神鏡を創る
タンダ村に凱旋したソロン達は、盛大な歓待を受けた。
中心となるのはソロン、アルヴァ、ミスティン、グラットの四人。そこにもはや馴染みとなったメリューを加えた五人だ。
さらにはイドリスから連れてきた兵士達に、タンダ村から加わってくれた船員達もいる。特に地元の英雄となった船員達は、一段と誇らしげだった。
それもそのはず。数百年ぶりに魔の島を探検し、あまつさえ宝を持ち帰ったのだ。真に驚異的な成果といえた。
「ソロニウス殿下は、まさに冒険王と呼ばれるにふさわしいお方じゃ!」
「さっすが、アルヴァちゃんだよ!」
村の者達も大喜びで、口々に一同を褒めそやす。
もっとも、浮かれてはいられない。
ソロン達は村民との別れを済ませ、早々にイドリスへ帰還せねばならないのだ。
しかも、帰りはイドリス川を川船で逆行せねばならない。
通常なら、帆に風を受けて、ゆっくりと川を遡るのだ。けれど、あいにく悠長にしていられる時間はない。
そこは往路よりも一層、魔法の力に頼るしかなかった。
*
アルヴァ達の奮闘で、船は急速にイドリス川を遡った。結果、船は驚くほどの早さでイドリスへの帰還を果たしたのだった。
イドリス城に戻ったソロン達は、さっそく兄サンドロスの執務室へと向かった。
「坊っちゃん、お早いお帰りでしたね」
「ナイゼル、君も帰ってたんだ!」
部屋に入るなり迎えてくれたのは、眼鏡の青年だった。灰茶の髪にローブをまとった優男――ソロンの旧友ナイゼルである。サンドロスと一緒になって、ソロンを待っていてくれたらしい。
ナイゼルもソロン達と同じように、兵を率いて星霊銀の捜索に出ていたという。ソロン達よりも先に出発していた分、帰りも早かったようだ。
「ご苦労だった。その表情を見る限り、成果があったようだな」
サンドロスもソロンをねぎらってくれた。
ソロンの兄であり、イドリス国王でもあるサンドロス。弟と同じく、赤髪に緑の瞳の持ち主だ。
同じ両親の元に生まれながら、こちらは男らしい顔つきと背丈に恵まれていた。ソロンが母に似た代わりに、兄は父に似たというのがもっぱらの評判である。
「まあね、そっちはどうだった」
「ああ、ナイゼル達が頑張ってくれたんでな。それにレムズ王子も、ラグナイ国内で発見された星霊銀を贈ってくれた。合わせれば、それなりの量になるだろう」
「へえ、あのレムズ王子が。けど、ああ見えて結構義理堅いところもあるからね」
「あちらも忙しい中で、精一杯の協力をしてくれたのでしょう。なんせ、紅玉の姫君のためとあらば、これしきの労苦を惜しむわけにはいかん――と、大したハリキリようでしたから」
ナイゼルが芸達者にレムズの口調を真似てみせる。
「うわあ、無駄にうまいね!」
と、喜んで手を叩いたのはミスティンだ。
後ろにくくった金髪に、空色の瞳を持った娘。自由奔放な性格ではあるが、ソロンの頼れる仲間である。イドリス川を遡る際にも、彼女の魔弓から放たれる風が大いに活躍したのだった。
「ふふふ、お褒めいただけて光栄です」
ナイゼルは嬉しそうに眼鏡へ手をやる。……今のは喜ぶところなのだろうか。
「王都があれだけの被害を受けたのです。彼にしても、必死になるでしょう」
もっとも、当の姫君は取り合わずに受け流した。
腰まで届く流れるような黒髪と、紅玉の名にふさわしい紅い瞳――その二つが彼女を象徴するものである。
その一方である紅玉の瞳を胡乱げに細めて、アルヴァは溜息をついていた。彼女のレムズへの苦手意識は、よほど根深いものがあるようだ。
「……ところで、そっちの成果を見せてもらっていいか?」
「分かった」
サンドロスにうながされたソロンは、部屋の外に待たせていた兵士達を招き入れる。
五人の兵士達が六角形の箱を運びながら、執務室へと入ってきた。そうして、箱を丁寧に絨毯の上へと下ろす。
「随分と古い箱だな。開けていいか?」
「もちろん」
ソロンが得意げに頷けば、サンドロスはそっとフタを持ち上げた。
「おお、デカイな……! これ全て、星霊銀なのか!?」
