ラグナイの王子達
用水路に架かった橋をいくつか乗り越えて、一同は東門へ向かった。大した距離ではないため、馬を全速力で飛ばしてもバテることはない。
早々とソロン達は、東門の近辺にたどり着いた。
見る限り、鉄門は無事なようだった。外側から攻撃を受けたらしく、形を歪ませてはいるが、今も固く門を閉ざしている。
もっとも、被害はそれに留まらない。門を挟んだ左右――外壁の二箇所が崩れ、隙間から向こう側が覗けていた。恐らくはグリガントの拳を受けたのだろう。
現状は大きな隙間ではなく、人馬がようやく通れる程度だ。魔物が侵入するには足りないが、これ以上の攻撃を受ければ分からなかった。
そして、敵の聖獣はグリガントだけではない。
空を飛ぶ巨大な影は、トンボの形をしていた。黄の聖獣メガエラだ。メガエラはその大きさに見合わない機敏さで、外壁を越えようとしてくる。
「撃て! 死んでも壁を越えさせるな!」
「右からも来るぞ! 誰か、あっちを狙ってくれ!」
対するレムズ軍も必死の応戦をしている。外壁の上に立つ大勢の兵士達が、弩弓を構えながら叫んでいた。
引き絞られた弦から矢が一斉に飛び立ち、メガエラを狙い撃つ。通常の弓よりも激しい音が、ソロンの耳にも届いた。
いくつかは外れたが、何本かは命中した。
弩弓とは器械式の弓であり、重く持ち運びには適さないが威力は高い。連続で胴体に刺さった矢には、巨大トンボも耐えられなかったらしい。羽ばたきを止めて、外壁の向こうへと落下していった。
メガエラを落としても、兵士達が休まる様子はない。外壁の向こうに狙いをつけ、攻撃を継続しているようだった。こちらからはよく見えないが、狙っている相手はグリガントに違いない。
「よくやっているようですね」
「けど、レムズ王子の姿がないな」
「向こう側にいるのでしょう。見に行きましょう」
と、アルヴァは外壁のほうを指差すや、馬を降りた。ソロンもそれにならって下馬する。
「――偵察してきますので、しばらく待機するように。ただし、外壁を越えてくる敵がいれば、必要に応じてラグナイ軍を支援してください」
アルヴァは後続の兵士へと指示を下し、外壁へ向かって歩き出す。
しかしながら、外壁の上は戦場そのものだ。グリガントはその長い腕で、巨岩を放り投げてくるのだから。
現に東門付近の外壁は損傷が激しく、上部が破損しているところもあった。離れているからといって油断はできない。
「それじゃ、あそこから登ろう」
ソロンはアルヴァの手を引き、ハシゴを架けられた外壁の一角を指差した。
東門から数百歩ほど南に寄っていて、兵士達の姿が少ない辺りだ。あそこなら敵の標的にもなっていないため、安全に偵察できるだろう。
「……少し遠いですが、仕方ありませんね。時間が惜しいので走りましょう」
アルヴァも渋々ながら同意した。
そうして、彼女はソロンの手を引いたまま走り出す。
引っ張られるのも癪なので、ソロンはすぐに追い抜いて引っ張り返した。
ハシゴを登った二人は外壁の上に立った。
外壁の上は、下から眺めるよりも広い通路になっていた。行き交う兵士達の怒号も、すぐそばから聞こえてくる。
外壁の向こうを見下ろせば、おびただしい数の死骸が転がっていた。緑色の醜い巨体が松明の炎に照らされ、嫌でも視界に入ってくる。
目的の相手の姿はすぐに見つかった。白光の剣が放つ閃光は、闇夜の中であまりにも目立ったのだ。
レムズは愛馬と共に自ら前線に立ち、剣を振るっていた。恐らくは破壊された外壁の隙間から、自ら踊り出たのだろう。
周辺にはそれを守る騎士達の姿もある。レムズは指揮を執りながら、勇ましく聖獣の猛攻をしのいでいた。
彼が聖剣と呼ぶ愛剣は、グリガントすらも一撃で仕留める。けれど、倒しても倒しても魔物は次々と投入されてくる。
