三国軍が征く
荒涼たる下界の大地を、大勢の兵士が進軍していく。
三国からなる同盟軍がラグナイ王国の街道を進んでいたのだ。
三国軍が目指すのは、ラグナイの王都ラグルーブである。出発したのはイドリスの国境沿いにあるミュゼック砦。そこから優に百里を超える距離があった。
合計して八千に迫る大軍である以上、隊列は果てしなく長くなる。その動きも迅速とはいえない。二十日以上の行軍を覚悟せねばならなかった。
長大な隊列の中に掲げられているのは三つの軍旗だ。
先頭に掲げられているのは、盾と槍と剣の紋章。騎士の国たるラグナイ王国軍のものだ。
率いるのは同盟軍の総大将でもある王子レムズだった。
ラグナイ王国は今、分裂状態である。国王ラムジードが死亡し、三人の王子による後継争いの最中だった。
その中で第三王子たるレムズは、ラグナイの正統な後継を主張。自らの勢力をラグナイ王国軍と名乗っていた。
対する第一王子リーゲルと第二王子ランザムは、今も王都にいるという。
両者は手を組んで、レムズに対抗してくるというのが大方の見方だった。恐らくは、亡き王の後継としてザウラスト教団の力も借りてくるだろう。
レムズが囚われていたベスカダ市を脱出して以来、勢力を増してはいるが、それでも精々が五百人といった程度だ。
彼らが先頭をゆくのは、もちろんその土地勘を頼ったためだ。さらには、侵略軍ではないという住民への宣伝もあった。
次に続くのは黄金の竜旗――最大勢力となるネブラシア帝国軍の旗である。上帝アルヴァネッサが元帥として軍を率いていた。
先のラグナイ王との戦いを圧倒したため、当初から五千に及んでいた兵力はほぼそのまま維持されていた。経験豊かなガゼットに、若き新鋭イセリアという両将軍の存在も頼もしい。
事実上、帝国軍こそが三国軍の要といってもよかった。
最後尾には白毛の虎が描かれたイドリス王国軍の旗があった。数千人の軍を率いるのは国王サンドロスである。
人間と亜人、馬車と竜車が入り交じる多彩な軍勢となっている。
先の戦いによる負傷者も多かったため、若干の兵数を減らしていた。そもそも、他二国に国力で劣るため、遠征を行う体力がないという厳しい懐事情もあった。
それでも、国王サンドロス自らが全軍を率いており、その意気込みは並々ならぬものがある。
ザウラスト教団には先王のセドリウスが殺害され、一度は王都を明け渡す羽目にもなったのだ。その打倒に懸けるサンドロスの思いは、レムズにも負けなかった。
サンドロスを補佐するのは、ナイゼルとダルツ将軍である。虎将軍のダルツも砦の守備から引き続き、遠征軍に参加していた。
ちなみにイドリスの内政は、母ペネシアや旧臣達に任せてある。不安はあるが、ラグナイ方面以外の脅威はイドリス国内には存在しない。そこさえ抑えていれば、というサンドロスの判断でもあった。
サンドロスの副将であるはずのソロンは、そんな中で帝国軍に混ざっていた。
アルヴァ達と仲が良いのはもちろん理由の一つ。けれど、誰かが軍の前方で情報を得ねばならないという現実的な側面もあった。
ソロンは事あるごとに、後方にいるサンドロスの元を訪れて報告するようにしていた。長過ぎる隊列は、情報を共有するだけでも一苦労なのだ。
*
破竹の勢いで三国同盟軍は、ラグナイ国内を進んだ。
いや、破竹というにも手応えがなさすぎた。ラグナイの敵軍は、勢いに乗る三国軍に対して手立てを打てなかった。結果、ほとんど妨害らしい妨害をしてこなかったのだ。
そして道中では、三国軍の総大将たるレムズに恭順を乞う者が殺到していた。
これはなんといっても、先の戦争における勝利が大きかった。
イドリス軍は劣勢ながらミュゼック砦を防衛し、帝国軍は大兵力をもってザウラストの聖獣達を圧倒した。そして、レムズは自ら国王ラムジードを打ち破ったのだ。
国内で絶大な力を誇っていたラムジードとザウラスト教団――その二つを打ち破った今、追い風が三国軍に吹いているのは明らかだった。
そうして追い風が吹けば、風見鶏達もこぞって向きを変えてくる。
当初は小勢だったレムズ達も、日増しに勢力を増していた。さすがに帝国軍には劣るが、既にイドリス軍に匹敵する軍勢になっていたのだ。
*
フラガ、ベスカダ……。ソロンがかつて訪れた町を通り過ぎ、三国軍は北東を目指していく。
そして、三国軍はホロージャという都市に近づいていた。
それに当たって、会議が開かれることになった。場所は途中の町にある宿の一室である。
