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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第一章 紅玉帝と女王の杖
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最北の都カンタニア

 雲海を越えて(はる)か北にあるという亜人の国ドーマ……。

 正体不明のその国から、亜人達が人間の国へやって来るようになったのは、百五十年以上も前のことである。


 亜人の攻撃は執拗(しつよう)で、帝国の北方は幾度も危機にさらされた。特に百三十年前には、かつての同盟国――カンタニア公国が大規模な襲撃を受けたのだ。

 その時は帝国の救援もあって、カンタニア公国は辛くも亜人を退けた。


 ただしその代償は大きかった。

 公国は、国家としての形態を維持できなくなるほどの被害を受けたのだ。

 カンタニアは結果的に帝国へと併合され、今はカンタニア州として形を保っている。


 それから長らく、大規模な襲撃はなかった。

 一変したのは、アルヴァの祖父の代からである。目に見えて襲撃の回数と規模が増大し、カンタニアは再び甚大(じんだい)な被害をこうむるようになったのだ。

 祖父も、父も、治世の多くを亜人との戦いに費やさねばならなかった。


 *


 一日半の船旅で、アルヴァは夜のカンタニア港にたどり着いた。

 帝都を出発してから、合計しても二日に満たない。帝国が持つ竜玉船の技術あってこそ可能な強行軍であった。


 現在の帝国において、カンタニア市は実質上の最北に当たる町である。かつてはその北にも町があったが、亜人の襲撃によって全て放棄せざるを得なくなったのだ。

 当然ながらアルヴァへの出迎えはない。そもそも皇帝来援の報が伝わるよりも速く、彼女自身が疾駆してきたのだから。


 到着と同時に、カンタニア城のゲノス将軍へ伝令を送る。来訪を伝えるように手配をしたのだ。

 それから帯同した兵と共に港を抜けて、城へと向かう。帝国軍の北方司令部は、カンタニア城に置かれているのだ。


 以前、アルヴァがカンタニアを去ったのは数ヶ月前になる。その時は冬の最中だったため、町全体が雪に覆われていた。

 春になった今でも肌寒さは残っているが、さすがに雪は全て溶けている。

 今なら裸となった町の姿も見えるのだが、生憎じっくりと観光している余裕もない。


「アルヴァネッサ様!?」

「紅玉の陛下だ! 陛下がいらっしゃったぞ!」


 城へ向かう途中の道で、アルヴァの存在に気づく者がいた。

 少数の兵を連れての目立たぬ訪問のつもりだったが、注目を集めてしまったらしい。以前、自ら遠征した関係で、この町には女帝の顔を知る者が多くいるのだ。

 またたく間に、市民達が沿道へと集まってくる。


「アルヴァ様! どうか亜人をやっつけて!」

「陛下、お助けください!」


 市民達から懇願(こんがん)の声が上がる。

 皆が亜人に怯えていた。一刻も早い、皇帝の到着を皆が待ち望んでいたのだ。

 それに対して、アルヴァはただ微笑(ほほえ)んで静かに手を上げるだけだった。しかし、胸の奥では勝利への決意を強く固めていた。


 *


 カンタニア市を囲む外壁――その頑丈さは、帝国内でも帝都に並ぶ強度を誇っていた。

 この都市は帝国北方防衛の(かなめ)であり、安々と陥落するわけにはいかないためだ。

 そして、その中央にどっしりと構えているのがカンタニア城である。


 アルヴァにとっては、既に以前訪れた場所でもある。城門の守備兵はこちらの姿を認めるや、ただちに門を開いたのだった。

 入口の兵に従って、二階へと案内されていく。


「陛下、ご無沙汰しております」


 応接室で待ち受けていたのは、北方防衛を預かるゲノス将軍である。貴賓席(きひんせき)をアルヴァに勧め、自らは下の席へと着いた。

 皇帝の来援となれば、将軍自ら城を出て出迎えるのが本来の儀礼だ。

 しかし、それは無視するよう以前から指示してあった。前線に近いカンタニアでは、儀礼行為に時間をかけている暇はないのだ。


 ゲノスの年齢はもうすぐ五十になるはずだが、まだまだ若々しい。角張った顔とたくましい体躯(たいく)のいかめしい男だった。

 帝国の将軍には帝都に鎮座して、実戦経験もロクに積まない者も多い。

 その中で、この男は既に幾度も死線をくぐり抜けていた。自然、貫禄(かんろく)というものが違ったのだ。


 ゲノスとは、以前に協力して北方防衛に当たった経緯がある。

 将軍は当初こそ、アルヴァのことを小娘と侮るところもあった。

 しかし、それも無理はない。

 将軍からすれば、皇帝とはいえ自分の娘よりも幼い子供でしかないのだから。皇学院でアルヴァの同窓だった令嬢達にしても、この年頃では精々が政略結婚の道具にしか見られなかった。


