生贄の祭壇
「リーゲル、儀式を中止しろ! 貴様はそれでもラグナイの王子か!」
レムズが叫びながら、兄の元へと駆け出す。騎士達とソロン達もそれに続く。
「それはできん。俺が新しい国を作るためには、多少の犠牲も必要なのだ。さあ続けろ!」
リーゲルは兵士をうながした。
「た、助けて!」
「死にたくない!」
市民達の叫喚が聞こえてくる。
兵士の手によって、市民達が呪海へと投じられていたのだ。まるでゴミでも捨てるように粗雑に。
崖下に投じられた人の運命は、ここからでは確認できない。だが、確認するまでもなかった。投じられた人の体は、氷のように呪海の中へと溶けていくのだ。
「う、あああ……」
絶望のうめき声が聞こえる。
そして、溶けた体は赤黒い瘴気となり、宙空に浮かび上がってくる。
ザウラスト教団では、その瘴気を杯に吸い込むことで、カオスの結晶を生み出す。その結晶体が聖獣あるいは神獣を生み出すのだ。
けれど、この場に杯は見当たらない。
その代りを果たしたのは大神殿そのものだった。
赤黒い瘴気は宙を漂いながら、大神殿の上空へと向かっていく。五本の尖塔が、瘴気を吸い込んでいったのだ。
「ナイゼル!」
「お任せを!」
サンドロスが呼びかければ、ナイゼルが杖を向ける。
杖先から放たれた強風が、上空をかき乱す。大神殿の上に漂っていた瘴気を、たちまち吹き飛ばした。
「いい感じだよ、ナイゼル!」
ソロンが快哉を叫んだその時だった。
「邪魔はさせないよ」
壇上にいる神官達の中から、一人の男が進み出た。
赤地に黒の紋様が描かれた衣をまとい、紫がかった銀髪を乱雑に伸ばしている。
赤紫の瞳に、銀竜族特有のとがった耳。中性的な顔立ちは、同じ銀竜族であるシグトラよりも若々しい。それでありながら、まとう雰囲気には底知れないものがあった。
教祖ザウラスト――ソロンには一目でそうと認識できた。
ザウラストは杖を片手に握りしめ、その杖先を上空へと向けていた。
吹き飛ばされたはずの赤黒い瘴気が、再び大神殿の上空に戻ってくる。瘴気は混沌の渦へと変化し、そこからまた尖塔へと吸い込まれていった。
「あの杖は……!?」
アルヴァが目を見開いて絶句する。
ザウラストの手にする杖に見覚えがあったのだ。かつて彼女が手にしていた女王の杖――帝都に災厄をもたらした神獣を呼び出した杖だった。
ザウラストの後ろから、もう一人の人物が進み出た。
「お姉ちゃん……」
ミスティンがつぶやく。
ザウラストの隣に並んだのは枢機卿――セレスティンだった。彼女は教祖に向かって恍惚とした視線を向けていた。
ザウラストは薄笑いを浮かべて、迫るこちらを眺めている。
「生贄の祭壇へようこそ! レムズ殿下と騎士達、イドリスの者達、何より遥々、上界から来た諸君を歓迎するよ」
ザウラストの声は大きくないが、遠くまで明瞭に響いた。何らかの魔法を使って、声を届けているのかもしれない。
「ザウラスト! 儀式を止めろ!」
レムズが怒りの形相で絶叫し、ザウラストへと向かっていく。騎士達も同じような怒りをもってそれに続いた。
「あはは、気が早いね。レムズ王子」
にも関わらず、ザウラストは余裕の表情を崩さない。
「レムズを教祖殿に近づけるな!」
リーゲルが指示を発するや、神官達が聖石を祭壇の下へと投じる。狭い断崖の上に、十を超えるグリガントの巨体が立ちふさがった。
「邪魔だっ!」
レムズの剣が白光を放ち、グリガントを消し飛ばす。
そうしている間にも、生贄は次々と投下されていく。杯と化した大神殿へ赤黒い瘴気が吸い込まれていった。
「私達も!」
「了解!」
アルヴァの号令に従って、ソロン達も動き出す。
ソロンは蒼煌の刀を手にして、グリガントへと走り寄る。伸びる蒼炎が聖獣の腹を斬り裂いた。
「貴様、何をする気だ!」
レムズが怒号を飛ばし、ザウラストをにらみつける。
「何って聖杯の儀式さ。儀式によって人はカオスの神と一体化する。最大にして最強の神獣――カオスの海の支配者が誕生するのさ。君達の言葉で言えば、呪海の王ってところかな。まあ、私はどっちでもいいけど」
邪教の教祖とは思えないような口調で、ザウラストは投げやりに言い放った。眼下で繰り広げられる戦いには、興味がないとでもいうかのように。
「おりゃあ!」
サンドロスが金剛の大刀を豪快に地面へ叩きつける。
衝撃が地面を走り、グリガントの足を掬った。
「今だ!」
「我らも遅れるな!」
そこにガゼットとイセリアが号令を下す。帝国軍から放たれた大量の矢が、グリガントを仕留めた。
