亜人との戦い
ゲノス将軍の招集によって、カンタニア城の会議室に主立った者が集められた。
将軍、参謀に士官達……主な参加者は軍に属する者達だ。
その他にもカンタニア公爵とその家臣達が列席していた。公爵は行政の長として、この場に臨む立場にあったのだ。
アルヴァから少し離れて、セレスティン司祭も静かに着席していた。
いざという時、司祭には現地の神官を統率して、負傷兵の治療に当たってもらわねばならない。議論の流れだけでも聞く権利はあると考えたのだ。
いずれの者も前回の遠征で、アルヴァとの顔合わせは済んでいる。そのため、余計なやり取りを省略して本題に入らせた。
「一刻も早く、コドナム砦を奪還すべきです。今こそ陛下の御旗の元に総力を結集し、決戦を挑むべきでしょう」
参謀が勇ましく口火を切った。
既に反転攻勢をかけるという方針は明確化してある。その上でアルヴァはまず、彼らに自由な意見を出させるつもりだった。
「だが、あの砦は堅牢だ。正面から攻めるならば、伏兵に気をつけねばなるまい」
ゲノス将軍はあくまで慎重だった。
コドナム砦は帝国最北の砦として堅固に構築されていた。自然の高台を利用し、容易に攻め落とせない構造になっている。
それだけにそれを強襲して、あっさりと陥落させた亜人は脅威だ。
鳥のような亜人が空を飛び、獣のような亜人が壁をよじ登り、砦内部へと侵入してきたのだ。
もちろん、砦の守備隊も弓や投石・魔法で応戦したが、その勢いは止められない。
内と外の両方から攻撃をかけられたコドナム砦は、たったの一日も持ちこたえられなかった。
翻って、こちらがコドナム砦を奪還するのは容易ではない。
不公平ながら、人間に亜人のような身体能力はないのだ。敵に乗っ取られた現状は誠に厄介だった。
「包囲をしてはいかがでしょうか? なんせ、奴らの数倍の兵力をこちらは保有しています。大防壁の守備隊と協力すれば、申し分ないでしょう」
士官の一人が意見を述べるが、ゲノスが首を横に振る。
「いいや、亜人共は本国からの援軍を待っている可能性が高い。でなければ、
籠城を決め込む理由もなかろう。それによって、包囲の裏から援軍に襲われてはひとたまりもない。奴らには安全な連絡手段があるのも厄介だ」
「確かにおっしゃる通りです。全く……空を飛ぶなんて反則にもほどがありますな」
将軍の意を組んで、参謀がぼやく。
鳥人――鳥型の亜人ならば、まさしく空を飛んでの連絡・補給が容易にできてしまう。
砦の部隊と援軍に連携されて、こちらが窮地に立たされる懸念は無視できなかった。
さらにいうと数倍の兵力――とは、あくまで兵数の比較に過ぎない。
亜人の中には、一人で二人の帝国兵を圧倒する力を持つ者もいる。そうでなければ、砦は陥落しなかったはずだった。
もっとも、兵数については帝国全土から召集できれば、たやすく解決できる話ではあるのだ。
だが、諸侯の協力が得られない現状では、それもままならない。
帝国は強大な戦力を持ってはいるが、その全てを常に動員できるわけではないのだ。全く歯がゆいことに……。
「苦しいのは分かっておりますが、どうにかしてくだされ! このままでは、連中がカンタニアに迫るのも時間の問題でしょう! 物資については、できる限りこちらで工面致しますから!」
泣きが入った発言は、カンタニア公爵のものだった。
彼は、かつてカンタニア王と呼ばれていた人物の子孫である。
もっとも、その彼の先祖にしても、兵力では亜人に太刀打ちできなかったのだが……。
今では軍務からも遠のき、帝国の将軍達に頭の上がらない立場となっている。
