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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第一章 紅玉帝と女王の杖
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人智を超える力

 砦を背景にして、砂煙を巻き上げながら亜人達が迫ってくる。

 狼、猿、馬……。先頭をゆく亜人達は四足を駆使して、文字通りの人間離れした速さを誇っていた。

 五百歩ほどもあった距離を、敵はぐんぐんと詰めてきている。多種多様な種族が入り混じっているため、足並は不揃いだった。

 ともあれ、彼らがこちらにたどり着くことはあり得ない。


 アルヴァは馬を飛び降り、本隊の先頭へと躍り出た。

 女王の杖を高々と掲げ、天上の雲へと向けたのだ。

 体中の力が吸い取られるような奇妙な感覚と共に、杖先の魔石が黒い光を放ち出す。

 赤黒い霧が沸き起こり、上空へと結集していく。

 やがては翼を持った影へと形を変えていった。

 今回の影は腕のようなものを備えていた。前回よりも大きく、輪郭(りんかく)がはっきりと見えるのは気のせいではないだろう。

 恐らくは、アルヴァ自身が魔法に順応したためだ。


「おお、なんと……!?」


 自分の目を疑うように、ゲノスが声を上げた。


「天変地異か!?」

「違うっ! 陛下の魔法だ!?」


 思いもよらぬ魔法を目にして、兵士達もざわめく。馬達が恐怖に怯え、いななき出していた。

 疾走していた亜人達も、上空を仰いで動きを止める。


「ゆけ! 一匹残らず殲滅(せんめつ)なさい!」


 アルヴァは杖を振り下ろし、前方へ杖先を向けた。

 赤黒い影は音もなく、それでいて驚くような速さで亜人達へと飛んでいく。

 この期に及んで、先頭の亜人達は逃げる素振りを見せた。


 ……が、もはや手遅れだった。

 背を向けた狼の亜人は背中ごと心臓を貫かれ、空洞を地上にさらした。

 狼の亜人は頭部をごっそり削り取られ、首のない(しかばね)となった。

 一体、二体と次々に亜人達が影に貫かれていく。雲海でサーペンスを虐殺した時よりも、一段と力が増しているようだった。


 予想外の攻撃を受けて、亜人達の統率が乱れ出した。

 そんな中、亜人の指揮官の叫びに応じて、後列にいた亜人達が弓を構える。

 一斉に放たれた矢が、影に向かって降り注ぐ。

 しかし、矢は当たらない。

 何かに(さえぎ)られるようにして、矢は地面へと落ちていった。


 亜人達の恐慌はますます加速していく。

 彼らも愚かではなく、魔法への対処もある程度は立てていたようだ。

 バラバラに散らばったり、障害物に隠れて魔法で一掃されないようにしていた。

 さらには耐魔金属の一つ――鉛による盾や鎧も用意していた。これは人間よりも格段の体力を持った亜人だからこそ、可能な芸当なのだろう。


 だが、そんな対策を無視するかのように、影は亜人達へと襲いかかる。

 少しばかり位置が散らばっていようと、障害物があろうと、空を飛んでいようと関係ない。

 影は亜人を息つく暇もなく殺害して、対象を変更していく。

 盾や鎧にしても何の役にも立たない。影は耐魔金属ごと相手を貫くだけなのだ。

 体が毛皮で覆われていようと、鱗で覆われていようと、一撃で死骸となる結果に変わりはなかった。


 *


 そうして、またたく間に二百を上回る亜人が影の犠牲になった。

 亜人の指揮官は、ついに砦への撤退を決断したようだった。


 ……が、時既に遅し。

 気づいた時には退路を帝国軍の伏兵が固めていた。砦に残った部隊とは完全に分断されてしまったのである。

 撤退せずに北の本隊を狙うか、退路をふさぐ南の伏兵部隊を狙うか。亜人達の選択は二つに一つであった。

