竜巻の矢
アルヴァはミスティンの元へ歩み寄って、敵陣を指差す。
「ミスティン、あの旗の下にいる男を仕留められますか?」
アルヴァが指差したのは白い旗だ。もう一つの黄色い旗よりは近いが、それでも距離がある。敵陣に矢や魔法を警戒する素振りはなかった。
「ちょっと遠いけど、いけると思う。あの白馬の人だよね」
ミスティンは何でもないように頷いた。そうして、旗の下を指差す。
旗の下にいる指揮官らしき人物は、白馬にまたがっていた。その毛並みの白さは闇夜の中でもよく目立っている。
今はレムズ達と聖獣との戦いを眺めながら、高みの見物を決め込んでいるようだった。
「正確には芦毛の馬ですね。ラグナイ第二王子のランザムだと思われます」
「ふむ……」
ようやく起き上がったメリューが、よろよろと外壁の端に身を乗り出す。そうして、じっと敵陣を観察したかと思いきや。
「――そう言われてみれば、レムズと顔立ちが似ているな。確か、腹違いの兄だったか」
「いや、ホントかよ……。暗いし遠いし分かんねえよ」
グラットが胡散臭げにメリューを見る。
「銀竜はウソをつかん」
「お前の伯父さん、ウソついてたんだろ。豪快に」
メリューの伯父でシグトラの兄――ハジンは敵と内通し、ドーマ連邦に波乱を起こした。ウソと呼ぶにはあまりにも甚だしい暴挙だった。
「むっ……細かい男だな。身内の恥をほじくり返すな」
メリューはうつむき、弱々しい声で言った。彼女はあの事件で祖父ともう一人の伯父を亡くしているのだ。
「いや、別にいいけどよ……」
グラットも途端、バツの悪そうな顔になる。
「大丈夫、メリューはウソつかないよ」
ミスティンは確信の笑みで、さわやかに断言した。
「そうですね。間違っていたとしたら、私の情報不足です」
アルヴァはミスティンと顔を合わせ頷き合う。
ミスティンは風伯の弓を手に取り、弓柄を右手で握った。左手で矢をつがえて弓弦を引き絞っていく。
「外したら、私の目で補正してやる」
気を取り直したメリューが声をかける。
「ありがと、外さないけどね」
ミスティンはその間も視線を標的へと据えていた。
魔導金属で作られた弓柄へと、手袋ごしに魔力が流れ込んでいく。呼応した弓は淡い光を放ち出し、その光は矢へと伝染していく。
下では今もレムズ達の怒号と、聖獣のおぞましい咆哮がぶつかり合っている。しかし、それで集中を乱されるミスティンではなかった。
標的までの距離は、控えめに見積もっても五百歩を超えている。松明の光によって、居所は明瞭だがなんせ遠い。常識では弓で狙おうとは考えない距離だろう。
それでも、ミスティンはためらわなかった。
淡い緑光を放つ矢が、敵陣へと飛び込んでいく。
敵が反応できなかったのも無理はない。わずか数秒の出来事だったのだから。
矢はまっすぐに白い旗の下――指揮官が乗る白馬に突き刺さった。
次の瞬間――矢が刺さった辺りから風が暴れ出した。
旗、人、馬、土……様々なものを竜巻が巻き上げていく。戦場から離れていたはずの安全地帯は、瞬く間に阿鼻叫喚と化していた。
「ふう、うまくいったかな……」
ミスティンは大きく息を吐いてつぶやいた。
松明までも巻き込まれたせいで、その惨状も闇に隠れてしまった。ただ荒れ狂う風の音だけが、こちらまで届いてくる。
「上出来ですよ。もっとも、想定より随分と派手な暗殺になりましたが」
アルヴァはミスティンを称賛しながら、胸元に着けていた蛍光石のブローチを掲げた。
魔力を込めたらしく、その光がいっそう強くなる。文字通りの渦中が光の元にあらわとなった。
「……とりあえず、酷いことになってるのは分かったよ」
血の気の引いた顔でソロンはつぶやいた。
遠くてよく分からないが、色んなものが地面に落ちていくのが分かった。少なくとも、重い鎧をまとったままで助かる高さではないだろう。
当のミスティンはどうかというと、疲れは見えるが至って平然としている。
倫理観が欠けているとは思わない。こう見えて、彼女は戦場の現実というものを理解している。アルヴァのためなら、殺傷もいとわぬと腹をくくっているのだ。
「しっかし、その王子ってのは本物か? 影武者ってことはねえだろうな?」
グラットが疑問を呈するが。
「さあて、敵の動きを観察すれば分かるでしょう」
と、アルヴァは余裕の態度だった。
*
やがて竜巻は収まったが、ミスティンの一矢が敵に与えた被害は甚大だった。
消し飛んだ明かりを補うためか、周辺の敵兵が松明を持って現場に駆けつけていく。遠目にも混乱している様子が伝わってきた。
