イドリス軍の猛攻
青い花火が空に上がる少しばかり前。ミュゼック砦の屋上で、二人の男が戦況を眺めていた。
「ソロニウス殿下はやるようになりましたな」
自慢のヒゲをなでながら、虎の亜人――ダルツ将軍が感嘆した。ダルツはイドリスが誇る歴戦の猛将だった。
「ああ」
と、頷いたのは総大将のサンドロスである。
少し前、ソロン率いる別働隊が、ラグナイ軍の後方へと果敢に攻撃をしかけたのだ。
ソロンは現地でラグナイのレムズ王子と手を結んだらしい。彼の率いる別働隊は、数百人という規模にふくれあがっていた。
とはいえ、ラグナイ軍は後方の部隊だけでも、その何倍もの戦力がある。それでも、ソロンの攻撃は相当な成果を上げたようだった。
砦を攻める敵の指揮官も、本陣への奇襲に気づいたらしい。砦を攻撃する敵兵の動きが、目に見えて鈍っていた。
「ナイゼルが付いているとはいえ、誰にでもできることではないでしょう。正直なところ、少し前までは可愛い坊やだと侮っておりましたが……」
「今でも相変わらずの坊やさ。だが、俺の弟はああ見えて優秀なんだぞ。そうじゃなければ、別働隊は任せられん」
サンドロスはカカッと笑った。
「弟君を信頼されているのですな」
「自慢の弟だからな。泣き言を漏らしてはいたが、あいつだって師匠のしごきは全て乗り越えてきた。性格的にはどう見ても向いてないんだが、戦いの才能は俺よりも恵まれている」
サンドロスはそう言い切って、ダルツのほうを向いた。
「ソロンの合図が来たら、総攻撃をしかける。将軍も覚悟しておいてくれ」
「今更言われるまでもありません。既に全兵員に達しておりますので」
「なら結構だ」
サンドロスは有無を言わずに頷いた。相手は百戦錬磨の将軍である。それ以上の言葉は必要なかった。
戦場に笛の音が鳴り響き、砦を囲む騎士達が背を向け始めた。
次の瞬間――ソロンの掲げた刀から、青い炎が放たれた。炎は砦の上空で爆発し、戦場に音と光を轟かせた。
「今の魔法が、ソロニウス殿下の……!?」
ダルツが初めて見る魔法に目を見張った。
「ああ、随分と派手な合図だな」
サンドロスは苦笑していたが、すぐに表情を真剣に切り替えて。
「――全軍、門前に集合せよ!」
大きな声で号令を下し、自身も階段を駆け下りていく。ダルツも何も言わず、サンドロスに付いてきた。
そうして、サンドロスは馬屋に用意していた愛馬へと飛び乗った。守備に付いていた兵士達も、国王にならって迅速に行動していく。
またたく間にイドリス軍が、砦の門前へ結集したのだった。
「門をあけよ! 全軍突撃だ!」
馬上のサンドロスはさらなる号令を下した。
門が開くと共に、イドリス軍は怒涛の勢いで出撃した。
反転したばかりのラグナイ軍は、背後を突かれて恐慌を来たす。
これまでのイドリス軍は、もっぱら守るばかりだった。ところが、そのイドリス軍が守りを捨てて、迅速な反撃に打って出た。ラグナイの兵士達が対応できなかったのも、やむを得ないことだろう。
サンドロスの大刀が宙を薙げば、呼応するかのように大地が鳴動した。
噴き上がる地面が、逃げる騎馬達の足元へ襲いかかる。
思わぬ地面からの攻撃に馬の足が取られ、騎士もろとも吹き飛んでいく。サンドロスが持つ大地の魔刀の力だった。
勇敢な騎士達が、撤退する軍の背後を守ろうとする。弓を構えて、追いすがる敵へ向かって矢を放った。それ相応の修練がなければ成しえない技である。
だが、ダルツ将軍は馬に乗ったまま、豪快に斧を薙いだ。
旋風が巻き起こり、矢が吹き飛ばされる。風はそのままの勢いで、敵の首を兜ごと断ち切った。
ダルツが持つそれは風牙の斧。ナイゼルのように広く影響を与える風ではないが、切れ味は脅威そのものだった。
砦から飛び降りた亜人が、東西を囲む崖へと駆け上る。縦横無尽に崖を走り回った亜人が、側面からラグナイ軍へと攻撃をしかける。
ラグナイ軍も背後の警戒をしていなかったわけではない。だが、イドリス軍の予想以上の勢いを受けて、散々に打ち負かされた。
* * *
サンドロス率いる本軍の猛攻は、ソロン達の元へも伝わった。
何千人が入り乱れる戦場において、全てを見渡すのは困難である。それでも、背後を突かれた敵軍の乱れは目立っていた。
ソロン達と交戦しているラグナイ王の本陣も、混乱の中で動きを止めていた。
「さすが兄弟、息が合っているな」
一連の流れを見て取ったメリューが称賛する。
「来たぞ、ソロニウス」
