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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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呪海の王

 メリューが指差すほうへとソロンは視線をやった。

 膨大な赤黒い瘴気が、呪海の彼方(かなた)から浮かび上がっていた。まさしく、大神殿があった辺りだろうか。

 呪海の瘴気が次第に集まっていく。まるで意思を持つ生き物の群れのようだ。


 やがて、それは赤黒く巨大な輪郭(りんかく)を、呪海の上に形作った。輪郭は次第に鮮明となり、何らかの巨大な魔物へと変化していく。あらゆる生命を拒絶するはずのその場所にだ。


「あれが、ザウラストの切り札か……。呪海の王などと言っていたな」


 メリューが険しい顔で凝視する。

 ソロンもアルヴァも、皆その異形から目を離せない。


 印象としては手足のないワニだろうか。

 頭部と胴体の境界は判然としない。蛇が鎌首をもたげるように、胴と一体化した頭部を高く持ち上げている。手足が見えないのは呪海に隠れているためか、はたまた元から存在しないのか。

 頭部には暗いくぼみが二つ存在するが、位置からして瞳の代わりだろうか。ただ(うつ)ろに虚空をにらんでいた。


 山のように巨大な輪郭(りんかく)は、おぼろげに揺らめいている。液体と固体の中間といった印象だ。まさに呪海がそのまま凝固したかの如く。その周囲には赤黒い瘴気が(ただよ)っていた。

 山のようにというのは比喩ではない。本当に山のように巨大だったのだ。帝都にあるどんな建物も、あの巨体には遠く及ばない。ネブラシア城の頂上すらも、あれよりは(はる)かに劣るのだ。

