騎士の誇り
「な、なんだ今の魔法は……!?」
一方、ラグナイ王は大いに狼狽していた。
途中、レムズの裏切りがあったものの、それでも戦況を覆すほどではなかった。ザウラストの聖獣は強大で、敗北などあり得なかったのだから。
状況が一変したのは、謎の第三軍が現れてからだ。
イドリスの本隊と戦っていた騎士達は、戦力差に圧倒されていた。レムズ達を押しつぶそうと放った聖獣達は、今まさに地上を走る雷の餌食となった。
王の視界を埋めていた聖獣達は半壊し、代わりに見えるのは敵の大軍ばかりだった。
「司教! 聖獣だ! ありったけの聖獣を召喚しろ!」
ラグナイ王が叫び、さらなる魔物の動員を主張する。
「ですが……陛下、もう聖石がありません!」
だが、司教は首を横に振る。そもそも聖石を全て投入しろといったのは、当の王なのだ。残りがあるはずもなかった。
「お、おのれ、イドリスめ! どこにあれほどの戦力を!?」
王の知る限り、イドリスは領地が広いだけの弱小国に過ぎない。あれだけの兵力を追加する余力があるはずもなかった。
「陛下、苦戦されているようですわね」
そこへ静かな声が響いた。
王が振り向けば、そこには赤い衣をまとった女が立っていた。
どうやら、背後に控える兵士達の間を抜けて、ここまでやって来たらしい。ただ、こちらに気配を感じさせなかったのが不気味だった。
「そなた、枢機卿だったか……!」
王はその姿を思い出した。教祖ザウラストのそばに侍る側近で、枢機卿の地位を授かる女でもあった。
そして、その事実は王に希望を抱かせる。息せき切って、枢機卿へと声をかけた。
「――さ、さては教祖殿が助けを寄越したのだな!」
「そうではありません。教祖様は戦いの結末を見届けよと仰せです。まさか、帝国軍が来るとは思いもしませんでしたけれど」
王とは対照的に、枢機卿は至って冷淡に応えた。その表情はフードに隠されて窺いきれない。
「帝国軍……!? なれば、あれはイドリス軍でないのか?」
聞き慣れぬ言葉を耳にして、王は怪訝な目を向ける。
「ええ、陛下。あれはネブラシア帝国軍――上界から援軍に来た者達です」
「上界の帝国だと……!? 枢機卿、それは誠なのか?」
王は枢機卿の顔をまじまじと見やった。
ネブラシア――ラグナイ王にしてもその存在は聞き知っていた。だが、下界から出たことのない彼は、帝国軍など目にしたことがなかったのだ。
「ええ、あの竜の描かれた戦旗は間違いありません。私が見まがうはずもありませんわ」
「おのれいっ!」
ラグナイ王は目を血走らせて悪態をつく。
「――上界から援軍が来るなど、聞いておらんぞ! 枢機卿! そなたならできるだろう! こちらも教祖殿に救援を求めてくれ!」
「奏上はいたしますが、今からでは間に合わないでしょう。ここは引いたほうがよろしいかと。残った聖獣に背後を任せれば、時間を稼げるはずです」
「んぐぐ……分かっておるわ!」
冷淡な枢機卿の返答に、ラグナイ王はいらだちをあらわにする。それでも、全軍を見渡して。
「――撤退……撤退だ! 王都へ戻り、態勢を整えるぞ! だがこのままでは済まさん! いずれ教祖殿の助力を得て、再びイドリスに攻め込むのだ!」
* * *
笛の音が戦場に響き渡った。ラグナイ軍が、撤退のために笛を鳴らしたのだ。
ラグナイの兵士達が我先にと、王がいる本陣へと引き返していく。サンドロスの本軍と戦っていた騎士達も、王の元へと結集を始めたようだった。
もっとも、聖獣達には笛の意味が理解できないらしい。相変わらずこちらへと向かってくる。
「飼い主は撤退って言ってるだろ。ちゃんと調教しとけよな」
グラットが憎々しげに舌打ちすれば、
「意図的なものでしょう。追撃を妨害できますからね」
ナイゼルが律義に説明する。
「ったく、迷惑な置き土産だぜ」
溜息をつきながらも、グラットは槍を構える。
ナイゼルはソロンへと視線を向けて。
「坊っちゃん、追撃するなら今しかありませんが」
「そうだな……」
ソロンは言いよどみ、アルヴァへと視線を向けた。
「協力は惜しみませんよ」
と、アルヴァはこちらを見返す。彼女も今は自分の足で地面に立っていた。
ともあれ、事はそう単純ではない。ソロンもアルヴァもそれぞれの組織を背負い、この場にいるからだ。
そして、ソロンはイドリス軍の総司令官ではない。
筋を通すならサンドロスの意向を伺うべきだ。ソロンはあくまで、兄の部下として戦っているのだから。……が、時間的にそんな余裕はない。
かといって、ソロンの別働隊だけで敵を追撃するのはあまりに心もとない。
一方、帝国軍なら単独で追撃できる戦力を持っている。いっそアルヴァが方針を決めてくれたら――と思ったが、ソロンはその甘えを振り払った。
帝国軍もここではあくまで友軍だ。いかに圧倒的な兵力を保有していても、勝手な振る舞いはできない。それをしてしまえば、イドリスの体面を潰すと彼女は知っているのだ。
ゆえに、ここはソロンが決断しなくてはならない。
帝国軍に多少の迷惑をかけるが、それでもラグナイ王はここで倒すべきなのだ。
「アルヴァ、ラグナイ王を――」
