呪王の動向
神鏡を搭載した竜玉船は、雲海を飛ばし続けた。
たとえ夜間であろうとも、竜玉船は止まることがない。沿岸から離島まで、至るところに立つ灯台が道標となってくれていた。
タスカートを出発したのは昼下がり。ネブラシア港が見えたのは、翌日の夕暮れ時だった。
一日とわずか数時間で、竜玉船は帝都へたどり着いたことになる。さすがは雲軍の快速船だといえた。
ネブラシア港へ入港した一行は、箱詰めの神鏡を船から下ろした。
港からネブラシア城へはそれなりの距離があるため、持ち運ぼうと思えば一苦労だ。
しかし、そこは雲軍の協力もある。船に同乗していた士官が、さっそくネブラシア港の基地へ連絡を取ってくれたのだ。
馬車の手配から神鏡の積み込みまで、ソロン達はただ見守るだけだった。
そして、一行は城へと向かうため、馬車へ乗り込んだ。その後ろには、神鏡が積まれた荷馬車が連結されている。
ただし、ナイゼルだけは別行動だ。
「あまり大勢で押しかけるのも何ですから、父の様子を見に行ってきます。姉さんばかりに任せるのもなんですから」
彼だけは別の馬車に乗り込んで、ガノンドがいるイドリス大使館へ向かうのだった。
大通りを馬車でまっすぐに北上していく。積荷の重要性を見て取って、雲軍所属の騎兵達が警護に当たってくれた。
やがて日が沈んでいく。すると街路樹に吊るされた蛍光石が、道を照らし出した。
「…………」
そんな中、馬車に乗るアルヴァは、北のネブラシア城の方角を切なげに眺めていた。
ソロンはすぐに察した。以前なら、城の頂上から大通りを照らしていた光が、そこにはなかったのだ。
神鏡は夜も大通りを照らし、太陽の代わりに市民の営みを見守っていた。しかし、呪海の王との戦いで神鏡は砕け散ってしまった。今や、帝都を見守る象徴の姿はない。
「戦いが終わったら、イドリスから新しい神鏡を贈れないか考えてみるよ。まあ、これは大きすぎるから、もう少し小さいヤツを作ったほうがいいかもね」
と、ソロンは後ろの荷馬車に積まれた神鏡を指差した。
「そうですね。神鏡は長年に渡って帝都の象徴でしたから。両国の友好の証にもなると思います。期待させていただきますよ」
アルヴァはやわらかな表情でそれに応えるのだった。
一行が城門前にたどり着くや、すぐさま城門が開かれた。
雲軍を通して連絡が行っていたため、城のほうでも手配してくれていたのだろう。
皇帝へ報告に向かう前に、中庭へと神鏡を運び込む。目立つ行為だが、上帝の肝煎りだと分かれば、誰も不審を問う者はいなかった。
*
案内の兵に従って、アルヴァは城内を歩いていく。彼女にとっては勝手知ったる我が家のようなもの。その足取りに緊張は見られない。
ソロン達もアルヴァに続きながら、いまだ慣れない城内を進んでいった。
「お兄様、ただいま戻りました」
応接室に踏み入るや、アルヴァは優雅に挨拶を繰り出した。
室内にいたのは、三人の男。若き皇帝エヴァートに大将軍のワムジー。それから、対呪海の王の雲軍総司令官である将軍ガゼットだ。
ガゼットは息子グラットの入室を見て、にやりと笑った。
「おう」
対するグラットは渋い顔で小声の返事をする。さすがに皇帝の面前では、軽口は叩けないらしい。
「やあ、アルヴァ。首尾はどうだい?」
エヴァートはさわやかな口調とは裏腹に、目に見えて疲れた表情をしていた。
連日の呪海の王の対処によって、疲労を溜め込んでいるのだろう。それでも、従妹の帰還に光明を見出したのか、口元をゆるませる。
「ええ、イドリス王国の協力を得て、以前より大型の神鏡を作り上げました。中庭に運び入れましたので、自身でご覧なさるとよいでしょう」
