タンダ村の伝説
村民達の注目を浴びながら、ソロンは村長の家へ向かった。こういった漁村では、村長自身も船乗りに顔が利くものである。
「これはこれは、ソロニウス殿下!」
突如、訪れたソロンの姿に驚きながらも、村長は歓迎してくれた。
「頼みがあるのですが――」
ソロンはマゼンテ海の島に渡るため、船を借りたい旨を説明する。
「そういうことなら、船と船員をこちらで手配いたそう。それで、どちらまで向かわれるつもりかの?」
航海する距離が長くなるほど、それ相応の準備が必要となる。村長はそれを確認したいようだった。
「この島なんですけど……」
ソロンは地図を広げ、目的地の島を指し示した。
「なんとまあ、魔の島に上陸なさるのか……!?」
村長は窪んだ目を見開き、正気を疑うようにソロンを見た。どうやら、説明せずとも島について知っているようだ。
「魔の島ねえ……」
「それはまた大層な名前だな」
グラットとメリューが怪訝そうに顔を見合わせる。もっとも、二人の表情を見る限り、恐怖よりも興味が勝っているようだ。
深淵の荒野がそうであったように、黒雲下には不吉な地名が多い。今から向かう島も、ご多分に漏れないらしい。
「地元ではそんなふうに呼ばれているんですね。島にある遺跡はご存知ですか?」
「地元といっても、魔の島までは何十里も離れておるからのう。漁でそんな遠くまでは行かぬし、交易船も黒雲下は避ける。今、生きている者で、島に渡ったものはおらんぞい」
「なるほど……未踏の地と思ったほうがいいみたいですね。けど昔、渡った人はいたんですよね?」
ソロンが尋ねれば、村長は大きく頷いた。
「そうじゃな。わしの祖父の祖父の祖父の……ともかく二百何十年か前のことになろうかの。とある冒険者が島に渡ったと伝わっておる。よければ、お話しするが」
村長はそこで話を切って、ソロンの顔を窺う。
「ぜひ」
「承知した。この村を訪れたとある冒険者――彼はマゼンテ海の宝を求めていると公言し、この村で仲間を集ったのじゃ。興味を示したのは、若い漁師達じゃった。血気盛んな若者達にとって、宝探しというのは魅力的だったんじゃろうな。たとえ話が荒唐無稽だったとしても……」
上界と比較すれば、下界は荒れ果てた世界である。道楽にふけるような余裕があるとは言えない。それでも、宝探しのような浪漫を求める者は、少なからず歴史の中に現れた。
上界の者は生活に余裕があるがゆえ、一層の高みを目指して浪漫を求める。反対に、下界の者は生活に余裕がないゆえ、一縷の望みを託して浪漫を求めることが多かった。
「――漁師達の協力を得た冒険者は船を得て、マゼンテ海へと漕ぎ出したのじゃ。冒険者達は黒雲下の海を進み、とある島へとたどり着いた。乾いた砂漠の地を探検の末、見つけたのが古びた遺跡だったという」
「おお、宝はあったのか?」
グラットが拳を握りしめ、期待の視線を向ける。
「ところがどっこい。遺跡で現れたのは恐るべき魔物じゃった。全貌が見えぬほど巨大な魔物の襲撃を受けて、男達は次々と倒れていった。結局、宝は手に入らず、それどころか冒険者自身も帰らぬ人になったのじゃ」
「……急に尻すぼみとなったな。しかし、冒険者が死んだのなら、なぜ今に至るまで話が伝わっているのだ?」
メリューはがっかりした様子で、疑問を投じる。
村長はおもむろに頷いて。
「よくぞ聞いてくれた。なぜわしが知っているのかというと、漁師達の中に生き残りがいたからに他ならぬ。そして、その一人がわしのご先祖様なのじゃ!」
村長は最後の部分を強調し、得意げな顔を作った。そして、どうやら今のが話のオチだったらしい。
「な、なるほど、そうだったんですね」
わりとどうでもよかったが、相槌を打ってみせる。ソロンもそれなりに大人だ。ミスティンと違って露骨に生返事をしたりはしない。
