魔城
堀を渡った一行の前に立ちふさがったのは、長大な城壁だった。恐らくはこれも、城の全方位を囲んでいるのだろう。
もっとも、何の障害にもならない。城壁はいたるところが崩壊しており、そこら中に隙間があったのだ。
崩れた城壁をくぐり抜けて、ソロン達は魔城の庭へと足を踏み入れた。
かつては緑豊かな美しい庭だったのかも知れない。しかし、今そこに並ぶのは生命の宿らない枯れ木だった。
いったい何千年前から存在していたのか。湿気がないために、木は腐ることもなかったのだろう。
ともあれ、今は庭の景観よりも建物だ。
観察したところ、魔城は五つの建物から成っていた。
本城となる大きな建物があり、その四隅にはそれぞれ尖塔が屹立している。
「近くで見たら、結構崩れてんな」
グラットが顔をしかめながらつぶやいた。
彼の言う通り、城を囲む四つの塔のうち、二つは崩れ落ちていた。大規模な建造物になれば、それだけ自重を支えるのが難しくなるのだ。
「けど、この扉はしっかりしてるね」
と、ミスティンは城の扉へと視線をやった。
両開きの大きな扉。金属製のそれは錆びた様子もなく、城の入口をふさいでいる。
「鋼の一種でしょう。鉄と他の金属をうまく混ぜ合わせれば、高い耐食性を実現できます。これを作った者達は、高度な冶金の技術を持っていたのでしょうね」
「耐食性って何?」
「錆びにくい性質のことです」
いつものようにミスティンが質問し、いつものようにアルヴァが答える。
「錆びてないんだったら開くかな?」
ソロンは鋼の扉に手をかけて、開こうとしたが。
「――ぐぐっ……! やっぱり固いな」
扉はびくともしなかった。体重を思いっきりかけて押しても、うんともすんとも言わない。もちろん、引いてもダメだった。
「へっ、そんな細い腕じゃ動かねえぜ。代わってみろ……んぐぐぐぐ!」
グラットがソロンに代わって、扉を引っ張った。力こぶがふくれ上がり、グラットが本気の形相になる。
「我々も助太刀します!」
兵士達も次々と力を貸していくが、それでも扉は動かなかった。
「ちくしょー、ダメか……」
グラットも兵士達も疲れてへたりこむ。
「さすがに一筋縄ではいきませんか……。かくなる上は私の魔法で」
アルヴァが決意し、杖を引き抜いた。杖先に光る紫の魔石が、バチバチと電光を宿している。
「それより、窓から入ったらどうだ? あそこから入れるだろう」
メリューがアルヴァを制止し、扉の上方を指差した。そこには確かに窓があったが……。
「ちっせえよ。お前なら入れるかもしれんが、俺らには無理だ」
グラットが即座に反発する。
「開いたよ」
そんな中、事もなく言ったのはミスティンだった。
ミスティンが左右に両腕を開けば、扉も左右に滑り、壁の中へとすっぽりと収まっていく。そうして、扉はあっさりと開かれたのだった。
「なるほど……知恵比べというわけですか。先入観にとらわれる者は、宝にたどり着く資格もない……。さすが、魔城と呼ばれるだけはありますね」
アルヴァは相変わらず難しそうな顔で考えていた。
「いや、考えすぎだと思うよ。ていうか、魔城と名づけたのは君達じゃ……」
恐らく、文化が違えば扉の仕組みも違うというだけだろう。別に古代人も意地悪をしたわけではない。彼らにとってはそれが自然だったのだ。
扉の向こうには暗闇が広がっていた。
当たり前だが、城内には明かりとなるものが何一つない。入口と高所にある窓から、わずかな光が射し込んでいるだけだった。
そして、そこにあったのは――
「うわっ、なにこれ?」
ソロンは思わず声を上げた。
暗闇の中に垣間見えたのは、城内に生い茂る植物だった。今にも入口からはみ出さんばかりである。
「これは……?」
アルヴァが警戒心を覗かせながら、蛍光石のブローチを胸元に取りつける。兵士達も遅れて、ランプを掲げた。
強い照明が城内を奥まで照らしていく。
植物が繁茂しているのは入口だけではない。床、壁、天井……いたるところに枝が伸びており、そこからさらに葉が生い茂っている。
「ツルかな? でも、ツルっていうには太すぎる気がするなあ」
ミスティンが首をかしげながら、しげしげと観察する。
見る限り、ツルのように長い植物なのは確かなようだ。
しかしながら、ツルというには異様に太く、それは樹木の幹や枝を想起させた。もっとも、色は緑なので樹木というよりは草という印象だったが。
「いずれにせよ、枝葉の一種であることは確かでしょう」
アルヴァが断定すれば、グラットが眉間を寄せる。
「そりゃ、見れば分かるがよ。水もねえのにどっから生えてやがんだ?」
「何らかの養分を得ているとは思うのですが……。どこかに水源があるのかもしれません」
「悩んでても仕方ないし、中に入ってみよう」
奇妙ではあるが、植物の根を踏まないことには進めない。ソロンは城内へと足を踏み入れた。
「了解です。ただし、魔物には気をつけて」
後ろに続いたアルヴァが注意をうながしてくる。
植物があるということは、生態系が働いている証拠だ。となれば、魔物の存在も想定せねばならないという意味だった。
*
城内は至るところが植物に侵食されていた。
とはいえ、植物に覆われた遺跡自体は、ソロンも未経験ではない。上界の旅で訪れたベスタ島の遺跡も、やはり植物に侵食されていたものだった。
しかしながら、それよりも違和感が強い。
