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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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なつかしきタンダ

 橋の下を通り過ぎた船は、再び帆を掲げた。

 イドリス川の流れが一層とゆるやかになっていく。遥か東から続く川が、終点に至ろうとしているのだ。


 船の進路――西の方角には水平線が覗いている。左右を挟んでいた岸がなくなり、水の世界が広がったのだ。

 川のせせらぎとは異なる不規則な波の音が響いてくる。

 下界の海――マゼンテ海だった。


「おお、何たる巨大な湖……。これが海というものか……!」


 感動を表したのは、メリューだった。

 彼女の故国ドーマ連邦は、雲海に散らばる島々の集合体である。帝国にもイシュテア海があるが、訪れる機会もなかったため、これが初めての海となったのだろう。


「伝説によれば、これも『真の海』じゃなくて、単なる巨大な湖らしいんだけどね」


 それでも、船で東西を横断しようとすれば、何日もかかるような広大さだ。ソロンからすれば、海と表現するしかなかった。


「うむ。万里に及ぶという太古の海のことだな。ともあれ、これが恐るべきほどに巨大なのは変わらんよ。対岸が見えぬとは驚き――」


 そこでメリューは急に言葉を切った。海の彼方をポカンと見つめている。


「――あ、あれはなんだ、水が落ちておるぞ。滝か、滝なのか!?」


 メリューは一層の驚きと共に指差した。

 遠く彼方には、上界から落ちる滝が見えている。

 メリューが今まで気づかなかったのは、かすかに(かすみ)がかっていたせいだろう。遠く離れているがゆえ、わずかな(もや)でも隠れてしまうのだ。


「マゼンテの滝だよ」「エーゲスタの滝ですね」


 ソロンとアルヴァの声が重なった。


「どちらなのだ!?」

「あれは上界から落ちる滝なんだよ。上界ではエーゲスタ、こっちではマゼンテの滝っていうんだ」

「そういうことか……。ううむ、アムイの塔に劣らぬ驚異だな。もう少し近くで見たいものだ」

「それなら、すぐにでも見られると思うよ。村で海船を借りたらあっちのほうに向かうから」

「おお、それは楽しみにさせてもらおう!」


 と、メリューは見た目の年齢相応に目を輝かせていた。


「そんじゃ、今日のところはタンダ村を目指すぜ」


 グラットが舵を左へと回していけば、船はマゼンテ海へと進入していく。

 マゼンテ海の波に揺られて、船も上下に揺れ動き出した。


「わお、揺れるねえ」

「おっ、おお……川と海はやはり違うのだな」


 ミスティンは楽しそうにしていたが、メリューは不安げである。

 メリューは今、船の前側で念動魔法を使用しているところだった。体勢を崩さないように、ソロンがその肩を支える。


「大丈夫?」

「いや、問題ない。川と海の落差に少し驚いただけだ」


 メリューは視線を前方に据えたまま、返事をする。理屈はよく分からないが、舳先(へさき)の辺りを視線で押して船を前進させているらしい。


「地図で見る限り、イシュテア海よりも数倍は巨大ですからね。それだけ、波も大きくなるのでしょう」

「海が大きくなったら、なんで波が大きくなるの?」


 説明するアルヴァに、ミスティンが疑問を呈する。


「よい質問ですね。まず、波とは水が風にあおられて起こる現象です。それゆえ、海が拡大すれば、それだけ影響を受ける水の量も多くなります。広い範囲で波が重なった結果、波も大きくなるというわけです」

「お~、なるほど~。ということは、風が強くなると波も大きくなるんだね」


 いつものようにアルヴァが説明し、ミスティンがほうほうと頷く。


「そういうことです。悪天候に気をつけるのは竜玉船でもそうですが、海においては高波への警戒も必要となります。少なくとも、この川船で大海原を目指すのは無謀でしょうね」

