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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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ベスカダ市

 善は急げとばかりに、一行は早朝のフラガの町を発った。隠していた走竜と合流し、北のベスカダ市を目指す。

 ラグナイ国内の街道は整備されており、治安も悪くないようだ。

 所々に警備の兵士がいるが、これはイドリスを警戒してるのではなく、魔物から旅人を守っているのだろう。敵国とはいえ、行き届いた治安は見事なものだと感じた。


 途中、フラガ方面へ向かう軍隊とすれ違った。

 軍の先頭には二本の旗が(ひるがえ)っている。

 一本はラグナイ王国の旗。盾の上に交差する槍と剣が刻まれており、いかにも騎士の国らしい紋章旗となっている。


 そして、もう一本の旗には奇怪な紋様が描かれていた。赤黒い蛇が体を長く伸ばし、線となって魔法陣らしきものを形作っている。幾何学的とはいえない混沌とした形状だ。


「あれって……」

「あの趣味の悪さはザウラストの教団旗だな。それにしても、国旗と対等の扱いか……」


 メリューはにらみつけるような視線を旗へと送る。

 ザウラスト教団は国家そのものと並ぶ権威を持っている。そんな事実を象徴しているようだった。

 ソロン達は軍隊に道を譲り、協力的なラグナイ市民を装った。幸い、それで不審がられることはなかった。


「前線に向けて、兵士を集めているようだね」


 兵隊達の行進を見送った後で、ソロンが言った。


「ええ、敵も膠着(こうちゃく)状態を打破するために手を打っているのでしょう。決戦は近いかもしれません。我々も急がないと」


 ナイゼルは険しい表情で応えた。

 ソロンも頷き、心持ち足を速める。

 ラグナイ国内での道中は、宿場を使うことにした。商隊の振りをする方針を取った以上、人がいる場所を避ける必要はない。

 敵国に入ってからのほうが、恵まれた環境で宿泊できるというのは皮肉なものである。


 *


 ナイゼルが言った通り、ベスカダ市までは数日の行程だった。途中の小さな町で宿泊すること二泊。その翌日の昼頃には、レムズ王子が囚われているという町が見えてきたのだった。

 フラガの時と同じように、走竜を目立たぬ場所に隠しておく。

 商隊の振りをして、一行は公然と門の内側へと侵入した。


 ナイゼルによれば、ベスカダ市の人口は数万人。ラグナイ南部を統括する都市である。戦時下でにぎわうフラガと比較しても、大きな町だった。

 イドリス王国でこれを上回る都市はただ一つ――王都しかないのが現実だ。無論、豊かな上界なら、この程度の町は掃いて捨てるほどあるのだが……。


 昼食時であるためか、立ち並ぶ飲食店からは香ばしい匂いが(ただよ)ってくる。商売も盛んらしく、そこかしこでやり取りする行商の姿が見られた。

 砦の町でもあったフラガと比較すると、物々しさは薄い。戦線から離れたお陰で、兵士の数が減ったこともあるかもしれない。


 だのに、どこか雰囲気が重苦しいのは、所々に見える赤い神官服のせいだろうか。フラガに増して、この町はザウラスト教団の影響が強いようだった。


 宿を選んで馬と仲間を残しておく。ソロンは少人数を連れて、偵察に出かけた。今回はナイゼルとメリューの両方が一緒である。

 整然とした街道を進みながら、町の奥へ向かう。やがて、白レンガの建物が目に入ってきた。

 ラグナイ南部を統治するベスカダ城である。

 ベスカダ城は下界にしては壮麗な城で、その規模もイドリスの王城に引けを取らない。


 ただし、フラガの砦のような軍事拠点ではないらしく、堅牢という印象は受けない。城壁は低く、ソロンならば小細工せずとも越えられそうだ。

 この城を建造した人物は、イドリス軍がここまで攻めてくるなど考えなかったに違いない。

 そしてまた、この城にもザウラスト教団の旗が(ひるがえ)っていた。


「あれではまるで、城が邪教の所有だとでも言わんばかりだな」


 苦々しい表情で、メリューはつぶやく。


「それに近い状態でしょうね。元々の城主――ベスカダ公爵は高名な騎士であり、レムズ王子の伯父でもあったそうですが……」

「……というと、王子の蜂起(ほうき)にも参加したってこと?」

「はい、中心的な役割を果たしたと聞きます。しかしながら、公爵は敗死し、城も教団に接収されてご覧の有様です」


 ソロンが尋ねれば、ナイゼルが抜かりなく答えてくれる。

 レムズ王子の母が騎士の家系とは、女給から聞いた覚えがある。ここの城主がそうだったわけだ。だが、その後ろ盾を失った今、レムズが絶体絶命にあるのは想像に難くない。


「それで、レムズ王子はあの城に囚われているんだね?」

「そのようです。もっとも、地下牢なのか客室なのかは分かりかねますが」

「そっか。場所が特定できれば理想的なんだけど、さすがに難しいかな?」

「ふむ、夜まで時間がありますし探ってみましょう。ここは私に任せていただけますか? もしかしたら、簡単に所在をつかめるかもしれません」

「じゃあ、頼むよ。けど、あんまり危ないことはよしてよね」

「ははは、そんなヘマはしませんよ。それじゃあ、坊っちゃん達は外から城の構造を偵察しておいてください」

「任せて」


 そうして、ソロンとナイゼルは別れて行動することになった。


 *


 町を囲む壁の外に出たソロンは、近隣の小高い山に登り双眼鏡を構える。以前、ネブラシア城へ潜入した時にならって、外側からベスカダ城を偵察しに来たのだ。


 ベスカダ城は三階建ての城であり、加えて地下には牢獄があるという。内部は(うかが)えないが、外装を見る限りさほど複雑な構造ではない。

 警備の兵士は十数人といったところか。死角なく見張るには、やや不十分に思えた。


「思ったほど、警戒は強くないようだな」


 肉眼でベスカダ城を観察していたメリューがつぶやいた。今日も当たり前のように、彼女は同行してくれていた。人目もないため、今は銀色の髪を風の中に解き放っている。


「そうみたいだね。深淵の荒野で見張りを始末したのは、まだバレてないのかな?」

「さてな」


 と、メリューは考える素振りをする。


「――気づかれたところで、我らの狙いをつかむのは難しかろう。(くだん)の王子を救出するのは、そなた独自の発想だからな。普通はまず、戦線を背後から突かれるほうを警戒する」

