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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第一章 紅玉帝と女王の杖
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魔神と神獣

 杖先の魔石から湧き出す赤黒い霧は止まらない。


「う……ああ!?」


 焼けつくような頭の痛みに、アルヴァはついに杖を手放してしまった。

 術者がいないはずの杖から、なおも霧はあふれ続ける。

 黒い魔石が砕け散ると共に、霧は一気にふくれ上がった。


「なっ……!?」


 事態を理解できずに、アルヴァは困惑をあらわにする。

 巨獣を虐殺していた『影』の元に、赤黒い霧が集まっていく。

 霧に包まれた影は、思いがけない程にその大きさを増していた。今や、二階建ての建物に匹敵する程だった。

 赤黒かったはずの影が徐々に色づく。曖昧(あいまい)だった輪郭(りんかく)も、いつの間にか明確となっていた。

 影はもはや、影のままではなかったのだ。


 赤い鱗を張り巡らした皮膚に、浮き出る血管。血走った眼の上には、奇妙に曲がった角を生やしている。長い腕が四本。下半身には足がなく、代わりに太い尾を垂れ流していた。

 コウモリに似た翼があるが、羽ばたく様子はない。それなのにどういう仕組みか、巨体は水堀の上空を浮遊していた。


 その周囲には今も赤黒い霧が(ただよ)い、辺りを薄暗く包み込んでいる。

 離れた場所から見れば、それは空が燃えているように見えたかもしれない。半分に割れた赤い月が、怪しく闇夜を照らし出していた。


「魔神……!?」


 誰かが、そんな声を上げた。

 まさしく、それは古い伝承にある魔神の姿によく似ていた。歴史というよりは、神話に現れる忌まわしき存在である。


 呆然と見上げる人間達を差し置いて、魔神は残った巨獣に向かって腕を伸ばした。

 比喩ではなく文字通りに、腕は驚くような距離を伸びて巨獣を貫いた。巨獣の死骸は血も流さぬまま、地面に横たわった。

 魔神は次々と四本の腕を伸ばし、またたく間に残り全ての巨獣を(ほうむ)ってしまった。


「おお、さすがは陛下の魔法だ!」


 兵士達は、これもアルヴァの魔法の延長だと思ったようだ。中には呑気に歓声すら上げた者もいた。

 ところが――


 突如、魔神が兵士の一人に向けて腕を伸ばした。

 兵士は断末魔を上げる間もなく、胸を一気に貫かれた。

 外傷は何もない。だが、糸が切れたような有様を見れば、絶命したことは明らかだった。

 兵士の遺体は驚愕(きょうがく)の表情で、虚空(こくう)を眺めている。自分がなぜ死んだのかすら理解できなかっただろう。


「あ、あぁ……!」


 アルヴァの力ない声が、かすれて消えていく。

 杖の中にいたはずの『それ』は、今や自分の指示を無視して暴走しているのだ。誰よりも早く、事態の異常さに彼女が気づいていた。

 だのに、体が悲鳴を上げて動くことを許さない。声すらもまともに発せられないのだ。

 そんな彼女へと駆け寄る者もいなかった。みな呆然と事態を眺めていたからだ。


「あれは敵だ! 攻撃せよ!」


 いち早く決断したのは、ラザリック将軍だった。異様なアルヴァの気色に、これは尋常ではないと悟ったのだ。

 号令に従った兵士達が、魔神へと矢を射かけた。

 しかし、矢は魔神に届くことなく、地面に落ちていった。まるで赤黒い霧に(さえぎ)られたかのようである。


「魔法だ! 魔法を放て!」


 ラザリックは次なる命令を下す。

 何十人もの魔道兵が杖をかざして、一斉に魔法を放つ。

 炎、氷槍、突風、岩石。様々な魔法が魔神に向かっていった。アルヴァと同じように雷撃を放つ者もいたが、これは帝国有数の高位魔道士によるものだろう。


 数々の魔法が魔神の体に命中し、衝撃を与える。

 けれど、魔神に通用しているようには見えなかった。精々がわずかの間、動きを止めた程度だろうか。

 次の瞬間、魔神は恐ろしい勢いで接近していた。巨体が風圧を巻き起こし、魔道兵達をよろめかせる。

 振るわれた魔神の腕が、魔道兵達を薙ぎ払った。


 たった一閃――それだけで、何人もの魔道兵が命を刈り取られた。破り取られた紙のように、彼らの体は欠落していたのだ。

 おぞましい光景に、生き残った者達も散々に逃げるしかなかった。

 帝国の精鋭を誇る魔道部隊すらも、一瞬にして壊滅したのである。


「な、なんてことだ……!?」


 ラザリックが唖然として声を上げた。

 しかし、それでも魔神は休むこともない。いや、むしろ獲物を捕食して活力を増したかのようだ。

 魔神は逃げ惑う兵士達を、凄まじい速度で追いかけ、その腕で貫いていく。

 人間達は抜け殻のようになって、地面に横たわっていった。


 * * *


「おい、魔物だってよ。俺達も退散しなくて大丈夫かねえ」


 市民達のただならぬ様子を見て、グラットが言った。

 襲撃があった地点は、帝都の北部から中央の城にかけてだという。離れてはいたものの、南部の宿にいたソロン達にも騒ぎは伝わってきた。

 真夜中とはいえ、さすがに眠っているわけにもいかず、三人は外へと出たのだった。


「城だったらまだ遠いし、慌てなくてもいいんじゃないの?」


 ミスティンはいつも通りに落ち着き払っていた。

 事実、付近には今のところ魔物の姿はない。下手に動いたところで、他の地域がより安全だという保証もない。