その時、レムズが弾むような声を出した。この男にしては、ソロンの知る限り愛想の良い表情だった。
「来たって、何が?」
レムズはラグナイ軍の方角を指差して、答えに代えた。
見れば陣地を抜け出して、こちらへと走ってくる騎士の姿があった。その後ろには数十人の仲間らしき男達を連れている。
勝負を挑んできたか――と、ソロンは思ったが、どうも違うようだ。先頭の騎士がその手に掲げているのは、剣ではなく白旗だったのだ。
ラグナイ本軍の動きが止まった瞬間を見計らい、抜け出してきたのだろう。
「バンドルフ、待っていたぞ!」
レムズは先頭の騎士へと親しげに呼びかけた。さすが騎士階級には顔が広いらしい。
「レムズ殿下! 私もあなたと共に戦いとうございます!」
対する騎士バンドルフも、それに応える。
その後ろからも次々と、レムズの元を目指してくる戦士達の姿があった。
「共に邪教徒を打ち倒しましょう!」
「レムズ王子、あなたこそが真の騎士です!」
次々と口上を述べて、レムズの旗下に入ってくる。皆レムズを慕い、ザウラストと戦おうとする者達だった。表向きザウラストに従っていても、やはり心の底は違っていたのだ。
「相分かった! このレムズが必ずやザウラストを討ち滅ぼそう。イドリスと力を合わせ、邪教をこの下界から駆逐するのだ!」
レムズは剣を高々と掲げ、宣言した。新たに加わった騎士達も、剣を掲げて歓声を上げていく。
「ほほう……うまくいきましたね」
と、ナイゼルも感心していた。ナイゼルはどうにか騎馬を駆りながら、ソロンの後ろに控えていた。
そうこうしているうちに、レムズ傘下の勢力は倍にもふくれ上がる勢いだった。同時に、自軍を切り崩されたラグナイ軍は、いよいよ混迷を増していった。
「よし、今のうちだよ! レムズ王子、騎士達の再編成を急いで! その間、僕達がしかける! ただし、深追いしないように気をつけるよ!」
ソロンは急ぎ指示を発して、さらなる攻撃をしかけようと構えた。
「私に合わせてください!」
ナイゼルが馬を御しながら前へ出て、杖を構えた。杖先の魔石はもちろんナイゼル得意の緑風石だ。
杖先の空気がゆらめけば、それは強風へと転じた。
混乱の渦中にあった敵軍へと、容赦なく風が吹きつける。
風に押された敵兵が足を滑らせ転倒する。さらには、倒れた者の体に足を取られる者もいる。混乱は連鎖的に拡大していった。
「今だ、撃て!」
ソロンが叫び、仲間達をうながした。
放たれた矢は、追い風を受けて威力を増す。加速した矢は騎士の鎧すらも貫いた。
間髪入れず、ソロンは蒼炎を放つ。
風にあおられた蒼炎が、戦場を焼き払う。
直撃した者は炎上し、生き残った者も散り散りに逃げていく。王を守る兵は着実に数を減らしていた。
前方を守る兵士達を蹴散らさねば、後衛の神官達までは攻撃が届かない。ソロンは攻撃の手をゆるめなかった。
* * *
「イドリスと手を組むとは、見下げ果てた者どもめ! 余に受けた恩を忘れたか! 忘恩の徒には、一族もろともカオスの神の裁きが下されようぞ!」
騎士達の造反を目にして、ラグナイ王は一層の怒りを爆発させた。
そうして、王は残った騎士達を牽制する。裏切り者の一族は、呪海の生贄にするという宣言だ。王でありながら、ザウラスト教団の威光を借りるのが、もはや日常となっていた。
王はさらに、そばにいた側近の司教をにらみ据える。
「――聖獣を放つのだ! 連中を踏み潰してしまえっ!」
「で、ですが……。今ここで放っては自軍にも被害が……」
司教は王の指示にとまどいを見せた。
「構うものか! このままではそなたらも危ういのだぞ!」
そうこうしている間にも、本陣を守る兵士達が次々と倒れていく。
レムズと手を組んだイドリスの部隊は、少数ながら恐るべし手練ぞろいらしい。風と矢と蒼炎による猛攻で、何倍もの戦力差をも覆す勢いだ。
手を打たねば、王や司教を含む中枢が丸裸にされるのは自明だった。
そんな様子を見て取って、司教は恐怖に顔を青ざめる。
「せ、聖獣を放てっ!」
そうして、ようやく決断するのだった。
号令を受けた神官達は、手に持っていた魔石を投げ出した。ザウラスト教団の秘術――聖獣を宿す聖石である。
その時、イドリス軍から放たれた矢が、神官達の元まで届いた。数人の神官が矢を喰らい、地面に倒れる。
だが、既に聖石は地面に落ちていた。それも一つや二つではない。何十という数だった。