伝説を超えて
職人達が最初に取りかかったのは、鋳型だった。
問題となったのはその材質だ。
溶解した星霊銀は極めて高温になる。言うまでもなく、鋳型までが溶けてしまうようではお話にならない。
「石材の上に、サラマンドラの皮を敷いてはどうでしょう。熱に強いということでしたら、あれ以上の物はありませんよ」
そこで案を出したのはナイゼルだ。下界の生物や素材に詳しい彼ならではの知識だった。
「サラマンドラか……。少し値は張るが、町でも扱っていたな。よし、さっそく買い占めてきてくれ」
サンドロスは素早く決断し、ナイゼルを後押ししたのだった。
職人達とナイゼルの労苦によって、わずか数時間で鋳型が作られた。……といっても、石の鋳型の上にサラマンドラの皮を伸ばしてかぶせた簡単なものだ。
注文した通り、ソロンの背丈よりも直径が大きい円形となっている。その形状は、小型のプールのように見えなくもない。ここに星霊銀を流し込むことで、鏡ができあがるのだ。
さて、ここまでは熟練の職人達で人海戦術を取れば、なんてことのない作業である。
何といっても、問題となるのは鏡の作成だ。
次は並行して、鏡縁と鏡本体を作り上げる。
いよいよソロンの出番だった。
職人達が慎重な手つきで、星霊銀の延べ棒を取り出した。まずは鋳型の上に一つだけを配置する。
ソロンは蒼煌の刀を背中から抜き放ち、ゆっくりと刃先を向けた。
放たれた蒼炎が、星霊銀へとまとわりついた。事故を起こさないよう、慎重に星霊銀だけを熱していく。
星霊銀が蒼煌の刀に共鳴するかのように、青い輝きを放ち出した。そして、ゆっくりと溶け始める。
「おお、あの星霊銀がこうも呆気なく! さすがはソロニウス殿下ですじゃ!」
鏡職人が興奮気味に叫んだ。もっとも、大半が刀のお陰なので、さすがも何もないのだが……。
ともあれ、水銀のように流れ出した星霊銀はみるみる鋳型へと収まっていく。延べ棒が一つだけだったこともあって、立ちどころに全てが溶けてしまった。
「順調ですね。次にいきましょう」
アルヴァが六角形の箱を指差せば、職人達も次なる星霊銀の延べ棒を取り出してくる。
そうして、溶けた星霊銀の上にさらに二つの星霊銀を追加した。
ソロンは先程よりも強めに蒼炎を放出した。
溶け流れる星霊銀が、鋳型をゆっくりと埋めていく。それはまるで星霊銀のプールのように……。
通常の鏡は薄く銀を伸ばして表面にするが、今回作るのは魔鏡である。鏡としては規格外に金属の厚みを持たせており、それが鋳型の深さに相当していた。
あまりの高温のため、工房には異様な熱気が充満していた。
ソロンも職人達も、後ろに下がって見守るアルヴァ達も、みな滝のような汗をかいている。それでも、青く輝き続ける星霊銀のプールを、皆が見とれるように眺めていた。
星霊銀の延べ棒が鋳型に収まる度に、次なる延べ棒を投下していく。やがて、合計七本の延べ棒が鋳型へと収まっていった。
「もう十分じゃろう」
鏡職人が判断したので、ソロンは刀に流す魔力を止めた。
「――後は冷めて固まるのを待ち、磨くだけですじゃ。それまでに、鏡縁も完成させておきましょう。残りはわしらに任せてくだされ」
「ありがとうございます!」
ソロンが頭を下げれば、老人はやわらかな笑みを返した。
「なに、まだ礼を言うのは早いですぞ。完成は明日です」
「俺の役目はこれでおしまいかな? こっから先は鏡屋の仕事だろう。まっ、暇があれば完成には立ち会わせてもらおうかな」
魔装職人が工房から立ち去ろうとするが、
「あっ、それだったら一つお願いしていいですか?」
ソロンはそれを急ぎ呼び止めたのだった。
*
翌朝、城で一夜を明かしたソロン達は、今日も工房へと向かった。サンドロスやナイゼルも一緒である。
「おお、鏡だ鏡!」
きらきらと輝くそれを見て、ミスティンは嬉しそうに声を上げた。
鋳型に収まったままの星霊銀は、今や大きな鏡面をさらして天井を照らし出している。
「お待ちしておりました。後は縁に収めるだけですぞ」
鏡職人がこちらに気づき、声をかけてきた。
鏡縁は既にできあがっており、近くの床へ置かれていた。これに星霊銀を収めれば、神鏡は完成するのだ。
「始めてくれ」
サンドロスの号令に従って、職人達が動き出した。
一同はその様子を固唾を飲んで見守る。昨日の熱気から一転して、工房にはどこか緊張した雰囲気がただよっていた。
職人達は星霊銀を鋳型からはがし、持ち上げる。一人や二人ではとても持ち上げられる重量ではない。五人がかりでも重たそうにしていた。
それでも、彼らの動きに荒さはない。ゆっくりと運んで、星霊銀を鏡縁の元へと導いた。
鏡縁は四つの部位に分かれていた。最初から完全な円にしてしまうと、はめ込む隙間もなくなってしまうためだ。その鏡縁を星霊銀に対して、外側からはめ込んでいく。
最後に鏡縁の切れ目を、職人達が溶接して仕上げとなるのだ。
