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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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騎士の誇り

「な、なんだ今の魔法は……!?」


 一方、ラグナイ王は大いに狼狽(ろうばい)していた。

 途中、レムズの裏切りがあったものの、それでも戦況を(くつがえ)すほどではなかった。ザウラストの聖獣は強大で、敗北などあり得なかったのだから。


 状況が一変したのは、謎の第三軍が現れてからだ。

 イドリスの本隊と戦っていた騎士達は、戦力差に圧倒されていた。レムズ達を押しつぶそうと放った聖獣達は、今まさに地上を走る雷の餌食となった。

 王の視界を埋めていた聖獣達は半壊し、代わりに見えるのは敵の大軍ばかりだった。


「司教! 聖獣だ! ありったけの聖獣を召喚しろ!」


 ラグナイ王が叫び、さらなる魔物の動員を主張する。


「ですが……陛下、もう聖石がありません!」


 だが、司教は首を横に振る。そもそも聖石を全て投入しろといったのは、当の王なのだ。残りがあるはずもなかった。


「お、おのれ、イドリスめ! どこにあれほどの戦力を!?」


 王の知る限り、イドリスは領地が広いだけの弱小国に過ぎない。あれだけの兵力を追加する余力があるはずもなかった。



「陛下、苦戦されているようですわね」


 そこへ静かな声が響いた。

 王が振り向けば、そこには赤い衣をまとった女が立っていた。

 どうやら、背後に控える兵士達の間を抜けて、ここまでやって来たらしい。ただ、こちらに気配を感じさせなかったのが不気味だった。


「そなた、枢機卿(すうききょう)だったか……!」


 王はその姿を思い出した。教祖ザウラストのそばに(はべ)る側近で、枢機卿の地位を授かる女でもあった。

 そして、その事実は王に希望を(いだ)かせる。息せき切って、枢機卿へと声をかけた。


「――さ、さては教祖殿が助けを寄越したのだな!」

「そうではありません。教祖様は戦いの結末を見届けよと仰せです。まさか、帝国軍が来るとは思いもしませんでしたけれど」


 王とは対照的に、枢機卿は至って冷淡に応えた。その表情はフードに隠されて(うかが)いきれない。


「帝国軍……!? なれば、あれはイドリス軍でないのか?」


 聞き慣れぬ言葉を耳にして、王は怪訝(けげん)な目を向ける。


「ええ、陛下。あれはネブラシア帝国軍――上界から援軍に来た者達です」

「上界の帝国だと……!? 枢機卿、それは誠なのか?」


 王は枢機卿の顔をまじまじと見やった。

 ネブラシア――ラグナイ王にしてもその存在は聞き知っていた。だが、下界から出たことのない彼は、帝国軍など目にしたことがなかったのだ。


「ええ、あの竜の描かれた戦旗は間違いありません。私が見まがうはずもありませんわ」

「おのれいっ!」


 ラグナイ王は目を血走らせて悪態をつく。


「――上界から援軍が来るなど、聞いておらんぞ! 枢機卿! そなたならできるだろう! こちらも教祖殿に救援を求めてくれ!」

「奏上はいたしますが、今からでは間に合わないでしょう。ここは引いたほうがよろしいかと。残った聖獣に背後を任せれば、時間を稼げるはずです」

「んぐぐ……分かっておるわ!」


 冷淡な枢機卿の返答に、ラグナイ王はいらだちをあらわにする。それでも、全軍を見渡して。


「――撤退……撤退だ! 王都へ戻り、態勢を整えるぞ! だがこのままでは済まさん! いずれ教祖殿の助力を得て、再びイドリスに攻め込むのだ!」


 * * *


