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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第十章 邪教の領域
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呪海の道

 進軍を速めた上で、三国軍の行進は続いた。

 北へ北へと大神殿へ近づいていく。


 途中、立ち寄った他の町もクラッゼミルと変わりなかった。人の気配はなく、無人の町が広がるばかりだった。

 リーゲル軍とザウラスト教団は、行く先々で住民を連行していたのだ。恐らくは大神殿に近い町から順に対象としたのだろう。

 道中、敵軍の姿はなかった。やはり、大神殿で待ち受けているのかもしれない。


 やがて、三国軍は大神殿へと迫っていた。

 しかし、その手前で先頭をゆくレムズ達は、進軍を止めざるを得なかった。

 前方に現れた断崖絶壁――その下に赤い海が広がっていたのだ。

 不気味にうねる血のように赤黒い何か……。世界を削り、飲み込もうとするそれは、まさしく星に宿る呪いとしかいいようがない。それがザウラスト教団の信仰するカオスの海――呪海だった。


 そして、呪海に両側を挟まれた絶壁の道があった。

 人を圧倒する不自然の驚異であり、人を拒絶する脅威でもある。心の弱い者ならば、近づいただけで発狂しかねない。まともな神経をしていれば、こんな場所に人の手を入れようなどと考えないだろう。

