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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第九章 深淵を越えて
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王子の行方

「ふう……。こんなところかしら」


 長い話を終えた女給は大きく息を吐いた。ソロンが注文した水を差し出せば、女給はおいしそうに飲み干す。ちなみに、この辺りはイドリスのように、水がタダ同然とはいかないらしい。


「お疲れ様でした。ところで、レムズ王子は今どうされてるんでしょう?」


 ソロンはねぎらった後で、質問をする。真に聞きたかったのはレムズの居場所だが、まずは慎重に探ることにした。


「う~ん、さすがにそこまでは……。王族だし、さすがにすぐ処刑とはいかないはずだけど。王都かどこかに囚われてらっしゃると思うんだけど、自信ないなあ……。王様もどうされるつもりなんでしょうね」


 女給は首をひねりながら、必死に考えようとしていた。


「そうですか、心配ですね……」


 答えが得られないなら仕方ない――と、ソロンは話を終えることにした。

 再び礼を述べて、食後のおやつを追加する。メリューは女性の例に漏れず、甘いものも好物らしかった。


 *


「お兄さん素敵だから、私も話してて楽しかったよ」


 酒場からの帰り際、女給が笑顔で二人を見送ってくれた。


「いえいえ、お姉さんこそ話も達者だし、お綺麗ですよ。今まで出会ったラグナイ人では、一番の美人だと思います」


 嘘偽りなくソロンも相手を褒める。そもそもラグナイ人の女性とは、ほとんど出会っていないのは内緒だ。


「もうお上手なんだから……」


 女給は頬を押さえて、酒場を去るソロンを見つめていた。


 酒場を出れば、すっかり夜だった。入店前は空を照らしていた残光も消え去り、今は星々が顔を出している。もっとも、下界のことなので星は白雲の途切れた低空にしか見えないのだが。