「ぐおおおおぉぉ! 逃さんぞ、父上!」
ソロンの長い逡巡を台無しにしたのは、レムズの絶叫だった。
レムズは騎士達を引き連れ、撤退する敵軍へ向かって一直線に向かっていく。
「ちょっ! レムズ王子!」
ソロンは慌てて、自分の足でレムズを追いかけた。アルヴァ達が戦っている間に休憩できたため、かろうじて走る体力が残っていた。
* * *
レムズは馬と共に戦場を駆け抜けていた。
いまだ平野に残る聖獣達は無視し、脇目も振らず王の本陣を目指す。
自分を慕う騎士達も、遅れず後ろに付いてきてくれている。
レムズの目的は、邪教たるザウラスト教団から故国ラグナイを解放することだ。
だが、厳しい戦いの中で、その望みは断たれる寸前かと思えた。不屈の精神を持つレムズすら、一時は死を覚悟したのだ。
その流れを一変させたのは、上界から現れた姫君だった。美しき紅い瞳の姫君は驚くべき大軍を率いて、王と邪教の軍を潰走に追い込んだのだ。
まさに奇跡! 女神の所業としか思えなかった。
正直なところ、レムズとて状況の全てを理解しているわけではない。
分かっているのは、紅玉の女神がレムズのために勝利を運んでくれたということ。
そして、彼女の想いを無駄にしないためにも、父を討たねばならぬということだった。
邪教を国家の中枢に引き入れ、騎士の国を邪教の国へ貶めた張本人……。ラムジード王を討たずして、ラグナイの解放はあり得なかった。
「へ、陛下を守れ!」
こちらに気づいた国王軍の兵士が、うろたえながらも立ちふさがる。
けれど、敗軍の兵である彼らの士気はいかにも低い。
「邪魔立てするなっ!」
レムズが剣を一振りすれば、放たれた光弾が兵士達を吹き飛ばした。騎士達の追撃を受けて、兵士達はあえなく仕留められる。
そして、今や王の本陣は目前となっていた。周囲に高位の神官達が集まっているため、居場所は一目瞭然だったのだ。
「レムズを止めろ! 生死は問わん、魔法で狙い撃つのだ!」
王の叫びがこちらまで聞こえてくる。
邪教の神官達が、レムズに向かって杖を振るった。
杖先から暗黒の霧が放出され、レムズへとまとわりつくように向かってくる。
「聖剣よ!」
だが、白光の剣を振るえば、霧はまたたく間に斬り裂かれる。邪教のいかがわしい術も、聖剣の前には形無しだった。
返す光弾で神官達を蹴散らせば、囲まれていた王の姿があらわになる。
馬上の王は驚愕の表情で、息子である第三王子を見返していた。
視線が交わった次の刹那。
「父上、お命頂戴します!」
一気に詰め寄ったレムズが、一太刀を浴びせる。それをラグナイ王は盾で受け止めた。
「レムズ、貴様! 父であり、国王でもあるわしへ刃向かうか!?」
王は空いた手で剣を振るうが、レムズは馬を走らせて身をかわす。
「父上、私はあなたの息子である前に一人の騎士でもあります。騎士たる者は民のため、誇りのため、そして――」
レムズはちらりと振り向き、後方にいる紅玉の姫君へと視線をやった。
瞬間、視線が交差した。
遠くからでもはっきりと分かる、吸い込まれそうなほどに美しい紅い瞳。あまりの美しさに、レムズの体は電流が走ったかのように震えた。
下界、上界、古今東西……世界広しといえど、彼女より美しい存在はあるまい。それは火を見るよりも確定的に明らかだった。
そして、そんな姫君はレムズの戦いを見守っていてくれたのだ。喜びに震えるレムズの口元から笑みがこぼれる。
すると姫君は露骨に視線をそらして、それに応えた。いかにも高貴な姫君にふさわしい恥じらいのある所作。レムズの胸はいっそう高鳴った。
「――騎士とは、愛のために戦うものです!」
そうして、レムズは戦場の中心で愛を叫んだのだった。
レムズは剣を高々と掲げ、ラグナイ王へと再び向かっていく。
王はしばし呆気に取られていたが、自らも馬を走らせ、レムズを迎え撃つ。
「ふんっ、女にうつつを抜かしたか! 貴様のような愚か者を産み出したのは、わが生涯最大の失敗であったわ!」
王は騎馬の勢いに乗って、剣を叩きつけてくる。
「愛の素晴らしさを理解できぬとは、あなたは悲しい人だ。父上、愛のために死になさい!」
レムズは白光の剣を軽やかに横へと払った。王の剣は弾かれ、地面へと落ちていく。
レムズの剣には光が宿っていない。つまりは魔剣としての本領を発揮していないのだ。それでも、力量の差は歴然だった。
「ぬぐっ!?」
ラグナイ王が落とした剣に気を取られる。だが、馬上のまま拾えるはずもない。そして、その一瞬をレムズは見逃さなかった。
「嘆かわしい。ラグナイは騎士の国であり、その王も代々騎士であった。それがこのような剣も満足に使えぬ男が王だとは……!」
重い鎧を物ともせず、レムズは馬上から跳び上がった。
レムズの体が王に衝突し、二人そろって地面へと落ちていく。
着地した時には、上に立ったレムズの剣が王の心臓を貫いていた。
「ぐおっ!?」
王は目を見開き、口から血を吐き出す。
「さらばです、父上」
レムズは息絶えようとする父へと声をかけたが――
突如、ラグナイ王の腕が恐ろしい速さで動き、レムズの首をつかんだ。王は起き上がり、レムズの体を持ち上げた。