中から現れたのは、巨大な星霊銀の延べ棒だ。その大きさと輝きにサンドロスも圧倒されたようだった。
「ふうむ、我々も結構な量を持ち帰ったつもりだったのですが……。ここまでの量は坊っちゃん達だけですよ。しかも、これほど輝きが強いとは、純度も相当なものでしょう」
ナイゼルが箱の中身を覗き込み、驚嘆の声を上げる。
「まっ、俺達もそれなりに苦労したんでな。こんだけありゃ、いい鏡ができるだろうよ」
と、グラットが魔の島での戦果を誇った。
頼りになるソロンにとっての兄貴分。たくましい茶髪の青年である。彼の振るう超重の槍は、魔の島の戦いで幾度となく仲間を守ってくれたのだった。
「決まりだな。質も量も、お前達の星霊銀が一番だ。これで、神鏡を作るしかない」
「それじゃあ、そっちの手配をお願いしてもいいかな?」
「既に手配していますよ。坊っちゃんが帰還次第、制作を開始する予定でした」
「さっすが仕事が早いね」
「イドリス中から選りすぐりの職人を用意している。それも鏡職人と魔装職人の両方だ。お前達の武器を作った職人も、中には含まれているぞ」
「それは期待できそうだね」
ソロンの以前の愛刀である紅蓮の刀に、ミスティンの風伯の弓、グラットの超重の槍――お前達の武器とはそれらのことだ。
サンドロスは神鏡の制作に、総力を尽くしてくれるようだった。
*
二人の案内に従って、城外へと向かう。もちろん、星霊銀も兵士達の手で運んでもらった。
たどり着いたのは、イドリス城からほど近い場所にある工房だった。
工房に入れば、そこでは大勢の職人達が働いていた。どうやら、鏡を含む工芸品を作るための工房らしい。
工房の隅には、整然と箱が置かれている。他の者達が集めた星霊銀は、既に運び込まれているようだった。
こちらの姿を確認するや、職人達が作業の手を止めて集まってくる。
職人達の中から、二人の男が名乗り出た。
一人は熟練の鏡職人だという老人だった。
もう一人は壮年の男――魔法武器を作る鍛冶師だ。魔法の装備を作る者として、魔装職人などともいわれている。ソロンの紅蓮の刀を打ったのもこの男であり、既に顔見知りであった。
「鏡なら星の数ほど作ってきたが……。魔鏡なんてもんは、ワシも作ったことはないんじゃがのう」
鏡職人は困惑した様子だった。
「爺さん、その辺は俺に任せな。魔鏡だって、結局は魔装の一つだ。それだったら、俺の専門分野だぜ」
口を出したのは魔装職人だった。彼は数々の魔法武器を作ってきた者として、自信があるようだった。
「ふむ、それでは若いもんに頼ってみるか。わしもなんだかんだ言って、楽しみではあるしな」
二人の職人の後ろには数十人の職人が控えている。これが彼らの弟子達だろう。
「すまないが、鏡が完成するまでは、普段の仕事は控えてもらう。わが国と友好国の国難に当たって、全力を尽くして欲しい。もし、仕事を止めることで苦情が来たら、俺を通すように言ってくれ」
サンドロスはここぞとばかりに強権を振るった。普段、穏健な兄もこういう時は手段を選ばない。
「仰せのままに」
と、鏡職人はかしこまる。
「それから、満足に休憩は取れないと覚悟してくれ。もちろん、報酬は奮発しよう」
「陛下に言われちゃ断れねえな。期待してますぜ」
国王直々の発破に、魔装職人は不敵に笑った。
「わしは年寄りなので、寝ないわけにいきませんが、まあ若いもんががんばってくれるでしょう」
鏡職人はカッカと笑った。
まずは設計に取りかかる。
魔法についても神鏡についても、この中ではアルヴァが最も詳しい。自然、彼女の意見が重用された。
「装飾は不要です。魔鏡として力を発揮できれば、不格好でも構いませんので」
アルヴァが簡潔に要望を伝えれば、魔装職人も頷く。
「ふむ、分かりやすくていいぜ。俺もそっちのほうが得意だ」
「まあ、仕方なかろう……。大きさはどうしますかな?」
対して、鏡職人は不満そうだ。これは普段作る品物が武器か、美術品かという違いだろう。
「できる限り大きくっていいたいところだけど、界門を通らないといけないからね。このぐらいでお願いします」
