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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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黄金の竜旗

 サンドロス率いるイドリスの本隊――その背後に、正体不明の第三軍が現れた。

 第三軍はイドリス軍の右横を通って、こちらに近づいてくる。少なくとも、サンドロスの本隊といさかいを起こす気配は見られない。


 対するラグナイ軍も、新手の登場に動きを止めていた。

 もっとも、ソロン達の前方にいる魔物達はそうではない。ただ本能のままに進撃を続けてくる。


 ソロンは蒼炎を放ち、寄ってくる魔物達を牽制(けんせい)した。

 それから、事態を見極めるために後退する。双眼鏡があれば――と思ったが、乗り捨てた馬の背に置きっぱなしだった。


 やがて、第三軍が接近するに従って、その掲げる旗も見えてくる。


「帝国軍だ……!」


 ソロンは自らの目を疑いながら叫んだ。


「まさか、界門を経由して、救援に来たのですか!? にわかには信じられませんが……」

「けど、間違いない。あの旗は帝国軍のものだよ」


 驚くナイゼルに対して、ソロンは断言した。そうして、軍勢の中にそびえる軍旗を指差す。黒地の旗に描かれた黄金の竜は、まさしく上界で目にしたネブラシア帝国のそれだった。


「ああ、上界での戦を終わらせたのであろうな。相変わらず、仕事の早い女よの」


 メリューも頷き、ソロンに同意してくれる。


「な、なんと! 紅玉の姫君が私のために来てくれたのか!?」


 レムズはひとり自分の世界に入っていた。


「いや、君のためじゃないからね」



 イドリス本隊の右に出た帝国軍は、ラグナイ軍へと前進を開始する。

 新手の敵軍を警戒して、ラグナイ軍は引き下がり防御を固めていた。

 両軍の間隔が縮まり、ラグナイ軍に動揺が広がっていく。そして、あと数分で戦端が開かれるかと思われた。


 突如、ラグナイ軍の前衛へと稲妻が突き刺さった。何人もの騎士が衝撃を受け、馬もろとも吹き飛ばされる。

 ラグナイ軍の予想より遥かに早く、帝国軍が攻撃を開始したのだ。

 続けて飛来したのは一本の矢だった。騎士達をかすめた矢は、次の瞬間に猛烈な暴風を巻き起こす。騎士達は馬を振り落とされ、地面に叩きつけられた。


 射程外から続く攻撃に、ラグナイ軍は為す術もない。かといって、反撃の突撃を敢行するには帝国軍は強大すぎた。

 惑うラグナイ軍の決断を、帝国軍は待たない。

 距離を詰めた大勢の帝国兵が、ラグナイ軍に向かって弓矢を放ったのだ。

 界門を経由して、やって来たらしき帝国の軍隊。その数はおおよそ五千。


 ラグナイ王国はイドリスの何倍もの人口を誇る大国である。ただし、それはイドリス王国と比較しての話だ。


 しょせん下界の人口は、上界と比較すれば限りがある。

 ラグナイ王国も、ネブラシア帝国の前では小国に過ぎない。

 帝国にとっては、ごく限られた遠征軍でしかない五千人。だが、イドリス軍との戦いで消耗していたラグナイ軍にとって、それはあまりに強大だった。


 散々にラグナイ軍を蹴散らしたところで、帝国軍は二つに分かれた。

 一つはそのままラグナイの大軍を相手取り続けた。

 そして、もう一つは魔物達と戦い続けるソロン達の元へと向かってくる。

 半分に分かれても、なお数千の軍勢である。こちらに向かってくる軍勢は、とてつもない威容があった。


 帝国軍の兵士達は近づきながら、魔物達へと矢を放つ。時間を稼ぐため、邪魔者の足止めをしてくれたのかもしれない。

 そして、帝国軍の中から姿を現したのは――


「ソロン!」


 馬を駆りながら寄ってくるのは、長い黒髪と黒衣の娘だ。帝国軍の総大将にして上帝アルヴァネッサその人である。

 アルヴァは右手に杖を構えながら、器用に左手で手綱を握りしめている。


「お~い!」「よう!」


 隣には弓を持った金髪の娘に、槍を持った茶髪の男の姿もあった。言うまでもなく、ミスティンとグラットである。二人とも戦場に似つかわしくないほど陽気に、馬上から手を振っている。