「そっか、それで船を交替するんだね」

「今更かよ……」


 納得するミスティンに、グラットが呆れてみせる。


 タンダ村を目指すのは、単に休息と補給をするためではない。

 現在、ソロン達が乗る川船は、イドリス川を想定して造られている。重心は高く、船底が深くまで沈まないのが特徴だ。水深の浅い川でも座礁しにくいのが利点だった。

 反面、安定性に欠けるのが難点である。海の沿岸部を少し進むぐらいなら問題はないが、このまま大海へ漕ぎ出すには心もとなかった。


 ゆえに、大海へ漕ぎ出すには、タンダ村で海船を借りる必要があった。

 海船は重心が低く、水面下に船底が深く()かるようになっている。そうして、航海の安定性を高めているのだ。


 ともあれ、今はまだ川船である。

 ソロン達の船は、海岸線沿いに南下してタンダ村を目指した。それならば、途中で運悪く強風に吹かれたとしても、岸に寄せれば避難できるというわけだ。


 右手に大海原を(のぞ)みながら、船は進んでいく。既に川の流れはないため、動力は風と彼女達の魔法だけだ。必然的に速力は低下し、動きはゆるやかになる。


 やがて、太陽がマゼンテ海へと降りていく。西日に照らされた海が、赤く染まり始める。

 もっとも、今回はそれで航海をやめるつもりはない。夜になっても、タンダ村への到着を目指すつもりだった。


「見張りは私に任せるがよい。そなたらよりも夜目(よめ)が利くからな」


 メリューが船の前側に立って見張りを買ってくれた。

 それに蛍光石の明かりを加えれば、前方の警戒は万全だろう。ソロン達はそうして、今日中の到着を目指すのだった。


 *


 すっかり、空が暗闇に染まった頃、光が見えてきた。いくつもの光が、海に浮かぶように点在している。


「む、あれは漁火(いさりび)か?」


 いち早くメリューがその光に気づく。

 それはタンダ村の漁船が放つ明かりだった。魚をおびき寄せるため、船に光を(とも)しているのだ。


「正解。海がないのによく知ってたね」

「馬鹿にするでない。漁火は雲海でも使われておる。それに下界へ行けば、わがドーマにも海の一つや二つはあるのだ。ただ大都から遠いため、行ったことがないというだけだ」


 メリューがフンと鼻を鳴らして言い返した。

 漁火の隙間を通り抜けて、タンダ村の船着場へと船を停泊させる。

 十五人の一行は、船着場から村の中へと足を踏み入れた。

 漁場を離れれば、途端に光がなくなった。

 アルヴァの懐中時計によれば、今は十一時。このような田舎では、みな寝静まっている時間帯だ。もちろん、街灯など存在するわけもなかった。


「なつかしいですね」


 蛍光石のブローチで道を照らしながら、アルヴァはつぶやいた。

 ここはかつて、彼女が滞在していた村だ。短期間ながら、思い出深い場所のようだった。

 アルヴァからしてみれば、旧交を温めたいところではあったかもしれない。……が、なにぶん夜の早い田舎である。今日のところは、宿を目指すのだった。


 宿は村の南門側にあるため、西岸の船着場からは少しばかり歩く必要があった。


「不便ですね。将来的には、港町としての発展も望める地理だとは思うのですが……」


 一般的に港があれば、そのそばにも宿があるはず。そうでないのは、ここが港町として発展していないからに他ならない。

 アルヴァが不満そうなのは、単に移動が面倒というだけではない。為政者(いせいしゃ)としての職業病で、縁のある村の現状を(うれ)えているのだ。


「う~ん、そうだね。どうしてもイドリスからは遠いし、手が回らないんだよな。少しは他国とも貿易してるみたいなんだけど、船を増やすのも大変らしいし。結局、現状は陸路での交易が主体なんだよね」


 国の発展を預かる一人として、ソロンが答える。


「なるほど……。水深の浅いイドリス川では、海船を運ぶのは難しいですからね。よそで造船するのは難しいでしょう。となれば、大勢の船大工をこの村に集めて、船を造るしかなさそうです」


 何やらアルヴァが難しい顔で考え出す。それでも、どことなく楽しそうにも見えた。


「けど、こんなところにわざわざ船大工が来るのかな? 王都とかで川船を造ってたほうが儲かるよね」


 ソロンが疑問を浮かべれば、


「それ相応の費用を国が負担すれば、来る者はいますよ。いっそ、帝都から職人を連れてきてもよいぐらいです。なんといっても、ここは帝都の界門からも近いですからね。そう考えてみると、ゆくゆくはあちらの界門も開放し、村までの街道を整備すべきでしょう」


 アルヴァは水を得た(うお)のように語り出す。

 ソロンとしては、呆れるやら感心するやらだ。


「なんだか気の長い話になってきたなあ」

「都市計画とは気の長いものです。そして、どんな大きな都市も、最初は小さな村から始まったのです。大事なのは発展を望み、やり遂げようとする人の意志……。この村だって、都市に至る潜在力は十分にありますよ」


