王子の行方
「ふう……。こんなところかしら」
長い話を終えた女給は大きく息を吐いた。ソロンが注文した水を差し出せば、女給はおいしそうに飲み干す。ちなみに、この辺りはイドリスのように、水がタダ同然とはいかないらしい。
「お疲れ様でした。ところで、レムズ王子は今どうされてるんでしょう?」
ソロンはねぎらった後で、質問をする。真に聞きたかったのはレムズの居場所だが、まずは慎重に探ることにした。
「う~ん、さすがにそこまでは……。王族だし、さすがにすぐ処刑とはいかないはずだけど。王都かどこかに囚われてらっしゃると思うんだけど、自信ないなあ……。王様もどうされるつもりなんでしょうね」
女給は首をひねりながら、必死に考えようとしていた。
「そうですか、心配ですね……」
答えが得られないなら仕方ない――と、ソロンは話を終えることにした。
再び礼を述べて、食後のおやつを追加する。メリューは女性の例に漏れず、甘いものも好物らしかった。
*
「お兄さん素敵だから、私も話してて楽しかったよ」
酒場からの帰り際、女給が笑顔で二人を見送ってくれた。
「いえいえ、お姉さんこそ話も達者だし、お綺麗ですよ。今まで出会ったラグナイ人では、一番の美人だと思います」
嘘偽りなくソロンも相手を褒める。そもそもラグナイ人の女性とは、ほとんど出会っていないのは内緒だ。
「もうお上手なんだから……」
女給は頬を押さえて、酒場を去るソロンを見つめていた。
酒場を出れば、すっかり夜だった。入店前は空を照らしていた残光も消え去り、今は星々が顔を出している。もっとも、下界のことなので星は白雲の途切れた低空にしか見えないのだが。
「……さすが、年上殺しだな」
メリューがぼそりとつぶやいた。
「えっ?」
意味が分からず、ソロンはメリューの顔を覗き込んだ。
「見境なく女をおだてるのはやめたほうがよいぞ。場合によっては報告事案となる」
「報告事案ってなに……? っていうか誰に?」
妙な表現にソロンは首をかしげる。
メリューが報告する相手となれば、第一に父であるシグトラだろう。しかし、どうもそれとは意味合いが違うように感じた。
「それは乙女の秘密というヤツだ」
メリューは片目を閉じ、茶目っ気を見せる。可愛らしい仕草のはずだが、今一つ似合わないのはなんでだろう。
「そ、そう……」
少なくとも、誰に報告するかは何となく分かったので、それ以上は突かないことにした。返事の代わりにソロンが口にしたのは――
「――まあ、メリューってあんまり乙女って感じじゃないけどね」
見た目でいえば、乙女と呼ぶには幼すぎる。中身でいえば、乙女と呼ぶには老成している。ソロンはそういう意味で口にしたのだが。
「ほう」
メリューの瞳がキランと光った。
「いたっ、イタタッ!?」
ソロンの髪の毛が逆立つ。
慌てて両手で髪の毛を押さえるも、引っ張る強さは変わらない。……どうやら、逆鱗に触れてしまったらしかった。
普段なら、この種の舌禍はグラットの役目。しかし残念ながら、この場にかの友人はいなかった。
*
柳眉を逆立てるメリューをなだめ、宿へと戻る。
「やあやあ、坊っちゃんもお帰りですか?」
玄関の広間には、部下を連れたナイゼルが既に戻っていた。赤ら顔で声をかけてくるが、どことなく機嫌がよさそうだ。
「ナイゼル……。たくさん飲んだんだね」
「そういう坊っちゃんは相変わらずの素面ですね。いやあ、お酒も飲めないなんて、坊っちゃんは人生の半分を損していますなあ」
ナイゼルは誰かと同じようなことを言いながら、ソロンの肩を叩いてくる。
ちなみに普段のナイゼルは、そこまで酒好きというわけではない。この男は単にソロンをからかうのが好きなだけである。
「おっさん臭い――イタっ!?」
相手がナイゼルなので遠慮なく言ったら、メリューにすねを蹴られた。
「おやぁ、お二人は仲良しですねえ。あっはっは!」
すねを抱えるソロンを見て、ナイゼルは楽しそうに笑い声を上げる。
「雑談はよい。さっさと部屋に入って情報交換だ」
不機嫌そうに言い放つメリューに従い、一同は部屋に戻った。
「坊っちゃん、収穫はありましたか?」
扉を閉めるなり、ナイゼルは顔つきを引き締めた。酔ってはいても、泥酔も酩酊もしていないらしい。
「もちろんさ」
ソロンは力強く応える。
「実はレムズ王子が――」
そうして、女中から仕入れた情報を披露してみせた。
話を聞き終えたナイゼルは頷いて。
「やはり、騎士階級と神官階級の対立は深刻なようですね。敗戦から時を置かずして再びわが国へ攻めて来たのは、その辺りの事情も関係しているようです」
「どういうこと?」
「騎士達の不満をそらすためですよ。彼らの多くは戦場に生を見出す者達です。いざ戦が始まれば、手柄を上げるべく必死にならざるをえません。国王への不満を差し置いてね」
