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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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枢機卿の秘策

「何はともあれ、君がこの杖を持ち帰ってくれたのは僥倖(ぎょうこう)だったよ。結晶の砕けた抜け殻とはいえ、これの持つ機構は興味深い。いずれ宿願の達成にも役立つだろうさ」


 女王の杖を愛でるようになでながら、ザウラストは言った。

 ひざまずいたままの枢機卿も、主の言葉に喜悦を浮かべる。


「そう、おっしゃっていただけるなら、私も献上した甲斐があるというものです」


 かつて、アルヴァネッサが振るっていた頃、その杖先にはカオスの結晶が据えられていた。しかし、神獣の暴走と共に結晶は砕け散る。

 残された杖は放棄され、誰も見向きしなかった。通常、魔石のなくなった杖にさしたる価値はないし、事態も差し迫っていたからだ。

 それを枢機卿は秘密裏に回収し、教祖へと献上したのだ。


 杖先の結晶は、現在の教団が用いるカオスの結晶――神獣結晶と同等のものと考えられる。大量の生贄が必要だが、教団にとって再現できないわけではない。

 むしろ、再現が困難なのは杖の機構だった。

 神獣結晶は、力を解き放てば神獣を召喚できる。しかし、その制御は極めて困難で、わずかな誘導が可能なだけだ。基本的には、神獣の本能に任せて破壊を行うしかない。


 (ひるがえ)ってこの杖は、カオスの力を高度に制御し、神の力の顕現(けんげん)たる神獣を行使できるのだ。実際に途中までは、アルヴァネッサが成功していたように……。

 不完全であろうとも、この杖は神に至る道へと続いている。教祖はそう確信しているようだった。



「この杖を作った女王だけど、彼女もまた混沌の継承者だったようだね」


 ザウラストは自らが持つ杖をしげしげと眺めやった。ネブラシアに反旗を(ひるがえ)したゼプトという小国。杖にはその女王が振るったという伝説があった。


「混沌の継承者――教祖と同じような存在ですか?」

「うん、私の先輩で神に選ばれし者達だ。一つの時代に一人しかいない。前述の女王の他にも、千年前の下界に現れた魔王なんてのも有名だね。もっとも、私のようにカオスの力に長年耐えられた者は、いなかったようだけれど」


 千年前の下界に現れた魔王……。その者は神獣を呼び出し、下界を支配しようとした。だが、最終的には当時イドリスにあった神鏡によって破られたという。


「当然です。比類なき教祖と並ぶ者などいるはずもありません」

「ははっ、褒めても何も出ないよ。しかし、この杖の力を引き出したアルヴァネッサも大した傑物(けつぶつ)だね。時代が違えば、彼女が継承者に選ばれていたかもしれない」

「お(たわむ)れを。いかにアルヴァネッサに資質があったとして、教祖には遠く及びません。それに結局は神獣を暴走させ、守るべき帝都に被害を及ぼしたのですから」

「ははは、そりゃ本当に可哀想だね! しかもそれで、帝国を追放されちゃうなんてねえ!」


 ザウラストはカラカラと子供のように無邪気な笑い声を上げた。


「もっとも、それでもしぶとく戻ってきた彼女は侮れませんよ。現皇帝の信頼も厚い上に、我々と敵対する意志がありますから。それから、先の戦いを見る限り、上帝を囲む仲間達にも実力者がそろっているようです」

「分かっているよ。しかも、シグトラと手を組んだんだってね。おまけに、あいつの娘までやって来てるとか。あ~あ、あいつだけは殺しておきたかったな。獣王がもう少し役に立ってくれてたらねえ……」


 頬杖をつきながら、教祖は溜息を吐いた。口調は相変わらず軽いが、その目は今までのふざけた調子とも一変していた。


「教祖が恐れるほどの人物が、この世にいるのですか?」


 枢機卿は意外さに目を見開いた。その瞳は、目の前の男こそが至上の存在だと、(つゆ)ほども疑っていなかったのだ。


「そりゃあいるよ。私は神に選ばれた預言者だけど、神そのものじゃあない。身の程はわきまえている。それはともかく、昔からあいつの一族は、何度も邪魔をしてくれたからね。あいつらがいなけりゃ、私はドーマを追い出されることもなかったんだ」


 ザウラストの瞳は、積年の憎しみによって静かに燃えていた。それは寿命の限られた人間には持ち得ない、深い憎しみだった。


「…………」


 主の珍しい怒りに、枢機卿は怖気を抱くのだった。ただ無言で話を拝聴するしかない。


「まっ、これもいい機会かもね。遅かれ早かれ、奴らとは決着をつけなきゃならないんだ。シグトラの仲間を殺したら、次こそはあいつに引導を渡してやる」

「そのためにも、まずは帝国を抑える必要があるかと思いますが」


 ラグナイ国内のレムズ派、イドリス王国、ネブラシア帝国――その三勢力の中で、抜きん出ているのは帝国だ。さしもの教団も、正面から戦えば苦戦は免れない。

 それゆえに枢機卿は、オトロス大公を利用し内部からの崩壊を目論んだ。しかし、それもアルヴァネッサに防がれて今に至る。


「そうだね。二人の王子は適度に追い込んで欲しいけど、かといって手をつけられなくなっては困るかな」


 相も変わらず教祖には危機感が見られない。絶大な力を持つがゆえの余裕か、長寿から来る達観なのか。……ともあれ、ここは側近たる者が動くべきだろう。


「私に考えがあります。帝国軍が下界へ介入しているのは、アルヴァネッサ個人の意向が強く働いているようです」

「へえ、それで?」

「そもそも、多くの帝国人にとって下界とは得体の知れない地なのです。これまではただ、伝説やおとぎ話の中で語られていました。帝国全体としては、そのような土地に資金と兵を投入する積極的な理由はないかと」

「ってことは、皇帝はあまり乗り気じゃないのかな?」

「それは断言できませんが……。もし皇帝にその意思があったとしても、帝国の政治形態は本質的に議会制です。皇帝すらその代表に過ぎず、政策には議会の説得が必要でしょう。特にエヴァートは強権的な政治を好まない性格のようですから」

「なるほど、さすが詳しいねえ。どうぞ、続けて」


 話の核心はまだ先とみて、教祖は枢機卿をうながした。


「それでも帝国軍が遠征してきたのは、上帝が強く主張したからでしょう。自ら下界を経験し、幾度も教団と戦った彼女は、我々を脅威と認識していますから。逆を言えば、議会の支持が得られない戦争を、個人の意志だけでは続けられません」

「帝国の介入を止めるには、軍全体を相手にする必要はない――そういうことか。それで、君の考えというのは?」

「私が――」


 枢機卿は自らの策を語り、教祖へと訴えた。



「ふふ、ははは! 君にしては思い切りがいいね。……できるのかい?」


 枢機卿の言葉に、ザウラストはこらえきれず笑い出した。それから、抜け目のない瞳で枢機卿の顔を見つめる。


「ええ、このような時のために私がいるのです。どうかお任せください、教祖ザウラストよ」


 口調は控えめながらも、枢機卿は瞳に自信をたぎらせた。真の主君への絶対的な忠誠がそこには映っていた。

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