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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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好機を逃さず

 艦隊が進むのは、内雲海と呼ばれる雲域である。

 帝国本島やカプリカ島を含む五つの島に囲まれているため、そのように呼ばれていた。


 古くより複数の国々が、豊かな内雲海の覇権を争ってきた。

 やがて、ネブラシア帝国は戦いに勝ち抜き、南のサラネド共和国を除く全方角を支配するに至った。事実上、帝国が内雲海の覇権を握っているといってもいい。

 ところが、その帝国の覇権を(おびや)かす存在が現れた。人間でも亜人でもない。下界から現れた得体の知れない魔物である。


 帝国艦隊は内雲海の平穏を取り戻すため、呪海の王がいるという東へ向かい続けた。

 被害を受けたザーシュ市へは、昼夜を問わず進めば一日半で到達できる見込みだ。そして、帝国の竜玉船は灯台の光によって、昼夜を問わずに進むことができた。

 呪海の王は、既にザーシュから先へ進んでいると考えられる。そのため、遭遇はそれよりも早くなる見込みだった。


 果たして、呪海の王を発見したのは、翌日の朝だった。

 偵察のため先行した船が、内雲海の東部を進行する呪海の王を発見したのだ。報告はさっそくガゼットの旗艦へと伝えられ、さらにはこのオデッセイ号にも伝わった。


「いよいよか……」


 さしものグラットも緊張に息を呑む。


「あと一時間もすれば、こちらからも視認できるはずです。呪海の王の恐るべき射程を考えれば、残された時間はそう多くないでしょう」


 数々の修羅場をくぐってきたアルヴァも、緊張を隠せない面持ちだった。



「来たな……」


 最初に、メリューの視力が呪海の王をとらえた。

 やがて、ソロンの持つ双眼鏡でも呪海の王の姿を視認できるようになった。


 相変わらず現実感のないほどに巨大な姿だ。

 下界で見た時は天を()くような巨体だったが、今見えているのは頭上だけだ。それでも、山のように大きいのは異常というしかない。

 どことなくワニが頭だけを出して泳ぐ姿に似ており、雲面下には赤く巨大な胴体の影が覗いていた。

 どうやって雲海を泳いでいるのかは分からないが、その動きはなめらかだ。少なくとも、雲面下で手足を忙しく動かしているわけではないらしい。


 ソロン達の乗るオデッセイ号は、少数の護衛船と共に呪海の王の北側へと向かっていく。敵の注意を引かないよう、大回りに動く必要があった。

 敵の射程を考えると、真っ向から敵の接近を待つわけにはいかない。神鏡の光を照射する前に、こちらがやられてしまっては作戦は終わりだ。できる限り、安全な位置から照射せねばならなかった


 その間、ガゼット率いる他の艦隊は正面方向に陣取る。ただし、密集を避けるため、船の位置は分散させていた。イセリアも位置は分からないが、離れた場所で指揮を執っているはずだ。

 破壊の閃光の射程外から攻撃できるような技術は、帝国には存在しない。いや、そんな技術は上界と下界――世界のどこにも存在していないはずだ。

 従って、被害を軽減するには船を分散させるしかない。不完全ながら、それが結論だった。


 呪海の王の側面を、船は離れて通過していく。そうしながらも、ソロンはまた双眼鏡を構えた。

 (うつ)ろで巨大な目が、正面の艦隊をとらえた。かすかにその目が広がり、反応を示していた。

 それだけでも、艦隊の兵士達にとっては多大な恐怖のはず。それでも艦隊は止まらず、呪海の王に向かって進み続ける。もはや、退却を判断できる時期も過ぎ去った以上、進み続けるしかなかったのだ。