 常識では、自重に耐えきれず潰れてしまう大きさである。それをなぜだか、あの怪物は保っていた。


 そして、呪海の王は動き出した。

 呪海をかき分けながら。体を引きずるようにして南の岸へ向かってくる。

 遠くまでも空気が泣くような音が響いた。

 動きは鈍重であるが、巨体ゆえにその速度は侮れない。


「こっちに来るぞ!」


 兵士達がとまどい叫ぶ。


「に、逃げろっ!」


 我先にとリーゲル軍の生き残りが逃げ出した。彼らはレムズ達によって制圧された身だったが、今は逃走をとがめる者もいない。

 呪海の王の姿には、レムズすらも呆然としていたのだ。騎士達と共に、身動きを取れないでいる。


「あやつ、我らの元へ向かっているのか……?」


 メリューがつぶやいたが、ソロンは否定的だった。


「いや、狙いが僕らなら向きがズレてるよ。それより、もっと遠くを見据えているような……。このまま南へ進んだら――」

「まさか、ラグルーブか!」


 ハッとした様子でレムズが叫んだ。このまま南へ進んだ先には、ラグナイの王都ラグルーブがあった。


「ガゼット将軍、イセリア将軍! 弓兵と魔道兵の半分を連れて、西側へ移動を!」


 そんな中、アルヴァが決断を下した。


「陛下はどうなさるのですか?」


 イセリアがとまどいがちに、アルヴァの意向を伺う。


「私も残り半分を連れて、東へ向かいます。敵を一方へ誘導し、もう一方で背後から攻撃をしかけましょう」


 全軍が合流した結果、この場には万に迫る兵力があった。それをもって、アルヴァは戦いを挑むつもりなのだ。


「了解しました。あのように巨大な敵は初めてですが、一つ挑んでみせましょう」


 歴戦の将軍たるガゼットは、さすがに肝が据わっていた。こんな状況であっても、冷静に受け答えする。


「お願いします。ただし、近接攻撃は厳禁です。魔法や弓を持たぬ者は、遠方へ退避を」

「承知しました」


 と、イセリアも頷く。


「じゃあ、僕達もアルヴァと同じ側だね」

「付き合うぜ。つっても、俺の武器じゃあ攻撃できねえけどな」


 ソロンもグラットも仲間達も、当然のようにアルヴァへ続く。


「私も戦いましょう。あれはザウラストの置き土産……。紅玉の姫君だけに任せてはおけません。私もあなたのおそばへ」


 レムズと騎士達も意気を取り戻したらしく、呪海の王へ立ち向かう。


「ありがとうございます。ただ、レムズ殿下は西側をお願いできますか? あなたの持つ星霊銀の剣が必要なのです」


 アルヴァがやんわりとレムズを誘導する。ただし、今回は相手を避けたというよりも戦術上の都合らしい。


「はっ、仰せのままに」


 レムズもすんなりと頷いた。


「ならば俺達は東側だな」


 大刀を片手にサンドロスが助勢を誓う。それから、視線をナイゼルへ向けて。


「――ナイゼル、鏡はあるか? ……というかやれるか?」

「ここに。……体は見ての通りですが、精神は健在なのでご心配なく」


 ナイゼルは息を切らしながらも立ち上がり、(かばん)から小さな鏡を取り出した。

 かつて、王都イドリスに現れた神獣の瘴気を払った神鏡だ。元をたどれば、帝都にあった神鏡の破片――それに鏡縁(かがみぶち)をはめたものだった。


「ええ、お願いします。恐らく、呪海の王は東西のどちらかに意識を向けるはずです。狙いを向けられた側はすぐに撤退を。背後を取った側が攻撃をします」


 アルヴァは早口で指示をし、さらには念入りに注意をうながす。


「――得体の知れぬ相手です。くれぐれも無理をなさらぬよう。逃げるのを恥じる必要はありません。敵を見極める前に戦力を失うほうが、結局は痛手なのですから」

「引き際は心得ていますとも」

「陛下こそ、お気をつけて」


 ガゼットが頷き、イセリアがアルヴァを気遣った。


 *


 全軍を分割し、東西へ離れて位置取る。

 ソロンもアルヴァと同じ東側で、呪海の王の接近を待っていた。背後には数千にも迫る弓兵と、魔道兵からなる大軍が控えている。心強くはあるが、それでもどれだけの意味をなすかは不透明だ。


 固唾を飲んで、迫る怪物を見守り続ける。

 敵は一体どのような攻撃をしかけてくるのか。もしかすると、既に敵の射程圏に入っているのではないか。様々な疑念が湧いてくる。ただ待ち続けることが、これだけ恐ろしいと感じたのは初めてだった。