 南の伏兵部隊を砦内に残った部隊と挟撃すれば、帝国軍も多少の損害を受けたかもしれない。

 だが、そうはならなかった。


 亜人達が決断に迷っていたわずかな時間も、杖から放たれた影は待ってくれなかったのだ。

 次から次へと屍を積み重ねた末に、亜人達の勝機は喪失した。砦内の亜人達も、それを呆然と眺めるしかできなかった。


 やがて、杖を振るい続けていたアルヴァにも疲れが見え始めた。

 紅い目の焦点も怪しく、朧気(おぼろげ)に戦場を眺めている。にも関わらず、杖の力を止める気にはならなかった。

 残りの亜人を喰らい尽くすまで、やらねばならないのだ。


 一人、また一人と亜人達が倒れていく。

 勇敢にアルヴァへと矢を放とうとする者もいたが、命を散らす時が早まるだけに過ぎなかった。

 いつしか帝国兵までも、アルヴァの力を恐怖の目で見るようになっていた。

 だが、熱に浮かされたように殺戮(さつりく)へ集中する彼女は、その空気の変化に気づかない。


「陛下……おやめください!」


 見かねたゲノス将軍がついにアルヴァを制止した。

 アルヴァもハッとして、我を取り戻す。

 よろめいて倒れそうになったところを、将軍が支えた。


「それ以上の魔法はお体に差し障ります。これ以上は陛下のお手をわずらわすまでもありますまい。どうか、リンブル砦へ引き返して、お休みくだされ」


 事実、コドナム砦を出た亜人の部隊は、もはや壊滅に等しい状態だった。

 アルヴァの影は五百を超える亜人を(ほうむ)ったのだ。生き残った者にも戦意などあろうはずもない。

 コドナム砦の内部に残った敵部隊も、この惨状を見ては勝機がないと理解するだろう。

 降伏するか、玉砕するかは亜人の判断次第。どちらにせよ、残りは将軍達に任せておけば十分だった。


「ええ……。後はお願いしてよいでしょうか」


 アルヴァは夢から覚めたかのように悄然としていた。

 目の前には死屍累々(ししるいるい)たる地獄が展開している。

 屍の数の(おびただ)しさもさることながら、異様なのは死体の様相だった。

 鎧もろとも腹を貫かれた者、兜もろとも頭を欠損した者、体の半分を失った者……。いずれもまるで影に喰い散らかされたかのようだった。

 自分がやったことなのに、酷く現実感がない。


「ううっ……」


 アルヴァは慌てて手で口を抑えた。

 今更ながら、吐き気が込み上げてきそうだった。それに体も精神も、今までに経験したことがないほど疲弊(ひへい)していた。

 将軍はそんな彼女の危うい様子を見て取ったらしい。手近にいた兵を呼び出し、馬車を使ってアルヴァを後方へと移送させたのだった。


 *


 リンブル砦に戻ったアルヴァは、貴賓室(きひんしつ)にて休むことになった。

 その後の戦況は気になるが、魔法を酷使した精神疲労は深く、この場は休むしかなかった。敵は完全に壊走しており、まず問題はないはずだが……。


「陛下、お体の調子はいかがですか?」


 ベッドで休養するアルヴァを見舞ってくれたのは、セレスティン司祭だった。

 実のところ、今のアルヴァは半病人扱いである。セレスティンが面会できるのは、軍の治療を統括する立場だからだ。


「疲れてはいますが、問題はありません」


 そう言って、アルヴァは上体を起こした。


「そのわりに、お顔がすぐれぬようですが」

「軍の被害もなく勝利を得られたのです。この程度の代償は安いもの。あなた方も見たのではありませんか?」

「ええ、砦の屋上から見学しましたが、陛下がおっしゃった通りの凄まじい魔法でした。空に浮かんだ影が亜人達を次から次へと……。しかし、あれは一体……」

「さて、それは私にも預かり知らぬこと。……ですが、役に立つ。それで十分ではありませんか?」


 役割を果たした杖は、アルヴァの枕元に置かれていた。

