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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
終章 広がる世界
406/441

始動する帝国

 九日後――運命の日に向かって帝国は動き出した。


 ワムジー大将軍は引き続き住民の避難を主導していた。

 そして、ソロンは城内にいながら、住民達が市外へ避難する姿を眺めていた。

 帝都は人口三十万ともいわれる巨大な都である。少なくとも、ソロンやアルヴァの知る限りは世界最大の都だった。


 その帝都から住民達は様々な方角へと向かっていく。北西、南西、東南、東北……四つの街道に、南の雲海を加えた五つの避難経路が存在していた。

 貴族は馬車に乗り、多くの私財を運んでいく。それより、貧しい一般市民は自らの足で歩くしかない。そして、貴族や市民に使役されている亜人奴隷は、重い荷物を背負って主人の後ろに続いていた。


 もっとも、大きな脅威を前にして逃げるしかないのは、人種も階級も関係ない。

 奴隷にしても、帝国にとっては欠かせない労働階級である。いかに傲慢(ごうまん)な貴族とて、奴隷を見捨てるわけにもいかないのだ。


 帝都を囲む長大な外壁の外には、魔物の潜む危険な世界がある。貴族や商人は私兵を雇い、そうでない住民も軍が護衛していく。

 避難は何段階かに別れているが、それでも同時に何万人もの人数が一斉に移動しているのだ。その姿は一種の壮観ですらあった。

 このような一大計画が、大きな混乱なく進んでいるのは、やはり大将軍の手腕あってのものだろう。


 一方で決戦の準備も進んでいた。

 皇帝の招集に応じて、ネブラシア湾には続々と軍船が集まってくる。

 特に北方の守護者であるゲノス将軍の到着は心強かった。彼はガゼット以上の実戦経験を誇る歴戦の勇士だ。副総督として、ガゼットを支える役目も期待できた。

 それら集結した艦隊が五大要塞と帝都に駐留し、決戦に挑むのだ。


 さらにガゼットはネブラシア湾より外の基地へも軍船を分散させた。これらは、決戦の日に呪海の王を背後から突く狙いがあった。

 いつもは動きの鈍い帝国諸侯も、今回ばかりは必死に協力した。兵と船を供出し、避難民のための土地と食料を用意したのだ。

 呪海の王の恐ろしさは前回の戦いに参加した兵士を通じて、周知のところとなっていた。皆、生きるために協力せざるを得なかったのだろう。


 ただし、軍船を集めれば、即座に戦闘へ投入できるわけではない。

 元々、所属の異なる各艦隊はそれぞれ独自の指揮系統を持っている。ガゼットはそれらの軍船の指揮系統を整理し、指示に従うようにせねばならない。そのために必要なのは、やはり訓練だった。


