表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
378/441

落ちる架け橋

 呪海の王が上界へ昇ってから、幾日かが過ぎた。


 帝国本島とその南東にあるカプリカ島――その二つを隔てる雲峡に、大きな橋が架かっていた。

 ザーシュ大橋である。

 建造されたのは今より一六〇年前、ウォズ大帝の御世(みよ)。かの君は東方帝国を下し、分割した帝国の再統合を果たした人物だ。三国時代に終焉(しゅうえん)をもたらした功績をたたえ、特別に大帝と呼ばれていた。


 東方帝国の領地であったカプリカ島。ウォズ大帝はそれを征服した記念として、前代未聞の大事業を考案した。すなわち、帝国本島とカプリカ島の間に橋を架けようと思いついたのだ。

 もっとも、思いつくのは簡単だが、二つの島を隔てるザーシュ雲峡は四半里も離れている。歩数でいえば約一五〇〇歩だ。

 対象が海や川だったとしても、前例のない大事業であった。しかも、実際の対象は雲海だ。海や川と決定的に違って、雲海には底がない。


 不可能と思われた難事業だったが、それも竜玉によって解決された。

 大量の竜玉を埋め込んだ人工の浮島を、中間地点にいくつも並べ、その上に塔を建てる。塔の頂上と頂上を竜鱗鋼(りゅうりんこう)の線でつなぎ、長大な橋を持ち上げる。

 そうして、二台の馬車がすれ違えるほどの頑丈な吊橋が形作られていった。


 十年を超える歳月の間に、ウォズ大帝は崩御した。けれど、次代の皇帝に事業は引き継がれ、ついに大橋は完成に至る。前代未聞の大事業は成功に終わったのだった。

 雲海の帝国といわれるネブラシアにおいても、陸路の重要性は無視できない。それ以降、ザーシュ大橋は交通の要所となった。


 そして、交通の要所となればそこは栄える。

 橋の建設に(たずさ)わった者達が、その両端に築いたのがザーシュ市だ。

 本島側の北ザーシュ、カプリカ島側の南ザーシュ――建設が終わった後も、ザーシュ市は交易の経由地として繁栄を続けたのだ。


 異変が起きたのは、そのザーシュ大橋の近辺だった。


 大橋の東の雲海から、それは現れた。

 赤黒い瘴気をまとった異形の顔――呪海の王が雲海の彼方に、顔を覗かせていたのだ。

 それは大顎(おおあご)を持つワニのようでもあり、また竜のようでもあった。


 顔だけを覗かせて、呪海の王はゆったりと雲海を進んでくる。その巨大な背中が雲の下に、影となってうっすらと映っていた。

 その巨体の周辺で、雲海は渦を巻いていた。まるでかの存在が、雲海と反発を起こしているかのようだった。


「なんだあれは!?」

「島か……!?」

「いや違う、島は動かないぞ!」


 巨大かつ圧倒的な存在感に、ザーシュの市民は目を疑った。

 呪海の王の大顎がゆっくりと上下に開いた。

 周囲にまとっていた赤黒い霧が、大口へと集まっていく。


 次の瞬間――大口から閃光がほとばしった。

 赤黒い光の奔流(ほんりゅう)が雲海を駆け抜け、ザーシュ市へと殺到する。

 悲鳴を上げる間もなく、人々は光の中へと霧散した。一六〇年の歴史を誇った大橋の最後は、呆気ないものだった。


 *


 かくして、一夜にしてザーシュ市は滅んだ。


 何万という住民が消滅し、その遺体すら跡には残らなかった。北ザーシュも南ザーシュも、その運命に違いはなかった。

 代わりに残ったのは、人々の肉体が転じた赤黒い瘴気だった。

 呪海の王は瘴気を浴びるように吸い込みながら、体をさらにふくれさせていった。


 エヴァートの送った偵察隊は、竜玉船の上から一連の事態を眺めていた。

 彼らにしても、呪海の王の姿を察知してはいたのだ。事前に話を聞いていたものの、呪海の王の異様な姿は予想を遥かに越えていた。


 急ぎ、市へ警告を送った時には遅かった。

 危機感のない市民の避難は後手に回った。呪海の王の姿を目視できるようになり、初めて市民達に深刻な危機感が芽生えたのだ。そして、その時には何もかも手遅れだった。


 まだ半分以上の人が残っているところに、破壊の閃光は容赦なく殺到したのであった。

 雲海を進む呪海の王の動きは、下界の陸地を進んでいた時よりも速かった。それも対応が間に合わなかった原因となったかもしれない。


 偵察隊の者達は力なく、帝都へ逃げ去るしかなかった。


 * * *


 ザーシュ市崩壊。

 その連絡を受けたソロンは、急ぎネブラシア城へと駆けつけた。

