言質は取りました
事が起こったのは、深夜だった。
鳴り響く警鐘を耳にして、ソロンは跳ね起きる。服装は寝間着ではなく、着慣れた旅装だ。胸当てを付ければ、そのまま戦いに出られるようになっていた。
「アルヴァの予感は当たったようだな」
同室にいたサンドロスも、落ち着いた様子で起き上がる。ソロンは昨夜のうちに、兄へも情報を連携していたのだ。
急いで廊下へと駆け出れば、他の皆も同じような様子で姿を現した。警備のために、真夜中の市庁舎内は照明が灯っている。おかげで皆の顔をはっきりと確認できた。
「ふあぁ……。どいつもこいつも、夜中にばかりしかけやがって。俺様の熟睡を邪魔すんじゃねえよ」
グラットが大きなあくびをしながら、自分本位に主張する。
「本来、夜襲とは欠点の大きいものです。攻め手の意思疎通も困難となり、同士討ちも頻発します。けれど、聖獣を野放図に暴れさせる限りは、そのような欠点も関係ないのでしょう」
グラットのどうでもいい主張にも、アルヴァは懇切丁寧に説明を入れる。なんだかんだと言いながら、彼女も付き合いがよかった。
「お姫様、寝起きのクセによくそんな頭回るな……」
「グラットの緊張感が足らないだけだよ」
「緊張感が足らないのはお互い様だろ」
ミスティンの指摘を、グラットが跳ね返す。
「皆さん、仲がよろしいですね。早くレムズ王子と合流しますよ」
呆れるようにこちらを見たナイゼルが、うながしてくる。レムズの寝室は市庁舎内でも反対側だ。有事の際は、市庁舎前の広場に集まる予定だった。
*
深夜、市庁舎前の広場を、篝火の炎が照らしていた。
そこへ続々と三国軍の兵士達が集まってくる。中には帝国将軍のガゼットやイセリアの姿もあった。
もっとも、各軍の宿泊先はバラバラであり、兵士達がやって来る方面も同様だ。全員が集まるには、今しばらくの時間がかかりそうだった。
合流するなり、レムズは無駄なく説明を開始する。
「敵の攻撃は西門、南門、東門の三方同時……。詳細は不明ですが、いずれにおいてもザウラストの聖獣が投入されている模様です。今のところ、門は突破されていないようですが時間の問題でしょう」
情報が極めて早いことから、何らかの信号を使って見張りが伝達したのだろう。
ホロージャは例によって、強固な外壁に囲まれる都市だ。そのような都市へ攻撃しようとすれば、大きな不利を被るのが常識である。
事実、過去の戦争史でも門や外壁を突破するために、多大な犠牲と時間をかけるのが大半だった。数ヶ月かけた末に、成果を挙げられないという事例も珍しくない。これは上界、下界を問わずである。
それでありながら、強行突破を敵が選んだのは、ザウラスト教団の力あってのものだろう。
すなわち、聖獣の怪力は、門も外壁も無力化してしまう。
戦術史を塗り変える規格外の力で、かつてのラグナイ王は勢力を拡大してきたのだ。
……もっとも、サンドロスといいアルヴァといい、それぞれ外壁を破壊した経験を持っていたりする。もちろん、外壁が脆いわけではなく、あの二人が規格外なだけなのだが……。
「現状、外壁内部からの攻撃はないということですね?」
アルヴァが問えば、レムズが頷く。
「そのようです。ただし、その後までは断言できかねますが」
「なら、こちらは四つに分割するとしましょうか」
レムズの報告を受けて、アルヴァが提案する。
「三つじゃなくて、四つなんだね。市内にいくらか残すってことか」
ソロンは立ちどころに理解する。敵が外壁の内側からしかけてくる可能性は、先日に検討したばかりだった。
「ええ、三軍が出払った隙を見て、市内に聖石を放ってくる可能性は大いにあります」
それはかつて帝都の襲撃にも使われた手口だった。セレスティンが弄した策を、今回の敵も使用してくる可能性は高い。
「――それゆえ、中央には私自身が遊撃隊として残ろうと思います。わが帝国軍なら分割しても余力はあるでしょうから」
