獅子身中の虫
三国軍は整然と隊列を維持しながら、ホロージャの町を行進していた。目指すは市庁舎のある町の中央である。
先頭を騎馬でゆくのは、ラグナイ王の後継として名乗りを上げたレムズだ。
そのすぐ後ろにはアルヴァとサンドロスの姿もあった。三軍の代表が衆目に顔をさらすことで、関係の良好さを強調する狙いらしい。他国への進攻は、それだけ気を遣うものなのだとか。
もちろん、ソロン達も二人に付き添う形で、先団を進んでいた。
レムズ率いるラグナイ軍は、大半が即席の志願兵によって占められていた。それでも士気は高く、レムズの元で軍規は徹底されている。粗相を行う者もいなかった。
遠くから見守る市民達は当初、警戒する素振りを見せていた。
しかし、こちらの兵士達の規律正しさが伝わると、次々と沿道へ繰り出してきた。
レムズが余裕の表情で手を振れば、市民達からどっと歓声が沸き起こる。
「ふうん、国内では本当に人気あるんだね」
つぶやいたのはアルヴァに付き添うミスティンだ。どことなくトゲがあるのは、先日の宴会で彼の醜態を目にしたためだろう。いまだレムズへは疑いの目を持っているらしい。
「あれでも騎士達の人望はあるみたいだからね。確かに女性相手への奇行は目に余るけど、ザウラストよりはマシって気持ちは分かるな」
ソロンは擁護したつもりだったが、
「……お前もなかなか毒を吐くようになったな」
サンドロスにはそう見えなかったらしい。
そうこうしているうちに、ホロージャ市はすっかりにぎわいを取り戻していた。
市民達は活発に町中を行き来し、商売を再開していたのだ。レムズ自身が平時の生活を続けるよう、市長を通して通達したためだろう。
ラグナイ第二の都市かつ交通の要所というだけあって、行き交う人の数は多い。広い街道を通る馬車の姿も目立っていた。
遠慮がちにこちらを窺う馬車の御者を、三国軍は隊列に隙間を空けて通していた。これも市民生活に迷惑をかけずという、人気取りの一環だろう。
「さすが、ラグナイ第二の都市ってだけあるね。ひょっとして、イドリスより大きいかも……」
「イドリスの人口は約四万、ホロージャは約五万なので、こちらのほうがやや大きいですね。無論、私が見た統計が現在も正しいという前提ですが」
聞かれてもいないのに、アルヴァが解説してくれた。彼女は途中で経由した町でも、事あるごとに書籍を購入していた。間違いなくその成果だろう。
「う~ん、負けてるのか。王都同士の比較はともかく、他の町にまで負けるのはちょっと悔しいな……」
ソロンは複雑な胸中を吐露した。
「ははは! 別に勝ち負けを競うことでもないだろう。イドリスはイドリスで発展していけばいい。民が不自由なく安全に暮らしていけるなら、俺は満足だ」
サンドロスは豪快に笑い飛ばした。
ソロンと同じ赤髪に緑の瞳でありながら背丈は高く、たくましさは段違い。これこそ王者にふさわしい貫禄というものだろう。ソロンには決して備わっていないものだった。
「まっ、俺の故郷よりちっさいし、大した町じゃねえよ」
自慢だか慰めだか分からないことをグラットが言う。
サンドロスに負けず劣らずのたくましい茶髪の青年。ソロンにとっては、今やもう一人の兄貴分ともいえる仲間だった。
ちなみに彼の故郷ベオは人口十二万程度。大都市ではあるが、帝国本島にはそれ以上の都市がいくつもある。
「その通り。帝国にはこの程度の町はありふれていますし、気落ちするほどでもないでしょう。参考までに、帝都ネブラシアの人口は三十万です」
続いたアルヴァは、何でもないように口にしたが、
「……なんか、悲しくなってきたんだが」
サンドロスにとっては追い討ちに聞こえたらしい。言葉通りの悲しげな顔をソロンに向けてきた。……どうやら、王者の貫禄を感じたのは気のせいだったようだ。やはり、兄は昔ながらの兄だった。
「ごめん、彼女に悪気はないんだ。ただちょっと……というか、だいぶ人より基準が高いからね。自然に上から目線になってるみたい」