「思った以上に混乱しているようだな。連中、どこから攻撃を受けたかも把握できていないらしい。当のランザムとやらの名も幾度となく叫ばれているぞ」
耳を澄ましたメリューが、持ち前の聴力で報告してくれる。
「おっ、成功か? 案外、呆気ねえもんだな」
「好機ですね。私達も行きましょう」
アルヴァは背後に待たせている兵士達へと目をやった。
被害を受けた第二王子の部隊は、見ての通り混迷の極みである。
その後ろには、第一王子リーゲルの部隊も控えている。しかし、あちらも対応を決めあぐねているようだった。攻め込むなら、彼らが立て直す前が好機だろう。
「しかし、あのバケモノ共が邪魔だな」
今も外壁に押し寄せるグリガントを、メリューは見ていた。
敵本陣の混乱をよそに、聖獣の動きは止まらなかった。それをレムズ達が今も懸命に喰い止めている。敵へ追撃をかける余裕は、彼らにはなさそうだった。
「放し飼い状態ってわけか。迷惑なこったな」
うんざりした声でグラットが吐き捨てる。
「放ってはおけないな。先に行くよ」
ソロンが外壁上の手すりに足をかければ、
「おっしゃ、俺も付き合うぜ」
グラットも同じように続いてくれる。
「行ってらっしゃい!」
ミスティンはさすがに疲れた様子だったが、それでも精一杯の元気で見送ってくれる。
「くれぐれも無茶しないように。私達も後から突入します」
「了解、行ってくる!」
ソロンは外壁の手すりを越え、一気に飛び降りた。結構な高さがあるが、身軽なソロンはものともしない。
続くグラットも魔槍の力で難なく着地する。相変わらず便利な槍だった。
外壁の外へと飛び降りれば、そこは草むらだった。門や街道から外れた場所に降りたため、道として整備されていないのだ。
邪魔な草をかき分けながら、二人は戦場へと走った。
グリガントの巨体は、少し離れたぐらいでは見逃しようもない。十人足らずの騎士が、魔物を押し留めようと必死に奮闘していた。
もっとも、手負いの者も多い。中には馬を失い、徒歩で槍を振るっている者もいる。馬の機動力を抜きにして、聖獣の攻撃に対抗し続けるのは困難だろう。
草むらを抜けたソロンは、背中の愛刀を引き抜いた。さらに足を速め、一息にグリガントへと駆け寄る。
「助太刀するよ!」
そう叫ぶなり、刀を横に払った。
グリガントは長い腕を振り上げ、今まさに騎士へと叩きつけようとしていた。
だが、聖獣の横腹へと青い炎が喰らいついた。炎はみるみる肉だらけの腹を溶かしていく。腹がただれた魔物は、体を支えきれずに崩壊した。
「あのバケモノが一瞬で!?」
「まさか、あれが蒼炎のソロンか!?」
騎士達は驚いた顔で一斉にこちらを見た。遺憾ながら、蒼炎のソロンの名が広まってしまっていた。
騎士達の礼を受ける間もなく、ソロンは次なる標的を目指していく。
「相変わらず、すばしっこいやっちゃなあ」
追いかけるグラットがソロンの速さに驚嘆する。もっとも、そのグラットにしても速さは常人の域を越えていた。恐らくは槍の魔力で身を軽くしているのだ
と、そこへ騒がしい羽音が近づいてくる。空を羽ばたくザウラストの聖獣――メガエラが、こちらに目をつけたのだろう。
「邪魔だよ」
ソロンは刀を上空に向け、青い火球を放った。
……が、メガエラは機敏な動きで火球をひらりとかわしてみせる。
もっと引きつけて放つか、広範囲を覆う炎を放射するか……。ソロンが算段していると。
「甘いぜソロン。あっちは俺に任せな」
グラットはそう言うなり、夜空へと飛び上がった。その片手には、もちろん超重の槍が握られている。
たちまち彼の体が、メガエラの上まで急浮上する。
グラットは両手で槍を握りしめ、魔物の頭へと急降下した。
メガエラはそれを避けようともせず、槍は深々とその背中を貫いた。やはり、頭上は死角になるらしく、反応できないようだった。
羽ばたく力を失った大トンボが、墜落し始める。
「一丁上がりだ」
その背中を蹴って、グラットは次なる獲物の頭上へと飛び上がった。
同じように急降下でメガエラを仕留め、それを足場にまた舞い上がる。連続した動作はまるで曲芸を思わせる。空を翔けるグラットにとって、メガエラは絶好の獲物だった。
「さすがにあれは真似できないなあ……。よし、空は任せるよ!」
グラットが空なら、ソロンは地上だ。
グリガントの横を駆け抜けると同時に、ソロンは刀を払った。蒼炎を叩きつけるようにお見舞いする。巨体が倒れる重低音が背後で鳴ったが、それを無視して突き進む。
そうして、ソロンは難なくレムズの元へと近づいた。