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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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マゼンテ海をゆく

 太陽が昇ると共に、ソロン達と兵士達――十五人の一行は宿を出発した。

 約束によれば、村長は朝一番から出発できるように取り計らってくれているはずだ。


 静かな早朝の村を進みながら、船着場へと歩き続ける。

 道中、人の気配はあまり見えなかった。さすがのタンダ村でも、時間帯が早すぎたのかもしれない。


 やがて、朝日に照らされる海が目に入った。

 水平線の向こうに何も(うかが)えない果てしない海だ。ただマゼンテの滝だけが、かすかな光を(はる)か遠くから照り返している。


 今日、ソロン達はあの海に向かって漕ぎ出す。

 海は生命の母であると共に、多くの魔物が棲まう魔境でもある。しかも、一行が挑むのはタダの海ではない。得体の知れない黒雲下の海であり、そこに浮かぶ魔の島だった。

 アルヴァもミスティンも楽観的に構えているが、彼女達だってその危険性を理解している。それでも、呪海の王を倒せる可能性を信じて、未知の領域へと挑むのだ。


 ソロンがそんなことを考えながら、顔を強張(こわば)らせていると、


「ふむ、随分と人が多いな」


 メリューが(かす)かな驚きの声を上げた。

 船着場には大勢の人々が集まっていた。こちらの姿を確認するや「わっ」と歓声が上がる。

 村人達は見送りのため、朝早くから船着場へ集まっていたのだ。その数は千人を超えているかもしれない。


「ちっさい村だと思ってたが、こんなに人がいたのかよ」

「村中から集まってるんじゃないかな? だって王子様が、魔の島に向かって船出するんだよ。そんな面白いこと、なかなかないよ」


 グラットとミスティンが顔を見合わせる。

 そして、村人達の向こう――船着場には、大きな船が停泊していた。これがソロン達の乗る交易船だと一目で分かった。

 一昨日、川船を停めた時には見かけなかったので、村長がわざわざ指示を出して運んでくれたのだろう。


「田舎にしちゃあ、いい船じゃねえか」


 これにはグラットもご満悦のようだった。

 そばにはイドリスから乗ってきた川船も停泊したままだ。それと比較すれば、目に見えて船が大きいのが分かる。少なくとも、甲板(かんぱん)から手を伸ばしても、水面に手が届くことはないだろう。

 船着場へと近づけば、人だかりの中から村長が進み出てくる。人々を集めたのは、この村長の仕業に違いない。


「立派な船をありがとうございます。けど、何もこんなに大々的にやってもらわなくてもよかったのに……」


 ソロンは苦笑しながら、村長に礼を述べる。


「ははは、このような田舎にとって、こんな出来事は一生に一度あるかないかですからな。それにソロニウス殿下の船出とあらば、この程度の協力は苦労にも入りません! さあさあ、遠慮なく船に乗ってくだされ!」