 ましてや野生の魔物がいる壁の外に出るなど、本末転倒だった。

 グラットも納得したらしく。


「それもそうだな。せっかく税金払ってんだし、軍に任せて俺たちゃ大人しくしときますか。お城のお偉いさん方が、何とかしてくれるだろ」


 ところが、それを聞いたソロンは顔を(くも)らせた。『お城のお偉いさん』は既にソロンにとって、赤の他人ではなかったのだ。

 今もソロンは、アルヴァからの連絡を待つばかりだった。


「ごめん。ちょっと様子見てくる。二人は危なくなったら避難して!」


 そう言い捨てて、ソロンは北に向かって走り出した。


 * * *


「お~い、ソロン!」


 グラットは困ったように叫んだが、すぐにミスティンのほうを向いた。


「どうするよ、ミスティン。大人しく待っとくか?」

「行く」


 ミスティンは、グラットのほうを向きもせずに答えた。既に彼女の足は北に向かい始めている。


「あいつ足速いから、追いつくの大変だぜ」


 そう言いながら、グラットも走り出した。


 * * *


 街路樹の緑光を頼りに、ソロンは大通りを北上していく。

 さらなる異変に気づいたのは、中央公園に差しかかった頃だった。

 北の空が赤く光る様子が見えたのだ。発光しているのは、霧のような赤黒い何か……。

 それが何かは分からない。

 けれどそれによって、異変の震源地も見当がついた。赤黒い霧の中心――そこで何か起こっているに違いない。

 途中に逃げ惑う人々の姿が、たくさん目に入ってくる。


「あんな魔物見たことねえよ!」

「魔神だって! 軍の連中が苦戦してるらしい!」

「急いで! 赤い霧から少しでも離れろ!」


 帝国軍が苦戦している――人々の話を聞く限り、事態は予想以上に深刻なようだ。そこで交わされる『魔神』という呼称が気になっていた。


 やがて、ネブラシア城が近づいてきた。

 この辺りで魔物の襲撃があったらしく、破壊された建物が目立っている。

 既に逃げ延びたためか、ここまでくれば市民の姿もまばらだった。

 代わりに目についたのは兵士の姿だ。戦いによって傷ついた兵士が、同僚から手当を受けていた。

 もっとも、真にソロンの目を引いたのは、それらではなかった。


「なんで……!?」


 ソロンは言葉を失った。

 大通りに倒れている大きな魔物の死骸。それは肥え太った緑色の獣の姿をしていた。

 だが、絶句したのは魔物の姿が異様だったからではない。

 ソロンはその魔物を見たことがあったからだ。

 それもそのはず、まさしくそれはソロンの故郷を襲った魔物の一つだったのだ。


「なんで、こいつがここに……!?」


 声にしてみたところで答えは返ってこない。

 市民が呼ぶ魔神とはこれのことだろうか……。強力な魔物ではあるが、少し大袈裟にも感じる。何より、赤黒い霧はまだ先にあるのだ。

 確かめるためにも、ソロンは先へ進むことにした。


 じきにソロンは、城へとつながる橋の前へ到達した。

 もっとも、橋は崩れ落ちて渡れないようだ。水堀の中には、死骸となった緑の巨獣が埋もれている。

 そして――対岸に見えたのは、宙に浮かぶ巨大な魔物の姿だった。

 四本の腕を振り回し、城壁を破壊し続けている。

 その背中に向かって、兵士達が矢を撃ち込むが全く効果が見られなかった。


「神獣……」


 間違いない、あれこそが人々の口にした『魔神』なのだ。そして、それはソロンの知る『神獣』に酷似していた。

 それは、アルヴァが杖から呼び出した『影』そのものだった。今は輪郭(りんかく)も色彩も明瞭になっており、以前よりも巨大化している。


 初めてあの魔法を見た時から、嫌な予感はしていた。

 あの『影』を構成する赤黒い霧は、故郷で見た『神獣』を思わせた。影が形を結んだ今となって、それは確信となった。

 止めなくてはいけない。

 あれを止められるのは自分しかいない。

 あの時は何もできなかった。けれどだからこそ、自分がやるしかないのだ。


 とはいえ、今は優先すべきことがある。彼女を探すのだ。

 まずは水堀を渡らねばならないが――


「あれが使えるな」


 ソロンは助走をつけて、水堀へ向かって跳んだ。

 もちろん、以前のように水堀を泳ぐわけではない。

 緑の巨獣の死骸を足場に跳び移り、一気に向こう岸まで渡り切ったのだった。


 * * *


「どうして……。どうして、私の命令を聞かないのですか……」 


 アルヴァは呆然自失していた。

 魔神は自分の魔法として生み出されたはずだ。それなのに思い通りにならず、暴走してしまっている。

 あの杖は、アルヴァの手に余るものではなかったのだろうか……。

 魔神の手によって、彼女の周囲にいた兵士も次から次へと倒れていく。

 この事態が自分のせいなのか。アルヴァは皆を守りたかっただけなのに……。

 心で何を思っても、もはやどうにもならなかった。

 何を願っても、惨劇は止まらない。


 突如、魔神の眼光がアルヴァへと向けられた。

 恐怖で身もすくむが、もはや逃げる気力も湧いてこない。

 魔神が四本の腕を(うごめ)かせ、彼女に向かって腕を伸ばそうとする。

 誰もアルヴァを助けに来なかった。

 近くにいた者は、既に魔神によって殺害されたのだ。ラザリックらも兵の指揮に必死で、反応が遅れた。


 最期を覚悟したその時――

 疾風の勢いで駆け寄ってきた赤髪の少年が、アルヴァを抱えた。

 魔神の腕は宙をつかんだのだった。

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