「ふう……助かったようですね」


 ナイゼルが深く安堵の溜息をついた。


「みんな! どうして、ここに!?」


 ソロンは声をかけようとアルヴァに近づく。

 感動の再会が訪れるはずだった……が。


「おお、紅玉の姫君よ! あなたはお変わりなく美しい! 戦場に咲くバラのようだ!」


 そんな空気を斬り裂いたのは、かのレムズ王子だった。物凄い勢いで馬を駆り、アルヴァの元へと近寄ってくる。


「ソロン、あなたが別働隊を指揮しているとまでは聞きましたが……」


 途端、アルヴァは苦々しい顔になった。言葉を濁しながらも、なぜレムズがこの場にいるのかを問うている。

 この戦場へ到達するなら、必然的に王都イドリスやミュゼック砦を経由する。その道中で情報収集したのか、アルヴァもこちらの事情を多少は把握しているようだった。


 けれど、レムズについては例外だったらしい。そして、彼女はレムズに対して、あまりよい思い出がないのだ。

 そうして、レムズへは視線も向けず、アルヴァはあくまでソロンをじっと見ている。それでいて握った杖先は、警戒をあらわにレムズのほうを向いていた。


「えっと……。レムズ王子はザウラストと敵対してたから、力を借りたんだ。今は味方だよ」

「……事情は把握しました。レムズ殿下、無理はせず部下を連れて下がってください。あなたの騎士達は損傷が激しいようですので。ここから先はわが軍が引き受けましょう」


 邪魔だから下がれ――的なことをアルヴァはやんわりとレムズに伝えた。目を合わすのも嫌らしく、彼女の視線は虚空(こくう)を向いている。


「なんと優しいお言葉! 分かりました、このレムズ、姫君の忠告に従います! ひとときの別れを忍び、今は仲間達の元へ向かいましょう!」


 レムズは大仰に返事し、馬を駆り去っていった。


「久々に見たなあ……」

「困ったものですね」


 合間に談笑していたグラットとナイゼルが、呆れるように去りゆく王子を見送る。


「……無粋です」


 アルヴァは不機嫌を隠さない声でつぶやいた。



「そなたら、随分と早かったな」


 そこへメリューが近づいてくる。疲れた様子ながら、仲間達との再会に明るい表情を見せていた。


「よおガキンチョ、バテバテじゃねえか」

「うるさい」


 グラットがメリューへと声をかければ、メリューも憎まれ口を返す。けれどそんな彼女も、安堵は隠せなかった。

 そうして、メリューはアルヴァの様子に気づいたらしく。


「……機嫌が悪そうだな。せっかくの再会だというのに、仲違いでもしたのか? なんとかは犬も食わぬというぞ」

「違います。せっかくの再会だというのに、邪魔者が多くて困っているのですよ。まあ、再会を喜ぶのは掃除が済んでからということですわね」


 アルヴァは苦笑し、地を歩く巨獣を見据えた。

 そうしている間にも、巨獣の足音と巨虫の羽音が迫ってきていたのだ。遠方から矢を乱射するだけでは、全ての聖獣を足止めするには足らないらしい。


「――皆さん、少し時間を稼いでいただけますか?」


 馬上のまま、アルヴァは杖先を魔物達に向けて言い放った。左手を杖先に添え、右手で杖の末尾を握る。いつものように弓を構えるような格好である。


「任せて!」

「お前らは休んでろよ」


 ミスティンが元気よく返事し、グラットがこちらを気遣う。


「すまんな」

「正直、助かります」

「みんな、ありがと!」


 メリューにナイゼル、ソロンも素直にそれを受け入れる。実際、みな限界に近かった。レムズ傘下の騎士達もそれは同様で、既に前線を退いていた。