 信頼を勝ち取るには行動の他ない。

 アルヴァは自ら前線に向かい指揮を執った。

 皇帝が前線に出るのは、帝国の歴史でも珍しいことではない。

 しかし、この若さで、かつ女の身でとなると話は違ってくる。精々が視察によって、兵の士気を高めれば十分――それは大勢の見方だった。


 そんな中で、兵士達の尊敬を集めたのは魔法だった。

 アルヴァは敵の主力を雷の魔法で崩し、戦況を好転させるという技を繰り返しやってのけた。

 北方の戦線にいる魔道士の中でも、雷を使える術者はそう多くない。その技量が信頼できる者となると、さらに限られていた。


 その内にゲノス将軍も、そんなアルヴァへの評価を徐々に変えていった。今となっては、一応の信頼関係は築けていると認識している。



「ゲノス将軍、状況はどうなっていますか?」


 堅苦しい挨拶は省略し、アルヴァはさっそく詳しい戦況を聞くことにした。


 襲撃を受けたのは、アルヴァが帝都を出立する五日前である。

 大防壁は、北の雲岸を守る要塞としての機能を持っている。常時二千人に及ぶ守備兵が駐在し、雲海から来る敵を監視しているのだ。

 もし、敵を発見した場合は、弓と魔法による猛攻撃を浴びせられるようになっていた。


 だが、亜人はその種族特性を利用してきた。

 敵の主力となったのは、雲海を泳ぐカエル型の亜人だ。

 雲海の下に潜ったまま大防壁へギリギリまで接近。一気に浮上して集中攻撃をしかけてきたのである。


 死角から奇襲された兵達は浮足立った。

 態勢を立て直そうにも遅く、壁の一部が破壊されてしまった。防衛線の広さから、どうしても手薄になる箇所が出てくるのだ。

 破れた大防壁に向かって、船団からなる敵部隊が一斉に侵攻をかけた。帝国軍は支えきれずに撤退せざるを得なかった。


 大防壁を破った亜人の部隊はおよそ千五百。そのまま帝国最北の砦――コドナム砦を強襲して占拠した。

 大防壁と砦の守備隊、合わせて四百を超える兵が死亡したという。負傷者も正確な数を把握できていないが、千人を超すと見られている。


 亜人は大防壁への奇襲から、砦の占拠までを一日足らずでやり遂げたという。

 恐るべき電撃侵攻だった。

 しかし、亜人がコドナム砦を占拠してからは、今のところ動きは見られないとのことである。



「亜人の狙いは何だと思いますか?」


 話を聞き終えたアルヴァは、ゲノス将軍へと尋ねた。


「恐らくは後続の部隊が、雲海からやって来るのを待っているのでしょう。それからが決戦になると見ています。我らは大防壁の防備を立て直し、さらにはコドナムよりも南の砦を固め、亜人の侵攻に備えている状態です」

「なるほど。守勢に回らざるを得ないようですね」


 だとすれば、やはり急いでこちらに来た判断は正しかったのだ。

 帝都で悠長に構えていれば、その間に亜人の後続部隊が来たに違いない。前線が崩壊し、取り返しのつかない事態になったであろう。


「陛下、お連れになった兵はあれが全てですかな?」


 考え込むアルヴァに対して、ゲノスが尋ね返した。


「ええ、今のところは。大将軍が後続を送ることになっていますが、まだしばらくはかかるでしょう。当分は当てになさらぬよう」


 アルヴァが連れてきたのは、わずか数十人の手勢である。はっきりいって、戦力としてはまともに見込める規模ではない。


「むう、そうですか……」


 当てが外れたらしいゲノスは、哀れな程に落胆を見せた。愚直な武人らしい分かりやすい反応である。


「ご不満ですか?」

「いえ、そのようなことは……。陛下がお顔を見せてくだされば、必ずや皆の士気も上がるでしょう。さすれば亜人も恐れるに足りますまい」


 ゲノスは慌てて取り(とりつくろ)ったが。


「まあ、士気だけで勝てるほど甘い状況だとは思えませんが」

「は、はあ……それはおっしゃる通りですが」


 アルヴァの冷淡な発言にまたも消沈した。

 もっとも、アルヴァとしては事実を述べただけであり、意地悪をしているつもりはない。ともあれ、さすがにいたたまれない気分になってくる。


「作戦会議としましょう。市内・城内にいる者だけで結構ですが、主立った者を集めていただけますか? これより、反転攻勢をかけるのです」


 アルヴァはゲノスに向かって指示を下した。

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