「もしかして、じいさん。それで終わりか?」
「うむ、終わりじゃ」
「……終わりですか。なにかもうちょっとためになる情報は……。例えば、遺跡の特徴とか、どんな魔物がいたかとか」
「今言ったのが全てじゃ。まあ、昔の話ゆえ、尾ヒレがついた可能性も否定できんがの。すまんのう。文字もロクに残さぬ田舎ゆえ」
「い、いえ……」
そう言われてはソロンも引き下がるしかない。これ以上の情報を得るのは難しいだろうか……。
「質問よいだろうか?」
流れを変えたのは、メリューだった。
「構わんぞ。お嬢さん」
「この海にはいくつもの島があるようだが、魔の島以外にも遺跡はないのか?」
地図に視線をやりながら、メリューが尋ねる。
そもそも他に目ぼしい遺跡があれば、わざわざ魔の島へ踏み込む必要はない。メリューの質問はそういう意図だろう。もっとも、あまり望みが高いとは思えないが……。
「無論、あったぞいぞ。とは言っても、白雲下の遺跡はさらに前――何百年も前に発掘され尽くしたようじゃがの」
村長は予想通りの答えを返してくる。白雲下に目ぼしい遺跡がないからこそ、サンドロスもそれを考慮から外していたのだ。
「それじゃあ、黒雲下だと?」
ソロンは尋ねるが、
「わしの知る限り、魔の島以外に大きな島はない」
村長は首を横に振って否定した。
広大なマゼンテ海において、存在しないという証明は難しい。かといって、その可能性に当たる余裕はなかった。
「そんじゃあ、白雲下のほうで発掘した宝はどうなったんだ? まさか、何も見つからなかったってことはねえだろ?」
「各地に流れたと言われておるな。……そうそう、宝のいくつかは王城に残っているかもしれんぞ。なんといっても、宝を発掘した一人は王家のご先祖様じゃからな」
「え?」
村長の思わぬ指摘に、ソロンは素っ頓狂な声を上げる。そして思い至ったのは。
「――ひょっとして……そのご先祖って、アルヴィオスのことですか?」
「そうじゃよ。アルヴィオスがマゼンテ海の島々を探検した話は、この村にも伝わっておる。ソロニウス殿下が、ご存知なかったとは意外じゃな」
「う~ん、僕も兄さんも古い話にはそんなに興味もなかったもので……」
最も古い話に詳しかったのは亡き父だが、今はもういない。
ナイゼルやガノンドなら知っていたかもしれないが、生憎ここにはいない。二人はよく城の書庫で古文書を漁っていたのだ。
「アルヴィオスというと、そなたとアルヴァの共通の祖先だな。八百年ほど前だったか」
メリューが意外な詳しさを発揮する。
「うん。……ていうか、そんな話まで聞いたんだ?」
アルヴィオスは帝国のサウザード皇家の始祖として知られる人物だ。
かつて下界を訪れた彼は、そこで得た宝を持って上界へ帰ったのだという。その際に忘れ形見として残された子が、イドリス王家の始祖になったという伝説が残っていた。
「祖先が同じだから、そなたは弟のようなものだ――と、あやつが嬉しそうに主張しておったぞ。人間の寿命では八百年も離れれば他人も同然と思うが、あやつがそう思うならそうしておこう」
理解ある友人を気取っているのか、メリューは勝手に納得していた。
「そ、そう……」
何はともあれ、重要なのはそこではない。気を取り直して、ソロンは村長のほうを向く。
「――例えば、どんな宝があったか分かりますか? 残念ながら、イドリス城には大した宝は残ってないもので……。僕達は光る銀に似た金属を探しているんです」
「もしや、白光を放つ剣かの。アルヴィオスが手にした宝の中で、最も有名な逸品じゃよ」
「もしかして、星霊銀の剣じゃ……!? ねえグラット、僕が帝都の神獣に突き刺したアレだよ!」
ソロンは去年の死闘を思い出しながら、グラットに同意を求める。
