騎士と邪教の国
メリューと二人で食事をしていると、追加の注文を持って女給が戻ってくる。どうやら、テキパキと仕事を片付けたらしい。あまり真面目には見えないが、なかなか要領がよさそうだ。
「お待たせ。で、え~と……」
そう言った女給は、手近にある空いた椅子に座り込んだ。ソロンと長話をする態勢を整えてくれたらしい。
「レムズ王子の話です」
「そうそう、レムズ様が捕まっちゃったのよ。それでいよいよ、あいつらの天下ってわけ」
女給はちらりと、遠くで騒ぐ神官を窺った。店内の喧騒があるため、こちらの会話が聞かれる心配はなさそうだ。
「捕まったって……いったい何を?」
心の準備ができていたため、さほど驚かなかった。しかし、興味は尽きない。
「何をって、そりゃ蜂起よ」
「蜂起……ですか。何でまた?」
「えーと、どこから話そうかしら……。分かりやすく話したら、それこそ歴史の話になっちゃうけど」
「それでお願いします。この子もあんまり歴史には詳しくないので」
ソロンもイドリスの王子として、隣国の歴史は多少なりと学んでいた。それでも、さすがにラグナイ人と比べれば知識は劣るだろう。そこでメリューをダシに使う作戦である。
「私は別に構わんが」
「いいよいいよ、まかせて!」
メリューの言葉を遠慮と受け取ったらしく、女給は注文に快く答えてくれた。レムズの蜂起について、順を追って語ってくれたのだ。
この国におけるザウラスト教団の隆盛は、四十年近く前に遡る。
当時ラグナイでは、二人の王子が王位を巡る闘争を繰り広げていた。最初は権力争いに過ぎなかったそれが、やがては武力を伴う小競り合いとなる。ついには、国家全土を二分する戦乱へとなっていった。
かつてのラグナイは騎士の国であり、第一王子はその騎士達を味方につけていた。抱える勢力は第二王子の何倍にも達していたという。
やがて、来たる決戦の日。
両陣営は総力を結集し、最後の戦いに打って出た。
戦いは第一王子の圧倒的優位に進むと思われた。
千を越える第一王子の騎士達は、波濤の如く第二王子の本陣へと押し寄せる。圧倒的な戦力を誇る彼らにとって、小細工は無用だったのだ。
一方的な蹂躙劇が繰り広げられると、誰もがそう思った。第二王子の陣営の者達すら、大半が負けを覚悟していたであろう。
そこに現れたのは、緑の巨体を持った獣だった。百にも及ぶ醜悪な魔物が、煙と共に忽然と戦場へ現れたのだ。
予想外の事態に、騎士達が浮足立つ。それでも、第一王子の叱咤を受けた騎士達は、恐れを振り払い巨獣へと突進する。
だが、巨獣達は騎士の槍を身に受けても、びくともしなかった。
巨獣は長い腕を振るい、馬もろとも騎士を薙ぎ払っていく。第一王子擁する騎士達は、恐るべき力を持つ魔物の前になす術もなかった。
戦争は呆気なく終わった。しかし、蹂躙劇は当初の想定とは、反対方向に展開されたのだった。
魔物を意のままに操る奇妙な術――それを行使したのは、赤い衣をまとった者達である。この地に流れ着いた異教の者達と、第二王子は手を組んでいたのだ。
そして、異教――ザウラスト教団がラグナイの歴史にその名を刻み込んだのは、その時である。
第二王子ラムジードは国王となり、教団の力を借りて周辺諸国を征服していく。教団の魔物――聖獣と神獣の力は圧倒的だったのだ。
北、西、東――当時、ラグナイに隣接していた国の中で、征服されていないのは南のイドリスだけだった。小国だったラグナイは、わずか四十年で広大な領土を支配する大国となったのだ。
女給は思いのほか気合の入った語り口で、ここまでの説明をしてくれた。まるで英雄の戦記でも聞かされているかのようである。……もっとも、邪教にどっぷり浸かった英雄など認めたくないが。
「聖獣に神獣ねえ……」
ソロンは苦笑してつぶやいた。
どうやら教団を除く一般市民にも、聖獣や神獣といった呼称は通じているらしい。
あの禍々しい魔物が、聖獣に神獣とは冗談としか思えないが……。ソロン達がそう呼んでいるのは、半分以上は皮肉交じりであった。
