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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第一章 紅玉帝と女王の杖
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神鏡を求めて

 ソロンはアルヴァを抱えながら、建物の陰へと運んでいく。魔物の視線が届かない場所で、彼女を降ろした。


「ごめんなさい、ソロン。あなたの忠告を無視した私の(あやま)ちでした」


 アルヴァは足を崩して座り込んでいた。憔悴(しょうすい)しきった様子で、いつものような気丈さがなかった。


「僕に謝られても困りますよ。それより陛下、鏡です!」


 目の前の女帝が非を認めたことを、ソロンは素直に喜べなかった。

 尊大ではあっても毅然(きぜん)としていた彼女は嫌いではなかったのだ。そのせいか、どこか突き放した言い方になってしまった。


「鏡……ですか?」


 意味が分からないとばかりに、ソロンの言葉を繰り返す。


「神鏡の元に行きたいんです。一緒に来てもらえますか?」

「こんな状況で、火事場泥棒でもなさるつもりですか」


 冷ややかにアルヴァは言ったが。


「違います。神獣を倒せるのは神鏡なんです!」


 神獣と神鏡……。共に神の名を冠しているが、その意味は異なる。

 神鏡の神とは、帝国人が(あが)める神の意だろう。

 対する神獣の神とは、ソロンらイドリス人にとっては敵の神だ。


「神獣?」

「あのバケモノです。僕の故郷を襲ったヤツと同類なんです」

「あれを知っているのですか……? かつて神鏡は混沌を払ったと言われていますが、私には光を放つ鏡だとしか……」

「ごめんなさい。もう時間がないので……。来てください!」


 説明を諦めたソロンは、半ば強引にアルヴァの手を握ろうとした。

 一歩間違えれば誘拐だな――と、思わなくもなかったが、今は非常時である。少々のことなら許されるだろう。

 アルヴァは困惑しながらも手を握り返し、起き上がる素振りを見せた。……が、すぐにその足がふらつく。


「痛むんですか?」

「いえ……少し疲れが溜まっているだけです」


 そう答えた彼女の顔色は、死人のように青白かった。

 そう感じたのは、今が深夜だからというだけの理由ではないだろう。ここで起きた出来事は十八歳の娘にとって、限界を越えた重荷だったのだ。


「つかまってください」


 ソロンはアルヴァへ向かってかがみ込み、背中を向けた。


「この私に、赤子のように負ぶされと?」


 アルヴァは不平を言いながら躊躇(ちゅうちょ)を見せた。


「そうです、早く」


 面倒になってきたソロンは、無礼を承知で()かした。


「……剣が邪魔です」

「なるほど……」


 結局、刀はアルヴァに背負ってもらうことにした。

 そうして、何だかんだ言いながら、アルヴァは背中につかまってくれた。首へと手を巻きつけてくる。

 そして、女帝を背にしたソロンは立ち上がった。


「うげっ……」


 瞬間、ソロンの脳裏に後悔の念が走った。

 王子様が颯爽(さっそう)と姫君を抱え持つ。古今東西の物語において、そんな情景は付き物である。

 そして、アルヴァは見目麗しく細身の女性であった。器量の良さは、物語のお姫様にすら見劣りしないだろう。

 だがしかし、物語の王子様のようにはいかなかった。


 ……重い。

 アルヴァは細身ではあるが、どちらかというと長身の女性である。さすがにソロンよりは少し低いが、女性としては長身なのに変わりない。

 そして、細身なのはソロンも同じ。つまり、彼女の体重はソロンより少し軽い程度ということになる。

 先程は無我夢中で気にならなかったが、自分と大差ない重量を背負うのは相当な難行であった。


 もっとも、困ったのはそれだけではない。

 背中に柔らかな感触が伝わってくるのだ。考えてみれば、相手は妙齢の女性である。

 何かいけないことをしてしまったのではないか。胸中にそんな考えが浮かんできた。


「あの、その……。ごめんなさい」

「……なんの謝罪ですか、それは?」


 思わず謝罪したら、不審げな声が背中からかかった。


「――よく分かりませんが、行くと決めたら迷わぬように。多少は揺れても寛大に見ます」

「は、はい!」


 背中の激励を受けて、ソロンは奮起した。毒を食らわば皿まで。こうなったらやるしかないのだ。


「――じゃ、走りますよ。もっと強くつかまってください」


 ソロンはアルヴァを背負ったまま、走り出した。


「ひゃっ!?」


 という声と共に、首へつかまる腕の力が強まった。


 *


 ソロンはアルヴァを背負ったまま走った。

 城の城門前に向かえば自然、神獣と遭遇するかもしれない。それでも、神鏡を手に入れるにはこちらへ向かうしかなかった。


「あのう……」


 背中のアルヴァがおずおずと声を上げた。


「何ですか?」

「城門は閉まっていると思うのですが……」