 笛の音が戦場に響き渡った。ラグナイ軍が、撤退のために笛を鳴らしたのだ。

 ラグナイの兵士達が我先にと、王がいる本陣へと引き返していく。サンドロスの本軍と戦っていた騎士達も、王の元へと結集を始めたようだった。

 もっとも、聖獣達には笛の意味が理解できないらしい。相変わらずこちらへと向かってくる。


「飼い主は撤退って言ってるだろ。ちゃんと調教しとけよな」


 グラットが憎々しげに舌打ちすれば、


「意図的なものでしょう。追撃を妨害できますからね」 


 ナイゼルが律義に説明する。


「ったく、迷惑な置き土産だぜ」


 溜息をつきながらも、グラットは槍を構える。

 ナイゼルはソロンへと視線を向けて。


「坊っちゃん、追撃するなら今しかありませんが」

「そうだな……」


 ソロンは言いよどみ、アルヴァへと視線を向けた。


「協力は惜しみませんよ」


 と、アルヴァはこちらを見返す。彼女も今は自分の足で地面に立っていた。

 ともあれ、事はそう単純ではない。ソロンもアルヴァもそれぞれの組織を背負い、この場にいるからだ。


 そして、ソロンはイドリス軍の総司令官ではない。

 筋を通すならサンドロスの意向を伺うべきだ。ソロンはあくまで、兄の部下として戦っているのだから。……が、時間的にそんな余裕はない。

 かといって、ソロンの別働隊だけで敵を追撃するのはあまりに心もとない。


 一方、帝国軍なら単独で追撃できる戦力を持っている。いっそアルヴァが方針を決めてくれたら――と思ったが、ソロンはその甘えを振り払った。

 帝国軍もここではあくまで友軍だ。いかに圧倒的な兵力を保有していても、勝手な振る舞いはできない。それをしてしまえば、イドリスの体面を潰すと彼女は知っているのだ。


 ゆえに、ここはソロンが決断しなくてはならない。

 帝国軍に多少の迷惑をかけるが、それでもラグナイ王はここで倒すべきなのだ。


「アルヴァ、ラグナイ王を――」

「ぐおおおおぉぉ! 逃さんぞ、父上!」


 ソロンの長い逡巡(しゅんじゅん)を台無しにしたのは、レムズの絶叫だった。

 レムズは騎士達を引き連れ、撤退する敵軍へ向かって一直線に向かっていく。


「ちょっ! レムズ王子!」


 ソロンは慌てて、自分の足でレムズを追いかけた。アルヴァ達が戦っている間に休憩できたため、かろうじて走る体力が残っていた。


 * * *


 レムズは馬と共に戦場を駆け抜けていた。

 いまだ平野に残る聖獣達は無視し、脇目も振らず王の本陣を目指す。

 自分を慕う騎士達も、遅れず後ろに付いてきてくれている。


 レムズの目的は、邪教たるザウラスト教団から故国ラグナイを解放することだ。

 だが、厳しい戦いの中で、その望みは断たれる寸前かと思えた。不屈の精神を持つレムズすら、一時は死を覚悟したのだ。


 その流れを一変させたのは、上界から現れた姫君だった。美しき紅い瞳の姫君は驚くべき大軍を率いて、王と邪教の軍を潰走に追い込んだのだ。

 まさに奇跡! 女神の所業としか思えなかった。


 正直なところ、レムズとて状況の全てを理解しているわけではない。

 分かっているのは、紅玉の女神がレムズのために勝利を運んでくれたということ。

 そして、彼女の想いを無駄にしないためにも、父を討たねばならぬということだった。


 邪教を国家の中枢に引き入れ、騎士の国を邪教の国へ貶めた張本人……。ラムジード王を討たずして、ラグナイの解放はあり得なかった。



「へ、陛下を守れ!」


 こちらに気づいた国王軍の兵士が、うろたえながらも立ちふさがる。

 けれど、敗軍の兵である彼らの士気はいかにも低い。


「邪魔立てするなっ!」


