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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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昇竜の門

 アルヴァ達は帝国軍の一部を連れて、北へと引き返した。アルヴァ、ミスティン、グラットらとはここでお別れである。


 一方、呪海の王の動向を探るために残ったのは、ソロン、メリューにサンドロス、ナイゼルらのイドリス軍。そして、レムズ率いるラグナイ軍だ。

 さらにはガゼット、イセリアの帝国将軍も引き続き下界に留まってくれた。アルヴァが戻るまで、彼らも呪海の王の監視を続けるようだった。


 さて、問題はその呪海の王である。

 異形の怪物は引き続き、王都ラグループに横たわっていた。

 三国軍は半ば廃墟と化した王都に陣取って、その監視を続けることになった。


 *


 王都に奇妙な静寂が訪れていた。

 日中、あれだけの暴虐を尽くした敵がその場にいる。だというのに、お互い何も手出しをしないのだ。


 離れた宿の屋上から、ソロンは呪海の王を眺めていた。

 夜の闇の中で、呪海の王の体はぼんやりと赤く光っている。見逃しようがないのはありがたいが、それにしても血を思わせるような不気味な色だった。


「動かんな」


 隣で監視をしていたメリューが、嫌気が差したようにつぶやく。

 実際、呪海の王が眠りに入ってから何時間か経ったが、一切の身動きはなかった。


「ずっとこのままでいてくれたら、楽なんだけどね。ただ待つだけっていうのも、辛いものがあるな」


 かといって、油断できるような相手でもないのだ。動き出せば、前進するだけで建物も生物も飲み込んでしまう。あるいはまた、あの破壊の閃光を放つかもしれなかった。


「坊っちゃん、メリューさん。そろそろ交替いたしますので、お休みになってはいかがですか?」


 屋上に現れたナイゼルが声をかけてきた。


「それもそうなんだけど、どうしても気になってさ」

「人手はたくさんありますので、坊っちゃんご自身が見張らずとも心配いりませんよ」


 現在、王都には三国軍の多くが駐留している。レムズらラグナイ軍、ガゼットら帝国軍も各方角から監視しているはずだった。


「そうだね、休ませてもらおうかな」


 ソロンはメリューの腕を引き、寝室へと引き返すことにした。ソロンにしても気にはなるが、メリューを付き合わせては申し訳ない。

 メリューはやはり呪海の王に気を引かれていたが、しぶしぶ従うのだった。


 *


 呪海の王が動き出したのは翌朝だった。

 身悶えするような動きが観測されるや、監視の魔道士が魔法の花火を打ち上げたのだ。

 その音と光を見て取るなり、待機していた三国軍も慌ただしく動き出す。


 ソロン達も跳ねるように起きれば、とある建物へと走った。すぐに動けるよう、全員が軍装・旅装のまま就寝していたのだ。

 そこは政府高官の屋敷であり、王城とは違って例の閃光から逃れていた。家主の高官は既に避難してしまったものの、レムズはそこに仮の拠点を定めていたのだ。


「ソロニウスか。速いな」


 屋敷の屋上へと駆け上がれば、既にレムズもそこで待っていた。

 サンドロス、メリュー、ナイゼルも少し遅れて駆け上がってくる。ガゼットやイセリアもこちらへ向かっているはずだった。


「呪海の王はどうなった?」