「うっ……。そうなんですか? 陛下の権力でどうにかなりませんか?」

「……なんとかしてみます」


 ところが、城門は開いていた。

 いや、正確には開いていたのではなく、破壊されていたのだ。鋼鉄の城門に、ぽっかりと巨大な空洞が空けられていた。

 奇妙なことに破片すらも散らばっていない。壊されたというよりも、溶かされたといったほうが正確そうだ。

 何者がやったかなど、考えるまでもなかった。


 城門から続々と飛び出してくる人々の姿がある。城に閉じこもるよりも、外へ逃げたほうが安全だと考えたのだろう。

 それとは反対に、城門へと突入していく勇猛な兵士の姿もある。時間の経過に伴って、帝都中から援軍が馳せ参じているのだろう。


 女帝を背負ったソロンを、不審な目で見る者はいなかった。

 おびただしい負傷者がいる中では、背負われている者など珍しくもない。ましてや、それがこの国の元首だとは誰も思わなかったのだ。


「危険かもしれないですけど、いいですか?」

「愚問です。私を誰だと思っているのですか。あれを倒すためなら、自分の命など惜しくもありません」


 こんな有様になっても、彼女は誇り高かった。

 ならば遠慮はいらない。ソロンは城門の内側へと飛び込んだ。


 入ってすぐ目に飛び込んできたのは、神獣の姿だった。

 広い前庭に、そのおぞましい姿が異様を放っている。

 既に神獣が暴虐を尽くしたらしく、前庭は激しく損傷していた。敷石や庭木が無残に破壊され、壮麗な景観が台無しである。


 神獣の足元を囲むように、大量の兵士の姿もあった。

 至るところに死体が散乱しているが、それでも兵士の数が尽きる様子はない。膨大(ぼうだい)な人口を持つだけあって、帝都の底力も相当なようだ。


「撃つ手を止めるな! どんなバケモノであろうと不死身ではない! 帝国軍の誇りを見せてやれ!」


 老齢の武人が指揮を執り、兵士達を鼓舞している。

 広い前庭を利用して、大勢の兵士で敵を包囲することに成功したようだ。

 老将の指揮に従って、矢と魔法が間断(かんだん)なく神獣へ降り注ぐ。

 ……が、全く(こた)えているようには見えない。それでも、全方位からの攻撃に神獣も多少なりと動きを(さまた)げられているようだ。

 この調子なら、多少の時間稼ぎにはなるかもしれない。


「大将軍……」


 アルヴァがか細い声でつぶやいた。どうやら、戦っている部下達に気を取られているようだ。


「行きましょう!」


 ソロンは神獣から距離を取りながら走り出した。

 老将はああ言ったものの、あの神獣は不死身に等しい生命力を持っている。

 そして、それを打ち破る仕事は二人にしかできないのだ。


 * * *


「ミスティン!」


 ミスティンは、グラットと共にソロンの後を追っていた。すると突然、群衆の中から呼びかけられたのだ。

 見れば、姉のセレスティンである。


「お姉ちゃん! 危険だよ。早く逃げて!」

「私は大丈夫よ。ケガした人を助けないといけないから。それよりあなたこそ!」

「私だって、そうはいかない」


 お互い強情で逃げる気はないらしい。それ以上の言い争いは無意味だと気づく。


「一体、どうなってんだ?」


 グラットが割り込んで質問する。


「ええ、最初は緑の魔物が襲ってきたのです。そこに陛下が杖を持って――」


 アルヴァの杖から魔神が現れた経緯を、セレスティンが簡潔に述べる。悠長に説明している時間は互いになかった。


「魔神って、神竜教会の伝説にあるアレ?」


 想像がつかず、ミスティンは首を傾げる。


「他に形容のしようがないのよ。まさしく古代の伝説から蘇ったかのような……。北方で目にした時も嫌な予感はしたのだけど、まさかこんなことになるなんて……」


 嘆くようにセレスティンは言った。

 アルヴァの北方遠征にセレスティンが帯同したとは、ミスティンも聞いていた。その際に使われた杖の力が、暴走に至ったということだろうか。


「――とにかく尋常な魔物でないのは間違いないわね。帝国軍が大勢で戦っているけれど、攻撃が効いていないみたい」

「効いてないって……なんじゃそりゃ!?」


 軍隊が大勢で集中攻撃しても、倒せない魔物など聞いたこともない。

 たとえ、大型の竜であっても、百人を超える軍隊に襲われてはひとたまりもない。それが世間の常識なのだ。


「魔法的な障壁が張ってあるのかもしれません。何かそれを破るような力があればよいのですが……」


 セレスティンは神竜教会の司祭として、古代の伝承にも通じているようだ。

 とはいえ、今はお互いに長話をしている暇もない。


「またね、お姉ちゃん!」


 ミスティンは時間を惜しんで、再び走り出した。グラットも慌ててそれに続く。


「ミスティン、そっちは危ないわよ!」


 セレスティンの声が後方から聞こえたが、ミスティンはただ前を見ていた。赤黒い霧の(ただよ)う方角を。

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