 けれど、現実としてそこには細々とした一本の街道が続いていた。その先には陸続きの小島が広がっており、大神殿がそびえ立っていた。


 先をゆくレムズ率いるラグナイ軍が停止する。

 続いて、ソロン達も前方へと近づいていく。皆、事前に話を聞いていたものの、やはり足取りは重い。それは兵士達も同じであり、何より馬や走竜への影響が大きかった。

 動物達は呪海を目にすると怯え、すくみあがってしまうのだ。このままでは進軍が困難なのは自明だった。


「悪趣味極まりないな。ザウラストの正気を疑う」

「正気だったら、そもそもあんな教団作んねえよ」


 メリューは顔をしかめ、グラットが的確に突っ込む。


「想像を絶する光景ですね……。一度、話し合う必要がありそうです」


 アルヴァの提案で、三軍の主要人物を呼び寄せることにした。

 場所は呪海へ続く道の手前だ。あまり気分がよいものではないが、現場を見ないことにはどうにもならない。


「こ、これは……海なのですか」

「むう……」


 イセリアが絶句し、ガゼットがうめく。


「やっぱ、そうなるよな」


 と、グラットが父の反応に納得している。

 最も衝撃を受けたのは、帝国の軍人達だった。帝国人の中で呪海を見た経験を持つのは、ソロンの仲間達しかいない。


「何度見ても慣れるものではないな」

「まったくです」


 サンドロスとナイゼルもその光景に溜息をつく。

 ソロンも含めた三人は調査のため、呪海へ視察に向かった経験があった。浸蝕がどれだけ進んでいるか、為政者として定期的に確認する必要があったのだ。


「さて」


 と、主要人物が全員そろったのを見て、アルヴァが切り出す。既に全員が怯える馬から降りていた。


「――全軍でこの細道を進むのは現実的ではありません。連れていけるのは精々、千人といったところでしょうか」


 今や全軍は一万人近くにまでふくれ上がっていた。結成当時の三国軍はおおよそ八千。そこにレムズ傘下の志願兵が加わったためだ。


「しかし、そうなると兵力に不安があるな」


 サンドロスが呪海を見ながら考えこむ。


「それに、リーゲル王子の軍がまだ数千くらいは残ってるよね。神殿内にその全部がいると思う?」


 ソロンが視線をやれば、レムズが答える。


「大神殿には昔、父に連れられて入った記憶がある。幼少の記憶ゆえ確実ではないが、それだけの兵が待機できる規模はなかったはずだ」


 アルヴァはそれに続けて見解を加えた。


「ここから見る限り、確かに厳しいように思います。それより他の場所に伏兵を配置し、退路を断ってくるかもしれません」

「その点については、兵を残しておけば問題ないだろう。せっかく兵力に余裕があるのだからな」


 と、サンドロスが意見を述べる。


「けど、本当にザウラストはこの先にいるのかな?」

「だな。敵が迫ってるってのに、あんな袋小路でじっとしてるか、普通?」


 ミスティンとグラットがそれぞれ指摘する。ザウラストが大神殿にいるという事実――それがこの作戦の大前提なのだ。


「何人か偵察を送っているが、奴は大神殿から動いていないと報告されている」


 レムズが断言し、さらに付け加える。


「――いないならいないで、連中の本拠を抑えられるのだ。悪くはなかろう」

「君が言うなら信じるが……。しかし、罠の可能性も考えておかないとな」


 サンドロスはなおも慎重だった。


「必ずしも危険を冒して進軍する必要はありませんよ。囲んで兵糧攻めにするのはいかがでしょう」


 ナイゼルが策士らしい提案をする。


「それでは拉致された者達の救出ができん。お前達がそうするのは構わんが、俺達だけでも行かせてもらう」


 レムズは強く反発するが、ナイゼルはあくまで冷静に。


「あくまで案を述べたまでですよ。ザウラストにしても、呪海を越えて退避する方法を持っているかもしれません。囲むのが絶対に良いとまでは、私も断言できません」

「私としては危険を覚悟で、精鋭を率いて神殿に向かうべきかと思います。言うまでもなく、退路は残りの兵で確保します。サンドロス陛下はどうされますか?」


 アルヴァは正攻法を提案し、それからサンドロスに意見を求める。


「仕方ないな。俺だってここまで来て、引き返すつもりはないさ」


 サンドロスも了承する。三国軍の首脳が同意したため、これで進軍は確定となった。


「紅玉の姫君のご協力、感謝の念に()えません」


 レムズは深々とアルヴァに頭を下げた。相変わらず、女性にだけは馬鹿に丁寧である。


「――ですが、神殿よりも生贄の祭壇に向かいましょう。恐らく、国民はそちらに連行されるはずです」

「生贄の祭壇ですか?」


 アルヴァが怪訝(けげん)な声を上げた。


「大神殿のすぐ向こうにある場所です。呪海へ生贄を投じるため、ザウラストは祭壇を作ったのです」


 *


 そうして、絶壁の街道へと一行は足を踏み出した。


 先頭は相変わらずレムズである。ただし、人数が少ないため三軍の主要人物も、その周囲に集まっていた。

 すなわち、ソロン、アルヴァ、ミスティン、グラット、メリュー、サンドロスにナイゼルだ。


 さらにはガゼットやイセリアが、後方の兵士達を統率していた。

 道は細いため大軍は展開できない。十人程度が横に並び、長大な列を作るしかなかった。無論、馬車も竜車も使えないため、全員が徒歩で歩いている。


 そのさらに後方には、退路を守る大勢の兵士達の姿もあった。

 それ以外にも、兵士を広く展開し、呪海の沿岸部を監視させた。ザウラストらが呪海を越えて、退散する可能性を憂慮したのだ。

 兵士達が左右に広がる呪海を目にして、怖気を(ふる)う。それでも彼らはここまで来た精鋭達だ。怖気を振り払って進み続けた。


 周囲には一切の障害物がないため、離れていても大神殿の姿が見えている。距離はおおよそ四半里といったところだろうか。迅速に進軍すれば、十五分といった程度だ。

 もっとも目的地の生贄の祭壇は、その向こうにあるため視認できなかった。


 呪海は長い年月をかけながら、陸地を削り取ってきた。シグトラによれば、呪海が世界の浸蝕を始めたのは今から二八〇〇年前だという。かつて、下界はもっと広大な陸地を有していたのだ。

 そして、このような場所にありながら、道が健在なのは不思議だった。

 浸蝕を前提にし、年月が経てば場所を移すつもりなのか。はたまた、浸蝕されないような地質と素材なのか。ザウラストが何らかの処置を施したのか。……内実は定かではない。


 ソロンは、ザウラスト教団が魔物を放ってくるのを警戒していた。なんといっても、この足場の狭さである。空を飛ぶ魔物が来れば厄介だった。

 しかし、どうやらその気配もなく、道は不気味なほど静かだった。呪海は生命を拒絶するため、鳥はおろか虫の鳴き声すらも聞こえてこないのだ。


 大神殿が間近に迫れば、次第にその全貌も鮮明になってくる。

 神殿とはいうものの、朱塗りの柱が特徴的な城のような建物だ。明らかにラグナイの建築様式とは異なっている。ところどころに悪趣味な紋様が描かれているのは、いかにもあの教団らしかった。

 そして、特徴的なのは神殿の上部にある五つの尖塔だ。尖塔は細く、人が暮らせるような領域はない。見張り塔にしては数が多いが、何の用途があるのだろうか。


「なんだか似てるね」


 ミスティンがそうつぶやき、メリューへと視線を送る。


「うむ、アムイ建築を取り入れているようだな。もっとも、わが故郷はこうも悪趣味ではないが」


 教祖ザウラストは何百年も前のアムイで生まれたという。そういった事情が関係しているのだろう。

 大神殿に近づいても敵がしかけてくる気配はない。不思議なほどに静かだった。


「まさか、ここまでもぬけの殻じゃねえよな」


 グラットが微妙な表情で視線を向けてくる。


「はは、まさかね……」


 ソロンは苦笑するが、本当に何があるか分からない連中だった。


「いや、声がするぞ。神殿の向こうだ」


 メリューが神殿の裏側を指差した。


「生贄の祭壇に集まっているのかもしれません。急ぎましょう」


 レムズが足を速め、そちらへと向かっていった。


 神殿の裏側に出て、少し歩いたところにその祭壇はあった。何十人という人が同時に上がれる大きな祭壇だ。

 祭壇は絶壁に隣接しており、一歩踏み出せば呪海へと真っ逆さまだ。

 鎖につながれた市民達が、祭壇へと連なる長い列を作っている。

 赤い衣をまとった神官達が祭壇に上り、呪海へ向かって奇妙な呪文を唱えている。その言語はラグナイのものではなく、聞いたこともないようなものだ。


「アムイの古語か……」


 メリューだけはその言語に心当たりがあるらしい。ザウラストは故郷の言語を元に、呪文を作ったようだった。

 さらには、リーゲル軍の兵士が市民達を囲むように整列している。

 全部で数百人。狭い場所に多くの人々が密集していた。


「来たか、レムズ!」


 兵士達の中から一人の男が声を上げた。レムズの兄――ラグナイ第一王子リーゲルだった。

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