「しっかし、またトンボかよ。こっちにも湧いてくるんだなあ」


 グラットは空を見上げてつぶやいた。その視線の先には教団の聖獣――空を羽ばたく巨大トンボの姿があった。

 黄の聖獣メガエラ……。口振りからして、上界にもこの魔物は現れたらしい。


「――いよっ!」


 グラットは馬の上に立つや、助走もせずに飛び上がった。愛用の魔槍を片手に、メガエラよりもさらに上空へと舞い上がる。


 次の瞬間、グラットは猛禽類(もうきんるい)を思わせる動きで急降下。槍を巨大トンボの頭部へと突き刺した。

 どうやら、頭上にはトンボの視界が働かないらしく、回避できないようだ。


 あえなく落ちてゆく巨虫を蹴って、グラットは再び空へと飛び立つ。

 次から次へと、グラットは手慣れた動きでメガエラの上を渡り飛んでいく。その度に、聖獣は墜落していった。


 そうしている間にも、ミスティンは向かってくるグリガントへ矢を放っていた。

 立て続けに放たれた矢は二本。目にも留まらぬ速さで、矢はグリガントの両眼に突き刺さった。

 痛みにうずくまる巨獣へと、帝国の騎兵が殺到する。下げられた頭部は槍の格好の的となり、あえなく魔物は絶命した。


 ミスティンは馬を走らせながら、弓弦(ゆづる)を引き続ける。同じように他の巨獣の眼を順番に潰していく。いかに大きな瞳とはいえ、騎射で両眼に命中させるのは並大抵の技量ではなかった。

 それでも、ザウラストの聖獣はまだまだ寄ってくる。しかし、それも帝国軍の圧倒的な物量を前にしては劣勢だった。

 全身に矢を受けた巨獣達は、ハリネズミの如き惨状で戦場に崩れ落ちていった。


「放ちます!」


 そしてアルヴァの準備が終わる。

 杖先にまとわりつく雷光は、今にも弾けんばかりだ。

 雷鳥の魔法――彼女に取っては切り札となる魔法だが、今日は出し惜しみするつもりもないらしい。

 警告に従って、前に出ていた者達が引き下がっていく。


 アルヴァの握る杖先から雷が放出され、それが翼のように広がる。いつもより翼の幅が広いのは、散開する敵を(ほうむ)るための調整らしい。

 反動を受けたアルヴァが、馬上から吹き飛ばされる。ソロンはすかさず駆け寄り、落ちる彼女を抱きとめた。


 そのまま雷鳥の向かう先を二人で眺める。

 翼に触れたグリガントの巨体が、弾け飛んだ。しかし、雷鳥の勢いは止まらず進み続ける。

 広がる両翼が次々と巨獣を薙ぎ払っていく。その度に音が(とどろ)き、雷光が周囲を包む。

 数十体のグリガントを消し飛ばしたところで、ようやく雷鳥は発散した。



「綺麗になりましたね」


 見通しのよくなった平野を見やって、アルヴァは清々した顔を向けた。いまだソロンに抱えられている彼女は、さして疲れた様子も見せなかった。

 ……が、そこでソロンは自らの体に気づいた。返り血を浴び、土にまみれて酷い有様だ。この状態で彼女を抱えるのは申し訳なかった。


「あっ、降ろすよ」


 ソロンは慌てて、アルヴァを地面へ降ろそうとする。


「別に、重くないと思いますが」


 アルヴァは見当違いの解釈をしたのか、ムッとした視線を返す。


「そうじゃなくて、汚れちゃうからさ」

「それも勲章でしょう。汚れもしない英雄などあるものですか」


 アルヴァは破顔し、両手を伸ばしてソロンの頬をなでたのだった。

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