ベスカダ城潜入
城内への突入は、ソロンとメリュー及び亜人達で行うことになった。
運動神経に劣るナイゼルは待機し、撤退を支援する。突入には加わらないが、彼も作戦の立案には十分な活躍をしてくれた。
その間、人間の兵士達は走竜と共に南の山中へ分け入り、拠点を構築する。
レムズを連れて撤退すれば、まず間違いなく大きな騒ぎになる。そうなってしまえば、もはや町中の施設は使えない。ラグナイ人から悟られない場所に、退避する必要があった。
そして、それは次なる戦いに向けた布石となる。イドリス軍の前線基地であり、ラグナイ軍が攻め立てるミュゼック砦――拠点は砦にほど近い場所へ、築くつもりだった。
準備は万端。決行の時が近づいてくる。
「本当に坊っちゃん達だけで大丈夫なのですか? 私も行ったほうが……」
ナイゼルはこの期に及んで、心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫。あんな城、ネブラシア城と比べたら掘っ立て小屋みたいなもんさ」
ソロンは力強く言い放った。
実際、ネブラシア城は五階建ての上、多数の建物が連なり複雑に構成されていた。それと比較すれば、ベスカダ城など何枚も劣る。
「ですがその時は、失敗したのでしょう。アルヴァさんが助けてくださらなければ、坊っちゃんは今頃、上界の土の中でしたよ」
「ネブラシアの流儀だと、死体は灰にして雲海にまくんだよ。……って、そんなことじゃなくて。もう僕だって昔のままじゃないんだ。大体ナイゼルの運動神経じゃ、僕らの足を引っ張るだけでしょ。予定通り、外から撤退を支援してくれるかな?」
「ふう……。坊っちゃんも言うようになりましたねえ。分かりました。このナイゼル、坊っちゃんを信じます」
「そなたも案外、過保護よな。心配はいらぬ、ナイゼルよ。ソロンには私が付いているのでな」
「ええ。メリューさん、坊っちゃんのことは頼みましたよ」
*
月明かりのない深夜、ソロン達は宿を発った。
そばにはメリューを含め、身軽な亜人達も連れている。自分を合わせて全部で五人とわずかな手勢だ。
既に人気はなく、夜の街は閑散としている。
白雲に覆われた下界ゆえ、星々の輝きもささやかだ。
深夜の町には街灯もないが、遠くのベスカダ城だけが光を放っている。防犯のためか、夜間でも城壁や門には松明が取りつけられているらしい。
城の光は目印になるが、ソロンの周囲は至って暗い。おおよそ十歩離れた相手の姿も、見えないほどだ。その代わり、足音にさえ気をつければ、誰かに発見されもしないだろう。
もっとも、メリューを含む亜人達は夜目の中でも遠くを見通せる。メリューは時折ソロンの手を引いて、人がいない道へ誘導してくれた。
そうして、五人は城の正門を視界に入れた。
正門には燭台が備えられており、前方を照らしている。迂闊に接近しては、城壁の上で見張る衛兵に見つかってしまうだろう。
いずれにせよ、正門を突破するつもりは毛頭ない。
一行は正面を避けて、闇にまぎれるよう城壁の側面へと回り込んでいく。日中の偵察で見張りの手薄な地点は目星をつけていた。
城壁もさほどの高さではなく、ソロンの背丈の数倍程度。ソロンならば生身で乗り越えることもできそうだ。……が、少なくともメリューには厳しいだろう。
「ここでお願い」
ソロンが城壁の一箇所を指差せば、亜人の一人が背負っていたハシゴを降ろした。
ハシゴは折りたたみ式になっており、ソロンの背丈の数倍まで伸びるようになっている。ここの城壁を越えるには十分な長さだ。
伸ばしたハシゴを城壁に立てかけ、ソロンは音を立てずに登っていく。
この時点で衛兵に気取られたら、計画は水泡に帰してしまう。決して察知されないよう、城壁を乗り越えねばならない。
難なくハシゴを登り切ったソロンは、城壁の上にかがんで左右を見回す。見張りの気配がないと確認し、手招きして後続を呼ぶ。
登り始めたメリューを確認したソロンは、城壁の内側へと振り返る。音を立てないよう静かに跳び下り、両足で城の庭へと着地した。
さらには続いて跳び下りてきたメリューを、すかさず抱きとめる。
「このぐらい、私でも降りられるが」
「でも、音が鳴るでしょ」
メリューが小声で抗議するが、ぴしゃりと遮る。
五人が乗り越えた後、回収したハシゴを城壁の内側へと置いた。
