思いがけない来訪者
そして、幾日が過ぎ去った。
敵に立て直す余裕を与えないというアルヴァらの方針もあって、準備は急速に進められた。
レムズを優勢と見て、傘下に加わりたいというラグナイ人がいれば受け入れる。不足していたレムズ達の装備も、帝国軍が融通することで大きく充実していった。
また、怪我を負っていた兵士には手当を施し、進軍に耐えられないと見れば後方へと送った。
そうして、いよいよ三国からなる連合軍が、ザウラスト討伐へと動き出そうとしていた。
ミュゼック砦に駐留するアルヴァの元へ、思いがけない来訪者が訪れたのはそんな時だった。
場所は砦の入口にある広間である。
その人物の来訪を聞いて、アルヴァは自ら足を運ぶと決めたのだ。ソロンもミスティンと共に、アルヴァに同行していた。
「陛下、ご健在のようで安心しました」
一人の女がアルヴァの元へと歩み寄ってくる。
聖職者の白服。長く伸ばされた金髪に、穏やかな空色の瞳。
神竜教会の司祭にして、ミスティンの姉――セレスティンは軍人だらけの砦において、異質な雰囲気をまとっていた。
オトロス支配下の帝都に向かって以来、セレスティンの消息は不明だったのだ。それが思わぬところでの再会である。
「お姉ちゃん……?」
しかし、ミスティンはどこか呆然と姉を見ていた。再会を喜ぶというよりも、ただただ驚いているという雰囲気だ。
「ミスティンも元気そうね」
「セレスティン司祭、無事だったのですか? それにあなたがこちらへ来るとは、珍しいですわね」
アルヴァは意外そうに目を細めた。
「はい。神竜教会としても、下界について知る必要がありますから。陛下が向かったとお聞きして、急いで追って参りました。さっそく、司祭として負傷者の治療に当たっていたところです」
そう答えながら、セレスティンがアルヴァへと近づいていく。その左手には杖が握られており、先端には癒やしの魔石らしき物が据えつけられていたが……。
「お姉ちゃん、動かないで!」
突如、ミスティンが叫び声を上げた。
弓矢を姉に向けて、ミスティンにしては珍しい険しい表情を見せていた。その剣幕にソロンやアルヴァも唖然と目を見張る。
「ミスティン、どうしたの?」
対するセレスティンは奇妙な程に落ち着き払い、妹のほうを見た。
「帝都に向かってからどこ行ってたの? 教会にはいなかったよね?」
「まあ、わざわざ探してくれたのね? 近郊の町を回っていたのよ。あの時、小さな戦は到るところにあったし、怪我する人も少なくはなかったから」
「ウソ、お姉ちゃんは帝都にいた。だけど、教会には行かなかったんだ」
「はぁ……」
セレスティンは哀れむような目で妹を見やった。
「お姉ちゃんでしょ! 背丈も利き腕も、声も仕草も、全部お姉ちゃんだった! 二回も見たんだ! ちょっとごまかしたくらいじゃ、私は間違えないもん!」
左手で矢を引いたまま、ミスティンは続ける。
「だから、なんのことかしら?」
「とぼけないで、ザウラストの枢機卿だよ」
ミスティンは早口で静かに、それでいて鋭く言い切った。
「ザウラスト……? 私は神竜教会の司祭よ。よりにもよって、私がどうしてそのような邪教に与すると――」
言い終わるのをミスティンは待たなかった。彼女は躊躇なく弓矢を引いていた手を放していた。
至近距離から放たれた矢が、セレスティンの左肩を狙う。容易にかわせる間合いではなかった。
……が、放たれた矢は、セレスティンへ届くことはなかった。
セレスティンが左手に握り締めた杖。その杖先から闇が広がり、矢を吸い込んだのだ。
いつの間にか、杖先の魔石が赤黒く変色していた。
「ふふふ……。やっぱり、ミスティンは勘のいい子ねえ。けど、姉に弓を引くなんて、しつけがなってないわ。父さんや母さんが今のを見たら、泣いてしまうかも」
ミスティンの一撃は本気だった。
……にも関わらず、セレスティンはいまだ微笑みを浮かべて妹を見ていた。姉がやんちゃな妹を見るような穏やかな表情……。だがそれは、この状況においては異様というしかない。
「今のは……ザウラストの魔法ですね」
アルヴァは凍りついた表情で、セレスティンへと杖を向けた。
杖先に光る雷光の魔石が、セレスティンの胸を狙っていた。ソロンも遅れじと蒼煌の刀を背中から抜き放つ。
「ええ、偉大なる教祖様が生み出した奇跡の一つです」
怪しい笑みを浮かべて、セレスティンは言い放った。その声は、先日の戦場で見た枢機卿そのものだった。
ミスティンと同じ美しい空色の瞳――しかし、それが見つめるのは妹でもアルヴァでもない。どこか果てしない遠くを見ているようだった。
「あなたは……神竜教会の司祭だったのでしょう? 教会の神を信じていたのでは?」
「でしたら陛下に聞きたいのだけど、あなたは神を本気で信じていたのかしら?」
「まさか。目に見えないものを、無条件で信じるほど子供ではありません。城内へは職務に迷信を持ち込まないよう通達もしました。もっとも、私のような不信心は少数派だと思いますけれど」
「多かれ少なかれそんなもの。教会の聖職者だって、学べば学ぶほど疑問を抱かずにはいられない。本気で神を信じている者がいるとすれば、それは無知というものよ。奇跡一つ起こせないまやかしの神に、何の意味があると?」
かつて神竜教会の司祭だった女は、神の存在を否定した。