 レムズが剣を一振りすれば、放たれた光弾が兵士達を吹き飛ばした。騎士達の追撃を受けて、兵士達はあえなく仕留められる。

 そして、今や王の本陣は目前となっていた。周囲に高位の神官達が集まっているため、居場所は一目瞭然だったのだ。


「レムズを止めろ! 生死は問わん、魔法で狙い撃つのだ!」


 王の叫びがこちらまで聞こえてくる。

 邪教の神官達が、レムズに向かって杖を振るった。

 杖先から暗黒の霧が放出され、レムズへとまとわりつくように向かってくる。


「聖剣よ!」


 だが、白光(びゃっこう)の剣を振るえば、霧はまたたく間に斬り裂かれる。邪教のいかがわしい術も、聖剣の前には形無しだった。

 返す光弾で神官達を蹴散らせば、囲まれていた王の姿があらわになる。

 馬上の王は驚愕(きょうがく)の表情で、息子である第三王子を見返していた。


 視線が交わった次の刹那。


「父上、お命頂戴(ちょうだい)します!」


 一気に詰め寄ったレムズが、一太刀を浴びせる。それをラグナイ王は盾で受け止めた。


「レムズ、貴様! 父であり、国王でもあるわしへ刃向かうか!?」


 王は空いた手で剣を振るうが、レムズは馬を走らせて身をかわす。


「父上、私はあなたの息子である前に一人の騎士でもあります。騎士たる者は民のため、誇りのため、そして――」


 レムズはちらりと振り向き、後方にいる紅玉の姫君へと視線をやった。

 瞬間、視線が交差した。

 遠くからでもはっきりと分かる、吸い込まれそうなほどに美しい紅い瞳。あまりの美しさに、レムズの体は電流が走ったかのように震えた。


 下界、上界、古今東西……世界広しといえど、彼女より美しい存在はあるまい。それは火を見るよりも確定的に明らかだった。

 そして、そんな姫君はレムズの戦いを見守っていてくれたのだ。喜びに震えるレムズの口元から笑みがこぼれる。

 すると姫君は露骨に視線をそらして、それに応えた。いかにも高貴な姫君にふさわしい恥じらいのある所作。レムズの胸はいっそう高鳴った。


「――騎士とは、愛のために戦うものです!」


 そうして、レムズは戦場の中心で愛を叫んだのだった。

 レムズは剣を高々と掲げ、ラグナイ王へと再び向かっていく。

 王はしばし呆気に取られていたが、自らも馬を走らせ、レムズを迎え撃つ。


「ふんっ、女にうつつを抜かしたか! 貴様のような愚か者を産み出したのは、わが生涯最大の失敗であったわ!」


 王は騎馬の勢いに乗って、剣を叩きつけてくる。


「愛の素晴らしさを理解できぬとは、あなたは悲しい人だ。父上、愛のために死になさい!」


 レムズは白光の剣を(かろ)やかに横へと払った。王の剣は弾かれ、地面へと落ちていく。

 レムズの剣には光が宿っていない。つまりは魔剣としての本領を発揮していないのだ。それでも、力量の差は歴然だった。


「ぬぐっ!?」


 ラグナイ王が落とした剣に気を取られる。だが、馬上のまま拾えるはずもない。そして、その一瞬をレムズは見逃さなかった。


「嘆かわしい。ラグナイは騎士の国であり、その王も代々騎士であった。それがこのような剣も満足に使えぬ男が王だとは……!」


 重い鎧を物ともせず、レムズは馬上から跳び上がった。

 レムズの体が王に衝突し、二人そろって地面へと落ちていく。

 着地した時には、上に立ったレムズの剣が王の心臓を貫いていた。


「ぐおっ!?」


 王は目を見開き、口から血を吐き出す。


「さらばです、父上」


 レムズは息絶えようとする父へと声をかけたが――

 突如、ラグナイ王の腕が恐ろしい速さで動き、レムズの首をつかんだ。王は起き上がり、レムズの体を持ち上げた。

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