「それは分かっております。だが、こちらとしても無用な被害を出すわけにはならんのです。無謀な突撃は敢行できません」
亜人の手強さを知るゲノスは、容易に反撃へ出る決断を下せないようだった。
やり取りの間、アルヴァはじっと黙っていた。
将軍一同と比べれば、いかに才女のアルヴァといえど軍務は素人に過ぎない。それは分かっていたので自重していたのだ。
しかし、方針は定まらず会議は長引くばかり。やがて、焦れたアルヴァは切り出した。
「懸念は無用です。亜人と戦いに持ち込み殲滅するのみです」
女王の杖を持つアルヴァにとって、もはや亜人など敵ではない。いかなる戦術を取ろうと、戦いに持ち込めば勝利する確信があった。
だが、ゲノス将軍にはそんなことが分かろうはずもない。呆気に取られて、返事を捻り出すのに躊躇しているようだった。
「ですが、そう簡単にゆくはずが……」
「私にはこの杖があります」
アルヴァは一同の前で女王の杖を掲げた。黒い魔石の中に収まる赤黒い霧……。杖先の魔石の異様さに一同は息をのんだ。
「その杖は……何でしょうか?」
魔道士らしき士官の一人が女帝に質問をした。
主に魔石は上流階級の持ち物であり、士官の中にも魔道の心得を持つ者は多い。それだけに杖の異様さに気づいたのだろう。
「ベスタ島の遺跡で手に入れた杖です。五十を超えるサーペンスをたやすく葬る力を持っています。たとえ敵が千を超えていようと、物の数ではありません」
それを聞いて会議室の面々がざわめく。
サーペンスは凶暴な雲竜として知られている。その大群を葬るとなると並大抵の魔法ではない。
古代遺物の中には、時に戦況を変化させるほどの強大な品がある。アルヴァはそれを手に入れたと主張しているわけだ。
女帝のみなぎる自信に、ゲノス将軍を始めとした一同は、有無を言えなくなってしまった。
アルヴァは元より自信家で、それに見合う実力も備えていた。
だがそれにしても、これほどまでの大口を叩くとは予想外だったのだろう。
「それでは、陛下のお力を頼りにしてよいのですな?」
将軍も覚悟を決めたようだ。
アルヴァには、かつて雷魔法で自ら戦局を打開した実績がある。そのため、若き女帝を信じることにしたのだろう。
「ええ、お任せあれ。皆さんは砦から敵を誘い出していただけますか?」
結局、帝都に戻ってからも杖の効果を検証する暇はなかった。
とはいえ、さすがの女王の杖でも、砦の内部にいる敵を直接狙うのは難しいだろう。ならば、砦から出たところを狙うしかない。
もっとも、それも簡単なことではない。
そもそも攻城戦において、守備側は城塞に閉じこもるからこそ厄介なのだ。その利点を捨てさせるには、何らかの作戦が必要だった。
*
アルヴァが率いる帝国軍は二千の兵を引き連れ、カンタニアを発った。
目指すは北西。帝国軍はコドナム砦の南――リンブル砦に二日をかけて到達した。
その守備隊の兵力はおよそ千。そこから五百を引き抜いて、合計二千五百人の部隊を再構成した。
これが亜人との戦いに向かう部隊となる。
皇帝が自ら率いるには、あまりにも情けない小勢……。本来なら時間をかけて、万の大軍を結集するのが当然だろう。
だが、アルヴァにとっては十分だった。この戦力で、コドナム砦を亜人の手から奪い返すのだ。
後方支援の部隊は、リンブル砦にそのまま駐留させる。その中には、セレスティンら神官達も含まれていた。
もっとも、短期決戦であるため、彼女らの出番はないはずである。
それでも連れてきたのは、それが戦争の常道だからだ。あまり常識を外れてばかりだと、軍人達を説得するにも時間がかかってしまう。
*
翌朝、リンブル砦を出発した昼過ぎ。
