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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第一章 紅玉帝と女王の杖
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激動の夜

 アルヴァが北方遠征に()ったという知らせは、帝都中に広まっていた。

 それはもちろんソロンの耳にも届いている。

 彼女は間違いなくあの杖を使用するつもりだろう。なんせ、そのために苦労して遺跡へと行ったのだから。

 それにしても、あの杖からは得体の知れないものを感じた。何事もなければよいのだが……。


「心ここにあらずって感じだな」


 酒場で食事中に考え事をしていたら、グラットに声をかけられた。ハッとして見れば、彼が目の前で手を振っている。


「陛下のことが心配?」


 ミスティンも、ソロンの顔を覗き込みながら声をかけてくる。


「うん。探検から戻ったら、すぐ北方行きだしね。そんなに酷使してたら体を壊しちゃうよ」

「まあ、心配すんな。あの人もああ見えて相当に頑丈だ。それについちゃ、あの探検で嫌ってほど見せられただろ」


 確かにあの探検で見せたアルヴァの体力は、並大抵のものではなかった。

 雲竜と戦い、島を歩いた。

 遺跡を探検し、機兵と戦った。

 それでも決して弱音を吐かなかったのだ。


「それにも限度があるさ。皇帝なんていっても、しょせんはタダの女の子なんだし」

「皇帝陛下に対してタダの女の子とは、不敬な奴だな」


 注意するような言葉だが、実際はからかうような口調である。そういうグラットにしても、結局は同意見なのだろう。


「私も心配。だけど心配してもしょうがない。私達には無事帰るのを待つしかできないから。それに、ソロンにはソロンの目的があったんじゃないの?」

「うん、そうだけどね」


 もっとも、ソロンの目的である神鏡も女帝次第なのだ。

 アルヴァは約束を守ってくれるだろうか……。戦いに忙しくて忘れていないだろうか……。

 どう思考を持っていっても、彼女から切り離すことができなかった。


「それにしても身分違いの恋か……。若いっていいよな……」


 そんなソロンを見て、グラットがポツリとつぶやいた。


「あのねえ……」

「じょ、冗談だ。そんな目で見るなって! それよか次の仕事でも探そうぜ」


 ソロンの冷ややかな視線にグラットはうろたえていた。

 探検が終わった翌日、ソロン達には報酬が支払われていた。

 それもしばらくの間は働かずに暮らせるような大金である。さすがは皇帝直々の依頼だった。

 ちなみにグラットは、銀行という施設にお金を預けているらしい。軽薄そうに見えて、なかなか堅実なのだ。自分の竜玉船を手に入れるという目的も、忘れていないようだった。


 *


 北方での戦いを電撃的に終結させて、女帝アルヴァネッサが帝都に戻ってきた。

 それも圧倒的な勝利である。

 北方での戦いは、現地の兵士に女帝への恐怖に近い畏怖(いふ)を抱かせたのだった。


 もっとも、その正確な事実までは帝都に伝わっていない。ただアルヴァが強大な魔法を行使して、亜人共を散々にやっつけたということだけが伝わっていた。

 元々、帝都から連れ立った兵が少数だったのもあって、凱旋は簡素なものである。

 ソロン達三人も、その様子を沿道から見ていたのだった。



「思ったより早かったな。やっぱり、あのお姫様はただもんじゃねえなあ」


 帝都を出発してから戦を終わらせ、戻ってくるまでに要した日数はわずか三週間。グラットが言ったように信じられない早さだった。


「なんにせよ、無事でよかったよ」


 ソロンも胸をなでおろす。


「魔法で亜人を一網打尽(いちもうだじん)にしたって聞いたけど……。やっぱりあの杖かな」


 ミスティンは杖のことが気になるらしい。それについてソロンも頷く。


「だろうね。他にないと思う」

「噂によると、千を超える亜人を皆殺しだってよ。とんでもねえぜ……」


 グラットは感嘆と畏怖が半々に混じった調子でつぶやいた。

 ソロンはその生々しい噂に顔をしかめる。

 亜人は人間ではない。それはそうだろうが、動物や魔物よりもずっと人間に近いのも確かなのだ。

 ソロンの故郷では亜人が奴隷として扱われることはない。彼らにも人間と同等の権利が認められていた。


 敵を殺すことを躊躇(ちゅうちょ)しては戦ができない。ましてや国を守れない。

 それは相手が亜人であろうと人間であろうと変わりない。それ自体はソロンも納得している。

 だが、アルヴァのような少女同然の娘がなぜ、その重責を担わなければならないのだろうか。


 * * *


 繁栄の都である帝都は、夜もにぎやかだった。

 神鏡に照らされた大通りの歓楽街では、多くの人々が浮かれ騒いでいる。

 神鏡の光も深夜には途切れる。

 だが、その後も街路樹に取りつけられた蛍光石が、街を照らし続けていた。


 なおも帝都が暗闇に沈むことはない。それはアルヴァが凱旋を終えた夜も変わりなかった。

