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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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イドリス川を下って

「お~、水面が近いね!」


 船に乗り込むやいなや、ミスティンが川の中へと手を伸ばそうとする。実際、船体が低いため、手を伸ばせば届きそうなほどに水面は近かった。


「ほら、危ないよ」


 と、ソロンが彼女の腰をつかみながら制止する。


「大丈夫だよ。落ちてもソロンが助けてくれるし」

「まず落ちないでよ……」

 ソロンは諦め混じりに息を吐きながら。

「――グラット、舵取りは任せたよ。今回も君が船長だ」

「おう、任せとけ。水の船は知らねえけど何とかなるだろ」


 グラットが船の後尾へと足を運び、操舵輪(そうだりん)を握りしめる。


「――おし、全員乗り込んだな。(つな)を外してくれ」


 そうして、さっそくの船長振りを発揮してくれた。

 兵士がもやい綱を外せば、船が動き出す。

 始めはゆっくりと、徐々に流れに乗って加速していく。


「おーし、いい風が吹いてるな。帆を上げてくれ」


 グラットの指示に従い、帆が広げられる。風を受けた船は、さらに加速していった。

 ソロンが振り返れば、背後の船着場は既に遠く離れていた。川幅は広く、船の小ささを一層に実感させられる。

 竜玉船ほどではないが、海船と比較すれば揺れは小さい。狭いながらも、快適な船旅が満喫できそうだった。


「確かにゆるやかな川だな。安全ではあるが、どうにも遅い。……そう言えばこの前、馬で渡ったのもこの川だったか」


 船上にしゃがみ込んだメリューが、流れる水をじっくりと見ながら語る。先日、深淵の荒野に流れるイドリス川を横断したのは、記憶に新しい。


「まあ、風があれば逆流できるぐらいの流れだしね。そのぶん、遅いのは仕方ないよ」

「なるほど、もっと加速できないか試してみましょうか」


 ふと思いついたらしく、アルヴァが船尾(せんび)へと歩いていく。

 杖を水面に向けるや、激しい水流が船尾から後方へと噴き出した。船は反作用の力で加速を始めたのだった。


「おいおい、無茶すんなよ!」


 舵を握るグラットが思わぬ加速に驚く。速さが増せば、それだけ操縦が難しくなるのだ。これには十人の兵士達も大慌てだった。


「おお、速い速い!」


 ミスティンはアルヴァに並び立って喜んでいた。

 船は、それこそ竜玉船に負けないほどの速度まで加速していく。すれ違った漁船の乗員が、奇異の目でこちらを見ていた。


「急ぐのは分かるけど、今からそんな調子だと疲れちゃうよ」


 ソロンはたしなめるが、アルヴァは余裕の態度で取り合わない。


「適時休憩は取りますよ。それにマゼンテ海へと漕ぎ出す前には、どうせタンダ村で宿泊するのです。それで十分に休憩も取れるでしょう」

「大丈夫、大丈夫。私も手伝うよ。交替でやろう」


 そう言いながら、ミスティンは背中の弓を触ってみせる。風を操る魔弓で帆をあおり、船を加速させるつもりのようだ。


「うむ、私の念動魔法も試してみたいな。乗る船を加速させる程度なら、私でもできるだろう」


 メリューも続いた。

 どうやら、三人娘で船を動かすと決まったようだった。


 *


 ソロン達の乗る船が、イドリス川を西へと下っていく。

 アルヴァが水流を生み出し、ミスティンが風で帆をあおる。メリューが念動魔法で船体を押したりと、交替しながら船を加速し続けた。予想以上の速度で船は快調に進み続けたのだった。


 昼が過ぎた頃には、イドリス川の分岐が見えてきた。東から流れるイドリス川は北と西に分かれているのだ。

 北に向かえばラグナイ方面へと出るが、もちろん進むのは西側である。

 西の本流へと船を進めれば、川幅が少しばかり狭くなる。もっとも、それでも十分に広いため、船を進めるには問題なかった。


 やがて日が陰り出しても、船は沈む夕日に向かって進み続ける。

 すると、左の川岸に船着場が見えた。

 イドリス川の南岸には、いくつかの村が存在している。いずれも川漁や川の水を使った農業で生計を立てており、その中の一つだった。


「今日はここまでだろ。もういいぜ」


 頃合いと見てか、舵を握るグラットがミスティンに声をかける。


「もう止めちゃうんだ?」


 風伯の弓を握りしめていたミスティンが、不満そうに声を返した。彼女は風魔法で帆をあおり、気持ちよさげに船を進めていたところだった。


「ここから先はケベック半島の下に入りますからね」


 と、アルヴァが上界の地名を口にし、進路上空を指差す。そこでは光を通さない黒雲が空を覆っていた。

 ケベック半島とは、帝都から南南東へと突き出た細長い半島だ。それがイドリス川の上にかぶさり、進路上空を覆う黒雲となっていた。


「んー、まだいけそうな気がするけど」


 まばゆい夕日に目を細めながら、ミスティンが口にする。

 実際、夕日に照らされた空はまだ明るい。下界においては、白雲に日光を(さえぎ)られる昼間よりも、この時間帯のほうが明るいぐらいだ。


「いや、今日はここまでだよ。この先、数十里は黒雲下で、その間は町もないんだ。下界の夜は光がないから、先には進めなくなる。ミスティンだって、黒雲下で夜を越したくはないでしょ」