「おお、アレか! つうことは、宝は神鏡と一緒に帝都に渡ってたってことだな」
ソロンが知っていたのは、アルヴィオスが神鏡を帝都へ運んだという話に留まる。星霊銀の剣の出所が分かったのなら、大きな収穫だった。
そして、それが示す可能性は……。
「収穫あったようだな。ならば、その魔の島の遺跡からも、白雲下の遺跡と同じものが見つかるかもしれん。上界が創られる前の古代人にとっては、白雲も黒雲もないのだからな」
ソロンが話すまでもなく、メリューが説明してくれる。
下界の各地にある遺跡は、上界誕生前に暮らしていた古代人の痕跡だという。そう教えてくれたのは、シグトラだった。
黒雲下に遺跡が多く残っているのは、後世そこが人の立ち寄れる環境でなくなったためだ。本来、白雲下の遺跡と黒雲下の遺跡は同列のものなのである。
魔の島そのものについての知識は、さして得られなかった。とはいえ、目的の星霊銀が得られる目算は高まった。情報としては十分だと思っておこう。
*
情報収集を終わりにして、村長に改めて船の手配をお願いする。
「ならば、村に一つしかない交易船を使うとよいじゃろう。あれがわが村で一番に頑丈じゃからな」
「いいんですか? 大事な船を借りてしまって……」
「この村にある漁船は、いずれも遠洋を想定しておらぬからな。あれ以外の船では安全を保証できん。それに我らは辺境の田舎者ではあるが、王家の方――とりわけソロニウス殿下への恩を忘れておらぬ。お役に立てるなら本望じゃよ」
去年、この村から出発した交易隊を野盗が襲撃する事件があった。村人に混じっていたアルヴァを含め、大勢の人が野盗にさらわれるところだったのだ。
後日、得た情報によれば、野盗はザウラスト教団の後援を受けており、生贄を集めていたともいう。
その時に野盗を退治し、村人を救出したのはソロン達だったのだ。村長が語る恩とはそのことだろう。
こうして当初の心配は杞憂に終わり、村長は快く協力してくれたのだった。
*
村長に無理を言った結果、出発は明日の早朝となる予定だった。
出発前の点検、船員の募集、食糧の準備といった用意があるため、さすがに今日中の出発とはいかない。それでも最悪、船が出払っていた可能性を考えると、上々の結果といってよいだろう。
ひとまず宿に戻って、アルヴァ達を待つ。
しばらくすると、ミスティンと一緒にアルヴァが戻ってきた。村人との旧交を温めたというアルヴァは、満足そうな表情を浮かべていた。
首尾を尋ねるアルヴァに、ソロンは村長と話した内容を報告すると、
「魔の島かあ……。なんかワクワクするね」
ミスティンは楽しそうに空色の瞳を輝かせる。
「ええ、俄然、面白くなってきました」
あろうことか、アルヴァまでそれに同意する。
「ミスティンだけでなく、そなたまでその調子か。どんな危険があるか分からぬのだぞ」
これにはメリューも呆れるようにたしなめる。
目的はあくまで呪海の王を倒し、帝国の危機を救うことである。それを考えれば、楽しんでいる余裕はないのだ。
「あまり気を張っても仕方ないでしょう。そうしたところで、結果が上向くわけではありませんから。私はミスティンからそれを学びました」
そんなことを宣いながら、アルヴァはミスティンと顔を見合わせる。対するミスティンも愛らしい笑顔で応えた。
「学んだというより、毒されている気がしないでもないがな」
メリューは苦笑気味に二人を眺める。
「あはは……。まあ、本番は島から帰った後からだからね。気を張っても仕方ないのは確かだよ」
何はともあれ、ここまでやって来れたのは、ミスティンの明るさのお陰なのも確かだ。アルヴァもそれを理解しているからこそ、そう言っているのだろう。
ソロン達は明日の出発に備えて準備をし、あるいは息抜きをするのだった。