「なるほど……。それじゃあ、連中が気にしているのは、むしろ騎士の襲撃ってわけか」


 旗頭たるレムズを奪還するため、騎士の残党がベスカダ城を襲撃する。ザウラストにしてみれば、イドリスの別働隊よりも、そちらを警戒するほうが自然だろう。


「うむ、そう考えれば警備が手薄なのも納得できるな。騎士の多くは先日の内戦で捕らえられ、残った者もイドリスとの戦線に送られているという。彼奴(きゃつ)らにも油断があろう。今が好機やもしれん」


 見た目に似合わず、メリューは深く考えているらしい。ソロンもその見通しに勇気づけられる。


「分かった。そのためにも見取図の作成だね」


 ソロンは城の外観を用紙に書き込みながら、侵入経路を見繕(みつくろ)っていく。

 レムズ王子の所在は不明だが、二~三階にいることも考えられる。その場合は、城壁を伝って屋上や窓から侵入する案もあった。

 ……が、窓は小さく、ほどよい足場も見当たらない。残念ながら、一階から侵入したほうが無難そうだ。


「こんなものかな」


 即席の見取図を両手で開き、ソロンは満足気な声を出す。そのまま、羽根ペンと見取図を(かばん)にしまった。


「もうよいのか?」

「うん。これ以上、偵察しても得るものはないよ。どっちかというとナイゼルの情報次第だね。今日の深夜にもしかけたいし、早く帰って準備しよう」


 *


「どうだった?」


 夜になり、さっそく宿の一室でナイゼルと落ち合う。


「ええ、市民の皆様も随分とご不満なようで、みな自分から話してくださいました。人の口に戸は立てられぬ――とはよく言ったもので、お陰で随分と楽をさせてもらいましたよ」

「ってことは、レムズ王子の居場所が分かったの?」


 期待を抱いて、ソロンは身を乗り出した。

 ナイゼルはにやりと笑って。


「ええ、二階の貴賓室に軟禁されているようです。建前としては謹慎処分になっているのだとか」

「なるほど。さすがに牢屋送りはなかったか」


 ソロンはそれを聞いて納得する。

 教団の意向はともかくとして、レムズはなんといってもラグナイ王子だ。国王も息子である彼を物々しく監禁したくないのかもしれない。


「よくそんな話を聞けたものだな。怪しまれなかったのか?」


 と、メリューが興味深げにナイゼルを見る。


「監視つきとはいえ、レムズ王子も城内を歩き回る程度の自由はあるそうです。城内に出入りしている者は多く、情報は容易に漏れてきましたよ。なんといっても、この国では一級の有名人ですからね」

「そなた……体力勝負でなければ本当に有能なのだな」


 メリューが驚きの目でナイゼルを見ていた。


「ふふっ……イドリス一の大魔道士で、坊っちゃんの軍師――それがこのナイゼルですから」


 いつものわざとらしい仕草で、ナイゼルは眼鏡の位置を直した。


「そ、そうか……」


 メリューは呆れるやら困惑するやらの微妙な表情で応答した。


「それからまだあります。傘下の騎士達は別で、今も地下牢に囚われているのだとか。ザウラストは内乱で、騎士達を無闇に殺さなかった――そのため、捕虜の数も相当にのぼるとも聞いていますね」

「殺さなかったのは、温情ではないのだろうな」


 メリューが何かを察したように神妙な声で問う。


「おっしゃる通り。ザウラストが資源を無駄にするとは思えませんからね。今はまだ生かしておいたほうがよかったのでしょう。準備がいるそうですから」

「準備って……生贄の儀式のことだよね」


 ソロンはかつて見た儀式を思い出し、顔をしかめた。


「ええ、ベスカダは比較的、呪海の亀裂に近く、虜囚(りょしゅう)を一時的に預かるには都合よかったのでしょう」

「呪海の亀裂……。ひょっとして、レムズ王子もそこへ送る気かな?」


 下界を浸食し、飲み込もうとする呪海……。呪海は大地を腐らせ、植物を死滅させる。そのため、人は呪海から離れた場所に町を作るのが常だった。

 だが、呪海から川のように内陸部へと伸びる亀裂がある。ザウラスト教団は人里に近いその場所を儀式に用いていたのだ。

 そして――呪海へと人を投じれば、肉体は瘴気(しょうき)を放出しながら融解していく。教団はその瘴気を集め、聖獣や神獣の血肉とするのだ。


「さてどうでしょう。さすがに国王の意向を無視して、王族を生贄には捧げられないと思いますが……。もし送られるとしたら、護送される途中を襲撃する手もありますね」

「いや、憶測で計画を立てるのはやめよう。大変かもしれないけど、城に潜入したほうが確実だろうね。……決行は深夜、今から三時間以内に作戦を立てるよ」


 ソロンはあえて言い切った。入手可能な情報はそろった。今回の戦いにイドリスの命運が懸かっている以上、先延ばしする余裕はないのだ。

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