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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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愛の騎士

「レムズ王子、調子はどうかな? 怪我はもう大丈夫?」


 単身で向かったソロンは、さっそく席に着いていたレムズへ声をかけた。

 とりあえずは、先日の怪我を気遣うところからだ。話題の選択としては無難なところだろう。


「なんだ、ソロニウスか」


 振り向いたレムズは、いつもながらの鋭い視線を向けてくる。

 彼の体には到るところに手当の跡があるが、それでも痛みを微塵(みじん)も見せていない。

 元々『傷が癒えたら祝宴を(もよお)したい』と、サンドロスは今朝の段階で彼に伝えたのだ。

 ところがこの男は、


『ならば、今宵(こよい)でよかろう。俺はこの程度で休息をもらうほど軟弱ではない。それに騎士達を慰労するなら、戦いのすぐ後と決まっている』


 と、即答してみせた。

 実際、言葉に(たが)わぬたくましさでレムズはこの場に(のぞ)んでいた。お陰でソロンは食料調達に駆けずり回されたわけだが……。


「ど、どうも……」


 レムズの視線を受けて、ソロンはぎこちなく挨拶する。


「ほう貴様、よく見れば素面(しらふ)ではないか」


 レムズは探るような視線をこちらへ向けてくる。その顔色が、どことなく赤いのは気のせいではなさそうだ。


「まあ、ミカンジュースぐらいしか飲んでないからね」

「ぷっ、ミカンジュースだと! さては貴様、酒も飲めんのか。ふはは、見た目通りのお子様だな!」


 ソロンの返事を聞いたレムズは、豪快に酒をあおり高らかに笑ってみせた。


「ほっといてよ。苦手なものは苦手なんだ」

「いかんな。男児たるもの酒の一つや二つ。飲めて当然であろう。しかも、今日の貴様は宴席を主催する側ではないか。さあ飲め、飲むのだ、ソロニウス!」


 レムズは(さかずき)を強引にソロンへと突きつけてきた。


「いつの時代の価値観だよ……」


 さすがはレムズ。おとぎ話のような古い騎士道の世界に生きているだけはある。

 とはいえ、彼にいつものような気難しさはなく、意外と酒席にも馴染んでいた。これはこれで、気を遣っているのかもしれない。


「――それじゃあ、一杯だけ」


 これも役目か――と、ソロンはやむなく杯を受け取った。

 ゆっくりと杯を傾ければ、ひんやりとした液体が口内に広がっていく。

 甘さよりも苦味が上回る奇妙な味わい――それが(のど)に走る。


 やはり、おいしくない。これならミカンジュースのほうがおいしいに決まっている。

 それでも、何とか飲み干せそうだ――と、思っていたら。


「ソロニウス! なんだ、その情けない飲み方は! 男なら一気飲みと決まっているだろう! さあ一気だ一気!」


 ……この男も酔っているようだ。雰囲気にあおられてか、周りの騎士達まで(はや)し立ててくる。

 ソロンは杯が残り半分まで減っているのを確認し、飲む勢いを早めた。


「うぐうっ……。ど、どうだ! 飲んだよ! これで僕だって男さ!」


 そうして、涙目になりながら飲み干し、言い放った。顔が火照(ほて)り、赤くなっているのは鏡を見ずとも分かった。


「ふっ、まだまだだな。その程度で男を名乗るとは片腹痛い。今時、女でも一杯は飲めるだろう。もう一杯だ、ソロニウス!」


 レムズは酒瓶を取り、自ら杯に継ぎ足してくる。かなり機嫌はよさそうだが、それ以上にタチが悪い。


「いや、無理だって! 僕はもう限界だ」


 ふらつき始めた足で、ソロンは撤退を試みるが。


「ははは、がんばっているな、ソロン!」

「坊っちゃんにしてはいい飲みっぷりでしたよ」


 そこへ近寄ってきたのは、サンドロスとナイゼルだ。


「兄さん、ナイゼル!」


 これぞ天佑とばかりに、ソロンは兄と友人へすがりつく。

 サンドロスは言うまでもなく、同じ血を分けた兄。

 ナイゼルは付き合いの長さでは一番となる友人だ。なんだかんだいっても、親友といえるだろう。

 この二人ならば、ソロンを助けてくれるに違いあるまい。


「旅でしごかれて、お前も少しは男らしくなったろう」


 サンドロスがソロンの右肩をつかみ。


「さあ、一気です。坊っちゃんの男らしいところを、今こそ見せてください」


 ナイゼルがソロンの左肩をつかんだ。

 この場に味方はいなかった。



「ソロンをいじめないで」


 しかし、救いの女神はソロンを見捨てなかった。

 見れば、ミスティンが足早に近づいてくる。見るに見かねて助けに来てくれたらしい。思えば彼女は出会いの時から、幾度もソロンを助けてくれていた。


「た、助けて、ミスティン! 飲まされる!」


 一も二もなく、ソロンは救済を求めた。


「あっ、なんか赤くなっててかわいい」


 ミスティンはなにか言いながら、それでもソロンへと手を伸ばすが。


「おお、ミスティン殿。先日は治療をありがとうございました。雲のかからぬ朝日のような金髪に、澄み渡る空色の瞳……。今日は一段とお美しいですね」


 そこに割り込んだのがレムズである。ミスティンの手を取り、臆面もなくキザなセリフを口にする。

 ミスティンはしばしキョトンとしていたが、


