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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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共和国の受難

 静かなる内雲海を、三百隻にも及ぶ艦隊が悠然と進んでいく。


 掲げられた旗には、砂色の生地に黒の狼が描かれている。

 この旗はサラネド人の起源が、砂漠の遊牧民であることを示していた。かつての祖先は砂漠の諸部族を力で平定し、やがては広大かつ先進的な国家を築いたのだ。

 無論、雲海に進出した今でも、その頃の誇りは失っていない。


 先頭をゆく旗艦の甲板には、ダハークの姿があった。その眼前にはただ白と青――雲海と青空が広がるばかりである。

 大いなる内雲海――そこには生命があふれ、幾多の竜玉船が航海していた。その内雲海に隣接する地域こそが、この上界で最も豊かな地域といっても過言ではない。


 内雲海の覇権を巡って、これまで三つの国が争いを繰り広げていた。

 南のサラネド共和国、西のプロージャ連合国、そして北のネブラシア帝国である。


 しかしながら、プロージャはネブラシアに敗北を重ね、内雲海の西方にあった領土を失っている。


 東のカプリカ島を巡り、サラネドは幾度となくネブラシアと争ってきた。けれど、その度にネブラシアはサラネドの攻勢を退けてきた。

 去年にしても、ダハークは雲賊を利用する形でカプリカ島を襲わせた。さらにはサラネド軍からも将軍を派遣し、帝国の基地を制圧しようとしたのだ。


 しかし、それは帝国のガゼット将軍の手によって、撃退されてしまった。

 おまけに、こちらの旗艦を撃墜され、将軍の一人を失う手痛い打撃を負った。

 報告によれば、旗艦は雷の魔法の一撃によって沈んだらしい。

 ただの軍船ならともかく、頑強な旗艦を一撃で沈める魔法など聞いたこともないが……。


 やはり、帝国の力は侮れない。

 事実上、北と東西を支配するネブラシアが内雲海の覇者である。それはダハークも認めざるを得なかった。

 けれど、ダハークの夢は帝国を下し、内雲海の覇権を得ることだ。帝国軍と比較すれば、バケモノなど内雲海に浮かぶ塵芥(ちりあくた)でしかない。真に恐ろしいのは人間なのだから。


「さて、そろそろだな」


 自ら双眼鏡を構えながら、ダハークはつぶやく。

 先に抜かりなく偵察を送り、呪海の王の居場所を報告させている。それによれば、もうじき敵の姿が視界に入るはずだった。


 雲平線の向こうから、巨大な赤い異形が現れた。頭部だけが雲海に覗いている奇妙な巨竜。それが呪海の王の印象だった。

 島のように巨大なそれは、何かの見間違いとしか思えなかった。

 双眼鏡の必要すらない。雲平線の向こうから姿を現すと同時に、肉眼でもはっきりと見えたのだ。

 その周囲には赤い瘴気が浮かんでおり、白一色の雲海において異質というしかなかった。


「あ、あれは……!?」

「バ、バケモノだ……!?」


 サラネド軍に同様が広がる。


「……デカイな」


 これにはダハークも息を呑むしかなかった。

 ネブラシアの使節や偵察兵から話には聞いていたが、現実感のない情報に誇張を疑っていた。しかし、自分の目で見た結果、彼らの情報には一つの誇張もなかったと理解したのだ。


