愛の騎士
「レムズ王子、調子はどうかな? 怪我はもう大丈夫?」
単身で向かったソロンは、さっそく席に着いていたレムズへ声をかけた。
とりあえずは、先日の怪我を気遣うところからだ。話題の選択としては無難なところだろう。
「なんだ、ソロニウスか」
振り向いたレムズは、いつもながらの鋭い視線を向けてくる。
彼の体には到るところに手当の跡があるが、それでも痛みを微塵も見せていない。
元々『傷が癒えたら祝宴を催したい』と、サンドロスは今朝の段階で彼に伝えたのだ。
ところがこの男は、
『ならば、今宵でよかろう。俺はこの程度で休息をもらうほど軟弱ではない。それに騎士達を慰労するなら、戦いのすぐ後と決まっている』
と、即答してみせた。
実際、言葉に違わぬたくましさでレムズはこの場に臨んでいた。お陰でソロンは食料調達に駆けずり回されたわけだが……。
「ど、どうも……」
レムズの視線を受けて、ソロンはぎこちなく挨拶する。
「ほう貴様、よく見れば素面ではないか」
レムズは探るような視線をこちらへ向けてくる。その顔色が、どことなく赤いのは気のせいではなさそうだ。
「まあ、ミカンジュースぐらいしか飲んでないからね」
「ぷっ、ミカンジュースだと! さては貴様、酒も飲めんのか。ふはは、見た目通りのお子様だな!」
ソロンの返事を聞いたレムズは、豪快に酒をあおり高らかに笑ってみせた。
「ほっといてよ。苦手なものは苦手なんだ」
「いかんな。男児たるもの酒の一つや二つ。飲めて当然であろう。しかも、今日の貴様は宴席を主催する側ではないか。さあ飲め、飲むのだ、ソロニウス!」
レムズは杯を強引にソロンへと突きつけてきた。
「いつの時代の価値観だよ……」
さすがはレムズ。おとぎ話のような古い騎士道の世界に生きているだけはある。
とはいえ、彼にいつものような気難しさはなく、意外と酒席にも馴染んでいた。これはこれで、気を遣っているのかもしれない。
「――それじゃあ、一杯だけ」
これも役目か――と、ソロンはやむなく杯を受け取った。
ゆっくりと杯を傾ければ、ひんやりとした液体が口内に広がっていく。
甘さよりも苦味が上回る奇妙な味わい――それが喉に走る。
やはり、おいしくない。これならミカンジュースのほうがおいしいに決まっている。
それでも、何とか飲み干せそうだ――と、思っていたら。
「ソロニウス! なんだ、その情けない飲み方は! 男なら一気飲みと決まっているだろう! さあ一気だ一気!」
……この男も酔っているようだ。雰囲気にあおられてか、周りの騎士達まで囃し立ててくる。
ソロンは杯が残り半分まで減っているのを確認し、飲む勢いを早めた。
「うぐうっ……。ど、どうだ! 飲んだよ! これで僕だって男さ!」
そうして、涙目になりながら飲み干し、言い放った。顔が火照り、赤くなっているのは鏡を見ずとも分かった。
「ふっ、まだまだだな。その程度で男を名乗るとは片腹痛い。今時、女でも一杯は飲めるだろう。もう一杯だ、ソロニウス!」
レムズは酒瓶を取り、自ら杯に継ぎ足してくる。かなり機嫌はよさそうだが、それ以上にタチが悪い。
「いや、無理だって! 僕はもう限界だ」
ふらつき始めた足で、ソロンは撤退を試みるが。
「ははは、がんばっているな、ソロン!」
「坊っちゃんにしてはいい飲みっぷりでしたよ」
そこへ近寄ってきたのは、サンドロスとナイゼルだ。
「兄さん、ナイゼル!」
これぞ天佑とばかりに、ソロンは兄と友人へすがりつく。
サンドロスは言うまでもなく、同じ血を分けた兄。
ナイゼルは付き合いの長さでは一番となる友人だ。なんだかんだいっても、親友といえるだろう。
この二人ならば、ソロンを助けてくれるに違いあるまい。
「旅でしごかれて、お前も少しは男らしくなったろう」
サンドロスがソロンの右肩をつかみ。
「さあ、一気です。坊っちゃんの男らしいところを、今こそ見せてください」
ナイゼルがソロンの左肩をつかんだ。
この場に味方はいなかった。
「ソロンをいじめないで」
しかし、救いの女神はソロンを見捨てなかった。
見れば、ミスティンが足早に近づいてくる。見るに見かねて助けに来てくれたらしい。思えば彼女は出会いの時から、幾度もソロンを助けてくれていた。
「た、助けて、ミスティン! 飲まされる!」
一も二もなく、ソロンは救済を求めた。
「あっ、なんか赤くなっててかわいい」
ミスティンはなにか言いながら、それでもソロンへと手を伸ばすが。
「おお、ミスティン殿。先日は治療をありがとうございました。雲のかからぬ朝日のような金髪に、澄み渡る空色の瞳……。今日は一段とお美しいですね」
そこに割り込んだのがレムズである。ミスティンの手を取り、臆面もなくキザなセリフを口にする。
ミスティンはしばしキョトンとしていたが、
「ごめん、私はソロンがいいからナンパはお断り」
あえなくレムズの手を振り払った。相手が誰であろうと、ミスティンは歯に衣着せないのだ。