 村長は思いのほか熱狂的だった。


「わあっ、ソロニウス様がこっち見た!?」

「ありゃあ、アルヴァさんか? 一年経って見違えたな!」


 近づくソロン達を見て取ってか、村人達の声援にも一層の力が入ってくる。

 アルヴァも一年前は村娘の服装で、村人達と交流を重ねていたのだ。


「アルヴァちゃん、がんばって!」


 少女がアルヴァに向かって、手を振っている。

 確か、アルヴァと仲良くなった少女だ。彼女を『ちゃん』づけで呼ぶ数少ない人物である。成長期らしく、去年より少しだけ背が伸びていた。


「アルヴァ、無事に帰ってくるんだよ!」

「無理は禁物だぞ!」


 夫妻らしき犬人(いぬびと)も大きな声を張り上げる。あの二人はアルヴァが泊まっていた家の持ち主だろう。

 それらの人々に、アルヴァは丁寧に挨拶を返していた。


 *


 人波をかき分けて、ソロン達は船へと乗り込んだ。

 マゼンテ海の波を受けて、船は相変わらず上下に揺れ動いている。それでも、川船よりは安定感があるせいか、揺れは小さい。

 村長の手配した船員達も、既に船へ乗り込んでいた。食糧も積み込まれており、準備は万端だ。


「よし、行くぜ!」


 グラットが出発の指示を出した。操舵輪(そうだりん)を握るのは、村の航海士に任せているが、船長は今日も彼の仕事だった。

 さすがに彼も、海で船長を務めるのは初めてだが、船には熟練の航海士もいる。その補佐もあるので、問題にはならないないだろう。


 (いかり)を上げて帆を掲げれば、船が動き出す。

 船着場の村人達が、声を張り上げて声援を送ってくれる。

 ミスティンが大きく手を振り返せば、アルヴァもならって手を振って答える。ソロンも二人に負けじと、村人達へ手を振り返し続けた。


 東のタンダ村が遠ざかれば、周囲は一面の大海原となる。太陽を背中に受けながら、帆船(はんせん)は進み続けた。

 アルヴァは今日も船の後尾に立って、杖を振るい続けていた。船は快調に飛沫(しぶき)を上げながら進んでいく。


「おおっ、凄えな。魔法っていうのは」


 船員達も見たことのない加速に驚きを隠せない。

 もっとも、船が高くて海面が離れているためか、水魔法による加速は断念したらしい。アルヴァは風の魔法で帆をあおり、船を加速させていた。

 基本的にはミスティンと交替で風を起こし、船を動かしていくことになる。


 ちなみに、メリューも念動魔法で助力しようとしたが、これは失敗に終わった。

 先の川船とは比較にならないほど、この船は重い。念動魔法に必要な精神力は、対象の重さと比例するらしいので、無理もなかった。


「すまぬ、役立たずですまぬ……」


 そんなことを言いながら項垂(うなだ)れるメリューを、ソロンとミスティンが優しく慰めていた。


 何はともあれ、帆船は進み続ける。

 マゼンテ海は広大な海である。その大きさは上界のイシュティール海を大きく上回っている。

 そんな大海において、遠く沿岸から離れた島へたどり着くのは容易ではない。なんせ沿岸部を離れると、目印となるものも少なくなるのだ。


 アルヴァが上界から羅針盤を持ち込んでいたため、方角についての心配はいらない。

 けれど、目的地は数百年上陸されていない島である。地図に印された位置が正確かどうかすら大いに疑わしい。

 いかに正確な方角に航海しても、目的地の所在が不正確ではたどり着けないのも自明なのだ。


 しかしながら、マゼンテ海には絶対的な目印があった。

 空から降り注ぐマゼンテの滝――水平線に隠れることもないという点で、この上ない目印である。

 そして、ソロン達の船が向かっているのもそちらの方角だ。


「全然、近づかないねえ」


 滝の方角をじっと眺めていたミスティンがつぶやいた。

 アルヴァの奮闘もあって、船は相当な速さで海上を走り続けている。それなのに、一向に近づく気配はなかった。


「まあ、地図に書いてある通りだよ。あそこまでは数十里も離れているからね。一時間や二時間ではたどり着けないさ。今日中には滝の前を通り過ぎて、黒雲の手前まで行けると思うけど」


 ソロンは滝の向こう――空の上に垂れ込める黒雲を指差した。

 上空を覆う黒雲もまた強力な航海の目印である。雲であって雲でないそれは、何百年に渡って位置を変えてこなかった。


 そのため、上界の船乗りが星空を目印とするように、下界の船乗りは雲の色を目印としてきた。

 ただし、雲は日中にしか見えないという点で大きく異なる。なんせ夜間は、白雲と黒雲の区別をつけるのも困難なのだ。たまに白雲の向こうから月明かりが届く程度だった。


「ん~、分かった。アルヴァと交替でがんばってみるよ」

「無理する必要はないよ。さっきも言ったけど、今日は黒雲の手前で船を停めるつもりなんだ。無理しても到着が早くなるわけじゃないからね」

「りょ~かい、心配ありがと」


 何やら照れたように、ミスティンが応えた。


 *


 昼になれば、太陽が白雲の上へと移動する。日差しが弱まり、海は暗い藍色(あいいろ)へと染まっていく。その頃にはマゼンテの滝も大きく見えるようになっていた。


 そして、マゼンテの滝が輝き出した。

 膨大な水量が白雲に風穴を空けるため、そこから太陽の光がこぼれ出るのだ。下界において、真昼の太陽の明るさを実感できるのは、ここぐらいのものだろう。


 昼下がり、ついに船は滝のそばへと迫っていた。

 北に見えるのは、帝国本島の直下を覆う黒雲だ。

 その帝国本島から流れる大河が白雲を貫き、降り注ぐ大瀑布(だいばくふ)となる。激しい水音がこちらまで響いてきていた。

 間近で見れば、恐ろしく巨大なことが分かる。落差が大きいだけでなく、その水量も相当なものだった。


「おお、なんたる絶景かな!」


 メリューが船から身を乗り出さんばかりに感動を表していた。

 ソロンも遠くから滝を見たことはあったが、これほど接近したのは初めてだ。船員達の何人かもそれは同じらしく、歓声が上がっていた。


「ひゃ~、冷たいけど気持ちいいね。もっと、近づけないかな?」


 先程まで風を起こしていたミスティンも、今ばかりは手を休めて観光に徹している。

 遥かな高みより落下してきた水は、上空の風に散らされて広く分散していた。

 その真下は滝というよりも、暴風雨のように荒れ狂っている。まだ数百歩と離れているはずなのに、こちらまで霧雨(きりさめ)のように水が吹きつけていたのだ。


「よせやい、危ねえだろ」


 グラットは船長として慎重に滝との距離を取っている。それでも、滝に呆気に取られているのは同じだった。


「――しっかし、いい土産話になりそうだし、戻ったら親父に自慢してやるか」

「一生に一度、見れるかどうかの光景ですね。エーゲスタの滝とマゼンテの滝――この両方を間近で見たのは、世界広しといえど私達ぐらいでしょう」

「戦いが終わったら、いくらでも見に来れるさ。これからは上界から気軽に人がやって来る時代になる……っていうのは、君の受け売りだけど」


 アルヴァと肩を並べながら、ソロンはそんなことを語らう。


「そうでしたね」


 と、アルヴァはいつものように微笑を返した。

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