「慌てるな! 所詮は知恵のない魔物に過ぎん! 作戦通りに動くぞ!」


 それでも、ダハークは部下を叱咤(しった)する。元帥たる者が取り乱すようでは、軍を統率できるはずもないのだ。


「まだ相当離れているように思うが……。接近にはどれぐらいかかるか分かるか?」


 ダハークはそばにいる航海士へと声をかけた。まずは敵との距離を正確に測らねばならない。


「はっ! 目測では、二時間程度かかると思われます」


 航海士は緊張した面持ちながら、しっかりと答えた。

 果てしなく見えると感じる雲海だが、実際には人間が見渡す視界には果てがある。竜玉船から雲平線までの距離は、おおよそ二里といったところだ。

 そこに、標的の大きさを勘案すれば、接敵までの時間が求まるというわけだ。


 *


 そして、二時間が経過し、サラネド軍と呪海の王の戦いが始まった。


「全軍、我に続け! ありったけの攻撃を加えてやれ!」


 ダハークは全艦隊に指示を下した。

 旗艦を先頭にして、一直線に並んだ艦隊が敵へと向かっていく。もっとも、呪海の王に突撃するわけにはいかないので、標的の左側を通過する想定となる。


 呪海の王の異様な顔が近づいてくる。

 先日、帝国雲軍の攻撃を受けたはずだが、そこには傷一つ見られない。呪海の王が自己再生を行うという帝国からの情報は誠だろうか。

 しかし、今更、それについて考えを巡らせる意味はない。ここまで接近すれば、ただ攻撃あるのみだ。


「よし、撃てい!」


 ダハークの指示に従って、攻撃が開始された。

 旗艦の右舷(うげん)に並ぶ兵士達が、魔道砲へと点火した。

 魔石の爆発力で砲弾を発射する新型兵器である。

 砲手にも魔法の心得が必要となる上に、燃料として魔石を消費するが、そのぶん破壊力は凄まじい。速射性に劣るとはいえ、鋼鉄の城門すらも打ち砕ける威力を誇っていた。


 帝国軍が内雲海を制し得たのは、優れた竜玉機関による機動力あってのもの。対する共和国軍が、今もなお機動力で劣勢なのは認めざるを得ない。

 しかしながら、それはあくまで機動力の話に留まる。兵器の性能では共和国軍だって負けてはいないのだ。


 重量のある砲弾が呪海の王へと次々に衝突し、爆炎を巻き起こす。赤い体を炎と煙が覆い隠していく。

 もっとも、魔道砲を備えているのは、旗艦を始めとした数隻に過ぎない。新兵器ゆえに量産には課題があるのだ。


 ともあれ、旗艦に続いて後続の竜玉船からも攻撃は行われる。

 矢と投石が、呪海の王の巨体へと殺到していく。新旧問わない兵装の数々を、出し惜しみせずに投入していった。

 三百にも及ぶ艦隊による総攻撃である。巨竜すら雲海の藻屑(もくず)と化してしまうほどの攻撃だ。いかに呪海の王とてタダでは済むまい。


「やったか!?」


 ダハークは拳を握り、固唾(かたず)を飲んで見守った。


 煙の中に垣間見えたのは、いまだ健在な呪海の王の姿だった。その周囲には、赤黒い瘴気が不気味にただよっている。


「馬鹿な、生きているだとっ!?」


 強気であったはずのダハークも、驚愕(きょうがく)に色を失った。

 攻撃を続けていた兵士達の中には、その手を止める者もいた。


「――こ、攻撃を止めるな!」


 慌てて、ダハークは叫び、兵士達に発破をかける。

 艦隊の縦列はまだまだ続いている。攻撃はこの程度では終わらないはずだった。


 その時、呪海の王の口から赤黒い光があふれ出した。

 気づいた時には、破壊の閃光が放たれていた。

 激しい光と衝撃波が雲海の上を貫いていく。静謐(せいひつ)なはずの雲海も、この時ばかりは海のように荒れ狂った。

 閃光は船を飲み込み、人を飲み込んでいく。光の中に全てが消失したかのように思えた。


 サラネド艦隊は密集体系を取り、分散していなかった。ゆえに、その被害も甚大だった。


「お、俺は生きているのか……」


 ダハークは甲板(かんぱん)に尻もちをつきながら、呆然とつぶやいた。

 よろよろと体を起こしながら、船の後方を(うかが)う。


 ただ白い雲海が広がっていた。

 そこにあったはずの大量の軍船は、痕跡もない。それこそ、残骸すらも見当たらなかった。

 測る気力も湧かないが、被害は艦隊の半分を大きく超えているだろう。

 この旗艦が無事だったのは、先頭を進んでいたためだ。閃光は艦隊の中央部を消し飛ばしたため、前方と後方の被害が比較的に少なかった。


 船があったはずの場所には、赤黒い瘴気が浮かんでいた。呪海の王がまとっているものと同じような瘴気だ。

 死んだ兵士達の血が、気体となって周辺に浮かんでいるのではないか――ダハークはそんな想像をしてしまった。


 呪海の王は動きを止めており、反撃をしてくる様子はない。

 だが、サラネド艦隊は再び攻撃できるような状況ではなかった。

 そうこうしているうちに、赤黒い瘴気が呪海の王の大口へ集まっていく。先程の想像と相まって、殺した兵士達の血を吸い込んでいるかのように思えた……。


 しかし、そんな有様を見ながらも、ダハークにできることは何もない。元帥としての最後の仕事は、撤退を指揮することだった。


 *


 艦隊は命からがらゴルエタに帰還した。

 港は騒然となっていた。迎えにきた人々が、異様な程に規模を小さくした艦隊に気づいたのだ。

 軍船から降り立った軍人達の顔に生気はなかった。

 そしてそれは、総指揮官たるダハークも同じだった。


「元帥……首尾はどうだったのかね?」


 ガトレイ議長は、沈痛な面持ちで訪ねた。艦隊の惨状を見れば、結果は分かっている。しかし、彼の立場上はそう尋ねるしかなかった。

 ダハークは迎えに現れた議長の姿を目にするや、崩れ落ちた。


「議長、あれは私の手に負えないバケモノです! 今すぐゴルエタの――いや、北の沿岸部の住民全てを内陸部へ避難させてください!」


 出発時の勇ましさはどこへやら、その表情に精彩はなかった。


「そ、それほどのバケモノだというのか!? 船は、兵士はどうなったのか!?」


 議長も見たこともない元帥の姿に動揺を隠せない。


「も、申し訳ありません! 大勢の兵士を犬死させてしまいました! かくなる上は死をもって詫びるしか……!」


 ダハークは人目もはばからず号泣した。もはや、元帥の威厳も何もない。


「ま、待ちたまえ! この上、君に死なれたら誰がこの国を守るのか! 住民を避難させるのだって、簡単ではないんだぞ! ダハーク、君は生きろ! 生きて私に協力しろ!」


 議長もつられて泣きそうになりながら、それでもダハークを叱咤(しった)する。

 責任はダハークに対応を一任した議長にもある。二人は一蓮托生だったのだ。


 かくして、どうにか立ち直ったダハークの主導で、沿岸部の住民の避難が進められることになった。

 サラネドの内陸部には、川を中心としたオアシス都市が点在している。ゆえに、内陸部の都市は数多く、首都マムーンもその一つだった。

 その点では、避難先には事欠かなかったのだ。


 しかしながら、サラネド共和国の前途が多難なのは言うまでもなかった。

最終部前編にして第十章『邪教の領域』完結です。


次回はいよいよ後編――終章『広がる世界』となります。

予告通り物語は結末を迎えます。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

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