「行きます!」


 その時、アルヴァが叫んだ。

 敵の注意が、十分に正面の艦隊へ集まったと判断したのだろう。

 彼女は両手で神鏡を抱えた。鏡は重く大きく、女が一人で持つには少し厳しい。ソロンはアルヴァの背中を支えて、それを助ける。

 ミスティンとメリューも手は出さないが、そばへ寄ってくる。いつでも助けられるように構えてくれているのだ。グラットは操船のため、船の中央に構えていた。


 アルヴァは両足でしっかりと甲板(かんぱん)に立ち、鏡面で呪海の王の側面をとらえた。彼女の両手から、神鏡へと魔力が流し込まれていく。

 まばゆい光があふれ出て、周囲を照らし出した。もっとも、これは前段階に過ぎない。


「おぉ……!」


 力強い光に乗員達からも歓声が漏れる。

 かつて見たときよりも強い光だ。ミスティンの星霊銀の矢や、レムズの聖剣よりも込められた魔力は強力だ。

 彼女もこの一年で成長したため、その魔力も強化されている。これならば――と、ソロンも成功を確信する。


 強い魔力が空気を振動させ、アルヴァの黒髪やスカートをはためかせる。

 しかし、まだ光は放出しない。魔力を溜めて溜めて……一気に放出するのだ。


 そして、(せき)を切ったように光の奔流(ほんりゅう)が放たれた。

 洪水のような光が雲海の上を越えて、呪海の王へと流れ込んでいく。

 呪海の王はこちらの光に気づいたらしい。かすかに首を横へ向けようとした。けれど巨体が災いして、すぐに方向転換できないようだった。


 光が呪海の王に直撃し、その顔面を飲み込んでいく。あまりにも光がまぶしいため、例によって確認はできない。

 神鏡の光が収まったのを確認して、アルヴァが腕を降ろした。疲れた様子のアルヴァから、ソロンが神鏡を受け取る。


「うしっ、撤退だ!」


 それを見たグラットも、素早く離脱を決断する。

 オデッセイ号は颯爽(さっそう)舳先(へさき)を転じた。

 神鏡の光を放てば、この船が目をつけられる可能性は高い。そのため、照射後はすぐに離脱する段取りだったのだ。


 雲海の底から響くような鈍い音が聞こえてくる。

 それが呪海の王が上げる苦悶(くもん)の叫びだとソロンは気づいた。

 呪海の王は首をゆっくりと曲げて、虚ろな瞳をこちらに向けてくる。少なくとも、こちらが光を照射したことは認識しているらしい。

 身の毛がよだつ思いがするが、つまりは効果があった証でもあった。


「あれ、怒ってんのか……? とにかく逃げるぜ!」


 グラットは恐怖に怯えながらも、必死で船の指揮を執る。

 光を浴びて苦しんでいるのか、呪海の王の動きは鈍かった。その隙を突いて、竜玉船は呪海の王から離れていく。


「攻撃、始まるよ!」


 ミスティンが叫び、オデッセイ号の後方を指差す。

 ソロンもアルヴァと共に、遠ざかる呪海の王の方角へ目をやった。


 今まさに、ガゼット率いる艦隊が動き出すところだった。

 その主力となるのは、竜玉船に乗った魔道兵の数々だ。

 猛烈な炎の嵐を、呪海の王へとお見舞いしていく。敵はオデッセイ号に気を引かれていたため、背後から攻撃を喰らう形になった。


 続いて、軍船に積まれた弩弓(どきゅう)から、勢いよく矢が飛び出す。

 突き刺さった矢が爆発を起こし、呪海の王の体に衝撃を与えていく。


 どうやら、あれは帝国軍の誇る新兵器のようだ。炎の魔石を内包した矢を、機械式の弩弓で撃ち出し、破壊力を高めているらしい。

 もっとも、高価な魔石をまるごと使う以上、かかる費用の大きさも想像に難くないが……。

 呪海の王もこれは無視できなかったようだ。こちらへ向けていた顔を、背後へとゆっくりと転じていく。

 自然、こちらからはまた呪海の王の側面を見るような形になった。