と、ソロンは自分の頭の高さよりも、少し上を手の平で示した。
「そいつはとんでもない話ですなあ……。大きい魔鏡を作ると聞いておりましたが、そんな鏡など見たこともありませんわ」
「難しいですか?」
「いいや。素材さえ足るならできぬこともありませんぞ」
控えめながら、鏡職人の口調には自信がにじみ出ていた。何十年と鏡を作り続けた自負があるのだろう。
「それから、普段のやり方とは異なるかもしれませんが、神鏡にはふんだんに星霊銀を使い、厚みを持たせてください。有り体に言えば、鏡としての機能は重要ではありません」
「どういうことですかな?」
鏡職人が首をかしげて、アルヴァに尋ね返す。
「魔法金属が放出できる力の総量は、金属の大きさに比例するためです。ゆえに、鏡としては無駄に思えても、星霊銀の量を増やす必要があります。目的はものを写すことではなく、魔力を力として照射することなのです」
「そういうこった。俺達が作るのは、鏡であって鏡じゃない。魔装の一種だと思ってくれ。だからこそ、俺がここに呼ばれてるわけだな。……で、それで終わりかい?」
魔装職人は、さすがにアルヴァの説明を理解しているようだった。
「取っ手は大きくお願いします。大勢の魔道士で力を合わせ、魔力を放射するつもりですから」
アルヴァが追加の注文を加えれば、魔装職人が力強く頷いた。
「了解だ、お嬢さん。そういうのは、俺の得意分野だな。……となると、取っ手と縁の素材も重要だな」
「取っ手と縁とな?」
魔法の仕組みに詳しくない鏡職人が、疑問の声を上げる。
「火打石を素手で打つと火傷することがあるだろ? そうならないよう、魔法武器には握りをつけるわけよ。で、握りから流した魔力がどれだけ魔導金属に伝わるかは、素材次第ってわけだ」
「ほほう、そういうことじゃったか」
基本的な形状は鏡そのものであり、設計の中心はあくまで鏡職人だ。それに対して、魔装職人とアルヴァが助言を行う形となっていた。
「完成まではどれぐらいかかりそうですか?」
ソロンの質問に、鏡職人が悩みこむ。
「おおよそ、一週間といったところでしょうな」
「結構かかるんだな……」
と、グラットが眉根を寄せてつぶやく。呪海の王が彼の故郷を襲わないか、焦りをつのらせているのだろう。
「もう少し早くできませんか?」
ソロンは懇願した。
既に魔の島に渡り、星霊銀を持ち帰るだけで相当な時間をかけている。こうしている間にも、呪海の王が帝都に迫っているかもしれないのだ。
「どうして、そんなに時間かかるの? 鏡ってそんなに作るの大変なんだ?」
ミスティンが率直に尋ねる。
「いや、通常の鏡ならさほどかかりはせん。だが、一つ問題があってな。先に届いた星霊銀で検証したところ、ここにある炉では溶かすのがなかなか難しいのじゃ」
「どういうこと?」
「鏡を作るには、まず金属を溶かし、ならす必要がある。ところが、この星霊銀は銀どころか鉄よりもずっと融点が高いときている」
「それは……困ったな」
「もちろん、時間をかければ少しずつ溶かすことはできるのですが、その分、時間はかかってしまうというわけで」
「なんだ。そんなことなら、うってつけの物があるぞ。鉄を溶かす以上の熱があればいいのだろう」
口を挟んだのは、それまで静観していたメリューだった。
青みがかった銀髪の少女。イドリス人でも帝国人でもなく、故国ドーマの着物を優雅に着こなしている。何から何まで異質の彼女だが、今やすっかりその場に馴染んでいた。
「もしかして……」
思い当たったソロンは、背中の刀を引き抜いた。
「うむ、わが父の託した蒼煌の刀だ。無理とは言わせんぞ」
「確かにできると思うけど……」
ソロンはしばし躊躇する。
熱で星霊銀を溶かすことはできるだろう。だが、炉のように精密な制御ができるかと思えば微妙なところだ。
「皆で多くの星霊銀を集めてきましたから、量は十分にあります。失敗を恐れる必要はありませんよ」
アルヴァがソロンの背中をそっと押してくれる。
「分かった、やってみる!」