 ソロンが真っ先に確認すれば、レムズは目線だけでうながしてくる。基本的に男との会話は最小限に留める主義らしい。

 レムズのそばへと駆け寄れば、他の皆も集まってくる。

 ソロンは呪海の王が横たわっていた南東へと視線を向けた。


 それは今まさに、呪海の王が起き上がるところだった。

 その場にいた全員に緊張が走る。こちらを狙ってくるようなら、死に物狂いで逃げねばならないのだ。

 呪海の王はこちらに背中を向けて、ゆったりと巨体を起こしていく。そしてまた、ゆっくりと這うように動き出した。


「南か……。予想が外れたな」


 サンドロスは意外そうに声を上げた。兄の予想していた進路はラグナイ第二都市のホロージャ。あちらは西南西だ。


「あの方角に町は?」


 ナイゼルがレムズへと問いかける。


「最も大きいのはアングーだが、人口は一万人を少し越える程度だ。基本的には人里から離れる方角だな。被害を抑えやすいのはありがたいが……」


 レムズが地図を広げて指し示してくれた。

 アングーという町が、王都から徒歩で四日程度のところに存在している。途中に町や村もあるようだが、それも多くて人口数千人といったところのようだ。


「こちらとしても、イドリスに向かわないなら歓迎なのですが……」


 ナイゼルがつぶやけば、サンドロスも顔を見合わせ考え込む。


「しかし、気になるな」

「ええ、人が多い場所を狙うという仮説は誤りだったのでしょうか……。それなりに確信があったんですけどねえ」

「う~ん、僕もそこは間違いじゃないと思ったんだけど……。何か見落としがあるのかな?」


 ソロンも二人と並んで悩み込んだ。

 呪海の王は迷いなく、この王都を目指していたように見えた。その動きはやはり、ナイゼルの仮説が正しいとしか思えなかったのだが……。


 そうこうしているうちにも、呪海の王は進撃を続けていた。王都の南を(はば)むはずの防壁は、障害にもならず飲み込まれていった。

 早く追いかけたいし、焦る気持ちはある。けれど、その前に考えをまとめておきたかった。


「レムズ王子、この昇竜の門とはなんだ?」


 一歩引いていたメリューが、地図を指差した。差された先は、アングーの町よりもさらに南にある印だった。

 街道が途切れた先らしく、人里がある地域にはとても見えない。だからこそ、ソロンはそこまで呪海の王が進むとは考えなかったのだが……。


「お目が高いですな、メリュー殿。そこは地に空いた穴から常時、巨大な竜巻が立ち昇る場所です。竜が上界へ昇るための通り道といわれ、わが国では信仰の対象にもなっていました。もちろん、邪教徒ども以前からある正しき信仰の話ですが」


 相手が女性なので、レムズは丁寧に答えた。


「上昇気流を生み出す地形というわけですか。ラグナイには随分と奇妙なものがあるのですね」


 ナイゼルが何気なくつぶやく。

 いや、しかし……ソロンは知っている。視点は違うが、初めて耳にする話ではない。


「それはもしや――」


 メリューの尖った耳がピンと動いた。


「雲の柱だな」


 それを口にしたのはガゼット将軍だった。いつの間にか屋上へ到達していたらしい。隣にはイセリア将軍も伴っていた。


「そうそれですよ! カプリカ島の東にもあるって、グラットも言ってました!」


 上界のドーマ連邦で目にした巨大な竜巻……。雲海を巻き込んだそれは、巨大な雲の柱だった。だが、下界から眺めた場合は雲を含まないため、単なる竜巻として見えるのだろう。