 そして、呪海の王が大顎(おおあご)を大きく開いた。それは恐るべし攻撃の兆候だった。


「来るか!?」


 メリューが迫真の声を上げた。

 途端、赤黒い閃光が放たれた。暴走する光が雲海の上を走り、艦隊を飲み込んでいく。

 反対方向にいるこちらまで、衝撃波が伝わってくる。


「くそっ、親父……!」


 グラットが言葉を失う。それでも、彼は船長としての集中を切らさなかった。


 *


 光が収まり、戦場の様子が鮮明となる。

 バラバラに散らばった艦隊の姿が見えた。

 風を動力とする帆船(はんせん)と比較して、竜玉機関を持つ竜玉船の動きは機敏だ。迅速な方向転換によって、予想以上に多くの船が回避できたらしい。

 その中には無事な旗艦の姿も見えた。さらには、イセリアの乗る船もどうやら無事なようだった。


「親父……」


 グラットが深く溜息をついた。


「ですが、相当な数の船が犠牲になったようですね……」


 アルヴァが沈痛な表情でつぶやいた。

 雲海の上には赤黒い瘴気がただよっていた。それが犠牲になった兵士達の痕跡なのは間違いなかった。


「仕方あるまい。今すべきは好機を逃さぬことだ」

「分かっています」


 メリューの言葉にアルヴァは頷いた。

 晴れた光の向こうで、呪海の王は動きを止めていた。

 大きく口を開き、何かを待つように硬直している。

 何を待っているかはすぐに分かった。

 雲海の上に(ただよ)う赤黒い瘴気が、その大口へと吸い込まれていったのだ。


「攻撃をゆるめるわけにはいきません! 犠牲は大きくとも、ここで攻めなければ戦いは終わりません! ソロン、合図を!」


 正直なところ、犠牲は覚悟の上だった。だからこそ、船の位置を分散するという策を取ったのだ。アルヴァやガゼットといった首脳部は犠牲になっていない。

 ならば、作戦を止めるわけにはいかなかった。


「了解だ!」


 ソロンは刀を空に向け、青い火球を放った。

 上空で蒼炎が弾けて散乱する。

 真上に魔法を放つ時は攻めの合図だと、最初から取り決めていたのだ。アルヴァの雷でもよいが、今は彼女も疲弊(ひへい)している。


 すぐにガゼットがいる旗艦からも、光の柱が立ち昇る。彼の持つ閃光の槍で、了承を意味する合図を返したのだ。

 動きを止めた呪海の王へと、全艦隊が再びの突撃を開始する。散った仲間達の借りを返そうと、総力を上げるつもりのようだ。


 もっとも、艦隊はただまっすぐに呪海の王を目指すわけではない。

 ガゼット将軍の指揮の元、散らばっていた艦隊は左右に移動し、縦列へと陣形を整えていく。

 旗艦を先頭に、呪海の王の西側へと向かう構えを見せた。


「見事な動き、さすがはガゼット将軍です。グラット、私達はあちらへ向かいます。間に合いますか?」


 アルヴァは向かって右――つまりは呪海の王の東側を指差した。

 当たり前だが船は急に止まれない。帆船(はんせん)と比較すれば機敏な竜玉船だが、それでも慣性に従って動くのは変わらなかった。


 だからこそ、各船が無秩序に動いてはならない。たやすく衝突事故を引き起こしたり、同士討ちとなってしまうのだ。

 その点、分散していた陣形を、またたく間に統一したガゼットの手腕は見事だった。

 今ならばガゼットの反対側へ向かえば、同士討ちを避けられる。ただし、ノロノロとしていては、艦隊の攻撃に巻き込まれてしまう。


「やるっきゃねえな! 右から回り込むぜ!」


 グラットが覚悟を決めれば、竜玉船も舳先(へさき)を右に向けて旋回した。一度は離れた呪海の王へと、船が接近していく。

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