 けれどその帝都も、時計塔の針が深夜の二時を過ぎれば、さすがの静けさがやってくる。


 異変はそんな中で起こった。

 得体の知れぬ魔物達が、帝都を襲ったのである。

 緑色の獣のような姿で、人の数倍の高さを持った巨体。顔の横幅にほぼ等しい大きな口。大きな白い目。

 体格は立ち上がったカバを思い起こすように寸胴だったが、腕だけが不揃いに長かった。


 巨獣の数はおよそ五十体。

 それらが地響きを鳴らしながら、帝都の北門へと殺到したのである。


 もちろん、深夜であろうと北門には守護の兵士が付いていた。

 だが、いかんせん襲撃は唐突だった。

 それだけの大群が進撃すれば、いかに夜間であろうと目撃されて、事前に知らせが入るのが当然である。

 それがなぜか、その時には手遅れだった。

 帝国兵が防衛態勢を整える前に、巨獣は北門に到達してしまったのだ。


 閉ざされた北門を、巨獣は長い腕で殴りつけた。

 大きな音が鳴り響くが、それだけでは門は破壊されない。

 けれど、巨獣はしつこく何度も何度も殴りつけてくる。腕の長さを利用して、遠心力を利用した一撃をぶつけてくる。

 まるで破城槌(はじょうつい)のような衝撃が、振動となって伝わってきた。


 その有様に門を守る守護兵も恐怖する。

 北門付近の住民も、その音を聞きつけて避難を始めていた。


 帝国兵とて、手をこまねいているだけではない。

 外壁の上から矢と魔法で、先頭の巨獣へと集中攻撃を浴びせる。巨獣は体から赤黒い霧のような血を吹き出した。

 一発や二発では効果が薄いようだった。それでも、頭に何発も攻撃を受けては平気でいられるはずもない。

 さしもの巨獣も苦悶のうめきを上げて倒れた。


「ざまあみろ! カバ野郎め!」

「この調子だ!! 次はあいつに集中攻撃だ!」


 戦果を上げて、兵士達の士気も上がる。だが、二体目の巨獣に攻撃を浴びせようとした刹那――


「おいあっちを見ろ! 何か投げてくるぞ!!」


 少し離れたところにいた巨獣が、つかんだ岩を思い切り投げつけたのだ。

 凄まじい勢いで岩は外壁の上部を直撃。

 帝国が誇る重厚なコンクリートの外壁。その壁すらも、これには耐えられず砕け散った。

 衝撃で二人の兵士が、外壁から都市の中へと落下した。

 外壁の上に陣取っていた兵士達がひるんだ。だが、その間も巨獣は容赦なく門を殴りつけてくる。


「ひるむな! 攻撃をゆるめてはならん!」


 指揮官の叱咤に兵士達も態勢を立て直した。しかし、それも遅かった。

 ついに門へと小さな穴が穿(うが)たれたのである。

 巨獣はそれを見逃さず、長い腕でさらに殴りつける。広がった穴を強引にこじ開けて、太い首を突っ込む。

 大きな緑の頭と白い目玉が、壁の内側にいる者達からも見えるようになった。


 いまだ野次馬根性を発揮して留まっていた住民もいたが、これには震え上がり一目散に逃げ出した。

 恐怖に震えるのは帝国兵も同じだが、こちらは逃げ出すわけにはいかない。踏み留まって覚悟を決める。


 さらに穴が広がっていく。

 緑の頭がはっきり覗いた瞬間。壁の内側で構えていた帝国兵が、矢を一斉に射かけた。

 十を超える矢が巨獣の頭に突き刺さる。赤黒い霧状の血が緑の体から吹き出す。


 だがこの巨獣は往生際が悪く、すぐには倒れずに暴れまわった。

 北門を死に物狂いで殴りつけて、ついには巨獣が通れるだけの穴を開けてしまった。

 こうなれば、もはや乱戦は避けられない。


 帝都にいる帝国兵とて、決して練度が低いわけではない。

 常に脅威にさらされている北方の兵には劣るが、通常なら魔物の百体や二百体、対処に困ることはないのだ。


 ……が、しかし予想外の急襲である。

 加えて巨獣は、一体一体が驚異的な力を持っていた。兵士数十人がかりで一体を倒すのが精一杯なのだ。

 そして、不利な戦況は皇帝へも伝えられていた。

 深夜、叩き起こされたアルヴァは、すぐに着替えをして街へ出る準備を始めた。


「陛下、どうかお待ちください! 御身自ら戦いに出向くのは危険すぎます!」


 ワムジー大将軍が、城を飛び出そうとする女帝をいさめる。


「そうです! 帝都の治安維持は私の仕事。どうかお任せを!」


 大将軍に続いたのは、若きラザリック将軍だった。近衛将軍たる彼は、城内を始めとする帝都全体を守護する役目を担っていた。

 しかし、アルヴァは直感していた。これは真に危機的な状況であると。


「報告を耳にする限り、ただごとではありません。これは帝都の存亡に関わる事態です。こんな時に皇帝が座視してよいものですか!」


 そうして、周りの制止も聞かず、杖を片手に城を飛び出す。


「アルヴァ様! どうか、お気をつけて!」


 秘書官のマリエンヌが、背中に向かって叫びかけていた。

 帝都は広く、北門まではかなりの距離がある。

 アルヴァは馬屋まで自らの足で走り、眠っていた馬を叩き起こした。

 馬は迷惑そうにしながらも、アルヴァを乗せてくれた。

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