「おお……!」
ワムジーやガゼットの口から感嘆の声が漏れる。
「よし、さっそく見せてもらおう」
エヴァートは逸る気持ちを抑えられないようで、先頭を切って歩き出した。
*
中庭に巨大な布で覆われた神鏡が配置されていた。その近辺では、兵士達が神鏡を守護してくれている。
通りすがりの城内の住民が、何事かと遠巻きに好奇の視線を送る。もっとも、皇帝と上帝に対して、声をかける勇気を持つ者は少ないようだった。
「本当に大きいな……」
エヴァートが驚嘆の目で神鏡を見上げる。
「布を外してください。さあ、ご覧あれ、お兄様」
アルヴァが指示すれば、兵士達が布を引っ張った。翻った布の下から、星霊銀の鏡が姿を現した。
魔力も込めていないのに、神鏡からはほのかな光があふれ出ている。魔道士の素養を持つ者でなくとも、その秘められた力を感じ取れるだろう。
「おお……これはまぎれもない神鏡の輝き……。なんと神々しいことか!」
ワムジーが崇拝するように神鏡を見た。彼は長年に渡って、帝国を守護してきた老将である。国の象徴ともいえる神鏡に、人一倍の想いを抱いているようだった。
「これなら呪海の王も打破できるかもしれませんな……!」
ガゼットも強く頷きながら、期待の眼差しを神鏡へと送る。
「そう願います。素材となる星霊銀が発見されたのは、魔の島とも呼ばれる島……。下界でも何百年と人の立ち入らなかった魔境です。その島に巣食う恐るべき魔物を撃退し、星霊銀を見つけ出したのは他でもありません。ここにいるソロニウス王子を始めとした方々です」
アルヴァは何かの英雄譚でも語るように力説してくれる。……が、当のソロンは少し恥ずかしい。
「そ、そこまで言われることでも……君だって大活躍だったし。それに鏡を作ったのは、イドリスの職人達だから」
「謙遜はいらないよ、ソロン。この神鏡をもたらしてくれた友国の方々に、感謝させてもらおう!」
エヴァートはソロンに向かって礼を述べた。この人にしては珍しい力の入った口調だった。
「しかし、これほど大きな魔道具となると、いったいどなたが使うのですかな? やはり、姫様でしょうか?」
しげしげと神鏡を眺めていたワムジーが、アルヴァへ視線を移す。
「いいえ。大人数の魔道士で魔力を込めようと思います。以前を上回る成果を上げようと思うならば、個人の力では限界がありますから」
「協力魔法というわけですか……。なかなか思い切りましたな」
「もちろん、簡単ではないと思います。相応の訓練をした上で、実戦に挑む必要があるでしょう」
「分かった」エヴァートが頷く。「優秀な魔道士を可能な限り集め、訓練させるとしよう。猶予はあまりないかもしれないがな……」
「そういえば、呪海の王はサラネドへ向かったんですよね? 現状はどうなっているんですか?」
ふと気になってソロンは口を挟んだ。
呪海の王の到着までどれほどの猶予があるのか。それ次第では訓練も満足にできないだろう。
「ああ、共和国には大使を通じて再三の警告をしたのだがな……。それを無視して呪海の王に総攻撃をしかけたようだ」
「……結果はどうなりましたか?」
アルヴァがガゼットのほうを向いて尋ねる。ガゼットは偵察船を送り、常に呪海の王を監視しているはずだった。
「例の破壊の閃光を受けて、サラネド雲軍は半壊です。敵を侮っていた分、避難も後手に回ったらしい。帝国よりもずっと酷い有様だったとか。私にとって連中は仇敵ですが、あまり喜ぶ気にはなれませんな」
眉間にしわを寄せながらガゼットが答えた。彼はカプリカ島の防衛責任者として、サラネド軍とは直接・間接的に戦を交えた間柄だった。
「……その後は?」
