表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
382/441

砕け散った希望

 そこには神鏡だった物が転がっていた。


 鏡縁(かがみぶち)の中には、わずかな破片が収まっているに過ぎない。周囲の甲板にも破片は飛び散っているが、それで全てではないだろう。

 去年の戦いを合わせた三度の酷使によって、ついに神鏡は砕け散ったのだ。


「おい、メリュー! 回収できねえか!?」


 グラットがハッとして、メリューへと声をかける。


「やれるだけのことはやってみよう」


 メリューが瞳を光らせ、散らばった破片を浮き上がらせる。破片は神鏡のそばへ集まっていくが……。


「足りないね……」


 ミスティンが残念そうにつぶやいた。

 残りは恐らく、雲海へ落ちてしまったのだろう。いくらかは回収できたとしても、もはや神鏡が輝きを取り戻すのは難しいと察せられた。

 そんな一連の様子を、アルヴァはいまだ呆然と眺めていた。帝国の至宝の喪失が、彼女にとってはよほど衝撃だったのだろう。


 光は消え失せた。今や呪海の王を照らすものは何もない。

 吹き飛ばしたはずの赤黒い瘴気が、再び呪海の王の頭部へと結集していく。

 瘴気は雲面下からも立ち昇り、まずます濃度を増していく。まるで呪海の王の全身から血肉を分け与えることで、頭部の欠損を補っているかのようだ。


「アルヴァ!」

「は、はい!」


 ソロンが肩をゆすって呼びかければ、彼女もハッとこちらを見返した。


「アルヴァ、今は引こう!」


 ソロンは神鏡への未練を捨てて告げた。

 幼少から帝都の夜を照らしてきた帝国の至宝――それに対する彼女の思い入れは、相当なものがあったはずだ。

 神鏡は元々、イドリスで作られたと伝えられている。しかし、それも実感のない伝説に過ぎない。そういう意味では、ソロンの神鏡への想いはアルヴァよりもずっと小さかった。


「……! 分かりました。ソロン、合図をお願いできますか?」


 アルヴァはさすがの意志の強さで、気を取り戻す。


「ああ」


 ソロンは西の空に向けて、蒼煌(そうこう)の刀を向けた。

 撤退する方角の上空に向けて魔法を放つ――それが艦隊への合図だった。

 青い火球を放てば、小さな花火が空に()ぜる。情けない火力だが、単なる合図としてなら十分だろう。


「そんじゃあ、帝都へ帰還するぜ」


 アルヴァが喋る気力もないと見てか、グラットが声をかける。


「……いえ、先に近くの港へ寄ってください。そこでガゼット将軍と落ち合い、善後策を講じます」


 失意の底にあっても、アルヴァは自らの仕事を忘れなかった。


「了解、親父にも信号で伝えとくぜ」


 *


 戦いを終えた艦隊は、失意の中でネブラシア港へと帰港した。

 大勢の市民が、兵士達を迎えに港へ集まっていた。

 これが勝利であったならば、盛大な凱旋式が行われたのだろう。だが、それも叶わない。竜玉船を降りる兵士達の顔は、どこか重苦しかった。

 ソロン達も兵士達を見送った後で、ネブラシア港へと足を下ろすのだった。


「私はこれから将軍達と合流し、陛下の元へ報告に向かわねばなりません。皆よく働いてくださいました。お疲れでしたら、あなた達は休息するとよいでしょう」


 最も疲れているであろうアルヴァが、仲間達をねぎらう。


「帰りの船で、いっぱい寝たから大丈夫だよ。私はアルヴァの護衛だし」


 ミスティンはいつもの調子で、アルヴァの隣に並んだ。


「私は別にどちらでもいいが、一人休養を取っても仕方あるまい。そなたら以外に知己もいないのでな」


 と、メリューもミスティンに続く。


「んじゃ、俺も荷物持ちぐらいは手伝うぜ。さすがに皇帝陛下の御前に出る度胸はねえがな」


 グラットは箱を大事そうに抱えていた。中には砕けた神鏡が入っている。メリューが念動魔法で破片をできる限り寄せ集めたのだ。


「えっと、僕も付き合うけど、報告にも参加していい? 部外者なのは百も承知だけどさ」

「ソロンがですか? 参加自体は問題ありませんが、あまり愉快な場ではないと思いますよ。お兄様のことなので、叱責されたりはないでしょうが……」


 意外な提案に、アルヴァはきょとんと紅玉の瞳を(またた)かせる。


「構わないよ。楽しくないのは百も承知さ」


 *


 一行はガゼット、イセリア両将軍と合流し、港で馬車に乗り込んだ。そのままネブラシア城まで一直線に向かっていく。

 既に戦の結果は広まっているらしく、帝都の住民は打ち沈んだ様子だった。

 さすがにガゼットも疲れた様子で、これにはグラットすらいつもの軽口を叩けなかった。


 ネブラシア城に入り、皇帝執務室の手前まで七人で歩いた。

 ただし、ミスティン、グラット、メリューの三人はここで待機する。会議の内容が重くなりそうなので、不要な者は控えるべきというわけだ。


「んじゃ、これ頼んだぜ」

「うん、任せて」


 グラットから手渡された箱を、ソロンは大事に抱え込んだ。神鏡の破損状態を、皇帝に報告する必要があったのだ。アルヴァや将軍達に持たせるわけにもいかず、何となしにソロンの担当となった。