遠方にコドナム砦の姿が見えてきた。高台の上に建造された堅固な砦である。
砦には少人数ながら、見張りの亜人らしき姿があった。砦の上空を飛び回る鳥のようなものが見えるが、あれも恐らくは見張りの亜人だろう。
それ以外の大半は、砦の中にこもっているのだと推測がつく。ただし、伏兵の可能性も無視できないのは、作戦会議で将軍が指摘した通りだ。
そして帝国軍は千五百を連れて、砦攻めにかかる。……のではなく迂回する。
目指すは北の大防壁。
あくまで狙いは砦だが、表向きは大防壁に向かうと見せかけるわけだ。
なんといっても、コドナム砦の亜人達は孤立を恐れている。
大防壁の防備を強化し、北からの援軍を遮断してしまえば、いずれ彼らの命運は尽きてしまう。
さらに、砦から東西の森には五百ずつ伏兵を忍ばせておく。
無論、アルヴァの本隊とは別の経路で秘密裏に配置してある。これは途中に敵の伏兵がいないかを、調査する意味合いもあった。
*
「連中、向かってきますかな?」
コドナム砦を迂回する道中、ゲノス将軍が話しかけてきた。
アルヴァとゲノスは馬上に揺られながら、軍の後尾に位置していた。
「さあて、それは彼らのみが知ることです。来ないなら来ないで結構。そのまま大防壁へ向かいましょう」
砦内部の敵を誘い出す方法としては単純である。
陽動を見破られる可能性もあるが、それも想定内だった。
亜人が何もしてこなければ、それはそれでよい。大防壁の修繕と防備の強化ができるなら悪くはないのだ。
唯一、脅威があるとすれば、北の援軍と合わさって挟み撃ちされた場合だけだ。
しかしながら、いまだ大防壁の大部分は健在である。こちらが警戒する中を、容易に突破できるとは思えなかった。
なんといっても、こちらには杖の力がある。
敵に援軍があったとしても、先に砦の亜人を殲滅することは訳ないはずだ。
「それにしても、亜人とは随分と無謀な攻め方をするものですね」
砦を仰ぎ見ながら、アルヴァは疑問を口にした。
敵が擁する千五百の手勢は、少なくはないが決して多くもない。援軍が期待できるとしても、敵の領内へ突入するには厳しい人数だった。
「ふうむ、それが彼らのお国柄なのかもしれませんな。なまじ個人の力量が大きい分、力に任せた戦術が主流なのでしょう」
口ひげに手をやりながら、ゲノスが答えた。
「お国柄……ですか。無謀を好むと言えば、古い時代の騎士にもそのような流行がありましたが……。全く迷惑きわまりないですね」
妙な表現にアルヴァは苦笑する。
しかし、案外そのようなものかもしれないな――とも思い直す。
以前も含め、亜人達の多くは力任せの攻勢をかけてくる傾向があった。自軍の被害をいとわぬ攻撃に、帝国も多くの被害を受けたのだ。
亜人の国ドーマ――こういった戦法も、彼らが歴史の中で築いてきた伝統なのだろうか。
帝国軍本隊はコドナム砦の迂回を終えた。事態が動いたのは、そこから北上する道中でのことだった。
大防壁へ到達する前に、砦から亜人達が出撃して来たのだ。数は恐らく、敵全軍の半分といったところだろう。
こちらを殲滅するつもりなのか、単なる牽制か、敵軍の正確な意図は分からない。
どちらにせよ、おびき出せたという結果があれば十分だ。敵がこちらの背後を突く形だが、備えはできている。
「来ましたね。将軍、お願いします」
予定通りの展開に、アルヴァはほくそ笑んだ。
今から、この杖を振るうのが楽しみで胸が高鳴る。かつては感じた戦場の恐怖も、今は不思議となかった。
「はっ、総員反転を!」
ゲノスが手を上げ、手はず通りの指示を出した。後尾にいたアルヴァとゲノスを中心に、すぐさま全軍を反転させたのだ。