レムズの覚悟
ベスカダの町を離れたソロン達は、一路南西を目指した。
出発した頃は未明であったが、やがてすぐに日が昇ってくる。
目標の拠点はフラガの向こうにある山中――戦場となるミュゼック砦を眺められる場所だ。先日たどった道をさかのぼり、イドリス方面へと戻るのだった。
自然、騎馬の速さで進んだ往路と比較すれば、歩みも遅い。
おまけに、隠れようのない大所帯であり、行商の振りが通じるかも怪しい。なんといっても、牢獄上がりの騎士達の風体はどうみても不審だった。
案の定、向かいからやって来る旅人には奇異な目で見られた。
とはいえ、それだけで済むなら安いもの。ベスカダから追手が来れば、所在を通報されるかもしれないのだ。そこはもう、諦めて開き直るしかなかった。
さて、七十人を超える大所帯となれば、困るのは食糧である。
元々の想定は三十人の部隊。拠点を築くために別働隊を作った際、当然食糧も分けている。もちろん、牢獄にいた騎士達が食糧を持っているはずもない。
以上より、現状に困窮するのも当然だった。
しかし、対策は至って単純。
途中の町で行商を装い、必要なものを購入するだけである。
目立たぬよう少人数で買い物する必要があったが、ここでは騎士達が活躍してくれた。彼らは地元民であり、服装さえ整えれば自然に買い物もできるというわけだ。
「早く決着をつけないと、干上がってしまいますよ」
もっとも、ナイゼルは用意した資金が尽きるのを気にかけていた。さすがの彼も、他国の通貨までは余分に準備できなかったらしい。
そして、買い物はできても宿は取れない。何十人で宿を取れば、どうしようもなく目立つからだ。起きたら敵兵に包囲されていたというのは、さすがに御免こうむる。
「まあ、そもそも泊まるような路銀もないんですけどね」
というのは、ナイゼルによる補足である。
例によって、街道を外れた森の中でソロン達は野宿するのだった。
*
騎士達を含んだ一行は旅を続けた。
フラガに近づくに従い、敵兵との遭遇を恐れて街道を外れる。南の山脈に沿うように歩いたのだった。
幸いにも途中で、追手が来ることもなかった。メリューの耳によれば、監視されている気配もないらしい。ひょっとして、脅しが効いたのか。はたまた道を外れたことで、やり過ごせたのか。
ともあれ、順調な旅といってよいだろう。
四日目にはフラガの横を通り過ぎ、そこから一日かけてイドリスの国境――ミュゼック砦へと近づく。そうして、目的の拠点を間近にしていた。
拠点の正確な所在は実のところ、ソロンもよく知らない。別働隊には地図を元に、おおよその地点を指示していただけだったからだ。
しかし、それも心配はいらないだろう。こちらから発見するのは難しくとも、彼らは見通しのよい山の上にいるのだ。
「ソロニウス殿下っ!」
案の定、すぐにソロンを呼ぶ声が聞こえた。
山の上側から駆け下りてくる男達の姿があった。別働隊の仲間達である。こちらを迎えようと見張っていてくれたのだ。
再会を祝い、仲間達の先導を受けて山中を歩く。竜車がゆくには少し狭い山道だったが、それでも進み続けた。
山を二時間ほど登り、裏手へと回り込んでいく。敵に察知されないよう、拠点は死角になる山の南側に築いていたのだ。
「おお、絶景だな」
南に広がる光景を見て、メリューが声を上げた。
黒雲の下に広がる荒野には、黒い亀裂が縦横無尽に走っている。まるで幼子が爪で引っ掻いたように、亀裂は無秩序に伸びていた。
ソロン達は、深淵の荒野を北側から臨んでいたのだ。
その光景には、もちろんイドリス川や深淵の大穴も含まれていた。
「ほんと凄いね。よくあんなところ通ったもんだよ」
ソロンは感嘆の声を上げた。高所から見れば、自然の驚異が一層に強く伝わってくる。たどった道を思い、今更ながら怖気が背筋を走ってくる。
「どこからわが国へ入ったのか疑問だったが……。貴様ら、まさか深淵の荒野を踏破したのか……」
レムズは狂人を見るような目で、こちらを見ていた。どうやら、レムズですら無謀と見なすような暴挙だったらしい。犠牲者がなかったことを喜ぶほかない。
そこからすぐに目的地は見つかった。
拠点には既に多くの小屋が造られていた。
木の柱の上に布をかぶせたような簡素な小屋。それでも、持ち前の竜車に積んであるテントと合わせれば、全員が十分に宿泊できそうだった。