「あはは! ほんと冗談としか思えないよね。私も緑のヤツしか見てないけど、あの気持ち悪いカバみたいなのが聖獣なんてねえ」
女給は屈託なく笑った。
ソロンは反応に困って力なく苦笑する。
「あはは……。とにかく勉強になります。いくつか聞いた覚えもあるんですが、詳しくは知らなかったので」
ラグナイは仮想敵国であり、その辺りの軍事史はおぼろげに把握していた。『お前も変なことは考えるなよ、同じ第二王子だしな』と、兄が冗談半分に語っていた記憶がある。
「まあ、私もおばあちゃんから聞いただけなんだけどね。おばあちゃん、昔は騎士様の家に奉公へ行ってたから」
そう説明してから、女給はさらに話を続ける。
今や高齢となった国王ラムジードであるが、今日に至るまで王国に君臨している。
第一王子に付き敗北した騎士達ではあるが、王も当初は配慮を見せていた。融和のため、複数ある妻の一人を騎士階級から迎えたのだ。
そうして生まれたのが第三王子レムズだという。
ラグナイが大国へと変わっていく中で、騎士達も領地を拡大する。彼らも不満を表立てることはなくなっていった。
けれど、その均衡も次第に崩れていく。
戦争をする度に、国王はザウラスト教団の力を必要とした。やがて、彼は教団への心酔を隠さなくなる。積極的に教団を保護し、国民へも改宗するように奨励したのだ。
そして、ザウラスト教団の存在が国内へ広まるにつれ、怪しげな噂も広がっていく。
曰く――教団は魔物を生み出すため、人を生贄として呪海へ捧げている。
曰く――生贄として使用されるのは、一に他国の捕虜、二に国内の犯罪者ならび奴隷である。
曰く――四十年前の戦争の際、小さな村が住民ごと消滅していた。当時は戦争にまぎれた野盗の仕業と見られていた。……が、実際のところ村人は邪教の生贄となり緑の聖獣にされたのだ。
「まあ、さすがに単なる噂だと思うんだけどね。いくら怪しい宗教だからって、今時、生贄はないでしょうし」
「だ、だといいんですけどね……」
女給は信じていないようだが、ソロンは知っている。生贄の儀式をこの目で見た上、レムズにも話を聞かされたのだ。
けれど、これで多少は腑に落ちた。
なぜあんな邪教が国教たりうるのかといえば、その実態が国民に知らされていないからだ。
そして、戦争で得た他国の捕虜や犯罪者を生贄とする限り、大多数の国民には実害もない。
そうやって得た魔物を使役すれば、国民の犠牲を抑えて戦争ができる。犠牲なき戦勝で国は富むのだから、国民にとって反対する理由もない。
そしてそして、戦争で得た捕虜を生贄にすれば、魔物はまた生み出される。侵略する国がなくなるまで、この循環は繰り返されるというわけだ。
女給の話は続く。
かつて騎士の国と呼ばれたラグナイも、今やザウラスト教を国教とする宗教国家へ変貌しようとしていた。
日増しに高まる教団の勢力に、危機感を抱いたのは騎士達だ。
そしてその期待は、レムズ王子に集まっていく。
歯に衣着せぬレムズは、日頃からザウラストへの不満を隠さなかった。高名な騎士家を母方に持つ彼は、生まれながらにして騎士階級との縁が深かったのだ。
しかしながら、レムズは騎士であると共に王族でもある。父に対して公然と反旗を翻すことはなかった。
「もしや、騎士というのはあちらの者達か?」
黙って食事を取っていたメリューが口を開いた。視線をやった先は神官がいないほうの集団――肩身の狭そうな軍人らしき者達のほうである。
「そう! お嬢ちゃん、よく分かったわね。正確には騎士とその従者達って感じかしら」
威張る神官と肩身の狭そうな騎士――まさしくこの店内は、ラグナイ王国の勢力の縮図だったというわけだ。
「お嬢ちゃんではないが……まあ、話を聞いていれば、その程度は察せられる。続きを所望してよいか?」
「もちろんよ!」
女給は拳を握って返事をした。今まで冷淡だったメリューに興味を持たれたのが、よほど嬉しかったらしい。
昨年、イドリスにしかけた侵略戦争で、ラグナイはまさかの敗北を喫した。