ベスタ島の遺跡は雨降る密林にあったため、植物が繁茂しているのも当然だった。それに対して、この魔城は乾燥地にありながら植物に埋もれているのだ。異様というしかない。
長い年月が経過したせいか、はたまた植物に侵食されたせいか、城内には無数の亀裂が走っていた。そして、その亀裂に対して植物が枝をめり込ませている。
一同はゆったりした足取りで、枝を踏み越えながら進んでいった。枝葉が邪魔になるため、足早に歩ける環境ではなかったのだ。
葉が服をこする度に、ザラザラした音が響いてくる。
床には炎のない燭台が、ツルに巻きつかれて転がっていた。そういったところは往時を偲ばせるが、城というよりは森を探検している気分に近かった。
「虫がいますね……」
アルヴァが控えめな嫌悪感をにじませながら、ソロンの肩に手をかけた。
枝葉の森の中には虫がたむろしていた。イモムシのようなものからテントウムシまで、色々な種類がいる。しかも、通常の数倍はあるような大きさだ。
豊富な植物をエサにして、成長したのかもしれない。
アルヴァも旅慣れており相当にたくましくなった。……とはいえ、やはり苦手意識は抜けないようだ。
「これでどう?」
ソロンは虫のいる枝葉を、鞘で払って道を作る。さすがに師匠から託された刀を、この程度で抜くのは忍びなかった。
「ありがとう」
アルヴァはソロンの背中にひっつくようにして、道を通過していく。
「焼き払っちゃダメかなあ?」
枝葉にうんざりしたらしく、ミスティンが視線をソロンの刀に向けてくる。
「馬鹿を言うでない。その刀は力が強すぎる。炎上が広がれば、タダでは済まんぞ。城も我々もな」
「メリューの言う通りだよ。邪魔かもしれないけど、魔法に頼らず行けるところまで行ってみよう」
「ソロニウス殿下、ここは我々にお任せを」
協力を申し出てくれたのは兵士達だ。
先頭に立った彼らは、それぞれの槍や剣――はたまた斧や爪で枝葉を払ってくれる。亜人が混ざるイドリス兵は、武器の種類も様々だった。
「お~、助かるねえ」
これにはミスティンもご満悦だった。
「しっかし……こんなところ。本当に星霊銀があるのかねえ?」
顔をしかめるグラットに、メリューが辛辣な視線を向ける。
「お前、もう飽きたのか? 城に入るまでは乗り気だったであろうが」
「いや、これ。城っていうより、もう植物園だろ。果実はあるかもしれねえが、宝がある気はしねえぜ」
愚痴をこぼしながらも、グラットはメリューの目前の枝葉を槍で払い落とした。口は悪くとも、行動は紳士なのだ。
「さあね、けど見切りをつけるには早すぎるんじゃないかな。ハズレならハズレでもいいけど、まずは一通り調べてみてからだよ」
そう言いながら、ソロンは足を動かし続けた。
*
先頭をゆく兵士達が、力強く枝葉を切り払ってくれる。ソロンはその後ろを進んでいた。
隣のアルヴァは、ソロンの袖をつかみながら歩いていた。しかし、どこか気もそぞろで正面を見ていない。どうやら、城内に連なる植物を観察しているらしい。
「アルヴァ、危ないよ。なにか気になってるの?」
ソロンが声をかければ。
「ええ、奇妙な植物だと思いまして。少なくとも、上界にはありませんね。下界で似たような植物に心当たりは?」
「いや、僕も心当たりはないよ。そもそも、植物には詳しくないし。ナイゼルだったら、こういうのも詳しいだろうけどね。……それで、奇妙っていうのは何が?」
「気づきませんか? この枝は入口からずっとつながっているのですよ」
「へっ? ひとつなぎの植物ってこと? もう何百歩も歩いてるのに?」
その意味が信じられず、ソロンが問い返す。
「そうです。何処から伸びる植物が入口までつながっているようです」
「ううむ、そう言われてみれば、切れ目が見当たらんな。誠に驚嘆すべきことだ」
メリューが目を見張り、改めて植物へと視線をやっていた。果たして、この植物の正体はいったい何なのだろうか。気にはなるが、今は進むしかない。
*
途中、見つかった部屋へ、一行は足を踏み入れた。
……が、目ぼしいものは見当たらない。例によって植物が部屋中に蔓延っており、その隙間に本棚や食器、机などが散らばっていた。
アルヴァは考古学的な価値を見出したようだが、目的はあくまで星霊銀なのだ。
「さすがにこんなところにはないか……」
「まあ、こんな適当なとこじゃな。どこにあると思う? ここはお姫様にお金持ちとしての見識を伺いたいところだが」
グラットはアルヴァのほうを振り向いた。
城内に星霊銀があるかもしれないと考え、ここまでやって来た。だが、城内のどこを探すのかは決めていなかった。植物だらけで、自由に動くどころでないという事情もある。
「上か下でしょう」
「あん? お姫様にしちゃ、大雑把な言い方だな。……下ってのは地下のことか?」
「ええ、そちらについては説明不要でしょう。物を地下室に保管するのは常道ですので」
「そんじゃ、上は?」
「権力者の住居は上の階に置かれる傾向があるためです。そして貴重品は、自分の身近に置いておきたくなるのが人の心理です」
「なるほどな。さすが、高いとこに住んでたお姫様は違うな」
どこか茶化すようにしながらも、グラットは納得する。
「それで、どっち行く?」
ミスティンがソロンへと瞳を向けてきた。
「一通り歩いてみて、見つかったほうでいいと思うよ。地下室があるとも限らないから、登り階段のほうが有力かな」
時間をかけて悩む意味はない。ソロンは速やかに決めて部屋を出た。