「完成じゃ」
作業の終了を鏡職人が告げた。
それを見て取るや、見学者の中からサンドロスが進み出る。
「皆、よくやってくれた! 皆の貢献がなければ、こうも早く神鏡を完成できなかっただろう。夜を徹しての作業で疲れたろうが、しばらくは気兼ねなく休んで欲しい」
サンドロスが職人達を見回しながら、ねぎらいの言葉をかける。国王自らのいたわりに、職人達も感激しているようだった。
「――おっと。もちろん、報酬も忘れていないから安心してくれ」
付け加えた言葉に、職人達からどっと笑いが起こった。緊張していた空気が、それで一気にゆるむ。さすが、兄は人心をつかむ術を心得ているようだ。
ソロンは改めて床に置かれた鏡へと目をやった。
その鏡は神々しさを誇っていた。
急ごしらえゆえ、鏡縁と取っ手の形状は無骨そのもの。それでも星霊銀の放つ輝きは、見る者を魅了せずにやまなかった。
イドリスの伝説に謳われたかつての神鏡……。その神鏡すらも、呪海の王を仕留めるには至らなかった。この新しき神鏡に求められるのは、その伝説すらを超える成果なのだ。
「帝都のヤツの十倍ぐらいあるんじゃねえか? これであのデカブツも年貢の納め時だな」
グラットは満足そうに笑ってみせる。
「ええ、今度こそ仕留めてみせましょう。この鏡と人の総力を挙げて」
アルヴァは瞳に意志の強さをみなぎらせていた。
「さて、随分と寄り道しちゃったね。兄さん、僕達は行くよ」
既にソロンが下界へ降りてから数週間が経過している。こうしている間にも、いくつもの都市が滅んでいるかもしれないのだ。
「ああ、行ってこい。ナイゼル、馬車の手配を頼めるか?」
「もちろん、既に手配はしていますよ。もっとも、これだけ大きな物を安全に運ばねばならないので、少しばかり時間をいただきますが……」
「分かった。僕も少しだけ用事があるから構わないよ。鍛冶屋の親方に仕事を頼んでたんだ。時間がかかるようなら、諦めて出発するつもりだけどね」
「そう言えば、鍛冶屋のおじさん来てなかったね」
と、ミスティンが反応する。
「うん、様子見に行ってくるよ」
魔装職人の鍛冶屋は、この工房からもそう遠くはない。ソロンはそうして、工房を出ようとしたが、
「ソロニウス殿下!」
そこでソロンを呼ぶ声があった。見れば、当の魔装職人が走り寄ってくる。
額からは滝のような汗を流しており、その表情には凄みを感じさせた。恐らく、つい先程まで作業にかかっていたのだろう。
「――注文にあったヤツ、なんとか仕上げたぜ」
魔装職人は不敵に笑い、鞘に収まった剣をソロンへと差し出してくる。
「……! もうできたんですか!」
ソロンは両手で鞘を受け取って握りしめた。
それが何かを尋ねる必要はない。昨日、余った星霊銀で剣の作成を頼んだのは、他ならぬソロン自身だった。星霊銀を融解させるまでは、ソロンも手助けしたのだ。
「ああ。本当なら、あと一週間ぐらいじっくり鍛えたかったんだがな。まあ、殿下は急ぎみたいだし仕方ねえでしょう」
そう語る魔装職人は、いかにも眠たげだった。夜を徹して、作業を完遂したのは聞くまでもなかった。
「親方、ありがとうございます! ……抜いていいですか?」
「ああ、どうぞ」
ソロンは恐る恐る鞘から剣を抜こうとした。……いや、正確には剣ではない。刀身の形状は曲線を描いていた。紅蓮の刀を打った当人である魔装職人は、一流の刀鍛冶でもあったのだ。
抜き放つにつれ、外気にさらされた刀身から光があふれ出る。
それはソロンが、かつて見た剣によく似ていた。帝都で見たアルヴィオスの剣に、レムズの持つ白光の剣に……。
しかし、刀が放つ輝きはそれらの剣よりも一段と強い。星霊銀の質が、その二つの魔剣を上回っていたのだろう。
「ははっ……! これは凄いな!」
ソロンは子供のように目を光らせ、声を弾ませた。
振るわずとも分かる。蒼煌の刀に匹敵する名刀――それがここに誕生したのだ。
「喜んでもらえてよかったぜ。呪海の王だかなんだか知らねえけど、あの邪教徒どもの親玉が出てくるんだろ。そいつで存分にこらしめてやってくれよな。んじゃ、俺はちょっと寝てくるよ」
当世一番の名工は、颯爽と工房を去っていった。
「星霊刀というわけですか。素晴らしいものが手に入りましたね」
アルヴァが興奮冷めやらぬソロンを、微笑ましげに眺めていた。
「星霊刀かぁ。さっそく名前つけたんだ」
と、ミスティンが声をかけてくる。
「いえ、正式な命名はソロンがすればよいでしょう」
「それでいいよ。単純だけど分かりやすい、この星を守るための刀さ。何より、僕は刀を君に捧げるって言ったしね。命名するのも君の権利だ」
「まあ……そうでしたね」
ソロンは新しい刀――星霊刀を背負った。
都合、蒼煌の刀と合わせ、二つの刀を背負うことになる。少し重くはなるが、ソロンは普段から軽装なのでどうにかなるだろう。