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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
序章 雲海の帝国
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紅玉の陛下

 戦いが終わり、ソロンは甲板(かんぱん)へと座り込んだ。力を放出して、すっかり気が抜けたのである。


「さっきの凄かったね!」


 走り寄ってきたミスティンが、興奮気味に声をかけてきた。


「そうだね。あんな大きな魔物に襲われるなんて驚いたよ」

「違う違う。ソロンの魔法だよ! その刀、魔石でできてるんだ!?」


 ミスティンはソロンの刀を指差した。今も紅蓮の刀は、ソロンの腕に握られている。


「魔石っていうか、魔導金属だけど」


 ソロンは抜き身の刀を横にかざして、ミスティンへと見せた。


「へぇ~、そんなの始めてみたよ」


 魔石とは、魔法を使用する際に用いる石である。通常は杖先に埋め込んで使用することが多い。

 ところがソロンの刀は、刀身が魔石ならぬ魔導金属となっている。それが彼女にとっては驚きだったようだ。


「お前、魔剣使いかよ……!?」


 そこに割り込んで来たのはグラットだ。力仕事に息を切らしているが、それでも健在なようだった。


「剣じゃなくて刀だよ。故郷の鍛冶屋で作ってもらったんだ。刀身に紅蓮鋼(ぐれんこう)を含んでるんだって」


 ソロンはまたも正確を期して訂正した。ひょっとしたら、こちらには『刀』という呼称がないのだろうか。


「どっちでもいいけどよ。そりゃ、船賃代わりには出せんわな。この船まるごと買っても、お釣りが来るかもしれんぜ」

「確かに珍しいけど、さすがに大袈裟だよ」


 と、ソロンは苦笑するが、グラットは表情を崩さない


「大袈裟じゃねえよ。魔法武器なら俺も見たことあるが、持ってるのは貴族様か軍の高官ぐらいだぜ」

「そんなに高いんだ……」


 魔導金属は確かに故郷でも貴重ではあった。ただ二人の過剰な反応からすると、この辺りでは想像以上に珍しいらしい。


「そんなに高いぞ。――いってて!」


 と、答えたグラットが顔を歪める。見れば左肩の袖がじわじわと赤く染まっている。肩をかすめた触手でやられたらしい。


「大丈夫?」


 ソロンの心配に、グラットは軽く手を振って答えた。


「いや、大したことはねえ。後で手当しとくぜ」

「ちょっと待った。それぐらいなら治せるかも」


 ミスティンが(かばん)から何かを取り出した。

 応急手当に使う道具かと思いきや、出されたのは手のひらに収まる程度の石。色は白く、真珠のような光沢を持っている。


「それ魔石か?」


 魔石は通常、杖先に付けて使用するものであり、むき出しの手で持ったりはしない。理由は単純、手の中で魔法を発動するとケガをするからだ。


「じっとしてて」


 ミスティンは魔石を手に持ったまま、グラットの左肩にかざした。

 魔石は淡い光を放ち出す。

 すると、みるみるうちにキズがふさがっていった。魔石を直接手に持っていたのは、攻撃性の力ではなく危険がなかったからだろう。


「助かった。てかそれ、いやしの魔石かよ。すげえな……」

聖神石(せいしんせき)。実家から持ってきた」

「実家って、お前んち教会かなんかか? 誰にでも使える魔法じゃねえよな」

「まあ、そんなとこ。家出した身だから半端だけど」


 グラットが言った通り、魔石があったところで誰にでも魔法が使えるわけではない。それ相応の資質と訓練が求められる。

 特に回復魔法は何年も修練を積んで、ようやく簡単なものを行使できるそうだ。何でもないようにやってみせたミスティンも、過去には相当な修練を積んだに違いない。


「他のみんなには内緒。私は神官になりたいわけじゃないから」


 貴重で有用な能力だけに、回復魔法の使い手は引く手数多(あまた)のはずだ。しかし、彼女はそれゆえの束縛を嫌っているのだろうか。

 ともあれ、グラットのケガは問題なさそうだ――と、ソロンは安心した。