「ぐっ、ひるむな! 弓を撃て」
聖獣達の背後からリーゲルが叫べば、兵が弓矢を放ってくる。グリガントの背中へ当たることを度外視した強引な攻撃だ。
「させません!」
「ふん、甘いな」
だが、それもナイゼルの風とメリューの念動魔法に叩き落とされていく。
反対に三国軍側の放った矢が、追い風を受けてグリガントに突き刺さった。
「おまけだ!」
さらにはメリューが操作した大量の矢が、聖獣の頭へと向かっていく。急所へと矢を集中されたグリガントが、たまらずに倒れた。
「ゆ、弓が駄目なら、槍と剣で戦え!」
リーゲルはあくまで後方に待機したまま、兵士達を叱咤する。兵士達はいかにも及び腰ながら、槍を片手に迫ってきた。
しかし、アルヴァの紫電とミスティンの弓矢が、兵士達を寄せつけなかった。グリガントの前に出た勇敢な者から、着実に討たれていく。強引に前に出てきた相手も、グラットが抜け目なく槍で仕留めた。
「大した相手じゃないけど……。このままじゃ!」
蒼炎を放ちながらも、ソロンは焦りをつのらせる。
戦場は狭く乱戦に近いが、戦力の質も量もこちらが優位だ。いかに聖獣とて時間稼ぎにしかならない。だが、その時間稼ぎが問題だった。
ザウラストとセレスティンは、なおも涼しい顔をしていた。まるで劇でも鑑賞しているかのように。
生贄達が続々と呪海へ投じられていく。その度に、赤黒い瘴気が尖塔へと集まっていった。
*
やがて、最後のグリガントが倒れた。三国軍の圧倒的優勢の元、戦いは終わると思われた。
「うおっ、なんだ!?」
槍を振るっていたグラットが、慌てて後ろへ飛び退る。
途端、大神殿が激しく揺れ動いたのだ。まるで大量の瘴気に耐えられなくなったかのように。揺れはソロン達の足元へと広がっていた。
「教祖様、そろそろよろしいのでは?」
それを見て取ったセレスティンが、ザウラストに何かを耳打ちする。
ザウラストはセレスティンと顔を見合わせて。
「そうだね。頃合いかな」
赤紫の瞳が輝き、彼の体がふわりと宙に浮き上がった。同じくしてセレスティンの体も浮き上がる。
「飛んだ!? 銀竜って空も飛べるの?」
ミスティンが驚愕をあらわに、メリューへ問う。
「分からん……。だが、恐らくは念動魔法の応用だろう」
「必死なところ悪いけど、私達はそろそろお暇するよ」
呆然とするこちらをよそに、ザウラスト達は高く浮上していく。
「ザウラスト、貴様、逃げる気か!?」
「逃げるっていうか、用事が終わったって感じかな」
レムズが叫ぶが、ザウラストは平静に言い返す。
「ま、待ってくれ! 教祖殿! 行くなら、俺も連れて行ってくれ!」
リーゲルが飛び去ろうとするザウラストへ追いすがった。
「教祖様、私も!」
「お見捨てになるのですか!?」
神官達もそれぞれザウラストへすがろうとする。
「あはは、私の魔法は二人乗りなんだよね。悪いけど、自分で切り抜けてくれないかな」
ザウラストはいかにも楽しそうに、リーゲルへと吐き捨てた。
リーゲルは顔を真赤にして。
「な……ふ、ふざけるなっ! 俺が貴様らのために、どれだけのものを捧げたと思っている! 貴様らのような邪教がやってこれたのは、誰のお陰だと思っている!」
「あっはっは! 君の父君のお陰かな? まあそれも、神の降臨という大義に比べれば、些事に過ぎないけどね」
「些事だと……!?」
悪びれない教祖の態度に、リーゲルは絶句する。
「そうそう、リーゲル殿下! 君は無能だったけど、役立たずではなかったよ。大勢の生贄を捧げてくれた上に、最後の生贄になってくれるんだからね」
「ど、どういう意味だ!?」
「すぐに分かるさ」
ザウラストは神妙な顔つきで続ける。
「――カオスの神よ、今ここに最後の供物を捧げよう。それじゃあ、さようならだ!」
それを最後にザウラストは向きを転じた。もはやここには用はないとばかりに。
去りゆく二人をリーゲルは呆然と見送っていた。
「待て、ザウラスト!」
レムズは剣を振るい、光弾を放つが遠く届かない。だが、二人を追うのはそれだけではなかった。
「逃さないよ、お姉ちゃん!」
ミスティンが弓を引き絞り、矢を放っていたのだ。
矢は猛烈に加速し、飛び去る二人へと追いすがる。
狙い過たずザウラストへと到達するが――
セレスティンが握る杖先から、闇の障壁が現れる。矢は呆気なく吸い込まれてしまった。
「ミスティン。生きていれば、また会いましょう」
そうして、二人は呪海の向こうへと飛び去っていった。