「呪海の王が真っ先に向かったゴルエタ市は崩壊。その後もサラネド北岸の町を軒並み襲っている模様です。さすがのサラネド政府も、ようやく避難に本腰を入れ始めたようですが……。後手に回ったツケは大きかったようですな」
「しかし、それも今朝に届いた情報だ。事態は刻一刻と変化していると思ったほうがいい」
エヴァートがガゼットの報告に続けた。
サラネド北岸からこの帝都までは、竜玉船で一日足らずだ。偵察が送る情報にも、それだけの遅延があると考えねばならなかった。
「サラネドが終われば、次は帝都だと覚悟しておいたほうがよいでしょうね」
アルヴァがそう言えば、エヴァートも深く頷いた。
「ああ、そのつもりだ」
それから、事態はまもなく動いたのだった。
応接室の外で、廊下を駆ける足音が響いた。
そして次に、応接室の扉が強く叩かれた。
「陛下、呪海の王に動きがありました!」
「入ってくれ」
エヴァートにうながされて、必死の形相をした士官が現れた。部下から報告を受けるや、そこから自らの足で走ってきたに違いない。
皇帝の御前において、不調法としかいいようがない慌ただしさだ。もっとも、それで皇帝の不興を買うわけもない。呪海の王の動向については、全てに優先するよう指示されていたのだから。
「呪海の王はサラネド北岸部の町を七つ破壊したのち、方向を北へと転じました! 時刻は昨日の昼です!」
士官は息を切らしながら、必要最低限の報告をした。
「来たか……!」
「いよいよですな……!」
ワムジーとガゼットが表情を引き締める。
「よくやってくれた。続けて、知る限りの詳細を伝えてくれ」
エヴァートがねぎらい、先をうながせば、士官も報告を続ける。
「はっ。呪海の王は昨日の昼頃、サラネドのバハラ市を破壊の閃光で焼き払い――」
エヴァートにワムジー、ガゼット。それから、アルヴァにソロン達も皆、一言一句聞き逃さないように士官の話へ耳を傾けていた。
*
「聞いての通りだ。呪海の王はあと十日もすれば帝国本島の南岸に到達するだろう」
士官の報告を聞き終えたエヴァートは、そう見通しを語った。
「呪海の王は帝都に到達する。そう断言してしまってもよいでしょう。少なくとも、心構えはそのつもりでなければなりません」
アルヴァは同意しながらも、警鐘を鳴らす。
「分かっているさ。既に避難場所の選定は終えて、各地の諸侯にも受け入れを要請している。渋る者もいるようだが、事態は国難だ。無理矢理にでも従ってもらう」
「お兄様も頼もしくなりましたわね。私が口を出す必要もなかったようです」
「ああ、だから僕達が考えるべきは、呪海の王を倒す方法だ。これから会議を開くから、どうか知恵を貸して欲しい。本当ならもっと早い段階でしておきたかったが、神鏡もない状況だったのでね……。友好国の方々も、ぜひ参加してくれ」
エヴァートはそう言って、ソロンやメリューへも視線を向けた。
「よかろう。私でどこまで力になれるか分からぬが、かの邪教とはわが国が最も付き合いが長いからな」
メリューは皇帝相手にも堂々と言い放った。
そんな姿を見て、ワムジーが怪訝そうに眉をひそませる。一方のガゼットは、既にメリューを見知っているので苦笑するだけであった。
エヴァートもやや苦笑気味ながら、頷いてみせる。
「それじゃあ、イドリスの仲間も呼んでいいですか? こういう作戦には適任なのがいますから」
ソロンは大使館に向かったナイゼルと、留守を守っているはずのガノンドを念頭に浮かべていた。
「もちろんだ。今から帝都在住の有力者を招待するから、その中に加えておこう。もっとも、口うるさいばかりの元老院の者達は絞らせてもらうがな」