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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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迫る呪海

 教祖に置き去りにされたリーゲル達は、戦意を失っていた。

 レムズは彼らを制圧した上で、市民達を救出したのだった。鎖を断ち切り、その手足を自由にする。けれど、市民達の嘆きは深い。それもそのはず、生き残ったのはわずか数十人しかいなかったのだ。

 一行がたどり着くまでに、どれだけの生贄が呪海に捧げられたのか、想像もできなかった。


 しかし、事態はそれで終わらない。

 大神殿の振動が激しさを増していたのだ。

 収まりきれない赤黒い瘴気が、神殿全体を包んでいる。近くにいるこちらの気分も悪くなってしまいそうだ。


「ダメだっ! みんな逃げるよ!」


 ソロンは大声で叫び、警告を呼びかけた。

 とはいえ、問題があった。鎖につながれていた市民達は、手足を満足に動かせないらしい。これでは逃げ遅れてしまう。


「亜人兵は市民を背負って走れ!」


 サンドロスが指示を下すなり、イドリスの亜人兵が市民達を背負い出す。人間の何倍もの力を持つ亜人達だからこそできる芸当だった。


「すまん、恩に着る!」


 レムズが珍しいほど殊勝にサンドロスへ礼を述べた。


 そして、ついに大神殿が崩壊を始めた。

 まず上部にある五本の尖塔が砕け散った。それを契機に崩壊は上部から波及していく。

 三階から二階、二階から一階……。ついには大神殿が全壊した。


 衝撃と共に赤黒い瘴気があふれ出す。しかし、それを確認する余裕もない。

 大神殿の崩壊に巻き込まれて、土台の島が崩れ始めたのだ。崩壊した部分が衝撃を連鎖させ、それがまた崩壊を広げていく。


 無論、ソロン達もそれを見守っていたわけではない。その時には、皆も我先にと逃げ出していた。

 先をゆくのは亜人兵達だ。たくましい亜人達は市民達を背負いながらも、驚くべき速さで駆けていく。


 ソロンはアルヴァの手を引いて、その後ろに続いた。アルヴァも必死に遅れず足を動かす。

 二人の隣をミスティンが走る。しなやかな手足で、男達にも負けない走りっぷりだ。彼女の場合、装備が身軽なことも大きいだろう。


「鎧を脱げ! 重い物は捨てろ!」


 イセリアが帝国軍へと指示を出す。兵士達には強い抵抗感があるようだったが、それでも命には代えられない。急ぎ鎧や盾、槍や剣を捨てて走っていた。


「おい、親父! 大丈夫か!」

「若い頃より体力は落ちるが、お前に心配されるほど老けてはいない」


 グラットが父を気遣うが、ガゼットも言い返す。


「みんな、生きて帰るんだ!」

「ヤツを倒すまで、死んでたまるかあっ!」


 サンドロスやレムズも自らの足で走り続ける。彼らの体力ならば問題ないだろう。

 そうなると心配なのは……。

 ソロンはメリューへと視線をやった。


「はあ、はぁ!」


 彼女は必死に短い手足を動かし、仲間達に追いすがっている。さすがに子供同然の背丈で、大人達に付いていくのは無理があるだろう。


「おら、大丈夫か!」


 グラットがメリューを左腕で強引に抱えた。右腕には槍を握りしめており、その魔力で身を軽くしているようだった。


「ぐっ、世話をかける……」


 申しわけなさそうにしながらも、メリューはグラットにしがみついた。

 さすがはグラット。メリューのことは彼に任せれば心配ないだろう。

 ……が、もう一人心配なのがいた。

 ソロンが視線をやれば――


「ううっ、ぎゃっ! 揺れます揺れます!」

「軍師殿、死にたくなければ我慢してください!」


 ナイゼルは屈強な亜人兵に背負われていた。四つ足で走る熊男の背にしがみつき、必死で振り下ろされないようにしている。 

 ……まあ、なんとかなるだろう。


 しかしながら、逃げ遅れた者達もいた。

 戦って敗れたリーゲルとその部下達だ。

 意気を失っていた彼らは、判断に遅れがあった。その上、多くの者が後方にいたため、逃げ出すのも遅かった。


「レムズ、弟よ! 助けてくれー!」


 リーゲルが必死の形相で走りながら、レムズへと叫びかける。


「悪いが兄者、手が回らん。だが、嘆くことはない。貴様らが生贄にした者達と同じだ。教祖様によれば、神と一体となるだけなのだろう?」


 レムズはわずかに振り返り、それから最後の言葉を兄へ送った。


「レ、レムズー! 兄を見捨てるかあああぁぁぁ!」


 崩落はついにリーゲルの足元を飲み込んだ。しかし、レムズはそれを見届けもしなかった。


 仲間達の無事は確認した。ならば、後は一心不乱に足を動かすだけだ。

 ソロンはアルヴァの手を引きながら走り続けた。

 しかし、手を引いたところで、体力の限界は越えられない。アルヴァは息を切らし、足をもつれさせかけていた。


「ちょっとごめん!」