「――教祖様は見せてくれたわ。生命を生み出す力に、寿命を永らえる力、あらゆる攻撃を防ぐ力……。これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょう」
セレスティンの目は陶酔の中にあった。それを見れば否が応でも理解せざるを得なかった。
「……それがあなたの本性というわけですか。あえて今、あなたの信仰の是非は問いません。まずは拘束させてもらいます。弁解は後でいくらでも聞かせていただきましょう」
「それは困りましたね」
相変わらず場違いに呑気な口調で、セレスティンは言った。
次の瞬間――アルヴァの杖先から紫電が走った。
同時に、ミスティンの二の矢も飛んでいた。その矢には風の魔力が宿っている。そこに姉妹の情はなかった。
……が、セレスティンの杖先に宿る黒炎が、紫電を吸い込んだ。続いて飛来した矢を、黒炎は風もろともに飲み込んでいく。
セレスティンは杖を振るい、黒炎を解き放った。
その向かう先は――
「危ないっ!」
ソロンはアルヴァを突き飛ばすや、刀を振るった。
蒼炎が黒炎を相殺していく。状況はレムズを守った時と同じ。異なるのは、あまりに急激な出来事だったということだけだ。
ソロンは踏み込んで、セレスティンへと斬撃を放つ。
仕留める気で放った蒼炎の一撃だった。しかし、それも立ちふさがる闇に吸い込まれた。
空間に忽然と出現した暗黒の穴。セレスティンが防御のために、障壁を展開したのだろう。
セレスティンの姿は、前方を闇に覆われて隠れている。覗き込めば、底の知れない深淵が広がっていた。
得体の知れない不安を感じて、ソロンは横へと飛んだ。側面から角度を変えて、再度の攻撃を試みる。
アルヴァも起き上がり、ミスティンと共に攻撃を行う構えだった。
「失敗ね」
セレスティンはそうこぼすや、杖を振るった。
闇の霧が現れ、それがこちらの攻撃を吸い込んでいく。霧はさらに彼女の体を包み込み、隠していった。
「――また、会いましょう」
闇の中から声が聞こえた。
霧が晴れた時には、もはや彼女の姿は消えていた。
*
しばし、ソロンは呆然としていた。
ミスティンの姉で神竜教会の司祭セレスティン……。その本性はザウラスト教団の枢機卿だった。そして、彼女はアルヴァをその手にかけようと企んでいた。
あまりの急展開に、頭の処理が追いつかなかったのだ。
「大丈夫?」
と、ソロンはまずアルヴァを気遣う。彼女は今まさに、親友の姉に命を奪われる寸前だったのだ。
「……ええ、狙いは私だったようですね。ミスティンが気づかなければ……それにソロンが助けてくれなければ、危なかったでしょう」
アルヴァは呆然としてはいたが、いつもながらの気丈さで答えた。それから、彼女はミスティンへと視線を移す。この場で気遣わねばならない相手は、もう一人いたのだ。
「アルヴァ、ごめんね。私のお姉ちゃんが……」
「気にしないでください。それより、あなたこそ大丈夫ですか?」
「平気」
気遣うアルヴァに、ミスティンは短く答える。とはいえ、実の姉に親友を暗殺される寸前だったのだ。その胸中は容易に言葉へできるはずもない。
「――やっぱりって、思っちゃったんだよね。お姉ちゃん、ほんとは教会なんかに収まる性格じゃないんだよ」
それでも、ミスティンはポツリポツリと胸中を吐露する。
「そうなんだ?」
意外さに打たれて、ソロンがつぶやいた。
「うん、大人しく神様を受け入れるような人じゃないよ。だって、私のお姉ちゃんだし。家の都合で神職を継いだけど、そういうの本当は嫌いだったんだと思う。だから、さっきのは本心だよ。お姉ちゃんも長いものに巻かれたのかなって思ってたけど、やっぱり変わってなかったんだなあって」
こんな状況になっても、ミスティンは姉の気持ちを推し量っていた。ミスティンらしいといえばミスティンらしいが、不思議な姉妹関係だった。
「目に見えない神よりも、奇跡を起こす神を選んだというわけですか……。その理屈は理解できなくもありませんね。……もっとも、少しばかり信仰対象が悪趣味に過ぎますが」
「あはは、ホントだね」
アルヴァの皮肉に、ミスティンは小さく笑う。それから、アルヴァのほうをじっと見て。
「――えっと、いいのかな。これからもアルヴァのそばにいて」
彼女にしては、珍しいほど神妙に尋ねた。
「いいですよ。姉妹を見間違えるほど節穴ではありませんので。それに、遠慮なんてあなたらしくもない」
アルヴァはミスティンの手を取り、強く握り締めた。
「ありがとう! 私はお姉ちゃんが相手でも負けないから」
「だけど、本当に大丈夫? 無理に君が姉さんと直接戦う必要はないんだよ」
ソロンはミスティンを気遣った。いつも飄々としているけれど、やはり彼女だって繊細な心は持っているのだ。
「心配いらないよ。あれも、お姉ちゃんなりに選んだ道なんだと思う。だけど、私には私の道がある。だから、私はお姉ちゃんが相手でも容赦しないよ。それが向き合うってことだから」
姉を認めているからこそ、ミスティンは戦う。彼女の言葉はそういう宣言だろう。
空色の瞳はまっすぐに前を向いていた。
第九章『深淵を越えて』完結です。
ついに明らかとなった敵の正体。
そして、物語は最終部(前編/後編)に突入します!
次回は最終部前編――第十章『邪教の領域』です。
後編の十一章でこの長い物語も完結となる予定です。