「ああ、頼もう。敵がどこからしかけるか分からない以上、難しい判断が必要になるからな。残り三方をどうするかだが……」
サンドロスが難しい顔つきで、アルヴァとレムズの顔を窺う。
「三方全てが均等だと考えないほうがよいでしょう。恐らく、最も攻撃が強固なのは東側と見ています」
アルヴァが敵の陣容を予想する。
西と南は既に三国軍の勢力圏であり、敵が大軍を回すのは困難だ。逆に王都方面となる東門は、敵の陣容が分厚いと考えられた。
「ならば、我々が東へ向かいましょう。もしかすると、兄者達もあちらから攻めてくるかもしれません」
レムズが進んで名乗り出た。自国のことゆえに、自ら危険をかぶる覚悟を持っているようだ。
「定石なら、帝国軍に当たって欲しいところだが……」
サンドロスはレムズのほうを見ながら、なおも悩む素振りを見せる。
「心配はいらない。俺達にしても、もはや小勢ではないのだ。兄者の手勢など恐れるに足らんさ」
「兵力に不安がありますわね。どちらかの将軍を支援に回しましょうか?」
アルヴァはガゼット、イセリアの両将軍へと視線をやった。二人とも無駄口は挟まず、アルヴァの指示に従うつもりのようだ。
「姫君の心遣い、感謝します。ですが、御手をわずらわせるには及びません。ここは我らだけで十二分に足るでしょう」
アルヴァの申し出を、レムズは丁寧ながらきっぱりと拒否した。誇り高いばかりに、自分達だけで解決しようとするのは相変わらずだった。
「……やむを得んか。ならば、任せよう」
サンドロスもレムズの覚悟を察して同意する。アルヴァも仕方なく頷いていた。
レムズ率いるラグナイ軍の勢力は、日増しに増強されている。帝国軍の援助がなくとも、単体で敵に当たることも一応は可能だろう。
「であれば、残りの帝国軍は西。イドリス軍は南に当たるという方向でよろしいですね?」
アルヴァは視線を西から南へ送りながら、サンドロスに確認を取る。
「了解だ。それから、足の速い亜人を各陣営に送る。戦況の連絡はそれに任せてくれ」
ホロージャの町は、直径一里に足りない程度の規模である。俊足を誇るイドリスの亜人兵ならば、南門から西門までわずか数分で連絡できるのだ。
アルヴァもサンドロスもさすがに手慣れたものである。レムズと揉めることもなく、テキパキと役割分担を決めてしまった。
「イセリア将軍。こちらは大した相手ではなさそうだな」
ガゼットが同僚の女将軍に声をかける。緑の聖獣は間違いなく強敵だが、歴戦の勇士だけあって余裕にあふれていた。
「同感です。ですが、油断せずに行きましょう」
イセリアは生真面目に返事をした。
「では、お前もしっかり陛下を守れよ」
ガゼットが肩を叩き、グラットを激励する。
「言われんでも、ちゃんと働くぜ。親父もしっかりやれよ!」
二人の将軍は兵士達を引き連れて、西門へと向かっていった。
「えっと、僕は……」
ソロンはアルヴァとサンドロス、二人の顔を窺った。ソロンは一応、イドリス軍の副将である。さすがにここはサンドロスに付くべきだろう――と思ったが。
「そうだな……。弟は引き続き、そっちで預かっておいてくれ」
サンドロスがそんなことを言って、ソロンの背中を押した。
「まあ、よいのですか? 事実上、弟君がイドリス一の戦力でしょう」
どこか白々しい口調で、アルヴァは押し出されたソロンの腕をつかんだ。
「どこから来るかも分からん敵を、相手取るのは大変だ。遊撃隊にはそいつが適任だろう」
「と言いますか、私にはもう連れて行く気満々にしか見えませんけれどね」
諦めるような調子で、ナイゼルが口を挟んだ。
実際、アルヴァはソロンの腕を強く握って、離す気配はない。ついでにもう一方の腕はミスティンが押さえていた。
「ええ、言質は取りましたので」
アルヴァはにこりと微笑んだ。
「結局、こうなるんだよなあ」
と、グラットがつぶやいていた。