 改めて、甲板を見回してみれば、船の点検を行う船員達の姿があった。どうやら、ソロンが刀を叩きつけた辺りが、破損しているようだ。

 よくよく見れば、船もいつの間にか静止していた。確認が終わるまでは、航海を再開できないのだろう。


「あの、ごめんなさい。僕が壊しちゃったみたいで……」


 ソロンは近づいて、おずおずとハゲ頭の船長に声をかけた。


「ああ、お前か……」

 船長は大きく溜息をついたが。

「――いや、坊主のせいじゃない。お前がいなけりゃ、船そのものがやられただろうからな」

「ど、どうも……。えっと、部屋に戻ったほうがいいですか?」


 どうやら、怒ってはいないようだ。それでも、持ち前の小心さでソロンは慎重に伺いを立てた。


「おいおい……。さっきはあんな派手に戦ってたくせに、殊勝じゃねえか!」


 そんなソロンの様子を見て、船長は豪快に笑った。そうして、バンバンとソロンの背中を叩く。


「――いいぜ、密航のこともチャラにしてやる。ちゃんとベッドのある部屋を割り当ててやるから、好きなようにしな」

「あ、ありがとうございます!」


 ソロンは丁重に頭を下げた。

 点検の結果、破損はあくまで外観だけだったらしい。船長の決定で、修繕は帝都に到着してから行うことになった。


 そうして昼下がり、竜玉船は航海を再開したのだった。

 航海の期間は一日半。

 タスカートという港町を、船が出発したのは今朝である。当初は明日の昼過ぎに、帝都へ到着する予定だった。

 今回は不慮(ふりょ)の事態に見舞われたため、多少の遅れはやむを得ない。それでも、明日中には到着できる見込みだった。

 地図を見る限り、タスカートから帝都までは相当な距離があった。これが海の船だったならば、何日もかかっているはずだ。

 やはり、竜玉船は驚くべき速さだった。


 *


 密室から解放されたソロンは、大手を振って船内を歩き回れるようになった。

 もはや、甲板から雲海を眺めていても、誰に(とが)められることもないのだ。

 そうして、ぼんやりと雲海を眺めていたら。


「よっぽど雲海が好きなんだ。そんなに珍しい?」


 不思議がるように尋ねてきたのは、ミスティンだった。あれ以来、ソロンに興味を持ったらしく、たびたび声をかけてくるようになっていた。


「うん。故郷では見たことなかったから。それに雲の上を船が走るなんて凄いよね……!」


 一人旅ゆえに、今までは感動を分かち合う相手がいなかった。だから、その言葉には素直な感情が強く乗っていた。


「ははぁ……お前、内陸部の生まれかよ?」


 そう言ったのはグラットだった。彼もミスティンと同じように、ソロンを気にかけてくれているようだ。


「一応、そうなるかな」


 ソロンはグラットの言葉に乗っておいた。『内陸』と表現してよいかは少々疑問もあるが、必ずしも間違いだとはいえない。


「お前、どこの生まれだよ。カプリカから来たのは分かるけどよ。ちなみに俺は生まれも育ちもカプリカのベオだが」


 グラットが突っ込んだ質問をしてきた。

 カプリカというのは、ソロンがこの船に乗った側の島である。


「イドリスって町だけど……」


 ソロンは少し悩みながらも正直に答えた。あまり故郷の話はしたくないが、さりとてウソをつくのも好きではない。


「知らねえな。あっちの地理は詳しいつもりだったけどなあ」


 と、グラットは怪訝(けげん)そうにこちらを見た。同じ島の生まれと思われているため、全く知らない地名が意外だったのだろう。


「そりゃあそうだよ。こんな浮世離れした子、物凄い田舎生まれに決まってるし」


 ミスティンの瞳は、幼子を見るような優しさに満ちていた。ソロンを微塵(みじん)も疑っていない目だった。


「そ、そうなんだよ。イドリスはとっても田舎だからね。田舎というか、もう辺境と言ってもいいぐらいさ。だからこそ、僕が帝都に行って一旗揚げようってわけで」


 ともあれ、都合のよい免罪符になってくれそうだ。田舎者扱いは屈辱だが、やむを得ない。イドリスは故国では都会だが、帝国にしてみれば田舎なのも事実である。


「一旗揚げよう――ってのはなんだ。その魔剣で戦争にでも行くつもりかよ?」