やむなく、ソロンが代わりに弁解しておく。
「そ、そうか……。別に非難しているわけじゃないから、気にしないでくれ。少し苦労するかもしれないが、悪い女じゃないと思うぞ」
……何やら、サンドロスに気を遣われたような気がする。
町中には細い用水路が整然と走っており、その上に小さな橋がいくつも架かっている。
そうして、橋を渡っているうちに、ソロン達は市庁舎へ近づいていた。
市庁舎の向こう――北側には大きな川が見えていた。
「立派な川がありますね。用水路の水源でしょうか」
「さすが、紅玉の姫君はお目が高い」
と、アルヴァのつぶやきを耳ざとく聞きつけたらしく、レムズが振り向いた。
「――このホロージャ市が建造されたのは、おおよそ百五十年前。あの大河が陸地へと切れ込む地形に、当時の王が目をつけたのが始まりとされています。しかしながら、ホロージャは結果として、長年に渡り治水に悩まされました。土を盛り、坂の上に町を作ることで、ようやくその対処に成功したのだとか」
レムズはここぞとばかりに力説した。想い人に興味を持たれたのを察知し、全力で喰いついたようだ。
「それはそれは、素晴らしいですわね」
対するアルヴァは、ミスティン並の適当な返事でそれに応えた。都市の成り立ちなど彼女が好物としそうな話題だが、レムズと会話を続ける意思はないらしい。
それでも、愛想のよい返事をされたせいで、レムズは喜んだようだ。機嫌よさげに市庁舎へと向かっていった。
そうして、ホロージャ市の明け渡しは順調に進められた。市庁舎を抑えたレムズは、正式に町の占拠を完了したのだった。
*
進軍続きだった三国軍に久々の休日が訪れた。
ホロージャのような大都市は、拠点としても最適である。ここまで速い行軍を続けてきたため、しばらく休息することにしたのだ。
町中にはもぬけの殻となった兵舎もあり、ある程度の兵士も収容可能だった。
もっとも、三国軍の兵数はラグナイ全軍すらも凌駕している。到底、それだけで全てを収容できるはずもない。
残りは市庁舎や宿のような施設を活用し、それでも収まらなければ広場に天幕を張った。行軍中は外壁のない場所での野営もあったため、それでも恵まれたものだった。
三国軍の首脳部は利便性を考えて、市庁舎に宿泊する決まりとなった。もちろん、ソロンもその中に含まれている。
兵士達にとってはありがたい休日だが、いくつかの狙いもあった。レムズは宣伝を行い、志願兵を募集したのだ。
「来たれ、勇士よ! 邪教徒をこの国から追い払い、誇り高き騎士の国を取り戻すのだ!」
レムズは自ら広場で演説を行った。市民の反感を抑制しながら、支持を集めるように努めていたのだ。ザウラストへの非難はこの町でも受けがよく、レムズは一層の人気を集めているようだった。
一方、アルヴァの狙いは界門である。ホロージャの南西部の山中には、ザウラスト教団が使用する界門があったのだ。
当初の予定通り、帝国軍は界門に兵を送った。制圧した界門によって、帝国との経路がつながれる。三国軍の補給はそうして盤石となるのだった。
ともあれ、休日である。
ソロン達もせっかくの機会を逃さず、ホロージャの町中を歩いていた。これは町を見て回りたいという、アルヴァたっての希望があった。
ミスティン、グラット、メリュー……。いつもの仲間達も手練ぞろいであるため、大仰な護衛が必要ないのはありがたかった。
すっかり、ソロンがアルヴァの傘下に見られているのがアレだったが……。最近は帝国軍の兵士達までが、愛想よく敬礼してくれるようになったのは喜ぶべきか。
「それにしても、アルヴァはよく休めたよね」
と、ソロンが尋ねる。
元帥たるアルヴァが、帝国軍で最も忙しい立場にあるのは間違いない。それでも、彼女は時間を作って、市庁舎を抜け出してきたのだ。
「レムズ殿下と比較すれば、私の仕事は多くありません。両将軍と交替で十分処理できる程度です。それに、これだって単なる観光ではありませんよ」
「え~、観光じゃないんだ?」