「な、なんと……。ソロニウスですと! こんなガキのどこがよいというのですか……!? このような頼りないマヌケヅラのどこが!」
愕然としたレムズは、荒い息でソロンを指差した。いちいち腹の立つ男である。
「えっ、かわいいところかなあ? あと優しいし、強いし、一生懸命だし。確かに頼りない部分もあるけど、そのぶん守ってあげたくなるというか……」
頬を赤く染めながら、ミスティンはソロンをちらりと見た。あっけらかんとしているようで、一応の恥じらいはあるらしい。
ソロンとしては困ったように苦笑するしかない。
「ははは! わが弟はモテるじゃないか」
と、サンドロスが笑って、ナイゼルと顔を見合わせている。
「おお、なんと嘆かわしい……」
レムズは大袈裟に嘆き、酒をあおった。
「はあ……。何をやっているのですか。ソロン、ミスティン、戻りますよ」
そこへ見兼ねたアルヴァが、声をかけてくる。『私は行きません』などと言っていたが、結局は面倒見がいいのだ。
「た、助かった! それじゃあ――」
これでこの場はお開きだろう――と、ソロンは帝国側の座席へ戻ろうとするが。
「おお、紅玉の姫君よ! わが元へお越しくださったのですね!」
レムズが勝手に感激しながら、アルヴァへと駆け寄る。
「はあ」
対するアルヴァは、ミスティン並に気のない返事で対応する。しかし、レムズはその温度差に気づく気配すらない。
「紅玉の姫君よ! あなたこそが、わが勝利の女神。今こそ、私は騎士として、あなたへ剣を捧げましょう!」
レムズは語り続け、かたわらにあった剣を手に取った。
「結構です。私の騎士はここにいるソロンだけですので」
アルヴァはにべもなかった。そうして、これ見よがしにソロンの腕を取って、その背中へと隠れる。
「な、なんですと……!?」
雷に打たれたかのように、レムズの足元がふらつく。落ちた剣が中庭に転がった。
「――あなたまでもソロニウスを! そのような男だか女だか分からない輩のどこが良いのですか!?」
「あなたと違って、私の話を真摯に聞いてくださるところですね」
アルヴァは即答した。間に挟まれたソロンは、ただただむずがゆい。
「おお……。あなたは罪なお人だ。その美しさはただ在るだけで罪となる」
レムズは両膝をつき、両手で頭を抱えながら天を仰いだ。
「勝手に人を罪人におとしめないでください。そもそも、美醜で人を判断するのは愚かしいことです」
「いいでしょう。これが報われない恋なれど、私の愛に偽りはない。古来より、愛とは無償なるもの……。私は愛を貫いてみせましょう!」
レムズは両手を天へと伸ばし、高々と宣言した。
しかし、当人の熱意とは裏腹に周囲は冷ややかだった。
「またやってるよ……」
「困ったお方だなあ……」
騎士達も困惑した目で、主君を見守っていた。一応、尊敬はされているようだが、さすがに奇行までは受け入れ難いらしい。騎士道も一枚岩ではないのだ。
「なんかキモいね」
「そうですね」
包み隠さず毒を吐くミスティンに、紅玉の姫君も即座に同意する。想い人の心証は行き着くところまで至ったようだ。
「なーにやってんだ?」
いつの間にか、グラットがひょっこりとやって来ていた。後ろにメリュー、ガゼット、イセリアの三人の姿もある。
どうやら、一連の寸劇は会場の注目を一心に集めてしまったらしい。
「なんというかすまぬ。私が勧めたばかりに……」
メリューは心底申し訳なさそうに、ソロンへと謝った。
「いや、全く君のせいじゃないけど……」
「……あの者は同盟軍の王子だったか。宴席で自ら道化を演じるとは大物だな」
ガゼットはあらぬ方向に感心していたが、タダの勘違いなのは言うまでもない。
「こんなところに座り込んでいては、皆も困るでしょう。どうか、立ち上がってください」
よせばいいのに、イセリアがレムズに話しかけた。生真面目な彼女は、揉め事の仲裁も仕事だと思っているらしい。
「おお、お美しいお方。どうか、お名前をお聞かせください!」
レムズはイセリアの手を取り、勢いよく立ち上がった。
「い、いや、名乗るほどの者ではありません」
イセリアはさすがに危険を察したのか、さり気なく手を離しながら後退る。視線で周囲に助けを求めるが、みな絶妙な距離で遠巻きにしていた。
「なあ、あいつ殴ってもいいか?」
グラットが小声でソロンに尋ねた。指でレムズの頭をコンコンと指し示している。
「いや、一応怪我人だし。重要人物なんで……」
自分の心情はさておいて、ソロンは常識的に返答した。
「ふんっ、男に殴られて喜ぶ趣味はない」
そんなやり取りをちゃっかり耳に留めたらしく、レムズが鼻を鳴らした。
「やめろよ……。その返しは誤解を招くぞ」
グラットは気勢を削がれたらしく、怒りを失って引いていた。
……誤解じゃないような気がしないでもない。何はともあれ、レムズは健在なようだった。