 数多くの灯台が照らす帝国とは異なり、イドリスには夜間の光が乏しい。上天が雲で覆われているがゆえに、星々の光も頼りないのだ。松明(たいまつ)や蛍光石で進路を照らすにも限界がある。

 それに川は海よりも障害物が多い。左右の岸や岩、流木、はたまた魔物などに衝突しては目も当てられなかった。


「そういうことなら仕方ないなあ」


 ソロンの説明に、ミスティンも納得してくれる。

 彼女が弓を下ろしたので、船は自然の風だけでゆったりと動き出した。


「んじゃ、黒雲は明日の朝に抜けるとしようぜ」


 グラットの指示によって、船は漁村の船着場へと停泊したのだった。


 *


 漁村で夜を明かした一行は、朝早く船に乗り込んだ。

 動き出した船が黒雲下へと入っていく。

 イドリス人の生活圏の中で、黒雲下に属している場所は珍しい。周囲には黒雲下であるにも関わらず、活動する他の船も見られた。


「今日は飛ばしますよ」


 アルヴァはさっそく杖を握りしめ、船の後尾へと取りついた。

 昼になれば、真上に至った太陽が黒雲の上に隠れてしまう。そうなれば、昼闇の時間の到来だ。そうなってしまう前、朝のうちに黒雲下を抜けてしまおうという寸法である。


 アルヴァ、ミスティン、メリューが交替しながら船を飛ばしていく。どうやら、それぞれが昨日の作業でコツをつかんだらしい。

 下界人にとっては不吉の象徴ともいえる黒雲だが、朝と夕方に関しては角度の低い太陽が味方をしてくれる。朝日を背にして、きらめくイドリス川を進んでいった。


 やがて昼が近づき、太陽が隠れ始めた頃に黒雲下を突破した。

 これは魔法で加速しているからこそ成せる芸当だった。通常は黒雲下に船を停泊させ、魔物に警戒しながら昼過ぎの日の出を待たねばならないのだ。


「よし、もう無理しなくていいよ。後はゆっくりとタンダ村を目指そう」


 念動魔法で船を動かしていたメリューへ、ソロンは声をかけた。


「了解だ。……さすがに疲れたな」


 見開いた目を光らせていたメリューが、息を吐く。目をゆっくりと閉じ、まぶたを指で押さえていた。

 疲労困憊(ひろうこんぱい)のメリューに代わって、アルヴァが交代。また船を動かし続ける。


 昼下がりには前方に架かる橋が見えてきた。

 木造の粗末な橋で、見るからに頼りがない。

 この北に人里はなく、森と草原と荒野が広がるばかり。そのため、地元の狩人ぐらいしか使用する者がいない。きちんとした補修はされていないのだ。


「お姫様、帆を下ろすから、魔法を止めてくれ」


 グラット船長がアルヴァへと声をかける。

 低い橋をくぐるために、帆を下ろす必要があったのだ。こういう場合を想定して、イドリスの川船は帆柱を横に倒せる仕組みになっている。後は川の流れに従って、橋をくぐるだけだ。

 ちなみに、帰りは帆が使えないため、手漕ぎで橋の下を逆流するしかないのが難点だったりする。魔法で解決できるソロン達には、大した問題ではなかったが。


「了解です。……ここはなつかしいですね」


 杖を下ろしたアルヴァが、小さくつぶやいた。

 橋を渡った遥か北には界門があり、そこは上界の帝都へつながっている。

 かつて、帝国を追放された彼女は、その界門から下界へとやって来たのだ。そして、それを追ってソロン、ミスティン、グラットの三人が下界へ降りたのである。


「あれから一年かあ。やっぱり大変だったんだよね」


 ミスティンが橋の右岸を見ながら、アルヴァへと声をかける。


「大変でしたよ。あの辺りは魔物がたくさんいますし、眠るのも気が気ではありません。猟をするにも、何を狩ればよいか検討もつきませんし……。何より、人がいるかどうかも分からない世界を当てどなく放浪する辛さは、筆舌に尽くしがたいものがありました」


 アルヴァが滔々(とうとう)と語る。さしてよい思い出とはいえないはずだが、彼女はどこか穏やかな表情をしていた。


「そっか……僕達は三人がかりだったからね。本当に生きていてくれてよかったよ」

「うん、もう一人にはしないから。これからは私とソロンが付いてるよ」


 ミスティンがソロンの名前を勝手に使いながら、アルヴァを(はげ)ます。


「あはは、ちょっと照れるけどね。まあその、今後とも君を守れるようにがんばります」


 ソロンは顔を赤くしながらも、何とか意気込みを口にする。


「ふふっ、ありがとう。あなた達と一緒なら、こたびの戦いも無事に終えられると信じていますよ」


 ほがらかな笑みをアルヴァはソロンに向けて応えた。ソロンの顔色が一段と赤くなる。


「相変わらず仲が良くて、()けるのう」


 メリューが(うらや)ましげに、三人を眺めていた。


「全くだぜ。なんなら、お前も混ざったらどうだ?」

「結構だ。さすがに私も、あそこに割り込む度胸はない」


 グラットとメリューは、苦笑気味に顔を見合わせていた。

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