 セレスティンは杖へと瞳を向けていたが、やがてアルヴァへと視線を戻す。そうして、ためらうように口を開いた。


「……正直に申しますと、得体の知れぬ力に頼るのは推奨(すいしょう)できません。ですが、陛下は聞き入れるおつもりはないのでしょう?」

「ええ、お察しの通り。説教なら秘書官だけで間に合っていますので」


 アルヴァは突き放すような口調で言い放った。


「……承知しました。ならば、私としては何も申しません。ただ、どうかご自愛くださいませ」


 セレスティンはそれだけ言った後、頭を下げて退出していった。


 *


 アルヴァが休養しているうちに、やがて将軍達もリンブル砦へと戻ってきた。ゲノス将軍が戦いの結果を報告してくれた。


 この戦いで、亜人達が受けた被害は甚大(じんだい)なものだった。

 そしてそれ以上に、未知の魔法を味わった恐怖が大きく作用したようだった。

 空を飛んで逃げた者もいたが、結果的に後詰めの軍にも恐怖が伝染したらしい。

 後日、大防壁へ向かってきた亜人の援軍が、速やかに撤収していく様子も確認された。


 これにて、戦争は帝国の勝利で終わったのだった。

 コドナム砦に残っていた亜人は、大部分が降伏し捕虜となった。その大半は帝国の各地へと分散され、奴隷として売却されることになる。

 その利益は、北方が受けた被害の穴埋めに利用されるはずだ。


 そして、カンタニアに戻ったアルヴァは、町の住民に大きな歓声で迎えられた。

 住民は日夜、亜人の恐怖に怯えて暮らしていた。

 カンタニアの北部には、かつて亜人の襲撃を受けて放棄せざるを得なかった町もあったのだ。

 彼らの中には、そんな町から退避して来た者達が多く含まれていたのだった。


 実際に現地へと遠征し、指揮を執って戦うアルヴァを町の住民達は知っていた。戦いに参加した兵士達が、様々な場所で吹聴(ふいちょう)したせいでもある。

 そうして、彼女はもはや、歴史の英雄と並び称されるような存在となったのだ。

 歓声の中で、アルヴァは自らの正当性を確信した。真に帝国を守れるのは自分だけなのだと。


 *


 カンタニアに滞在していたアルヴァは、十日ほど様子を見た上で帝都へ引き返すことに決めた。

 もちろん、破壊された大防壁の修繕(しゅうぜん)も指示してある。今回、破られたとはいえ、それがなければ、もっと深刻な打撃を受けていたに違いなかったからだ。


 かつて、大防壁を建造した父は、元老院から無駄遣いとのそしりを受けた。

 だが、壁は今もなお北方の民を守ってくれている。

 北壁帝(ほくへきてい)とも呼ばれた父から託されたこの遺産を大事にしたかった。


 カンタニアを離れる少し前に、大将軍が送った援軍が到着してきた。

 今更――という気持ちもあったが、死傷した兵の穴埋めは必要だ。ありがたく北方防衛の補充に当てることにした。


 *


 帝都へ帰る竜玉船の上で、アルヴァは物思いにふけっていた。

 今回の戦いにおいて、何よりも『杖』が絶大な効力を発揮したのは疑いようもない。改めて、ベスタ島の探検に協力してくれた者達には感謝せねばならなかった。


 そうして、思い出したのは赤毛の少年のことだ。特に彼の活躍がなければ、あの探検は乗り越えられなかっただろう。

 もちろん、約束も忘れていない。

 後ほどイドリスとやらの位置をソロンから聞き出し、そこへ軍と神鏡を派遣する。


 面倒であろうとも、相手が盗人であろうとも、約束は約束なのだ。それに故郷のために懸命な彼の姿に、どことなく親近感を持っていた。

 大将軍や財務長官には話をしておいたが、常のことで手続きは進んでいないに違いない。帝都へ帰ったら、発破をかけるとしよう。

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