人の住居だけではなく、拠点には馬屋も用意されている。戦いにおいては馬達も重要な戦力であり、粗末な扱いはできなかった。もちろん、走竜用の竜屋も完備されている。
こういった拠点は人間の兵士達に指示を出して、構築したものだ。工作に優れた彼らは山の木を切り倒して、これらの施設を造り出したのだった。
「立派な拠点ができましたね」
ナイゼルはそんな拠点を満足そうに眺めていた。
「ふん。この俺が掘っ立て小屋暮らしとはな」
ところが、レムズは自嘲するように鼻を鳴らした。
「おや、ラグナイの王子様はベッドのあるところでないと眠れませんか? そこにいるソロニウス王子などは、どこだって眠れますよ。わが主人はこう見えて、なかなかたくましい男なのです」
ナイゼルがソロンを引き合いに出して、そんなことを宣う。
ちなみに、ソロンがどこでも眠れるのは事実だ。……が、それはたくましさの証拠ではない。単に生理的欲求に素直なだけである。
「ぐっ、馬鹿にするな。騎士たる者、眠る場所は選ばん。土の上だろうと、薪の上だろうと、邪教を倒すためとあらば。ましてや、愛する御方のためとあらば!」
レムズはナイゼルの挑発にあっさり乗った。
もっとも、彼にしても道中は簡素なテントの中で野営している。小屋があるだけマシというものだろう。
「眠るだけで大袈裟な奴よのう」
メリューが呆れ顔で溜息をついていた。
「よく分かんないけど納得してくれたんだよね。それじゃ、さっそくだけど会議といこうか。みんなで小屋の中に集まって欲しい」
話題の終わりを見て取って、ソロンは提案した。
*
小屋の中には、申し訳程度に机が用意されていた。兵士達が木材を加工して、急ごしらえしたものだろう。
もっとも、机はあっても椅子はない。地面に敷かれた布の上に、ソロンは足を組んで座った。他の者達も同じようにして、机を囲んでいく。
「レムズ王子」
全員が座ったところで、ソロンは話を切り出した。
「なんだ?」
「君は敵に回った騎士達とも戦う覚悟があると言っていた。けど、それだけじゃない。ザウラストと戦えば、結果的に君の家族や知り合いにも害が及ぶかもしれない。それだけは、正直に話しておきたいんだ」
「しつこいぞ、ソロニウス」
レムズは鼻で笑った。
「――そんなことは俺が一番よく知っている。ザウラストと父上をたやすく切り離せないのは、この目で見ていたからな」
「そっか……。愚問だったみたいだね」
「甘い男だな、ソロニウス。俺の行動は、後世で売国奴と罵られるかもしれん。だが、わが祖国が邪教の手に落ちる前に、誰かがザウラストを殺さねばならない。立ちふさがるなら、父や兄とて斬り捨てるまでだ」
レムズは肉親と戦う決意を力強く語り切った。
しかし、ソロンが気になったのはそこではなかった。
「そなたが言うザウラストとは、もしや教団の教祖のことか?」
先に質問をしたのはメリューだった。
今まで、ザウラストといえば教団そのものを指すことが大抵だったのだ。けれど、『殺す』という表現は個人に向けられているとしか思えなかった。
「それ以外に誰がいるというのです。あの男さえ殺せば、邪教は瓦解する。それをやるのは私しかおりますまい」
「見たことあるんだ、ザウラストを!?」
ソロンも何度となく名前を聞いたが、得体の知れない人物だった。四百年前にドーマ連邦から追放され、今に至るまで存命しているという。その一端が明らかになるのだろうか。
「ああ。普段は姿を隠しているが、俺達王族は特別扱いらしくてな。見た目は若い男だが、わが父の若き日より姿は変わらぬと聞く。何の亜人かも知らんが、得体の知れん奴だ」
レムズは嫌悪感をあらわに語った。
「ザウラストは、私と同じ銀竜族だ。もっとも、私には半分ほど人間の血が流れているがな」
口を挟んだメリューを、レムズが意外そうに見た。
「あなたと、ザウラストが……?」
「うむ。ザウラスト教団は、遥か北のわが祖国で興った組織だ。そして代々わが一族と対立してきた。不倶戴天の敵と言ってもよいだろうな」
「そうか……。まさかザウラストにそんな経緯があったとは……。我々と力を合わせて、ザウラストを倒しましょう」
レムズはいかにも好意的に、メリューへと手を伸ばした。
「う、うむ」
メリューもしぶしぶながらその手を握った。