 アルヴァ達と合流し、共にエヴァートの執務室へと向かう。

 現れたエヴァートは、焦燥を顔に浮かべていた。先程まで対応に追われていたらしい。


「すまない、君達の警告を真剣に受け止めなかった僕の落ち度だ」


 エヴァートが後悔の念をにじませ謝罪した。

 アルヴァはゆるりと首を横に振って。


「いいえ、私こそ覚悟が足りなかったのは事実です。強引にでも対策を主張していれば、被害はもう少し減らせたかもしれません」

「悔やんでも仕方ないですよ。それより、やれることはやっていかないと」


 悔恨(かいこん)の念に駆られる二人を、ソロンがたしなめる。


「ああ、分かっているとも。まずは市民達の避難だが……」

「すいません、ベオのほうは大丈夫なんですかね?」


 グラットが恐る恐る口を挟んだ。彼の故郷ベオは雲岸部にあり、なおかつ人口も多い都市だ。呪海の王の予想経路にも比較的に近かった。


「呪海の王の接近が予想される雲岸部には、内陸への避難指示を出している。無論、ベオも例外でない。二度と失敗しない覚悟でやるつもりだ。そこは信頼して欲しい」

「そいつは助かります」


 グラットはぎこちなく礼を言う。皇帝の力強い言葉に、多少なりと安堵したようだった。


「それから、すぐにでも帝都雲軍を出動できるよう、大将軍が今も働いてくれている。神鏡の準備についても問題はない。今となっては、誰も反対しないだろうからな」

「神鏡を使う者が必要ですね。どうか私に勅命(ちょくめい)を」


 アルヴァが提案し、自ら名乗りを上げた。


「君が頼まれてくれるか?」

「なんなりと。お兄様は後方の帝都から指揮に当たってください」

「いや、僕も前線に出るつもりだが……。今や国家存亡をかけた事態だからな」

「いいえ、だからこそ、皇帝は帝都におわすべきなのです。敵の行動はあまりに未知数。お兄様にお怪我があっては、後の対応を取る者がいなくなってしまうでしょう」

「君だって、皇帝の頃から散々無茶をしてきただろう」

「私の場合は、後にお兄様が控えていましたから。そして現状、お兄様の代わりはいません。ウリム皇子はあまりにもお若く、その他に有力な皇族もありませんから」


 皇帝と上帝、従兄と従妹である二人が、いつにない厳しさで議論する。

 こうなっては、ソロンもミスティンもグラットもメリューも……その場にいた誰も口を挟めなかった。


「……分かった。そうしよう」


 エヴァートはそれ以上の議論をしなかった。事態の深刻さを悟り、アルヴァの言い分を飲んだのだ。


「それともう一つ。帝都雲軍の提督についてですが、目星はついてらっしゃいますか?」


 アルヴァがもう一つの懸念点を挙げる。

 名目上、艦隊の総大将は上帝のアルヴァとなるはずだ。けれどそれとは別に、実際に艦隊を統括する提督が必要だったのだ。

 オトロスが反乱を起こす以前、帝都雲軍の提督はレゴニアという将軍が務めていた。


 ……が、この男はあろうことかオトロスの反乱に加担した。挙句の果てに、かつての同僚だったガゼットに討たれてしまったのである。

 よって、現在の提督は空席となっていたのだ。


「大将軍に相談するつもりだ。適任者がなければ、大将軍にそのまま就任してもらうしかない。できれば、大将軍には市民の避難に専念してもらいたいが……」


 エヴァートはそう言いながら、溜息をついた。

 帝国十将軍の筆頭たる大将軍であるが、老齢もあって戦場からは久しく離れているらしい。

 それでも、その地位にあるのは彼の統率力や人望が得難いためだろう。だが、実戦の指揮を執らせるかは別問題なのだ。


「――それにしても、人材不足は深刻だよ……。裏切り者とはいえ、レゴニアはそれなりに優秀だった。オトロスがそそのかさなければ、もう少しは帝国に貢献してくれただろうにな」

「お兄様、下界に落ちた滝の水を嘆いても仕方ありません。所詮レゴニアなど敗軍の将、帝国にはよき人材がまだまだいると私は信じています」

「そうだな。君も推薦(すいせん)があれば、言ってくれたまえ」

「私はガゼット将軍を推薦します」


 アルヴァが即答すれば、


「うげっ!?」


 奇怪な声がその場から上がった。声の主はもちろんグラットだった。彼は皇帝の御前であることを思い出したらしく、慌てて口を押さえるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