一度は王都を陥落させたものの、落ち延びた王子――サンドロスによって奪還されたのだ。
「……大事なことが抜けておるぞ。落ち延びた王子はもう一人いる。そして、レムズ王子を捕虜にしたのもその第二王子――ソロニウスだ」
再開した女給の話を、メリューがいきなり遮った。ソロンは口に含んだミカンジュースを吹き出しそうになる。
「あらそうなの? 仕事柄、話はたくさん仕入れるようにしてるんだけど……。よく知っていたわね。レムズ様が捕虜になったって話も、おおっぴらにしてないみたいだし」
「え、ええ、戦争が終わってから一度、イドリスまで行商に行ったもので……。ただ逆に、こっちの事情は詳しくないんです」
ソロンは苦しい言い訳でしのぎ、メリューをにらみつけた。
戦争について、自国に不利な情報を隠蔽するのは常套手段だ。
ゆえに、ラグナイとイドリスの認識が同じとは限らない。迂闊に情報をひけらかして認識が食い違ったら、余計な疑いを招いてしまう。
「へえ~、そうだったのね」
幸い、女給は疑う素振りもなく感心していた。
「大事も何も、話の腰を追ってまで言うことじゃないでしょ」
「それを判断するのはそなたではない。少なくとも、私の友人ならばそうは思わぬだろうな」
ソロンは小声で注意するも、メリューは素知らぬ顔で言い返した。当事者ではない彼女だが、アルヴァやミスティンから、この辺りの話も散々聞かされているらしい。
「ふふふっ、第二王子のソロニウスね。覚えておくわ」
女給が微笑んで、その名前を口にする。ここが薄暗い店内でなければ、紅潮するソロンの顔が見られたかもしれない。
閑話休題。
捕虜になり解放されるという失態をさらしたレムズだが、責任は問われなかった。事実上、戦争を主導していたのは、ザウラストの司教だったからだ。
教団が主導した戦争で敗北するのは極めて珍しかった。
特に衝撃的だったのは、神獣が破れたという事実である。神獣は一切の傷も受けない無敵の存在。それがザウラストの謳い文句だったのだ。
皮肉なことに、その敗北が騎士達を勇気づけたのかもしれない。
しばらしてのち、正体不明の騎士達がザウラストの教団施設を狙う事件が多発した。騎士はいずれも鎧兜で姿を隠しており、その所属はつかめなかった。
だが、公然と国王へ反対できない騎士達が、秘密裏に暗躍しているのは明らかだった。
恐るべき魔法を使う神官とはいえ、彼らも生身の人間である。不意を突かれれば犠牲は出るのだ。
何度となく国王はその対応に追われたが、その度に尽力したのは、やはりザウラスト教団だった。
騎士達の反乱が大規模なものにならなかったのは、中心となる指導者がいなかったからである。
しかし、これも時間と共に状況が変わった。
反乱を指導しているのは、レムズだという噂が流れたのである。
「そっか、それで蜂起というわけですか」
ソロンは納得の声を上げた。レムズが父である国王に反旗を翻すとは、相当な覚悟があったのだろう。
「といっても、最初のほうは本当に、根も葉もない噂みたいだったんだけどね。ただ、みんなの期待は本物で、噂も一人歩きしちゃったみたいで――」
そして、国王もそれを単なる噂と受け取らなかった。やがてはレムズを捕縛する動きを見せたのである。
追い込まれたレムズは、ついに大勢の騎士達と共に立ち上がった。
彼の人気は高く、またザウラスト教団に対する皆の嫌悪感は大きかった。目立った実害がないとはいえ、教団の存在はあまりに異質だったのだ。
民衆の中には、騎士達と共にレムズの傘下に入る者も珍しくなかった。レムズは日増しに勢いを増し、ついには何千という規模まで勢力をふくらませた。
レムズ達の勢いは、いよいよ国王に匹敵するかと思われた。……が、その勢いも長くは続かなかった。
ザウラスト教団が神獣を召喚するや、戦況は一変したのだ。
聖獣との戦いに順応し始めていた騎士達も、さすがに神獣へは対応できなかった。反乱は鎮圧され、レムズを筆頭とした大勢の騎士が教団に捕らえられたのだった。