不滅の呪王
「的は巨大です。無理な接近は必要ありませんよ」
「おう!」
アルヴァの司令に従って、グラットが細かく操舵手に指示を出す。向かいの艦隊との同士討ちにも気をつけながら、最適な距離を取っていく。
船はかつてないほどに、呪海の王へと接近していく。
その顔面は艦隊のほうを向いていたため、こちらに見えるのは背中の側だ。それでも、この世の生物とは思えない不気味さに、身がすくみそうになる。
やがて、艦隊が呪海の王の西側へと到達した。呪海の王は赤黒い瘴気をいまだに吸い込んでおり、そちらに注意を向ける素振りもない。
次の瞬間、艦隊から嵐のような攻撃が開始された。
右側面に並んだ兵士達によって、魔法と弩弓が連射される。先程と手段は同じだが、接近しての攻撃は威力が違った。
数知れない魔法と矢が呪海の王の顔面に命中し、爆炎が巻き起こる。
それでも、あまりに巨大な体は爆炎に覆い隠されることはない。
そうしているうちに、こちらの船も呪海の王の東側へ到達した。
「よし、行くぞ! ミスティン、僕に続いて!」
船の右側面から呪海の王をにらんでいたソロン達も、攻撃を開始する。
ソロンが蒼煌の刀を構えれば、刀身が青い炎に包まれる。後先は考えない。これで全てが終わると信じるのだ。
燃えさかる刀身から業火が放たれ、呪海の王の後頭部へと衝突する。兵士達が集団で放った猛火と比較しても、その激しさは引けを取らない。
「あいよ!」
風伯の弓を構えたミスティンが、ソロンに一拍置いて矢を放つ。
標的に突き刺さった矢が竜巻を生み出し、青い業火をあおり立てる。業火はますます勢いを増して、呪海の王の頭部を焼き尽くそうとする。
「やれやれ、派手な奴らよの」
メリューは激しい攻撃に呆気を取られながらも、無数の短刀を宙に浮かせる。
「――ゆけ!」
彼女がうながせば短刀が急激に加速し、呪海の王へと突き刺さっていく。その多くには魔石を内包していたらしい。兵士達の弩矢と同じような爆発を巻き起こす。
ちなみに、彼女には父から賜った愛刀もあるが、さすがにあの炎の嵐の中には投入できなかったようだ。
呪海の王の表面が崩壊し、そこから赤黒い瘴気が放出されていく。体を構成する何かが崩れているように思えた。
「有効なようですね。私も行きます!」
神鏡を使って消耗していたはずのアルヴァも、残された精神力で雷鳥の魔法を放った。
杖先から放たれた激しい稲妻が、雲海の上を駆け抜ける。それは一瞬のうちに呪海の王の頭部へと突き刺さった。
全快時よりも威力は劣るが、それでも巨竜すら屠るような強大な魔法である。間近に落雷が降ったような衝撃――それがソロンの元までも伝わってきた。
雷鳥の光が広がり、呪海の王の頭部を飲み込んでいく。その姿がついに光の中へと覆い隠された。
けれどそれでも、艦隊による猛攻は終わらない。
艦隊は時計回りに円を描きながら、呪海の王の周囲を回り続ける。そうやって、敵との距離を測りながら、絶え間なく攻撃を続けるのだ。
グラットも艦隊の円陣に混ざり合って、オデッセイ号を動かし続けた。ソロン達も残りの力を振り絞り、呪海の王へと攻撃を殺到させる。
消耗した船から順次攻撃を停止し、円陣から離れていく。弩弓の矢にも、術者の精神力にも限界がある。いつまでも攻撃は続けられないのだ。
雷鳥を放ち終えたアルヴァは、なおも紫電の魔法を杖先から放ち続ける。しかし、立ち上がるのも億劫なほどに疲れているようだった。
「グラット、僕達も離脱しよう」
やむなくソロンが提案する。
実際のところ、ソロン自身は何の権限も持たない。それでも、船長のグラットならば、アルヴァに代わって判断しても許されるはずだ。
「だな」
グラットも同意し、速やかに船を離脱させる。
やがて、全艦隊の攻撃が収まった。全ての船が呪海の王から距離を取り、陣形を分散していく。艦隊は西側へと進路を向けていた。
一定の距離を置いたところで、アルヴァが船を止めるように指示をする。どうやら、呪海の王が反撃してくる気配はなかった。
「ソロン……呪海の王はどうなりましたか?」
「確認しよう」