 そうしてグラット達と別れ、四人だけで皇帝執務室の扉を叩く。

 室内には皇帝エヴァートと、ワムジー大将軍の二人が待っていた。


「陛下、申し訳ありません。呪海の王を倒すには至りませんでした」


 アルヴァは重々しい口調で、エヴァートへと戦果を報告した。ガゼットとイセリアも、それに補足する形で説明を挟んでいく。


 破壊の閃光によって、数十の軍船と千を超える兵士が犠牲になったこと。

 神鏡の力で呪海の王へと攻撃し、一定の成果を得られたこと。

 しかしそれも、呪海の王の再生能力によって、決定打とならなかったこと。


 そして再度、神鏡の力を使おうとしたが、砕けてしまったこと……。

 その途中にソロンは箱を開いて、中身を検分してもらった。エヴァートは無言で頷き、神鏡の破片を見ていた。


「……決着をつけられなかったのは残念だが、気を落とさないでくれ。皆は最善を尽くしてくれた。未曾有(みぞう)のバケモノを相手にしているのだ。初めから想定通りにいくとは思っていないさ」


 胸中はどうあれど、エヴァートは失意のアルヴァ達を(なぐさ)めた。いかにも彼らしい寛大な態度だった。


「しかし、多くの部下を失ってしまいました。その責任は免れません」

「私としても、神鏡が砕けるとは想定外でした……」


 ガゼットとアルヴァが頭を下げて謝罪するが、エヴァートはゆっくりと首を横に振る。


「その責任は私が真っ先に負うべきものだ。一時しのぎであろうとも、呪海の王の動きを止めることに成功したのだろう」

「はっ、呪海の王は侵攻を停止して、体を再生しているようです。その状況は引き続き偵察船に監視させております」


 イセリアが報告する。監視任務は彼女の統括らしかった。


「ならば、それも立派な成果だ。引き続き、呪海の王との戦いは君達に任せようと思う。そこで投げ出すのは、帝国を見捨てることだと思って欲しい」

「仰せのままに」


 アルヴァは再び頭を下げて頷いた。ガゼットとイセリアも、また同じように頭を垂れるのだった。


「それで今後、呪海の王はどう動くと思う?」

「油断できる状況でないのも確かですが、しばらくは動かないと考えています。その後も、何らかの動きがあれば、逐一報告するように命じております」


 エヴァートの問いに、ガゼットが答えた。


「入念に頼む。相手がどう出るか分からない以上、そこは監視に頼るしかないからな。船でも魔道具でも、監視の強化に必要なものがあれば何でも言ってくれ」

「陛下」


 と、アルヴァが進言する。


「――進路上と予想される沿岸部の市民は、避難させるべきでしょう。無論、帝都についても、その準備はしておくべきです。最低でも、避難経路と避難先の決定は必須でしょう」


 エヴァートも頷いて。


「そうだな。君達が時間を稼いでくれたお陰で、避難させる猶予(ゆうよ)ができたはずだ。帝都についても、呪海の王がネブラシア湾へ入る前に避難を完了させよう。大将軍、多少強引でも構わないから実施してくれ」

「承知しました」


 ワムジーが(うやうや)しく頷いた。


「陛下、サラネドについてはどういたしますか? 呪海の王は、あちらに向かう可能性もあるかと存じますが」


 ガゼットが他国の名を挙げる。

 サラネドは帝国の南方に位置する共和国だ。帝国南東部のカプリカ島へ幾度となく手を出しており、関係はよいとはいえない。

 ガゼットの本来の任地はカプリカ島であるため、そのことにも気づいたのだろう。


「ああ……そちらの問題もあったな。サラネドは友好国でも何でもない。正直、あちらを気にかける義理はないが、警告だけはしておこう。その上でどう動くかは先方次第だ」


 従妹よりもずっと穏やかなエヴァートだが、敵性国家を気にかけるほどお人好しでもないらしい。

 そこでエヴァートはうつむき、大きく溜息をついた。それから、また(おもて)を上げる。


「――さて、気は重いが、いつまでも避けてはいられないな。神鏡が砕けた今、呪海の王を倒す方法はあるだろうか。率直にそれを問いたい」

「……正直に言って、見通しは立ちません。星霊銀の力がなければ、邪教の魔物には致命傷を与えられない。それは過去の事例でも明らかでした」


 アルヴァが苦々しい顔つきで見解を述べる。


「星霊銀か……。他に当てはないのか?」

「星霊銀の矢が手元にありますが、神鏡には遠く及ばないでしょう。事実、下界では有効打になりませんでした」


 そもそも、星霊銀の矢では足らなかったため、神鏡が必要だったのだ。それすら決め手にならないという状況は深刻だった。


「それに呪海の王は殺害した人間を吸収し、それによって体を再生しているようです。生半可な力では滅ぼすことは叶いますまい」


 ガゼットもやはり、苦虫を噛み潰したような表情で付け加える。


「そうか……。いかに戦うかはこれからの課題だな。今は避難を優先し、時間を稼ぐ他はないか……」


 エヴァートの声には絶望の影があった。それでも、皇帝たる者は投げ出すわけにはいかないのだ。

 アルヴァもガゼットもイセリアも、何も言葉を返せないでいる。じっとたたずんでいるワムジー大将軍も変わりなかった。

 ならば、ソロンが切り出すのは今しかない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