 そんな中、アルヴァは自ら、神鏡の照射訓練を取り仕切っていた。

 実施場所はネブラシア港だ。神鏡は上方向へ角度を傾けた状態で、南の雲海へと向けられていた。

 光は力であり、強大な光は時に破壊すら可能とする。帝都の中で訓練を安全に行える場所はここしかなかったのだ。


 神鏡の側面から背後までを囲んでいるのは、神鏡隊と称する十三人の魔道士達だ。それぞれ、神鏡から横に伸びた大きな取っ手を握りしめている。

 参加要件はただ一つ――魔力に優れていること。

 戦場を駆け回るわけではないため、体力のない者でも参加が可能である。もちろん、呪海の王の面前に姿をさらす覚悟だけは必要だったが……。


 実際、その構成員は多種多様。亜人こそいないが、若い女から老人、平民から貴族までが参加している。

 とはいえ、女達の多くは戦場を避けるほうが一般的だ。アルヴァやミスティン、あるいはイセリアのような者は、例外的だといってよいだろう。

 今回、女達に志願者が多かったのは、ひとえにアルヴァの存在が大きかった。帝国のために死力を尽くす彼女を見て、身を投じる決心をした者が多くいたのだ。



「さて、新しい神鏡とやら、どれほどのものか見せてもらおうか」


 そんな様子を高みから見物しているのは、ドーマ連邦大君シグトラだった。

 彼だけではなく、ソロン達は総勢でアルヴァの訓練を見守っていたのだ。


「さすがに緊張しますね。イドリスでも多少の検証はしたのですが、これだけの魔道士をそろえて試すのは初めてですから」


 ナイゼルも、彼にしては珍しく落ち着かない表情だった。

 ここで失敗すれば、神鏡を作ったイドリス王国の評判を落としてしまう。神鏡の完成に奔走(ほんそう)した者として、責任を感じているのだろう。

 そして、見学者はそれだけに留まらない。


「アルヴァ、頼んだぞ……」


 皇帝エヴァートにガゼットを始めとした将軍達、元老院の貴族達……。帝国を代表する者達が、訓練の様子を固唾(かたず)を飲んで見守っていた。

 新しい神鏡が機能しなければ、作戦は確実に失敗する。皇帝自身が自らの目で確認するのも当然というものだった。


「ベガード卿は左、リザット伯子は右で、ガノンド先生も右でお願いします」


 そんな豪華な観客にも動じず、アルヴァは準備を進めていく。魔道士達の配置を細かく指示するのだった。


「ほほう、さすがは姫様ですのう。オライバル様譲りの指導力ですな」


 魔道士の中にはソロンの恩師にして元帝国公爵――ガノンド・オムダリアも含まれていた。彼もしきりに感心しながら、アルヴァの指示に従っていた。

 ちなみに、イドリス大使館の面々も、彼の娘カリーナの先導で内陸部へ避難している。唯一残ったのが、ガノンドとナイゼルの父子だった。



「今です!」


 魔道士達が位置についたところで、アルヴァの号令が下った。

 魔道士達の魔力に呼応して、神鏡があふれんばかりに輝いていく。

 次の瞬間には、目もくらむような太い光線が放たれていた。


「うおっ、まぶしすぎだろっ!?」


 グラットを始め、観衆から悲鳴が上がる。

 ソロンも慌てて手の平で目を覆った。

 光が空気を震わし、魔道士達のローブがはためく。指揮を執っているアルヴァの黒髪が激しく揺れる。見守るソロン達の元まで強風が届いてきた。

 光は雲海の上をどこまでも伸びて、上空の雲を貫いた。空を照らす輝きは、太陽すらも(しの)ぐまばゆさだった。


「わあっ、凄いね! 前よりずっと強くなってるよ!」


 ミスティンが興奮気味に声を上げる。彼女はいつの間にか、ソロンの背中に取りついて盾代わりにしていた。


「まさかこれほどとはな……。勝算は十分にありそうだ」


 いつも泰然としているシグトラも、これには目を見張っていた。


「アルヴァ、順調なようだね。これなら安心して任せられそうだ」


 満足と安堵の入り混じった表情を浮かべたのは、エヴァートだった。そうして、アルヴァと魔道士達へと声をかける。


「――今回の作戦は、君達の活躍にかかっているといっても過言ではない。……とはいえ、本番前に倒れられるのも困るからな。無理をしない範囲で(はげ)んでくれ」

「ええ、ご心配なく。お兄様もお忙しいでしょうから、どうかご自分の仕事に戻ってください」


 アルヴァも自信に満ちた表情で応じる。

 エヴァートは応じて立ち去ろうとしたが、ふとこちらを向いて、


「ソロン、彼女が無茶をしないように、適時様子を見ておいてくれないか?」


 小声でソロンへと耳打ちしてくる。さすが従妹の扱いは心得ているらしい。皇帝エヴァートは気遣いの人だった。


「ははっ、了解です」


 意図を理解したソロンは(こころよ)く頷いた。

 それで安心したらしく、エヴァートはガゼット達を連れて城へ戻っていく。

 一方、皇帝から激励を受けた魔道士達は、すっかり調子づいていた。


「ふはは、完璧じゃな。呪海の王など雲海の藻屑(もくず)としてくれるわい!」

「かつての神鏡を上回る至宝だ。これならば、どんなバケモノだって……!」

「よし、俺達で帝国を守るんだ!」


 ガノンドを筆頭に、口々に威勢の良い言葉を叫び出す。


「父さん、浮かれないでくださいよ!」


 ナイゼルが外野から父をたしなめる。


「その通り。まだまだ、訓練は始まったばかりですよ」


 アルヴァはいまだ納得していないらしい。腰に手を当てて、ピシャリと魔道士達を注意する。


「――左側の魔力が少し弱いですね。大勢で魔法を行使する場合は、均衡を取ることが何より大事です。配置を変えてみましょうか。ガノンド先生、左側に移っていただけますか?」