ソロンはアルヴァを支えながら、船の後尾へと近づいていく。仲間達も一様に後尾へと集まっていた。
*
雲海に突き出た呪海の王の頭部――今やそれは原型を失っていた。
雲軍の猛攻とソロン達の攻撃を受けては、呪海の王も無事ではいられなかったのだ。周囲には赤黒い瘴気がまとわりついている。
そして、代わりに確認できたのは赤い何かだった。ただモゴモゴと微動を繰り返しているだけで、攻撃をしかけてくる様子はない。
「うわ、いっそう気持ち悪くなったな……。なんつうか、ガキの頃に虫ちぎって遊んでた時のことを思い出したぜ。頭ちぎっても、しばらくはピクピク動いてるんだよな」
呑気にも、グラットが幼少の思い出を語り出したが……。
「最低」
「なるほど、幼少より野蛮だったのだな」
ミスティンとメリューから砲火を受けて、グラットはたじろぐ。
「しゃーねえだろ、ガキだったんだから!」
グラットは抗議を試みるが――
「おい、あれを見よ!」
突如、メリューが叫び声を上げた。彼女にしては珍しいほどに取り乱している。
周囲をただよっていた赤黒い瘴気が、呪海の王の残骸へとまとわりついていく。
瘴気が凝固して、呪海の王の欠損した体を補っているようだった。
「もしや、再生しているのですか!? 誰か、神鏡をここに!」
アルヴァが驚愕の表情を浮かべながら、指示を下す。
ソロンは慌てて、神鏡が鎮座している船の前方へと駆けていく。兵士達の力を借りながら、ソロンは神鏡を後尾へと運んでいった。
そうこうしているうちに、呪海の王は急速に体を再生させていた。
「急いでください!」
急かすアルヴァへとソロンは神鏡を手渡した。
アルヴァは両手で神鏡を抱え、呪海の王へと向けた。
しかしながら、その足元はおぼつかない。既に彼女の消耗は激しく、限界が近づいているのだ。
「大丈夫? 僕も力を貸すよ」
無理に取り上げようとしても抵抗するだろうな――と、予想したソロンは、神鏡の片側へと手を添えた。
「そういうお前もヘナヘナだろうが」
「うん、みんなでやろう」
グラットにミスティン、それからメリューも鏡に手を添えて、力を貸してくれる。
アルヴァは頷いて。
「それでは、行きますよ!」
再度、神鏡の光が放たれた。
形を失った呪海の王へと光が向かう。赤黒い瘴気が、まばゆい光に吹き飛ばされていく。
アルヴァやソロンが消耗しているのは仕方ないが、それは仲間達が補ってくれている。特にグラットは船の指揮を執っていたため、精神力に消耗はないようだ。
先程に負けじと光も勢いを増している。
これならば――と、ソロンが思ったその時、異変が起こった。
何かが割れるような異音がしたのだ。
次の瞬間――神鏡から破裂するような音が響いた。激しい反動が、こちらへと襲いかかる。
「んっ、あ!?」
アルヴァが悲鳴を上げた。神鏡がその手から離れようとしているのだ。仲間達も神鏡をつかもうとするが、押さえきれなかった。
「アルヴァ!」
ソロンは強く力を込めて、アルヴァの背中を支える。しかし衝撃は強く、いくら足を踏ん張っても支えきれない。五人まとめて、甲板の上を吹き飛ばされる。
「ぐはっ……!」
背中にぶつかる強い衝撃。続いて、一緒に飛んできたアルヴァの体にも押しつぶされる。
ソロンは甲板へと倒れ込み、さらにアルヴァの下敷きになった。
どうやら、船室の外壁にぶつかったようだ。もっとも、壁がなければ、そのまま雲海まで吹き飛ばされていたかもしれない。そこは幸運だと思うべきだろう。
「ソロン、大丈夫ですか!?」
先に起き上がったアルヴァが、ソロンへと手を差し伸べる。どうやら、ソロンが緩衝となったため、彼女にケガはなさそうだ。
「なんとか平気だよ」
痛みはあったが、体に異常はない。ソロンがアルヴァの手をつかみ、二人で速やかに起き上がった。
グラット、ミスティン、メリューの三人もすぐに体を起こした。方向の都合で、二人のような強い反動を受けなかったらしい。誰も雲海へ落ちなかったことに、ソロンは胸を撫で下ろした
「――それより神鏡は……?」
アルヴァは顔を蒼白にして、甲板を指差した。