レムズに恭順を示した町の者達は、こぞって宿を提供してきたのだ。行軍の負担を減らすため、レムズもそれを受け入れていた。
「ホロージャというのはラグナイ第二の都市ですね。交通の要所を占めているため、商業なども盛んなようです」
地図を広げた机を前にして、そんなことを語るのはアルヴァだった。
「なんで、君が僕より詳しいのかな……?」
「このぐらい、調べれば分かるでしょう」
ソロンが尋ねれば、冷ややかな視線が返ってきた。
今日もアルヴァは長い黒髪を伸ばし、黒い服をまとっている。最大勢力を誇る帝国軍の総大将として、悠然とその場の主導権を握っていた。
「姫君がおっしゃる通り、ホロージャは国内の要所となっています。ここを押さえれば、王都攻略は成ったも同然。ですが、敵も無策で明け渡しはしないでしょう。腰抜けの兄達も抵抗してくるに違いありません」
ラグナイの代表としてレムズが見通しを語る。
栗色の髪をした鋭い目つきの男。しかし、相手がアルヴァなので、目つきは幾分穏やかだ。
騎士を自認する彼ではあるが、さすがに戦場ではないので鎧は身につけていない。それでも、黄金色の胸当てやマントをまとう姿は暑苦しかった。
「迅速に囲んで降伏を迫るべきでしょうね」
イドリスの軍師として、ナイゼルが提案する。
男にしては長めの灰茶の髪。魔道士のローブをまとった眼鏡の青年である。なんだかんだで、ソロンも兄のサンドロスも頼りとする男だった。
「――その前に打って出てくるなら、返り討ちにすればよし。いずれにせよ、主導権は我々にあります」
「いいだろう。俺としては、兄達に自ら打って出てもらいたいところだな」
と、三国軍の総大将たるレムズも承諾した。
いつもの通り、レムズ軍が先行し、帝国軍はその後に続いていく。
レムズ軍の兵力がふくらんだため、隊列の先頭までの間隔は一層と広がってしまっていた。
やがて、遠く街道の先に石造りの壁が覗いた。次の目的地であるホロージャを守る外壁だった。
打って出るか、門を閉ざして籠城するか……。何はともあれ、敵の出方を見極める必要がある。
もし、敵が襲撃をしかけてくるなら、突出を好むレムズが囲まれないよう助力へ向かわねばならない。
「ほう、そう来たか」
いち早く反応したのはメリューだった。外壁のほうを紫の瞳で眺めている。
銀竜族の血を引く彼女は、青みがかった銀髪の持ち主だ。故国ドーマの着物を優雅に着込んでいる。実年齢はともかく、見た目はやはり十代前半としか見えない。
「何か見えましたか?」
「白旗だ」
アルヴァの問いに、メリューは端的に答える。
「降伏ってこと?」
「こちらの風習は知らぬが、他にあるまい」
ソロンが聞けば、メリューは頷いた。
「最近、メリューが私のお株を奪ってる気がするんだよね」
ミスティンが不満の声を上げていた。彼女も人間としては図抜けた視力を誇っていたが、さすがに銀竜族には敵わない。
今日も彼女は後ろにくくった金髪を、騎乗する馬の尾のように揺らしている。お気に入りの緑の服の上に、弓と矢筒を背負っていた。
「それはすまんな。だが、心配はいらん。そなたには優れた弓術があるのだ。両界広しといえど、そなたほどの名手は他におるまい」
「もう、メリューってば」
照れたらしいミスティンは、馬を寄せてメリューの頭を撫でようとする。メリューは体を傾けて、ひょいと回避していた。
「レムズ殿下とも話しておきましょう。降伏を受け入れるにしても、油断はなりません」
アルヴァは手綱を動かし、自らレムズの元へ向かう素振りを見せた。同時にソロンへと視線を送ってくる。
白旗を掲げながら、攻撃をしかけてくる可能性も否定できない。直情的なレムズが罠にかからないかを、アルヴァは危惧しているのだろう。……でもって、レムズと二人きりで話すのが嫌なのだ。
目線で呼ばれたソロンも、彼女に付き添う形でレムズの元へ向かうのだった。
その後、レムズに注意をうながした上で、全軍はホロージャへ向かった。
結局のところ、アルヴァの危惧は当たらなかった。
ホロージャの市長は自ら外壁の外に出て、レムズを出迎えたのだ。ソロン達もその場に居合わせて警戒したが、罠の気配はみじんもなかった。
レムズが市長に問いただしたところ、二王子の軍も数日前まで駐留していたらしい。ただ三国軍の接近を知るや、取るものも取りあえず撤退していったという。
「臆病風に吹かれたか。これほどの腰抜けだったとはな」
レムズは兄達に対して失望をあらわにした。
そうして、一切の抵抗もなく三国軍はホロージャの町へと入場するのだった。