 アルヴァは妥協を許さず、細かく指示を飛ばしていた。

 さて、いつまでも訓練を見学しているわけにもいかない。ソロン達も九日後に備えねばならないのだ。

 となるとやることは――


「僕達も自分達の訓練をしようか。師匠、指導してもらっていいですか?」


 実際のところ、個人の技能がどれだけ必要になるかは分からない。神鏡の光を照射後に、軍の総攻撃で片がつくならそれが最善なのだ。

 けれど、決戦を前にして安穏(あんのん)としていられるはずもなかった。


「いいだろう。アムイでは稽古をつける暇もなかったからな。蒼煌(そうこう)をどれだけ使いこなせているか、見てやろう」


 シグトラは腰の刀を抜き放った。青く輝く刀身があらわになる。

 ソロンと同じ蒼煌の刀を新調したらしい。憧れの師とおそろいの刀を使っている事実に、ソロンは少しだけ誇らしくなる。


「父様、私も!」

「俺もいいっすかね?」

「私も私も。……でも、弓はさすがに難しいかな?」

「無論、構わんぞ。弓は武士の(たしな)みだからな」


 メリュー、グラット、ミスティンがそれぞれ立候補する。シグトラほどの達人に師事できる機会はそうそうなかった。


「私は結構です」


 ナイゼルだけはいつもの調子だった。シグトラにしごかれた記憶は、相当苦いらしい。静かにその場を立ち去ろうとしたが――


「お前も来い。弟子の面倒を見るのが師匠の務めだからな」


 シグトラの目から逃れることはできなかった。


 *


 目の前には雲海。

 ソロンは頭上へと蒼煌(そうこう)の刀を高く掲げた。刃へと魔力を集中させれば、青い炎が立ち昇る。燃えさかる刀身は炎によって、何倍もの長さに延長していた。


「いいぞ! 振り下ろせ!」

「はい!」


 シグトラの指示に従って、ソロンは刀を振り下ろした。同時に魔力を前方に向かって放出する。

 蒼炎が刃先を離れ、雲海の上を一直線に駆け抜ける。炎にあおられた雲海が、雲を散らしながら割れていく。反動の熱波が、ソロンの赤髪を激しく揺らした。


「よし、曲げてみろ!」

「やあっ!」


 ソロンは刀をさらに下へと降ろした。

 蒼炎は刀に従うように、真下の雲海へ向けて急降下した。

 貫かれた雲海が大きな風穴を開く。その衝撃で周囲の雲が噴き上がった。真上から見れば、下界が覗けたかもしれない。


「見事だ、ソロン。蒼煌を意のままに操っているな。合格をやろう」


 シグトラはソロンの放つ魔法を満足そうに評価した。


「ありがとうございます、師匠!」


 ソロンは刀を背中にしまい、頭を下げた。尊敬するシグトラから認められるのは、何より嬉しかった。


「刀を譲った甲斐があったな。あと百年もすれば、お前は俺を超えるかもしれん」

「それはどうも。……けど、百年もしたら人間は死んじゃいますよ」

「ほんの冗談だ。それぐらいは知っている」

「反応に困ることを言わないください」

「星霊銀の刀だが。そちらも忘れずに訓練しておけ。神鏡だけで片がつくなら無用とはいえ、何が起こるかは分からんのでな」

「そのつもりです」


 ソロンはさっそく、星霊刀をもう一つの鞘から抜き放った。傷一つない刀身が、光をこぼす。


「残念ながら、そちらについては助言ができん。かつてはドーマでも星霊銀の刀を作った歴史があったらしいが、今は残っていないのだ。扱えるほどの剣士と魔道士が少なかったという事情もあるだろうな。それでも、お前ならばと期待している」

「……がんばります」


 肩を叩かれたソロンは、星霊刀を強く握りしめた。師匠の助言がないのは残念だが、できる限りの努力をするしかない。


「さて、次はナイゼルだ。得意の風魔法、どれほどのものになったか見てやろう」

「……はあ、仕方ありませんね」


 矛先を向けられたナイゼルは、眼鏡の上の眉間(みけん)をしかめながらも杖を構えた。

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