 そして、昇竜の門はここから遥か南にある。その西には広大な黒雲があり、その正体は上界のカプリカ島だった。

 下界から立ち昇る昇竜の門は白雲を貫き、上界にて雲の柱となる。


『俺もガキの頃、親父に連れられて見たことあるぜ』


 と、グラットが述べていた雲の柱だ。


「俺達が知らないことを知ってるようだな。しかし、それが何か関係あるのか?」


 サンドロスは興奮するソロンに問いかけた。


「いや、関係あるかどうかは――」


 そこまで言ったところで、ソロンの脳裏に閃くものがあった。

 人の多い町……。それも呪海の王が向かう方角から、たどり着ける場所だ。突拍子のない思いつきである。しかし、それならば不可解な進路にも説明がつく。


「――まさか……上界へ向かうつもりじゃ!?」

「どういう意味だ、ソロン殿?」


 イセリアは怪訝(けげん)な声を上げた。到着したばかりで、会話内容を飲み込めていないらしい。


「このまま行くと、呪海の王は昇竜の門――つまり雲の柱に到達します。その気流に乗って、上界へ昇るんだと思います」

「そんなことが、ありえるのか……?」


 イセリアは信じられないとばかりに(いぶか)しむ。しかし、その顔色は蒼白だ。

 ソロンは頷いて。


「可能性は否定できません。あの体なら気流を使って、上界を目指せるかもしれない」


 雲の柱を構成する気流は激しく、生身の生物では生命を保てるはずはない。しかしながら、あの呪海の王はそんな常識からも逸脱しているように思えた。


「……無視できんな。イセリア将軍、俺は帝国に戻るべきだと考えるが。君はどう思う?」


 ガゼットに問われて、イセリアは考え込むが。


「可能なら見届けたいところだったのですが、猶予(ゆうよ)はないようですね。分かりました、私も賛同します」


 仮に昇竜の門まで呪海の王を追跡すれば、界門から大きく離れてしまう。ソロンの推測が当たれば、帝国軍がそこから急いで引き返しても決戦には間に合わない。イセリアはその点を考慮したのだろう。


「それじゃあ、僕も同行していいですか? どうせ北の界門を開かないといけませんし」


 ソロンはすかさず手を挙げた。主戦場が上界へ移るなら、ソロンがこちらにいる理由はない。一刻も早く、アルヴァ達と合流すべきだろう。


「無論、私もだ」


 と、メリューも進み出る。


「ああ、こちらしても頼みたいくらいだ」


 ガゼットも(こころよ)く承諾してくれる。

 サンドロスがソロンへと近づいて。


「俺達はもうしばらく呪海の王を追ってみよう。ヤツが本当に雲の柱へ向かうのか、見届ける必要もあるだろうしな。お前とはここでお別れだな、持っていけ」


 そう言いながらソロンに黒いカギを手渡した。もちろん、界門を起動するための予備のカギである。


「坊っちゃん、寂しくなりますね」


 ナイゼルは寂しげな顔をソロンに向けてきた。もちろん彼も、サンドロスと共に下界へ残るようだった。


「万が一の場合、イドリスのことは頼んだよ」

「まあ、そっちの心配はしていませんよ。私も坊っちゃんの推測は、妥当だと見ていますので」

「なんだったら、お前もソロンと一緒に向かうか?」


 サンドロスが気を使うが、ナイゼルは否定した。


「いえ、他に力になれる手段がないか、模索してみようかと考えています。もっとも、間に合うかどうかは分かりませんがね」

「それでも頼りにしてるよ、ナイゼル。悪いけど、そっちは任せたよ」


 この戦いはあらゆる手を尽くさねばならない。そういう点ではナイゼルのような存在は頼もしかった。

 それから、ソロンはレムズへと視線を向けた。

 彼はこちらのやり取りをじっと聞いていたが。


「南にも少ないながら町がある。俺はそれらの避難を取り計らうつもりだ。紅玉の姫君の助けになれぬのは無念だが、その役目は断腸の思いで貴様にくれてやる。ソロニウス、死んでも姫君を守ってみせろ」


 ひょっとしたらと思ったが、レムズはさすがにアルヴァを追わないらしい。事実上のラグナイ国王となった身として、その責務を果たすようだった。


「言われなくても守るさ。健闘を祈るよ」


 ソロンはレムズに向かって手を差し出した。

 レムズは露骨に顔をしかめながらも、軽く手を握ってくれたのだった。


 そうして、レムズ率いる騎士達は早々に王都を出発した。町人の避難を行うため、呪海の王を追い越す必要があったためだ。

 サンドロス率いるイドリス軍は、後方から呪海の王を追跡する。

 ソロンとメリューは、帝国軍と共に北の界門を目指して出発した。


 かくして、一行はそれぞれの目的へ向かって、バラバラに動き出したのだった。

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