「……戦争ってどこの?」


 グラットの疑問に、ソロンは疑問で返した。

 このネブラシア帝国は、どこかの国と戦争しているのだろうか? 異邦人たるソロンは、そんな事情にすらさっぱり明るくない。

 そもそも現地の帝国人と、まともに会話したのすら今日が初めてなのだ。


「北方に決まってんだろ。まさか知らんのか?」

「知らない」


 恥を忍んで素直に頷く。

 知ったかぶりして尻尾(しっぽ)を出すよりは、世間知らずと思われたほうがマシだろう。

 なんせこの帝国は、複数の島にまたがって広大な領土を持っている。中央の情報が伝わらない辺境の一つや二つ、あってもおかしくないはずだ。


「お前、どんだけ田舎もんなんだよ……。本島(ほんとう)の北方に、亜人が攻め寄せて来てるんだよ。それで皇帝陛下がこの前、戦って帰ってきたところだ。一つ波は越えたみたいだが、あいつらはしつこい。まだ終わりじゃねえだろうな」


 グラットは呆れるような目線をこちらに送ったが、それでも教えてくれた。

 本島というのはその名の通り、帝国の首都がある島のことである。大小様々な島を従える帝国の中でも、最も大きな島だった。


「えっと、今の皇帝陛下は……? オライバル様だっけ」


 ソロンの知る知識では、現在の皇帝はそういう名前だと聞いていた。念のために確認したが――


「凄いね、この子。本物の世間知らずだ!」


 ミスティンが声を弾ませた。呆れを通り越して、感動に至ったらしい。


「こりゃ、いよいよ本物だな。オライバル様ってのは、先代の陛下だぜ。今はその子供――紅玉(こうぎょく)の陛下アルヴァネッサ様だ」


 ソロンの世間知らず振りに、グラットも驚嘆を隠さない。

 そして、ソロンは悟った。どうやら情報が古すぎたようだ、と。

 オライバルが現皇帝だと断言したのは、帝国出身の恩師である。だが、その恩師も帝国を去ってから、相当な時が過ぎていた。


「ごめん、まさかオライバル様が亡くなっていたなんて思わなくて……。紅玉の陛下は、いつから皇帝をやってるの?」

「即位して、まだ一年も経ってないな。それでも、あの若さで戦いに勝ったんだから、やっぱ大したもんだと思うぜ。先代だって、亜人には手を焼いてたからな」

「へぇ~、若いのに大したもんだね。もうちょっと、話を聞いてもいいかな?」


 オライバル帝が存命なら、今も精々が四十代後半だったはずだ。その子供ともなれば、三十はまず下回るだろう。

 それほどまでに若い皇帝とはどんな人物なのだろうか。強い興味を惹かれたソロンは、この機会に話を聞くことにした。


「まっ、暇だしいいぜ」

「私でよかったら何でも聞いて」


 グラットとミスティンは、哀れむようにこちらを見ながらも、心よく次の話をしてくれたのだった。


 優れた竜玉船の技術によって、ネブラシア帝国の領土はこの百年でさらなる拡大を遂げたという。

 だが、帝国の拡大政策は全てが順調だったわけではない。

 雲海を越えて攻め寄せる異国の亜人――帝国の北方は百年以上も前から、その脅威にさらされてきたのだ。

 そして、ここ数十年は亜人の攻勢が激化しているという。


 先帝オライバルが取った手段は、巨大な防壁の建造だった。

 膨大な費用と人員――そして、十年の歳月を費やして、北方の雲岸を守る大防壁を築いたのであった。

 皇帝が心血をそそいだ大防壁は、北方の防衛に一定の成果を上げた。

 だが不幸にも、今度は当のオライバル帝が急死してしまう。大防壁の完成から五年後のことだった。


 北方の民は、再び亜人の脅威に怯えることになった。

 そこに、戴冠(たいかん)したのが若き新帝アルヴァネッサである。

 先帝の遺志を継いだ新帝は、早々に北方防衛へと着手する。

 やがて、自ら現地に向かった新帝は、早々と戦いに勝利を収めた。そうして、北方の防衛は大きく立て直されたのだという。


 ソロンは現在十七歳の若輩(じゃくはい)に過ぎない。若くして大国を治める人がいるという事実には驚きを隠せなかった。

 多少なりと、その紅玉の陛下と呼ばれる人物に興味を惹かれる思いがした。

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