 その間、呪海の王はまっすぐに南へと向かっていた。

 相手から見て両軍は、南西および南東に陣取ったことになる。アルヴァの予想では、そのどちらかに矛先を向けると思われていたが……。


「眼中にないということか?」


 メリューは(いぶか)しがった。

 予想に反して、呪海の王は向きを変えなかったのだ。ただ南へ直進し、上陸へと近づいていた。虚ろな瞳はこちらに興味を示さない。


「それならそれで好都合。両方から攻撃するまでです」


 アルヴァは動じず指示を修正した。


「アルヴァ」


 ミスティンはアルヴァへと矢を手渡す。

 アルヴァは頷き、矢へ向かって魔力を込めていく。流れる魔力に呼応して、矢尻が白光(びゃっこう)を放ち出した。

 矢はもちろん星霊銀である。呪海の力を色濃く受けた魔物には、その力が絶大な効力を発揮するのだ。


「ミスティン、あなたに託します」


 輝く星霊銀の矢を、アルヴァは再びミスティンへと返す。


「任せて」


 それを受けたミスティンは弓を構え、星霊銀の矢をそえた。彼女にしては珍しい緊張した面持ち。それでも、矢尻は正確に対象をとらえていた。


「ナイゼルさんも鏡に魔力を。ミスティンに続いてください」

「承知しました」


 ナイゼルも小さな神鏡に魔力を込め始めた。鏡面が振動し、光をこぼれさせる。こちらも表情は真剣そのものだ。眼鏡を通して、じっと呪海の王を(うかが)っていた。


 迫る、迫る、赤黒い瘴気(しょうき)をまとった巨体が、呪海を進んで迫ってくる。

 近づけば近づくほどに、その異様な大きさを実感させられる。生物にも建造物にもこんな巨大なものはない。やはり、山と表現するしかなかった。


 呪海の王がついに陸地へと上体を乗せた。あまりにも巨大なため、断崖絶壁すらも軽い段差にしか見えない。

 呪海の上に出た長い胴体があらわになってくる。不思議と地響きは起こらない。体の性質が液体に近いせいだろうか。

 王がこちらの真横を通り過ぎ、背中が見え始めた。


「今です!」


 アルヴァが指示するや、ミスティンは迷いなく星霊銀の矢を放つ。

 輝く軌跡を描きながら、矢は一直線に魔物の横腹に突き刺さった。

 刺さった矢がまばゆい光を放出し、呪海の瘴気を吹き飛ばす。


「行きますよ!」


 それを確認するなり、次はナイゼルが魔力を解き放った。

 神鏡から放たれた白光(びゃっこう)が、矢が開いた瘴気の穴へと(そそ)ぎ込まれる。光は穴を一層に広げていく。

 けれど、全てを払うには至らない。巨体を包む瘴気の量が、あまりにも多すぎるのだ。

 周囲の瘴気が、開いた穴を埋め合わせていく。たちまちにして、元通りの赤黒い瘴気が巨体を包み直してしまった。


「そんな……!?」

「えっ、なんで……!?」

「ウソでしょう……!?」


 あまりの事態にアルヴァもミスティンもナイゼルも驚愕(きょうがく)する。


「いや、まだレムズ王子がいる! 三人とも次は彼に合わせて!」


 ソロンは西側にいるレムズへと期待を寄せる。彼の剣もまた星霊銀なのだ。

 アルヴァはすぐさま星霊銀の矢を受け取り、魔力を込めていく。そうして、再びミスティンへと手渡した。

 ナイゼルも光の失せた神鏡へと、再び魔力を込めていく。小さな神鏡はたちまち光を取り戻した。


 通り過ぎる呪海の王は、無防備な背中をこちらへ見せてくる。

 西側にいるレムズは輝く剣を、高々と両手で掲げていた。

 やがて剣から伸びる光が、巨大な刀身を形作っていく。それはレムズの背丈の数十倍にまで達していた。

 しかし、呪海の王はそのレムズを気にする素振りも見せない。


「うなれ聖剣! なめるなよ、バケモノめ!!」


 咆哮(ほうこう)を上げるや、レムズは光の剣を振り下ろす。光の先端が呪海の王の表面を斬り裂いた。

 レムズは剣を突き出したまま、さらなる魔力を込めていく。剣からあふれ出す光が呪海の王へと衝突し、その巨体を押し包んでいく。

 それに合わせて、ミスティンが星霊銀の矢を放つ。ナイゼルが神鏡から光を放出する。


 東西から合わさる力が白光(びゃっこう)の洪水となり、赤黒い瘴気を押し流していく。


「今です! 全軍攻撃を!」


 成果を確認する間もなく、アルヴァが号令した。どのみち他の手段は選べない。やるのは今しかなかった。

 兵士達から猛烈な矢の雨と魔法が放たれた。あらん限りの攻撃を巨体の背に浴びせていく。

 西側でもガゼットとイセリアの号令の(もと)、猛攻が開始された。ガゼットは閃光の槍、イセリアは水竜の剣――両将軍もそれぞれの武器で魔法を放つ。


「やあっ!」


 ソロンは蒼煌(そうこう)の刀から全力の炎を放った。蒼炎が呪海の王を焼き尽くそうと踊り狂う。天を焦がさんばかりに蒼炎は広がり、巨体を包んでいった。

 メリューは大量の短刀を放ち、念動魔法で加速していく。短刀が尽きた後も、兵士達が投じた無数の矢を加速させて魔物へぶつけていく。


「くっ、こんな攻撃では豆鉄砲と変わらんな……」


 メリューが悔しげに言えば、グラットも頷く。


「だな。だが、それでもやるしかねえだろ」


 グラットは兵士達から投げ槍を受け取り、思いきりよく投げ込んだ。重量のある槍をやすやすと届かせる力量は、驚くほどのものがある。力の限り、グラットはそれを繰り返した。

 サンドロスが大刀を振れば、前方に向かって大地の弾丸が飛んでいく。彼の土魔法は地面から離れた敵には不利だが、それでもできる限りの攻撃を加えていた。


 極めつけに放たれたのは、稲妻の翼を広げる巨鳥だ。アルヴァの切り札たる雷鳥は、閃光を放ちながら呪海の王へと衝突した。

 凄まじい轟音(ごうおん)に凄まじい閃光。猛烈な煙は、山のような巨体すらも覆い隠してしまう。

 これだけの攻撃を浴びせれば、神獣すらも無事では済まない。少なくとも、これまでの相手はそうだった。


 だが――呪海の王は無傷だった。

 光と煙の離れた先では、何事もなかったかのように怪物が進み続けていた。

 その山のような全身には、今も赤黒い瘴気がまとわりついている。ミスティンの矢もレムズの剣も、有効打にはならなかったのだ。


「うおおおおおぉぉぉ! 我らの王都を守るのだ!」


 と、その時、三人の騎士が突出し、呪海の王へと駆け出した。


「待て、血気に(はや)るな!」


 これにはいつも無謀なレムズすらも制止する。

 しかし、騎士達は止まらない。恐怖に駆られた馬を無理矢理に御して、突進を続ける。呪海の王の背中へと渾身(こんしん)の槍を突き刺したのだ。


 けれど、あまりにも矮小(わいしょう)な攻撃だった。あの巨体の前には、槍の一撃など蚊の一刺しにも満たなかったろう。

 突き刺された部分がゆがんだ。

 瞬間、ゆがんだ体がさらに変化し、触手へと姿を変えた。


「ぬああっ!?」


 触手は馬もろとも騎士達に巻きつく。恐怖と痛みに震える馬のいななきが聞こえる。

 人馬はそろって、呪海の王の体へと引っ張られていく。

 赤黒い体へ押しつけられた人馬は、赤黒い瘴気を放出しながら溶けていった。

 それを一行は見守るしかできない。


 やがて、その瘴気も呪海の王に吸い込まれるように、その体の一部となっていった。


「くそっ、馬鹿者がっ!」


 レムズが嘆きと怒りの叫びを上げた。


「離脱します!」


 アルヴァの決断は早かった。もはやそれ以外の選択肢は残されていなかったのだ。

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