ミスティンが残念そうな声を出す。
「あなたが観光するのは自由ですよ。ただ、私としては敵があまりに他愛なかったのが気懸かりです。国内第二の都市を、こうも簡単に明け渡すでしょうか?」
「ふむ、獅子身中の虫がいるやもな」
メリューがアルヴァの意図を理解したらしく頷く。
……と、ミスティンがソロンの肩を突いてきた。アルヴァにしなかったのは、話の腰を折らないよう配慮したためらしい。
「体内に虫がいたら、獅子みたく強い生き物だって抵抗できないでしょ? 壁の内側に、敵が残ってるんじゃないかって話だよ」
「おぉ~!」「やるじゃねえか」
ミスティンとグラットが拍手してくれる。
「よくできました」
と、アルヴァも称賛してくれたが、ソロンは顔をしかめた。
「その程度で褒められるのも、なんだかなあ……。それより、今から敵が残ってないか探すつもりなの?」
「それが可能なら理想ですが、現実には難しいでしょうね。レムズ殿下には市庁舎の職員を警戒し、検査するよう頼んではいます。けれど、何万といる市民に敵が化けている可能性を否定できません」
「あー、あいつら石一つで魔物呼べるんだっけか。最初の帝都の時だって、いきなり町中から魔物が現れたわけだしな」
ザウラスト教団は聖石と呼ばれる石を用いて、聖獣の召喚を行う。見た目は一般的な魔石とさして変わらないため、懐に隠し持たれては発見も難しい。
「……あれって、お姉ちゃんの仕業だよね」
ぽつりとミスティンがつぶやけば、視線が一挙に彼女へと集まる。
内部から突如現れた聖獣によって、帝都は大きな被害を受けた。
ソロン達は、聖獣が召喚された現場を目撃したわけではない。しかし、犯人は帝都内部にいたザウラスト教徒であり、主導したのがセレスティンなのは明らかだった。
「お、おう……。そういやあの時に、お前の姉ちゃんに会ったな。素知らぬ顔で怪我人を助けるとか言ってたか……」
グラットが当時を思い出し、冷や汗を浮かべていた。
善良な司祭の顔をしていたセレスティン――その裏では邪教の幹部として、破壊工作を主導していたのだ。ソロンも当時、修道院でセレスティンによる看病を受けたが、今更ながら背筋が凍る思いである。
「…………」
話題が話題であり、気まずい沈黙が流れるが、
「……そういうわけで、市内からの攻撃を完全に防ぐのは、困難だと考えています。せめて市内の地理を把握し、敵の出方を予想しておきたいのです」
アルヴァが話を本題に戻したので、ソロンも質問する。
「まず、狙われそうなのは市庁舎だけど、そっちは警戒してるんだよね」
「ええ、レムズ殿下の部下が常時、持ち物検査をしています。聖石を持つ者がいれば、すぐに分かるでしょう。不要に庁舎へ近づく者がいれば、それも誰何されることになっています」
「北の川は?」
「無論、監視させています。緑の聖獣が水堀を渡れることは、とうに確認済みですから」
「最近はトンボもいるしなあ」
と、グラットが付け足す。
「市庁舎は大丈夫そうだね。となると、敵が狙ってきそうなのは――」
「アルヴァにレムズ、それからそなたの兄だな」
ソロンの続きを、メリューが引き取った。
「そうだね。といっても、それもそこまで心配はいらないだろうけど。アルヴァは僕達が守ってるし、他の二人も当人達が手練だから」
「はい。ですから、後は市内を見回るとしましょう」
ホロージャ市は西、東、南の三方から来る街道が交わる地点である。町の入口も西門、東門、南門の三箇所に分かれていた。
その後、しばらく市内を見回ったところで、アルヴァが終わりを切り出す。
「今日はこんなところでしょう。最低限の警戒は帝国軍でも行いますが、あなた方も心構えはしておいてください」
「分かった。けど、これまでだって油断はなかったつもりだけどね」
旅の途中、寝る時にしても刀はすぐ隣においてあった。長く平和に恵まれてきた上界人と違って、下界人は常に危機にさらされている。ソロンも下界人の一人として、危機には敏感だったのだ。