザリックは不機嫌そうにミスティンをにらみつける。
実際、彼の見た目は二十歳を少し過ぎた程度で若々しい。将軍職としてはイセリアと並ぶ異例の若さだろう。それでもおじさん呼ばわりされるのは、いつもしかめっ面をしているせいではなかろうか。
「そう言えばそんな名前だったね。じゃあ、ラザリック。何やってるの?」
ミスティンは全く悪びれなく言い直した。二人は知り合いだったらしい。
「ぐっ、呼び捨てか……まあいい。本当に上帝陛下の側近なのだな」
「本当もなにも、そんなウソつかないよ」
ミスティンは口をとがらせて抗議する。
「……それで、ラザリック将軍も作戦には参加するんですか?」
流れを変えようとソロンは問いかけた。
「ああ、艦隊の一部を預からせてもらう。雲軍の指揮をした経験はないが、故国の窮地に動けぬようではレムナンド公爵家の名折れだ。今もガゼット将軍に指導を賜っている」
「レムナンド家は先祖代々から、何度となく帝国の危機に立ち向かってくださいました。当然、あなたのことも期待していますよ」
「はっ、ありがたきお言葉! 退位してのちも、あなたへの忠義はいささかもゆるぎません。どうか、ご期待ください!」
ラザリックは嬉しそうな顔でアルヴァに返事をした。
*
「……あれ、やっぱりアルヴァに惚れてるのかな?」
ラザリックが去った後で、ミスティンがつぶやく。
「さあて、忠誠心の高さは買っていますが」
アルヴァはあまり興味なさそうに答える。
……赤裸々な会話に何だかいたたまれない。ソロンは去ったほうがいいのだろうか? しかし、気にならないといえばウソになる。
「でも、さっき目が本気だったよ」
ミスティンはなおも追及する。
「まあ、好意を持たれている可能性は否定できませんね。レムナンド公爵家は名門です。お父様も私の婚約相手として、候補に挙げていましたから。私が戴冠しなければ、今頃は彼の妻となっていた可能性も否定できません」
「そ、そうなんだ……」
思わずソロンは声を上げた。
「あっ、動揺してる? ぐりぐり」
ミスティンがソロンの頭をつかみ、拳でグリグリとしてくる。
「別に動揺してないし」
ソロンは素早く手を振り払い、言い返す。
「言っておきますが、父亡き今は私が家長です。私の相手は私が決めますよ。お兄様やお祖父様にだって、決めさせはしません」
アルヴァはまっすぐにソロンと目を合わせ、言い切った。