「そっか……! 敵の攻め手は騎士が中心――って兄さんが言ってたね」
「そういうことです。騎士の勢力を削ぐためには、ある程度、死人が出たほうが望ましいのでしょう。ザウラストにとっては」
「国王もそれを認めてるってことか……。さすがに同情しちゃうな」
「全くです。しかし、坊っちゃんも随分と成長されましたなあ」
と、ナイゼルは大袈裟な仕草で眼鏡を拭った。
「――昔は私やペネシア様と一緒でないと、知らない人と会話もできない人見知りだったのに……」
「そりゃ、よっぽど子供の頃だよ。なんでそんなことばかり覚えてるかなあ……。けどそれも昔の話だ。今は僕だってこれぐらいはできるさ」
ソロンはナイゼルへ挑むように胸を張ったが。
「まあ、そのくらいの情報は私も聴き込んでいたわけですが」
ナイゼルが余裕の表情で水を差してくる。
「自信ありげだな。目ぼしい情報でもあったのか?」
メリューの質問に、ナイゼルはおもむろに頷き。
「ええ、レムズ王子の居所を突き止めました」
何でもないようにナイゼルは口にしたが、ソロンは目を見開いた。
「ど、どうやって!?」
「軍の皆様に酒をおごったら、自分から喋ってくれましたよ」
「うわっ、よくそんな大胆なことやったね」
「この辺りには騎士階級の人達も多いですからね。水を向ければ教団の悪口と一緒に、たくさん情報が湧いてきましたよ。まっ、下戸の坊っちゃんにはできない芸当ですな。わっはっは!」
「ぐぐっ、それでレムズ王子はどこに?」
わざとらしく勝ち誇るナイゼルに、ソロンは歯噛みする。……が、こらえて話の続きをうながした。
「ええ、ベスカダ市にいるそうです。ザウラストとの戦いに敗北した際、騎士達の多くと共に護送されていったのだとか。反乱の規模が大きかったため、収容に足る町も限られていたようです」
「ベスカダって言うと、ここから北の方角だっけ? そんなに遠くないよね」
「ここから数日もあれば、十分にたどり着けます。それにしても、坊っちゃん。意外と勉強されてますね」
驚くようにナイゼルが言った。
「バカにしないでよ。それぐらいは分かるさ」
と、ソロンは口を尖らせる。縁遠いラグナイの地名ではあるが、出発に当たって最低限の下調べはしていた。
「それより」ソロンは話題を転じて切り出した。「助け出せないかな?」
一度は命のやり取りをした相手ではあるが、それも過去の話だ。今は死んで欲しいとまでは思わない。
「ほほう、そう来ましたか。坊っちゃんはお優しいですね。さすがはペネシア陛下のお子様です」
「お優しいとかじゃなくて、力を貸してもらえないかと思ってさ。レムズ王子は騎士階級に顔が利くんだよね? しかもザウラストを嫌ってる。敵の敵は味方ってヤツだよ」
ラグナイの支配者層が、神官と騎士の二階級に分かれているのは周知の通り。そして、ソロン達が一番に戦うべきは神官階級なのだ。
「ふむ、利用できるかもしれませんね。もっとも、救出は簡単ではありませんよ。それに、助けたところで協力してもらえるかも未知数です」
「難しいかな……?」
そう指摘されれば、ソロンも途端に不安になる。ソロンの考えも、しょせんは思いつきに過ぎないのだろうか。
「試してみる価値はあるでしょう。安全策を取っていたところで、わが国の状況は挽回できませんからね」
ためらうソロンの背中を後押しするように、ナイゼルが言った。
「ありがとう。問題はどうやって、王子と接触するかだけど……」
「簡単にはいかないでしょうが、何はともあれ現地での情報収集です」
「うん、明日の朝にでもベスカダへ出発しよう」
「それにしても、坊っちゃんもなかなか狡猾になられたようです。これもアルヴァさんの教育の賜物ですかな?」
どことなく嫌らしい目で、ナイゼルはククッと笑った。
「教育ってねえ……。確かにアルヴァは先生みたいなところもあるけど。そう言えば、あっちは大丈夫かな?」
ソロンは別れた仲間達へと思いを馳せた。アルヴァやミスティン、グラット達はうまくやっているだろうか。彼女達の戦いも、こちらに負けず相当な苦難のはずだった。
「やはり心配か?」
黙って話の行く末を窺っていたメリューが、問うてくる。
「そりゃあね。けど今は目の前のことを片付けるよ。早く終われば、僕も上界に戻れるかもしれないし」
「うむ。その意気だな。あやつらもそなたに心配されるほど軟弱ではなかろう。それで、方針は決まったようだな」
「うん。ベスカダ市へ向かって、レムズ王子を解放する。メリューもそれでいいね?」
「構わん。そなたらの国同士の対立も、私には関係のないこと。だが、友人のためには一肌脱ぐさ」
メリューは相変わらず男気にあふれていた。
「おやおや、坊っちゃんはなかなか良い友人に恵まれていますねえ」
ナイゼルはなんだか嬉しそうにしていた。