 ソロンは一言断るなり、アルヴァを無理やり抱えて持ち上げた。

 ……やはりそれなりに重い。自分と大して体重の変わらない相手を、持ち上げるのは重労働なのだ。それでも速さを落とすわけにはいかない。


「ソ、ソロン! 大丈夫なのですか……!?」


 アルヴァは驚き、心配そうにこちらを見上げる。


「限界まではやってみるよ。逃げ切れなかったらごめん。そうなったら、死なば諸共ってヤツさ!」


 半ばヤケクソにソロンが言い放つ。


「了解ですが、死に場所は選ばせてください。できれば、あと何十年か経ってから!」

「仰せのままに!」


 ソロンは加速し、背後に迫る混沌から逃げ続けた。


「う、ああああぁぁぁ!」


 逃げ遅れた敵兵が、呪海に飲み込まれる。重い鎧を身に着けた状態での逃避行はあまりにも厳しかった。悲鳴を背にしたソロンだが、その様子を確認する余裕もない。


「ああっ……!」


 アルヴァが泣き叫ばんばかりに顔を覆う。この時ばかりは、彼女も冷静ではいられなかった。


「やべえっ、死んじまう!」


 当初は軽快に走っていたグラットも、今や必死だった。重力操作の魔法を使い続けようにも、精神力の限界が来たらしい。こうなれば右腕の槍も荷物でしかなかった。


「よそ見するな、走れ! お前と心中などごめんだぞ!」

「その格好で偉そうにすんじゃねえ!」


 走りながらも、グラットは腕の中のメリューといつものやり取りを繰り広げる。緊張が削がれるやり取りだが、気を抜けない。というか、気を抜けば死ぬ。


「半分は過ぎましたよ! もう少しです!」


 腕の中のアルヴァが激励してくれるが、


「うー、まだそんなにあるの!?」


 ミスティンが苦しそうに叫ぶ。それでもソロンの隣に並んで懸命に腕を振っていた。


 *


 逃走の末に、一行は呪海の断崖を走り抜けた。

 しばらくそのまま走り続けていると、背後から追ってくる崩壊の音も消え去った。

 絶壁の道の入口で待機していた大勢の兵士達が迎えてくれる。


「ソロン、もう大丈夫ですよ」


 アルヴァはそう言って、自らソロンの腕から降り立った。

 そこでようやく、ソロンも周囲を見渡す。まずは安否確認だ。


 隣を走っていたミスティンは、常に視界に入っていたためもちろん無事だ。

 グラットは最後の力で大きく跳躍したらしい。着地しながら倒れ込むと同時に、メリューを乱暴に下ろした。

 投げ出される格好になったメリューは、受け身を取ってすぐに起き上がる。


「おい、大丈夫か?」

「お、おお……。死ぬかと思ったぜ」


 彼女は怒りもせずに、ぐったりしたグラットを気遣っていた。


「うう、吐きそうです……」


 ナイゼルは自分の足で走ったわけでもないのに、他の皆と同じように倒れている。よっぽど揺れが酷かったらしい。

 サンドロス、ガゼットにイセリア、それにレムズ……。三国軍の主要人物はみな無事なようだった。


 その他大勢の兵士達も、酷く疲れた様子でその場に倒れ込んでいる。

 イドリスの亜人兵の奮闘により、生贄から逃れた市民達は全員が救出されていた。

 その他のイドリス軍、帝国軍も安否確認の途中ながら(おおむ)ね無事なようだった。


 三国軍の中で最も犠牲が多かったのは、レムズ傘下のラグナイ軍だ。市民達を救出しようと半ば強引に突撃したため、逃げ出すのも遅くなったらしい。数十人が崩落に巻き込まれたようだった。

 リーゲル軍の兵士は大半が逃げ遅れたが、それでもごく少数が生き延びていた。


 そして、ザウラストの神官達は全滅。

 体力に劣る彼らが、逃げ延びられなかったのは当然だろう。教団の主張によれば神の元へ還るに過ぎない。……が、末端の彼らまでがそれを是としたかは、神のみぞ知る。


「…………」


 アルヴァは呆然と呪海を眺めていた。

 自分の友人達は無事だったが、それでも犠牲の大きさは計り知れない。

 そこにあるのは、ただ虚無の海……。大神殿も、崩れた断崖も、飲み込まれた人も、何も姿は残っていなかった。


「これで終わったのか?」


 グラットはつぶやくが、アルヴァは横に首を振る。


「少なくとも、組織としてのザウラスト教団は崩壊したも同然でしょうが……」


 本拠である大神殿を捨て去ったのだ。ザウラストとセレスティンが生きていても、組織としての活動は維持できないだろう。


「それはあやつも承知の上だろう。恐らく、大神殿そのものが最後の生贄だったのだ」


 メリューは難しい表情で呪海を眺めていた。大神殿が崩壊した辺りを眺めているのだろうか。


「カオスの海の支配者、呪海の王……。ザウラストはそんなことを口にしていたね。どういう意味だったんだろう」


 ソロンはその言葉が気になっていた。そこにザウラストの目的があるのではないだろうか。


「……じきに分かるかもしれん。ありがたくないがな」


 メリューは呪海の彼方(かなた)――大神殿が崩壊した辺りを指差した。

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