外壁上に構える兵士達も、矢を放って懸命にレムズを支援する。それでも、旗色はいかにも悪い。
レムズが戦っているのは外壁のそばだ。そこからずっと離れたところに、まだまだ敵軍は控えている。
暗くて分かりづらいが、ザウラストの神官とそれを取り巻く兵士達だろう。魔物を除いても敵軍の数は多く、レムズの軍を大きく上回っているようだ。
もっとも、彼らは戦闘には参加せず、戦いをもっぱら聖獣に任せていた。
「あの旗は……?」
ふとソロンの目に止まったのは、二つの旗だ。
敵軍の中には様々な旗が掲げられている。ラグナイ王国旗、ザウラスト教団旗についてはソロンも見知っていた。
しかし、それらとは別に二種類の旗が見えたのだ。遠くに見える黄色い旗と、それより手前に見える白い旗である。松明を持った敵兵が数多くいるため、大きな旗をはっきりと視認できた。
それらの下には立派な装いをした人物の姿も見えるが、遠すぎて顔までは判別できない。
アルヴァも同じ旗に注目したらしく、目を留めていた。それから、近くで弩弓を構えていた兵士へと近づいていく。
この辺りは敵が寄ってこないため、攻撃の必要はない。しかしながら、無防備にするわけにもいかず、少数の兵士で警戒しているようだった。
兵士達は困惑した様子でこちらをチラチラと見ている。
「失礼。あの旗はもしや、敵の王子が来ているのでしょうか?」
アルヴァは旗のほうを指差しながら、兵士へと説明を求める。
「は、はっ! あれはリーゲル王子とランザム王子の旗です。黄がリーゲル王子、白がランザム王子の旗になります」
にわかに現れた帝国軍総大将の姿に、兵士は明らかに面食らっている。緊張気味ながら、それでも兵士は答えてくれた。
「敵の王子が両方こっちに来てるのか……。これはレムズ王子も苦しいかもしれないな」
話を聞く限り、敵の王子はいずれも大した人物とは思えない。それでも、敵の本体が来ているという事実は重い。
「――よし、僕も加勢するよ」
ソロンは蒼煌の刀を抜き放ち、決意した。今にも外壁の上から飛び降り、レムズの元へと加勢する覚悟だったが、
「お待ちなさい、ソロン。考えがあります」
あっさりアルヴァに制止された。
「考えって……どうするの?」
「来たようですよ」
答える代わりに、アルヴァはソロンの背後を指差した。
ソロンが振り向けば、空を駆ける男の姿が遠くに見えた。建物の屋根を飛び石代わりにしながら、何度も跳躍を繰り返している。
男は槍を握り、二人の娘を両腕に抱えていた。そうして、こちらへと距離を詰めてくる。
「おーい、来たぜ!」
上空からグラットの声が聞こえてくる。
「ひゃっほーい!」
楽しそうに叫んだのは、グラットの左手にいたミスティンだ。空の旅がよほど愉快だったらしく、こちらに向かって手を振る余裕すら見せた。
「お、おい、ゆっくり降りろ! 危ないであろうがっ!」
対照的に右手のメリューは何やら叫びながら、狼狽していた。
グラットは飛鳥の如く軽やかに、外壁の上に降り立った。
ミスティンがしっかりした足取りでこちらへと駆け寄ってくる。
「うぬぅ、気持ち悪い……」
……が、メリューは降り立つなり、へたり込んだ。空の旅は彼女にとって刺激が強かったらしい。
「大丈夫?」
慌てて駆け寄ったソロンが、彼女の手をつかむ。
「大事ない。これしきでへたれる私ではないわ」
メリューは強がったが、その顔はいかにも覇気がない。元から色の白い顔を、いっそう蒼白に変えていた。それでも、手を引かれながらアルヴァの元へと歩いていく。
「お疲れ様です。メリューは無理せず休んでいてください」
「か、かたじけない……」
ねぎらいを受けたメリューは座り込み、外壁上の手すりに背を預けるのだった。