降りたところは狭い庭であり、芝生が敷き詰められている。
五人は体勢を低くしながら、城の側面へと近づいた。
手頃なガラス窓を見つけたソロンは、伏せた体勢で中を覗き込む。
中から光が漏れているが、近くに人の気配はない。場所はどうやら廊下に当たるようだ。
「よし……ここにしよう」
ソロンは背中の鞘から刀を抜き放ち、刃先をガラス窓へと向ける。
青い光がささやかに放たれ、刃先に触れたガラスが氷のように溶けていく。蒼煌の刀が放つ高熱は、鋼鉄さえも溶かしてしまう。ガラスに至っては言うに及ばずだ。
音を立てないよう慎重に魔力を調整し、漏れる光を体で隠して作業を続ける。
やがて、あっけなく焼き切られた窓ガラスを芝生へと落とした。
「行くよ」
再度、城内を窺って、ソロンは後続へと声をかけた。
メリュー達も無言で頷き返す。
ソロンは先陣を切って、窓枠に手をかけた。そのまま体を持ち上げ、窓枠に足をかける。音を立てず、速やかに城内の廊下へと足をつけた。
「ぬ……ぐぐ……」
後ろを振り向けば、メリューが必死で窓枠を越えようとしていた。大して高い窓ではないのだが、背が低いために苦労しているらしい。
ソロンは苦笑し、そんなメリューを引っ張り上げた。
残り三人の亜人達は、さすがの身のこなしで難なく窓枠を乗り越えていく。
五人は難なく、城の廊下へと侵入を果たした。
目指すはレムズの居場所――二階の貴賓室である。
まずは廊下の壁に張りつくように、階段がある広間へと近づく。
さすがのナイゼルも、城の詳細な間取まではつかめなかったようだ。それでも、集めた情報から大雑把な間取を推定してくれていた。
廊下から広間を覗き込めば、やはり警備兵の姿があった。
正面の入口付近を見張っているのが二人。階段付近を固めているのも二人。合わせて四人である。
「メリュー、入口側の二人を頼めるかな?」
廊下の奥へ引き返し、ソロンはメリューへと小声で伝えた。ソロンの魔法だけでは、離れた相手を静かに倒すのは難しい。
「任せておけ」
対するメリューは何も聞かずに頷いた。
ソロンは手を振って、仲間達へと合図した。
そうしてから、階段側の兵士へと一息で走り寄る。音を立てず、それでいて速く。
背後から炎をまとった太刀を、脳天へ一撃。崩れ落ちる兵士を、すかさず手で支え静かに床へ落とす。
もっとも、それでも音を消すには至らない。
「なんだ?」
音に気づいたもう一人の兵士が、こちらを振り向く。だが、叫び声を上げる前に、二人の亜人が回り込んでいた。棍棒による打撃を見舞われ、兵士はあっけなく昏倒した。
そうしている間にも、メリューが放った短刀は正確に入口側の兵士を貫いていた。
これで三人。
「侵入者か――!?」
叫ぼうとした最後の兵士だったが、すぐに声は途切れた。メリューの放ったもう一本の短刀が、正確に喉を貫いたのだ。
「他愛もないな」
メリューは軽く手をはたき、笑って見せる余裕すらあった。
「よし、急ごう」
ソロンは階段の上へ向かって駆け出した。
倒れた警備兵が見つかれば、じきに他の兵も集まってくるだろう。ここから先は、もはや秘密裏に行動できるとも考えていない。迅速に行動し、敵が態勢を整える前に事を進めるまでだ。
二階に駆け上がる途中で、階段を降りてくる兵士とかち合った。一階の物音を聞きつけて、様子を見に来たらしい。
ソロンは出会い頭に一撃――兵士は階段を転がり落ちて、動かなくなる。それを尻目に、五人は二階へとたどり着いた。
さて、問題はレムズ王子がいるという貴賓室の所在だ。手がかりがない状態では、一つずつ扉を開ける羽目になりかねない。
……が、目的の貴賓室はすぐに見つかった。これ見よがしに、二人の見張りが扉の前に立っている。悩む必要はなかったのだ。
見張りは既にこちらへ気づいており、驚愕の表情を顔に張りつけている。
「な――」
叫び声を上げられる前に、ソロンは駆け寄った。刀が青い剣閃を描き、二人をまとめて斬り捨てる。
そうして、ソロンは貴賓室の扉へと手をかけた。
*
「騒々しいぞ」
卓上にある燭台が、深夜の貴賓室を煌々と照らしている。明かりに照らされた男が、傲然とこちらをにらんでいた。
記憶にあるままの鋭い目と声の持ち主。気品ある整った栗色の髪。騎士にふさわしい引き締まった体をしている。
ラグナイ第三王子――レムズだった。