「……さすが、年上殺しだな」


 メリューがぼそりとつぶやいた。


「えっ?」


 意味が分からず、ソロンはメリューの顔を覗き込んだ。


「見境なく女をおだてるのはやめたほうがよいぞ。場合によっては報告事案となる」

「報告事案ってなに……? っていうか誰に?」


 妙な表現にソロンは首をかしげる。

 メリューが報告する相手となれば、第一に父であるシグトラだろう。しかし、どうもそれとは意味合いが違うように感じた。


「それは乙女の秘密というヤツだ」


 メリューは片目を閉じ、茶目っ気を見せる。可愛らしい仕草のはずだが、今一つ似合わないのはなんでだろう。


「そ、そう……」


 少なくとも、誰に報告するかは何となく分かったので、それ以上は突かないことにした。返事の代わりにソロンが口にしたのは――


「――まあ、メリューってあんまり乙女って感じじゃないけどね」


 見た目でいえば、乙女と呼ぶには幼すぎる。中身でいえば、乙女と呼ぶには老成している。ソロンはそういう意味で口にしたのだが。


「ほう」


 メリューの瞳がキランと光った。


「いたっ、イタタッ!?」


 ソロンの髪の毛が逆立つ。

 慌てて両手で髪の毛を押さえるも、引っ張る強さは変わらない。……どうやら、逆鱗(げきりん)に触れてしまったらしかった。

 普段なら、この種の舌禍(ぜっか)はグラットの役目。しかし残念ながら、この場にかの友人はいなかった。


 *


 柳眉(りゅうび)を逆立てるメリューをなだめ、宿へと戻る。


「やあやあ、坊っちゃんもお帰りですか?」


 玄関の広間には、部下を連れたナイゼルが既に戻っていた。赤ら顔で声をかけてくるが、どことなく機嫌がよさそうだ。


「ナイゼル……。たくさん飲んだんだね」

「そういう坊っちゃんは相変わらずの素面(しらふ)ですね。いやあ、お酒も飲めないなんて、坊っちゃんは人生の半分を損していますなあ」


 ナイゼルは誰かと同じようなことを言いながら、ソロンの肩を叩いてくる。

 ちなみに普段のナイゼルは、そこまで酒好きというわけではない。この男は単にソロンをからかうのが好きなだけである。


「おっさん臭い――イタっ!?」


 相手がナイゼルなので遠慮なく言ったら、メリューにすねを蹴られた。


「おやぁ、お二人は仲良しですねえ。あっはっは!」


 すねを抱えるソロンを見て、ナイゼルは楽しそうに笑い声を上げる。


「雑談はよい。さっさと部屋に入って情報交換だ」


 不機嫌そうに言い放つメリューに従い、一同は部屋に戻った。



「坊っちゃん、収穫はありましたか?」


 扉を閉めるなり、ナイゼルは顔つきを引き締めた。酔ってはいても、泥酔(でいすい)酩酊(めいてい)もしていないらしい。


「もちろんさ」


 ソロンは力強く応える。


「実はレムズ王子が――」


 そうして、女中から仕入れた情報を披露してみせた。


 話を聞き終えたナイゼルは頷いて。


「やはり、騎士階級と神官階級の対立は深刻なようですね。敗戦から時を置かずして再びわが国へ攻めて来たのは、その辺りの事情も関係しているようです」

「どういうこと?」

「騎士達の不満をそらすためですよ。彼らの多くは戦場に生を見出す者達です。いざ戦が始まれば、手柄を上げるべく必死にならざるをえません。国王への不満を差し置いてね」

「そっか……! 敵の攻め手は騎士が中心――って兄さんが言ってたね」

「そういうことです。騎士の勢力を削ぐためには、ある程度、死人が出たほうが望ましいのでしょう。ザウラストにとっては」

「国王もそれを認めてるってことか……。さすがに同情しちゃうな」

「全くです。しかし、坊っちゃんも随分と成長されましたなあ」


 と、ナイゼルは大袈裟な仕草で眼鏡を(ぬぐ)った。


「――昔は私やペネシア様と一緒でないと、知らない人と会話もできない人見知りだったのに……」

「そりゃ、よっぽど子供の頃だよ。なんでそんなことばかり覚えてるかなあ……。けどそれも昔の話だ。今は僕だってこれぐらいはできるさ」


 ソロンはナイゼルへ挑むように胸を張ったが。


「まあ、そのくらいの情報は私も聴き込んでいたわけですが」


 ナイゼルが余裕の表情で水を差してくる。


「自信ありげだな。目ぼしい情報でもあったのか?」


 メリューの質問に、ナイゼルはおもむろに頷き。


「ええ、レムズ王子の居所を突き止めました」


 何でもないようにナイゼルは口にしたが、ソロンは目を見開いた。


「ど、どうやって!?」

「軍の皆様に酒をおごったら、自分から喋ってくれましたよ」

「うわっ、よくそんな大胆なことやったね」

「この辺りには騎士階級の人達も多いですからね。水を向ければ教団の悪口と一緒に、たくさん情報が湧いてきましたよ。まっ、下戸の坊っちゃんにはできない芸当ですな。わっはっは!」

「ぐぐっ、それでレムズ王子はどこに?」


 わざとらしく勝ち誇るナイゼルに、ソロンは歯噛みする。……が、こらえて話の続きをうながした。


「ええ、ベスカダ市にいるそうです。ザウラストとの戦いに敗北した際、騎士達の多くと共に護送されていったのだとか。反乱の規模が大きかったため、収容に足る町も限られていたようです」

「ベスカダって言うと、ここから北の方角だっけ? そんなに遠くないよね」

「ここから数日もあれば、十分にたどり着けます。それにしても、坊っちゃん。意外と勉強されてますね」


 驚くようにナイゼルが言った。


「バカにしないでよ。それぐらいは分かるさ」


 と、ソロンは口を尖らせる。縁遠いラグナイの地名ではあるが、出発に当たって最低限の下調べはしていた。


「それより」ソロンは話題を転じて切り出した。「助け出せないかな?」


 一度は命のやり取りをした相手ではあるが、それも過去の話だ。今は死んで欲しいとまでは思わない。


「ほほう、そう来ましたか。坊っちゃんはお優しいですね。さすがはペネシア陛下のお子様です」

「お優しいとかじゃなくて、力を貸してもらえないかと思ってさ。レムズ王子は騎士階級に顔が()くんだよね? しかもザウラストを嫌ってる。敵の敵は味方ってヤツだよ」


 ラグナイの支配者層が、神官と騎士の二階級に分かれているのは周知の通り。そして、ソロン達が一番に戦うべきは神官階級なのだ。


「ふむ、利用できるかもしれませんね。もっとも、救出は簡単ではありませんよ。それに、助けたところで協力してもらえるかも未知数です」

「難しいかな……?」


 そう指摘されれば、ソロンも途端に不安になる。ソロンの考えも、しょせんは思いつきに過ぎないのだろうか。


「試してみる価値はあるでしょう。安全策を取っていたところで、わが国の状況は挽回できませんからね」


 ためらうソロンの背中を後押しするように、ナイゼルが言った。


「ありがとう。問題はどうやって、王子と接触するかだけど……」

「簡単にはいかないでしょうが、何はともあれ現地での情報収集です」

「うん、明日の朝にでもベスカダへ出発しよう」

「それにしても、坊っちゃんもなかなか狡猾になられたようです。これもアルヴァさんの教育の賜物(たまもの)ですかな?」


 どことなく嫌らしい目で、ナイゼルはククッと笑った。


「教育ってねえ……。確かにアルヴァは先生みたいなところもあるけど。そう言えば、あっちは大丈夫かな?」


 ソロンは別れた仲間達へと思いを馳せた。アルヴァやミスティン、グラット達はうまくやっているだろうか。彼女達の戦いも、こちらに負けず相当な苦難のはずだった。


「やはり心配か?」


 黙って話の行く末を(うかが)っていたメリューが、問うてくる。


「そりゃあね。けど今は目の前のことを片付けるよ。早く終われば、僕も上界に戻れるかもしれないし」

「うむ。その意気だな。あやつらもそなたに心配されるほど軟弱ではなかろう。それで、方針は決まったようだな」

「うん。ベスカダ市へ向かって、レムズ王子を解放する。メリューもそれでいいね?」

「構わん。そなたらの国同士の対立も、私には関係のないこと。だが、友人のためには一肌脱ぐさ」


 メリューは相変わらず男気にあふれていた。


「おやおや、坊っちゃんはなかなか良い友人に恵まれていますねえ」


 ナイゼルはなんだか嬉しそうにしていた。

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