「ごめん、私はソロンがいいからナンパはお断り」


 あえなくレムズの手を振り払った。相手が誰であろうと、ミスティンは歯に(きぬ)着せないのだ。


「な、なんと……。ソロニウスですと! こんなガキのどこがよいというのですか……!? このような頼りないマヌケヅラのどこが!」


 愕然(がくぜん)としたレムズは、荒い息でソロンを指差した。いちいち腹の立つ男である。


「えっ、かわいいところかなあ? あと優しいし、強いし、一生懸命だし。確かに頼りない部分もあるけど、そのぶん守ってあげたくなるというか……」


 頬を赤く染めながら、ミスティンはソロンをちらりと見た。あっけらかんとしているようで、一応の恥じらいはあるらしい。

 ソロンとしては困ったように苦笑するしかない。


「ははは! わが弟はモテるじゃないか」


 と、サンドロスが笑って、ナイゼルと顔を見合わせている。


「おお、なんと嘆かわしい……」


 レムズは大袈裟に嘆き、酒をあおった。



「はあ……。何をやっているのですか。ソロン、ミスティン、戻りますよ」


 そこへ見兼ねたアルヴァが、声をかけてくる。『私は行きません』などと言っていたが、結局は面倒見がいいのだ。


「た、助かった! それじゃあ――」


 これでこの場はお開きだろう――と、ソロンは帝国側の座席へ戻ろうとするが。


「おお、紅玉の姫君よ! わが元へお越しくださったのですね!」


 レムズが勝手に感激しながら、アルヴァへと駆け寄る。


「はあ」


 対するアルヴァは、ミスティン並に気のない返事で対応する。しかし、レムズはその温度差に気づく気配すらない。


「紅玉の姫君よ! あなたこそが、わが勝利の女神。今こそ、私は騎士として、あなたへ剣を捧げましょう!」


 レムズは語り続け、かたわらにあった剣を手に取った。


「結構です。私の騎士はここにいるソロンだけですので」


 アルヴァはにべもなかった。そうして、これ見よがしにソロンの腕を取って、その背中へと隠れる。


「な、なんですと……!?」


 雷に打たれたかのように、レムズの足元がふらつく。落ちた剣が中庭に転がった。


「――あなたまでもソロニウスを! そのような男だか女だか分からない(やから)のどこが良いのですか!?」

「あなたと違って、私の話を真摯(しんし)に聞いてくださるところですね」


 アルヴァは即答した。間に挟まれたソロンは、ただただむずがゆい。


「おお……。あなたは罪なお人だ。その美しさはただ在るだけで罪となる」


 レムズは両膝をつき、両手で頭を抱えながら天を仰いだ。


「勝手に人を罪人におとしめないでください。そもそも、美醜(びしゅう)で人を判断するのは愚かしいことです」

「いいでしょう。これが報われない恋なれど、私の愛に偽りはない。古来より、愛とは無償なるもの……。私は愛を貫いてみせましょう!」


 レムズは両手を天へと伸ばし、高々と宣言した。

 しかし、当人の熱意とは裏腹に周囲は冷ややかだった。


「またやってるよ……」

「困ったお方だなあ……」


 騎士達も困惑した目で、主君を見守っていた。一応、尊敬はされているようだが、さすがに奇行までは受け入れ難いらしい。騎士道も一枚岩ではないのだ。


「なんかキモいね」

「そうですね」


 包み隠さず毒を吐くミスティンに、紅玉の姫君も即座に同意する。想い人の心証は行き着くところまで至ったようだ。


「なーにやってんだ?」


 いつの間にか、グラットがひょっこりとやって来ていた。後ろにメリュー、ガゼット、イセリアの三人の姿もある。

 どうやら、一連の寸劇は会場の注目を一心に集めてしまったらしい。


「なんというかすまぬ。私が勧めたばかりに……」


 メリューは心底申し訳なさそうに、ソロンへと謝った。


「いや、全く君のせいじゃないけど……」

「……あの者は同盟軍の王子だったか。宴席で自ら道化を演じるとは大物だな」


 ガゼットはあらぬ方向に感心していたが、タダの勘違いなのは言うまでもない。


「こんなところに座り込んでいては、皆も困るでしょう。どうか、立ち上がってください」


 よせばいいのに、イセリアがレムズに話しかけた。生真面目な彼女は、揉め事の仲裁も仕事だと思っているらしい。


「おお、お美しいお方。どうか、お名前をお聞かせください!」


 レムズはイセリアの手を取り、勢いよく立ち上がった。


「い、いや、名乗るほどの者ではありません」


 イセリアはさすがに危険を察したのか、さり気なく手を離しながら後退(あとずさ)る。視線で周囲に助けを求めるが、みな絶妙な距離で遠巻きにしていた。


「なあ、あいつ殴ってもいいか?」


 グラットが小声でソロンに尋ねた。指でレムズの頭をコンコンと指し示している。


「いや、一応怪我人だし。重要人物なんで……」


 自分の心情はさておいて、ソロンは常識的に返答した。


「ふんっ、男に殴られて喜ぶ趣味はない」


 そんなやり取りをちゃっかり耳に留めたらしく、レムズが鼻を鳴らした。


「やめろよ……。その返しは誤解を招くぞ」


 グラットは気勢を削がれたらしく、怒りを失って引いていた。

 ……誤解じゃないような気がしないでもない。何はともあれ、レムズは健在なようだった。

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