 アルヴァの力説は留まることを知らない。暗い夜だというのに、その紅い瞳は爛々(らんらん)と輝いていた。


「……あやつ、なかなか暑苦しい女だな」

「一生懸命でかわいいよね」


 背後を歩くメリューとミスティンが何か言っているが、それを気にせずアルヴァは続ける。


「イドリス王国の問題点の一つは、王都がある東部に発展が偏っていることですね。やはり、タンダ村のような西部も積極的に発展させていくべきでしょう」

「な、なるほど。今度、兄さんに進言してみるよ」


 ソロンはいつものように呆気なく感化された。


「ちっ、あっさりと飲まれやがって」


 ところが、グラットはそれで納得していなかった。ソロンに代わり抗弁してみせる。


「――発展させるのがよいことだとは限らねえぜ。昔ながらの暮らしがよいってヤツも、田舎にはいるだろ?」

「それは一定の水準があって、初めて言えることです。民を飢えさせない生産力に、民を生かす医療、魔物や野盗から町を守る防衛力……。それがなければ、民は日々生きるにも苦労せねばならないのです。その根幹を成すのはもちろん経済力であり、発展を否定するのは思考停止に過ぎません」

「しょ、正直、すまんかった……」


 アルヴァの長広舌(ちょうこうぜつ)にグラットが圧倒される。旗色が悪いと見てか、彼は早々に頭を垂れた。結局、この男もいつも通りだった。


「あ~、でも、そういうの考えたことなかったよ。基本的に、政治は兄さん達に任せっぱなしだったからさ。……自分の至らなさをちょっとだけ反省します」

「ええ、反省するのはよいことです。この戦いが終わったら、国家の発展についてイドリスは今一度よく考えるべきです。帝国と共に友好国が発展するなら、お兄様も文句はないはず。私も協力しますから、ぜひイドリスの発展に尽力しましょう」


 アルヴァはソロンの腕を力強くつかみ、声を弾ませる。よく分からないが、一つ生き甲斐を見つけたらしかった。

 彼女と共に国の発展に尽くす未来――そういう未来像もあるのかなと、ソロンは思いを巡らすのだった。


 ……将来はともかく、現在の宿はタンダ村の入口付近にしかない。しばらく歩いていると、ようやく村一つしかない宿が見えてきた。

 宿の扉は閉まっていた。

 田舎では扉にカギをかけない習慣があったりもするが、宿までそうとはいかないらしい。

 やむなく扉を叩き、既に眠り込んでいた主人を叩き起こす。


 扉を開いたのは、ニワトリの亜人だった。去年、宿泊した時と同じ主人である。

 主人もこちらを覚えていたらしい。眠たそうに手羽先(てばさき)で目をこすりながらも応対してくれた。

 ソロンはお詫びを込めて、少しだけ多めに代金を払っておくのを忘れなかった。


 *


 田舎の朝は早い。従ってタンダ村の朝も早い。

 一行が目覚めたのは六時頃である。十分に早い時間帯ではあるが、ここの村人はとっくに起きている頃だろう。


「私はお世話になった方々の元へ顔を出してきます。船の調達については、頼みましたよ」


 宿を出るなり、アルヴァが切り出した。予定では今日、海を渡る船を借りることになっていたのだ。


「あれっ、君は来ないの?」


 ソロンは不安げにアルヴァを見返すが、


「そこは王弟殿下のお仕事でしょう。頼みましたよ」


 と、アルヴァにさとされる。


「そうだよ、ソロニウス殿下。腐っても王弟殿下なんだからがんばって」

「……まあ、こいつ殿下って感じはしないからなあ。ナイゼルじゃねえけど、いつまで()っても坊っちゃんって感じだ」


 ミスティンとグラットは言いたい放題だ。


「心配するな、私が付いていてやる。そなたが頼りにならんと感じたら、私が交渉してやろう」


 メリューだけは味方のようだったが、どこか馬鹿にされているようで今ひとつ嬉しくない。


「ぐ……分かった。行ってくるよ」


 意を決して、ソロンは返事をした。


「まずは情報収集を兼ねて、村長に話してみるとよいでしょう。島についての言い伝えを知っているとしたら、あの方以外にありませんからね。どう判断するかは任せます。ただ遠洋まで向かうため、相応に安定した船を望みます」

「分かってる、任せといて」


 そうして、アルヴァは挨拶回りに向かっていった。例によって、ミスティンも彼女のほうに同行するらしい。

 ソロンはグラットとメリューを連れて、船の調達に向かうのだった。

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